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城へはそれぞれの馬車で向かい、先に着いていたルーヴィッヒに案内されて白いガゼボへと並んで座った。
テーブルに基礎魔法の初級編の本を広げて、時々説明してもらいながら本を一緒に読む。
とりあえずさわりの部分だけは教えてもらったところで、はああとリッテは感慨深げに息を吐いた。
「こんなので魔法使えちゃうんだ、凄いなあ」
魔力によって得意な属性は異なる。
リッテは自分の両手を、しげしげと見下ろした。
「私の得意なのなんだろ。水だったらいいな」
「水がいいのかい?」
独り言ちた言葉に質問をされて、リッテは目線を手からルーヴィッヒに移して頷いた。
「だって喉が渇いたときに便利じゃないですか」
「⋯⋯それは騎士の発想より野蛮だよ」
暗に貴族令嬢の発想ではないと言われているらしい。
騎士より野蛮とか言われてしまった。
でもそうかと思う。
リッテとしては水道を捻ったら水が出たのを飲むのと一緒だけれど、喉が渇いても一言使用人に言えば準備してもらえる貴族の発想ではない。
「水撒きとかにも便利ですよ」
「侯爵令嬢が水撒きなんてするのかい?」
しないと思う。
少なくともリッテの記憶情報では畑にだって近づかない。
真知子は一時期本気でスローライフとやらをしてみたくて憧れたのだ。
ちょっと令嬢の皮が剥がれ落ちる危機感に、リッテは居住まいを正してつんとおすましした。
「やっぱり水じゃなくてもいいです」
「そうか。ふむ、リッテ嬢失礼」
言うなり右手をルーヴィッヒに取られた。
十三歳の小さな手が優美な手に包まれる。
「ひょお!」
奇声を上げたリッテが手を思い切り引き抜いた。
一気に頬が真っ赤になる。
リッテはもちろん真知子時代にすら男性とは距離を取っていたので、手を握られるなんて初めてだ。
しかも推し。
動揺しきったリッテはせわしなく自分の手とルーヴィッヒの手を見比べた。
「なな、なん、なんです」
「何って、属性を見ようかと」
あっけらかんと言われてしまい、リッテは目の前のテーブルに突っ伏したくなった。
だったらまずそれを言ってくれと。
中学から大学まで女子高で育ち職場も女性ばかりの環境だったのだ。
免疫の無さを舐めないでほしい。
リッテの外見はとても妖艶な感じだけれど、中身はそんな残念な真知子なのだから。
「すまない、意外な反応だ」
ルーヴィッヒの言葉に、思わずじろりと睨みつけてしまった。
黒髪に白い肌なので、頬の赤味が目立っていることだろう。
「属性を見るから手に触れてもかまわないかい?」
今度はそっと右手を差し出され、ぶすりと赤い唇を尖らせた。
「触らないと駄目なんですか」
「そうだね」
あっさりと肯定されてしまう。
推しの手に触れるのなんて一大事だ。
うぐぐと葛藤したけれど、結局しぶしぶとリッテはその手に自分の手をそっと重ねた。
きゅっとその手を軽く握られて、悲鳴を上げそうになったのを何とか噛み殺す。
少しの沈黙のあと、ルーヴィッヒがうんと頷いた。
「魔力の質的に得意なのは火の属性だね」
「火⋯⋯お肉焼くくらいしか思いつかない」
「だから騎士の発想だよそれ」
火かあ、とリッテはちょっと残念な気持ちになった。
口に出して言ったように、料理くらいしか使い道が思いつかない。
(確かルーヴィッヒは聖属性以外が得意だったよね)
あんまりハッキリとした記憶は残っていないけれど、確かそうだったはずだ。
「魔力量は結構多いね」
「本当ですか!」
パッとリッテは顔を明るくさせた。
それなら華麗に魔法を使うのも夢ではない。
