CROSS OVER-01
【16】CROSS OVER~倒れゆくものたちへ~
ヒュドラとの戦いからいったん退却した後、シークが救いだしたのはまだ若い男だった。
薄汚れた白いポンチョ型のフード、黒く擦り切れた麻のズボン。自力で錘を外したのか、足首には足枷の鎖だけがついている。
ビアンカがタオルを貸し、男は自分の顔を拭く。シーク達よりやや背が低い程度にしか思っていなかったものの、その表情はまだシーク達よりもずいぶん幼かった。
少年がフードを外し、手入れがなされていないゴワゴワした髪を掻き上げる。シーク達はその耳に驚いた。
「獣人!?」
必死に撫でつけようとしている髪からは、猫耳がピョコンと飛び出ていた。歳はまだチッキーよりも少し上くらいだろうか。シャルナク以外にも人間の暮らす地域に出ていた獣人がいるとは初耳だ。
あどけなく澄んだ目をくりくりとさせた少年は、涙を流して唇を噛み、嗚咽を堪えてからシーク達へと頭を下げた。
「あ、有難うございました……本当に、有難うございました……!」
「だ、大丈夫、もう大丈夫だから、ね?」
シークが背中を支えてやると、少年はその場に膝を抱えて座る。
「えっと、こちらから名乗るべき所なのは分かっているんだけど……名前と、どこから来たかを聞いてもいいかな」
気弱そうな少年は、目線を合わせようとしゃがんだシークの顔を不安そうに見上げ、ゆっくりと話し始める。
「ぼ、ぼくは狩人ランガの息子、イヴァンと言います。その……」
「もしかして、ナン村から?」
「そ、そうです、村をご存じなのですか?」
シーク達が村を知っていると分かり、イヴァンの目が僅かに輝く。シークが昨年訪れた事、メデューサを倒した事などを話す間、イヴァンは懐かしむような、悲しそうな顔で聞いていた。
「君はどうしてここに? なぜ君と一緒にいた人達は、俺達を殺そうとしたんだ?」
イヴァンはポンチョの裾をぎゅっと掴んで言葉を絞り出す。
「ママッカ大陸……人間はそう呼んでいるそうですが、そこから渡って来ました。彼らは……魔王教徒だと言っていました」
「やっぱり。君もそうなのか?」
「違います! あ……いや、無理矢理だったとはいえ、ぼくも形の上では確かに魔王教徒です」
イヴァンは申し訳なさそうに俯く。
目の前にいるのは魔王教徒。3人はどう接していいのか戸惑っている。もしかすると、これすら罠かもしれない。獣人だから大丈夫だという確証はない。
こんな時にはとても頼もしい味方がいる。バルドル達だ。
「あーあ、まったくもう。『ヒト』ってのは言葉や表情、造形や身振り手振りまで使って物事を伝えられるくせに、伝えてもらうのは苦手なんだから。ここは僕に任せて貰いたいのだけれど」
「バルドルに? あ、そうか。君は人の心が読み取れるんだったね」
「い、今……その剣が喋りましたか?」
お約束の反応と言うべきか、イヴァンはバルドルの声に反応し、目をまんまるにして驚く。
「どうもね。『その剣』こと、聖剣バルドルさ」
「イヴァン君。君の考えている事、知られたくない事も含めて、全部心を読ませてもらってもいいかい」
「ぼ、ぼくのですか? 心を? 何かの術ですか」
「バルドルはそういう力があるんだ。協力してくれるかい」
「命を助けて貰ったんですから、勿論です」
シークはイヴァンにバルドルの柄を握らせる。何も言わないバルドルをじっと見つめながら、イヴァンは終わるまで黙っていた。
「うん、よく分かったよ、どうもね。えっと、流石に僕が秘密をペラペラと喋る訳にはいかないのだけれど。知りたい事を伺っても?」
「それならイヴァンがまず自分の身に起きた事を話をしてくれ。バルドルの読み取ったもんと違えば、バルドルが違うと言う」
ゼスタの提案に、バルドルはそれならと承諾する。
「ぼくはあの日、ナンでいつものように大人と狩りに出ていました。昼過ぎ、狩りの途中で砂嵐が発生して、ぼくだけはぐれました。方角が分からなくなって彷徨っていると、人間に出逢ったんです」
