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かぐわしい紅茶の香り。
それに手をつける気にはなれなかったけれど、手持ちぶさたで結局ティーカップに手を伸ばした。
そっと他の令嬢を見ると、前回と違って全員がリッテを見ている。
「リッテ様もそう思いませんこと?」
「いや、私は別に……」
「あの方、爵位が低い癖に殿下方に色目を使いすぎですよね」
「あの……」
なかなか口を挟めない。
正直ラナメリットの話題は今は避けたいし、悪口の類なんて聞きたくもない。
かと言って会話にタイミングよく滑り込み、話題をそらすのもリッテには難しかった。
真知子は高校までは一応つかず離れずな友人がクラスにいたけれど、それだって卒業とともに疎遠になった。
リッテに至っては友達が出来たことがない。
お茶会では虚勢を張って他人の苦手な分野などをわざわざ口出ししていただけだ。
リッテ的には完全に善意で「ここを克服すれば、もっとよくなる」という意味だったけれど、周囲からは悪口と思われた。
不器用すぎる。
そんなわけで、ひたすらチビチビとお茶を飲むことしか出来ない。
「男爵なんて殿下方の近くにいられるのも今のうちだけだわ」
「本当に。まあ今、殿下方に媚びを売っているのが気に食わないけれどね」
恐ろしい。
顔色を変えずにいるのが精一杯だと思っていると、ケラミルカが口端を上げてリッテを見た。
「その点、リッテ様は侯爵令嬢ですもの。卒業したあとも親しくする可能性がありますよね」
「え!?」
思わぬ言葉に目を丸くしたけれど、全員の口は止まらなかった。
「私達リッテ様の噂を聞いていたのですけど、生徒会に入ってもそんなよくない噂は聞こえてこなかったんです」
「ええ、噂を信じていたわけではないのですけれど」
「でも殿下達と放課後以外でも立ち話をしているから、そんな噂は嘘だったんだわと思って」
「ええ、親しいのね、と」
にこやかに話す内容に、リッテはとまどった。
なんだかまるで値踏みしていたのかと思わせる言葉に、困惑する。
最初のお茶会以降に声をかけなかったのは、利用価値がなかったからだと言われているようで、意味もなく髪を耳にかけて気をそらした。
(いやいや、まさかね。気のせい気のせい)
深読みしちゃ駄目だよと自分を戒めながら、なんとか話をスルーしているとようやく全員が紅茶に口をつけた。
吃驚なことに、全員手もつけずに怒涛のように会話していたのだ。
ケラミルカの声が甲高いので、若干耳がキンキンする。
「そういえば」
ケラミルカの一言に、話題が変わるんだとほっとする。
次は穏やかな話題がいいなと思っていると、ケラミルカが目を細めて笑った。
笑ったけれど、あまりいい印象のない笑顔だ。
「私、今流行ってるシュバリーヌの髪飾りが欲しくて。リッテ様知っています?そのブランド」
「え……うん」
知っているも何も現在リッテの髪に飾られているのがシュバリーヌのものだ。
白銀細工の細かな意匠は黒いリッテの髪によく映える。
お洒落なんてわからないとクラバルトに泣きついたら、シュバリーヌの店主が呼ばれたのだ。
恐れ戦いていたら、家格にあったものを身につけていないと恥をかくのはリッテだと、滾々と説明され、こいつには任せておけないとクラバルトの目が言っていた。
それを説明したとき、何故かルーヴィッヒはこの髪飾りを不機嫌そうに見ていたなと脳裏をよぎる。
「まあ!」
髪飾りについて遠い目をしていると、ケラミルカがわざとらしい声を上げた。
視線の先はリッテの髪飾りだ。
「リッテ様の今日の髪飾り、シュバリーヌのものじゃありませんか?」
「さすがリッテ様ね」
「羨ましいわ」
口々に言われる言葉は、なんだか居心地が悪い。
そして全員の目が髪飾りに向いているのは、なんとなく圧を感じて少し怖かった。
「シュバリーヌなんてプレゼントか高貴な方に下げ渡していただくかじゃないと、私には手が出なくて残念です」
ふう、とケラミルカが頬に手を当てる。
視線はずっと髪飾りだ。
「そうよね、親しい方からプレゼントされるとか」
「家格が上の方からいただけると嬉しいわよね」
やはり目は髪飾りに向いている。
完全に髪飾りを欲しがっているのは、鈍いリッテでもわかった。
どうしようと思う。
値段は訊いていないけれど、絶対に高価なものだ。
ほいほい渡していいものではないだろう。
かと言って、ここで断ったり席を立つ勇気は小心者の真知子にはない。
口の中がカラカラに渇いているのを自覚しながら、リッテは無理やりなんとか笑顔を作った。
「私ので、よければ」
「本当に!?嬉しい」
食い気味でこたえられた。
「さすがですね、リッテ様」
「さすが侯爵家のご令嬢です」
他の令嬢も口々に褒めたたえてくる。
ケラミルカが手を堂々と差し出したので、リッテはためらいがちに髪飾りを外してその手にのせた。
すぐにケラミルカが髪に飾って「似合うかしら」と他の令嬢に見せる。
それをやっぱり褒めたたえる言葉に、リッテは一言断りをいれて席を立った。
部屋を出たところでしゃがみこむと、ぐっと唇を引き結ぶ。
「もうちょっと頑張りなさいよ真知子」
たとえ小心者でも真知子はケラミルカ達より年上で、リッテよりも人間関係は経験がある。
それでもうまく会話にはいることも、髪飾りを渡すことを拒否することも出来なかった。
「でも、友達……だもん」
学園で話さなくてもお茶には誘ってくれる。
リッテが欲しがっていた友達だ。
真知子だって、ちょっと期待した。
ほんの少し、イメージと違った気がするだけだ。
「そうだよ……友達、だし」
その声は消え入るようだった。