にまにまと口元を緩めて、そういえばルーヴィッヒはどうなんだろうと思う。
「殿下は魔力量多いんですか?」
「⋯⋯そこそこだよ」
一瞬の沈黙のあとに答えられた。
やっぱり王族って魔力量あるんだなと納得していると、自分の手元からボッと小さな炎が上がった。
「ふわぉぅ!」
「大丈夫だから落ち着きなさい」
慌てて腰を上げかけたのを、手を握る力をぐっと強くされて阻まれる。
驚いてルーヴィッヒを見ると、悪戯が成功したような顔で口角を上げていた。
「魔法使ってみたかったんでしょ。私が魔力を流して補助してるけど君の魔力だよ。魔力の流れはわかる?」
「は、はい。なんかうねうねしたものが体の中で動きました」
「うねうね⋯⋯」
くく、と忍び笑いをされてしまった。
ほかに表現のしようがなかったのだからスルーしてほしい。
語彙力はそんなにないのだ。
ただ何か感じるなというものはあるので、これが魔力なのかと不思議に思った。
手元の火を見ても、現実味がなくてリッテはこれが魔法かあとしみじみしていた。
すぐに火が消えて手を離されたので、その手を顔に近づけて観察してみる。
特に変わったことや違和感はなかった。
「手から出たのに火傷しないんだ」
「くく、いちいち火傷していたら大変だろう」
そう言われればそのとおりだ。
笑わなくてもいいじゃないかと思ったけれど、それよりも初めての魔法への興奮の方が勝った。
「凄かった!ありがとうございます」
「一人では魔法は使わないように。というか学校で実技が始まるまでは、かな」
「ええー⋯⋯わかりました」
せっかく使えるのにとは思ったけれど、火は確かに何かあったら危ないと思い、リッテはしぶしぶ頷いた。
そのあとはお茶でもということになり、少し離れた所にいた侍女達がささっとガゼボのテーブルに紅茶とデザートを用意してくれた。
春だからかピンクの小花が描かれたティーセットが可愛らしい。
ついでに紅茶もケーキも美味しくて、さすがお城だと感動した。
細いシルバーのフォークで取り分けられたチョコレートケーキをまた一口食べる。
甘さに自然と口角が上がった。
けれどルーヴィッヒはときおり皿に並べられたチョコレートをつまむだけで、ケーキはいらないと皿も置いていない。
甘いものが好きなのではなかったのだろうかと疑問に思う。
「ケーキ美味しいですよ。食べないんですか?」
「甘い物はあまり好きじゃないから気にしなくていいよ」
「チョコレート食べるのにあまいもの嫌いなんですか?」
矛盾していないだろうか。
ルーヴィッヒはなんてことないように紅茶を一口、口に入れた。
「チョコレートは手っ取り早く栄養がとれるから食べてるだけだよ。食事するより本を読んでいたいんだ」
「うわ、体に悪いですよ」
好物だったわけではなかったらしい。
だいぶ合理的だった。
「チョコレート食べても肌つるつるっておかしくないですか」
羨ましい。
リッテも肌はつるつる真っ白だけれど、真知子は学生時代にニキビで苦労した。
じとりと思わず羨ましさで半眼を向けてしまう。
そんなリッテにぱちりと瞬いて、ルーヴィッヒはティーカップをソーサーに戻した。
琥珀の瞳がじっと見つめてくるのがソワソワしてしまう。
「君は侯爵令嬢らしくないね。色々と予想外だ」
「変ですかね、気をつけます!」
おかしな目で見られるのは嫌だ。
間髪入れずに声を上げてシャキッと背筋を正した。
そんなリッテの反応にほんの少しだけ目を丸くすると、ルーヴィッヒは小さく笑みを浮かべた。
「まあいいんじゃないかい」
「へ?」
「面白いし」
面白枠かい。
思わずツッコミそうになったのを、賢明にも飲み込んだ自分をリッテは褒めた。