「……魔王教徒だ」
「最初は、初めて見る人間に戸惑いました。でも助けて貰えると思ったんです。でも……違いました。僕を捕え、彼らが潜んでいた山奥に連れて行かれました」
「ゴウンさん達が向かって、バスター総出で制圧したところね。ナンの荒野を越えて東にある山の中」
「そこだと思います。そこで……ぼくは、死霊術の改良に使われてきました」
「えっ!?」
イヴァンの告白に、シーク達は思わず声を出して驚く。
「使われるって……」
「生きた人間を、そのまま操るためだそうです。色々な術を試されました」
「体は大丈夫なのか?」
「今のところは。背中には死霊術士が彫った術式があると聞きます。自分では見る事が出来ないのですが、触ると確かに刻まれています」
イヴァンがそっとポンチョと服を捲り上げ、背中を見せる。
そこには傷痕にしても惨い複雑な発動術式と、魔法陣が刻まれていた。
入れ墨で書いている部分もあるが、殆どがそのまま肌に傷をつけて書かれている。どれ程の苦痛だったかは想像もできない。
「嘘だろ……こんな事を」
「なんて惨い……」
ビアンカは耐えきれず目を逸らす。
「これで何を発動させるつもりだったんだろう、なあ、実際に操られたことは?」
「いえ、この術式は失敗だったと」
シーク達が思わず口元を抑える中、バルドル、ケルベロス、グングニルは無言のままだ。
暫くの沈黙の中、魔王教徒たちの悲鳴は、気づけば随分と少なくなっていた。シークは咳ばらいをし、イヴァンへと1つ確認する。
「魔王教徒は許せない。でもだから死ねばいいとは思ってない。彼らが助けを拒む以上、どうしようもできないけど……イヴァンの仲間がいるなら、せめてその人だけでも助けたいんだけど」
「捕虜はぼくだけです。魔王教徒は、ここには……」
声が詰まるイヴァンの代わりに、見かねたバルドルがその続きを代わった。少々酷な事だと分かっていたからだ。
「シーク達を殺すためにきたんだね。ギリングにいる事は知られていたし、次にヒュドラの討伐を計画している事も広まっていた。シーク達がヒュドラを討つ前に、奇襲を仕掛けるつもりだった」
「……そうです」
「封印が解けた、もしくは封印を解いたヒュドラを見つけて誘導しようとしたけれど、失敗してこの有り様」
「……そうです」
「まさか俺達がヒュドラに助けられることになるとは」
イヴァンが嘘をついていないことはバルドルが証明している。3人はイヴァンを保護すると決めていた。
イヴァンは魔王教徒解明の鍵だ。それに、イヴァンを送り届ける事が出来たなら、獣人との結びつきもいっそう強くなる。しかし、ヒュドラを放置して戻る事も出来ない。
シーク達はコンディションを整え、再び窪地を覗き込む。ヒュドラに追われる者達の姿はもうない。全員ヒュドラに殺されてしまったようだ。
「こんな時まで魔王教に傾倒するより、生き延びる方を選択するべきだったのにな」
「……さあ、ヒュドラが移動する前に行くわよ」
「イヴァン、君はここに。モンスターは恐らくヒュドラの近くには現れない」
「わ、分かりました」
シーク達は顔を見合わせ、再びヒュドラへと挑もうとする。だが、立ち上がろうとした時、グングニルがそれを制止した。
「ちょっと待ち」
「グングニル、どうしたの?」
「……その坊やの背中の術式、それは……あたしらに刻まれた術式と同じようなごとある」
「えっ?」
「イヴァンを使って何かを封印するってこと?」
シーク達は驚き、思わず動きを止める。グングニルの言葉の先を続けたのはバルドルだった。
「構築された魔法陣は一緒だけれど、別の発動術式だね。ただ、これで確信した。魔王教徒はアダム・マジックの研究を知っている。それに……」
「それに?」
「……いや、なんでもない。後でゆっくり話すとしよう」






