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 走る一歩前の速さで教室の前まで来て、ふうと細く息を吐く。

 忘れ物なんかないのでどうしようと思っていると、ひらりといきなり目の前にロリータが現われた。

 ものすごく叫びそうになった。

 すんでのところで堪えた自分を褒めたい。

 思わずじっとりと見てしまうと、ロリータが腰に手を当ててモデルのようなポーズをとった。

 そしてステッキをひと振り。

シャランラ。

 音と同時にロリータは消えたけれど、何をしたんだと思っているとなかから話し声が聞こえてきた。

 よく見れば、さきほどまで閉まっていた教室のドアが細く開けられている。

 今回現われたのはこれかなと首を捻っていると、甲高い特徴的な声が聞こえた。


「やんなっちゃうわ」


 そっと隙間からなかを覗くと、案の定ケラミルカといつもの女子生徒達がいた。

 放課後らしく雑談でもしてるのかなと思う。


「リッテ様に取り巻いてたら、殿下達と接点が出来ると思ったのに」

「そうよね、あんな下級貴族が聖女なんて」

「すっかりあの子が一番上の身分みたいな扱いよね」


 ぐだぐだとした雰囲気の愚痴り大会に、リッテの喉がひゅっとなった。

 取り巻きとはどういう意味だろう。


「聖女なら王族とも結婚できるものね」

「あーあ、この髪飾りもゴミになっちゃったわ」


 ケラミルカがおもむろに、リッテがあげた髪飾りを外してぽいと床へ放り投げた。

 カツンと金属が落ちる音がして、床へ転がる。

 あれは、本当は渡したくなかったけれど友達だからと我慢して渡したものだ。

 放り捨てられた髪飾りを見つめるリッテの唇は震えていた。


「友人らしく貰ったって言えば周りも侯爵家と繋がりがあると勘違いして、高位貴族と近づけると思ったのに。今や聖女の方が利用価値があるわ」


 カタカタと指先が震えている気がした。

 今すぐ教室に入って文句を言っていい状況だ。

 リッテだったら、虚勢を張ってでもそうする。

 でも今は真知子だ。

 小心者で、上手く言い返せなくて、嫌だという一言すら言えない人間。


(ごめんリッテ)


 目に涙の膜が張っていくけれど、こんなところで泣きたくない。

 そう思った時、ふわりと耳が何かに包まれた。

 ケラミルカ達の声が一気に遠ざかる。

 パチリと睫毛を上下させてゆっくりと振り向くと、そこにはルーヴィッヒがいた。

 ルーヴィッヒが両手で耳を塞いでくれたのだ。


「なんで……」


 ここにいるのだと訊こうとして、教室の中から笑い声が上がった様子が、ルーヴィッヒの手のひら超しにくぐもって聞こえた。

 ビクリと肩を震わせると、ぐいと肩を抱かれ、そのままルーヴィッヒが歩き出す。


「あの……ねえ……」


なにか言いかけても、ルーヴィッヒはまっすぐ前を向いたままよどみなく歩く。

眉を寄せている顔は入学式の頃を思い出させた。

そういえば眉をひそめられることが減っていき笑ってくれるようになったのは、いつからだろう。

とまどいながらルーヴィッヒに連れられて行った先は、図書室だった。

そのまま奥の書棚の方へと連れて行かれ、ようやく立ち止まる。。

 ルーヴィッヒに抱かれていた手が離されたので、おそるおそると顔を見上げた。


「君があんな奴らのために傷つく必要はない」


 リッテが声を出すよりも先に、ルーヴィッヒが低い声音で言葉を発した。

 言われた言葉は嬉しい。

 嬉しいけれど、でも。


「一応、友達……で」

「友達?あんな小賢しい奴らがかい?」


 俯いたリッテの言葉は、バッサリと否定されてしまった。


「あの髪飾り、君がつけていたものだろう?」


 ルーヴィッヒの言葉に思わず顔を上げると、琥珀色の目に射抜かれた。


「あげなきゃいけないと思っただけで、別に……」

「あげなきゃいけない?そんな義務を彼女らに感じる必要はない」


 言われて、引っ込んでいた涙の膜がふたたび赤い瞳を覆った。

 ぐっと唇を引き結ぶと腕を引かれ、すっぽりと抱きしめられる。

 奇声なんてあげる元気もなかった。

 案外高い体温が、抱きしめられたところからリッテの体にじわじわと浸透するようだ。

 抱きしめ返したいとさえ思った。

 その気持ちに、余計に泣きたくなる。


(私、ルーヴィッヒ殿下のこと、一人の人間として好きになってたんだ……恋してたんだ)


 推しだ違うだ考えて、まったく自分の気持ちに気づかなかった。


「あんなのとつきあわなくても、君にはもっといい友人がいるだろう。ラナメリット嬢とか」


 その言葉を聞いて、びくりとリッテの体が揺れた。

 それにルーヴィッヒが少し不思議そうな顔をする。


「よく一緒にいるだろう?」

「それは、そうだけど……でも、あの子達も……」

「あんなのは権力にすり寄っているだけで、君を見ているんじゃない」

「わかんないですよ」

「わかっているだろう?」


 震えだした手でルーヴィッヒの胸を押しやり、リッテはその腕の中から出た。

 おもわず一歩下がってルーヴィッヒと距離をとる。


「わかんないですよ!友達なんて出来たことないんだもん!」

「ラナメリット嬢は友達ではない?」


 敬語がとれたことにも気づかず、ルーヴィッヒの言葉にリッテは目を瞠った。

 は、と唇から声にならない声がもれる。


(友達じゃ、ない。私あの子をゲームのヒロインとしか見てない……)


 その思考に至って、リッテは愕然とした。

 ルーヴィッヒをキャラクターと思わないと決めたのに、それ以外の人間のことを考えていなかった。

 ラナメリットのことも利用していただけだ。

 スチルが見たいなんて軽い気持ちで誘導して、ラナメリットがどう思っているかなんかを、リッテは考えたことなんてなかった。

 仲良くしようとしたのも、自分の欲求を満たすためだけだ。


(私、あの子たちと変わらない)


 ぎゅっと手を握りしめて、色の悪い顔をルーヴィッヒからそむける。

 それがルーヴィッヒの言葉への否定だとわかったのだろう。

 ルーヴィッヒは深いため息を吐いて、不機嫌そうにリッテを見やった。


「わかった。もういい」


 冷たい声音を残すと、ルーヴィッヒはさっさとその場を歩き去って行った。

 その姿が見えなくなって、本棚に力なく背を預けて、リッテはズルズルと力なく座り込む。


「殿下の言うことだって、わかってるよ。わかってるんだよ……」


 ケラミルカ達の事は、自分の考えを言う勇気を持てなかった行動の結果だ。

 友達なんかじゃないのはわかっていた。

 ラナメリットのことだって、自分の酷い考えを客観的に突きつけられただけ。

 それを指摘されて反発したようなものだ。

 好きだと思ったのと同時に失望されるなんて、なんとも悪女予定だったリッテらしい。

 真知子だって引きこもりになる前は人間関係だって頑張ったのだ。

 結局上手くいかなかったけれど。


「こんなの私にはお似合いだよね」


 泣き声混じりの声を出すリッテの背後で、姿が見えなかったはずのロリータがひらりと舞っていた。


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