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何かごまかしをと思ったとき、扉がノックされた。
「はい!どうぞ!」
これ幸いとばかりにリッテは食い気味に扉へ声を上げていた。
室内の男四人が驚いているけれど、見ないふりをしておく。
「失礼します」
鈴が鳴るような声のあとに扉を開いて入って来たのはラナメリットだった。
リッテの脳内が可愛いという単語一色になる。
にやけそうになるのをこらえていると、ラナメリットは室内のルグビウスに気づいてほんのり頬を染めた。
「どうした?」
ルグビウスに声をかけられて、ハッと気を取り直したラナメリットが両手を前に出す。
そこには青色の小さな石がついたブローチがあった。
「落とし物です。高価そうなので届けた方がいいと思って」
そういえばそんなきっかけで生徒会に来るエピソードあった気がすると思う。
ゲームはスチルをうっとり眺めて鑑賞するのが目的だったから、ストーリーは正直そんなに覚えていないのだ。
覚えるほど印象に残るシーンがないとも言える。
席を立ってありがとうとブローチを受け取るルグビウスを見ながら、ふむふむとリッテは考えた。
(記憶けっこう飛び飛びかも。ゲームの内容ぼんやりとしか覚えてないや)
そもそもクラバルトがいるのでゲームと断言するのが難しいけれど。
にしてもやはりルグビウスとラナメリットが並ぶと絵画のようで麗しいなとリッテは内心にやにやした。
ぜひこのまま仲良くなってからくっついて眼福の光景を繰り広げてほしい。
「それじゃあ私はこれで」
「え!?」
内心にまにま楽しんでいたら、ラナメリットが早々に退室しようとしたのでリッテは思わず残念そうな声を上げてしまった。
「どうした?リッテ嬢」
ルグビウスに尋ねられても美少女が去っていくのが名残惜しいですとは言えない。
リッテはどうしようと思ったけれど、すぐに気を取り直した。
「せっかくだからお茶をしていかない?皆さんも休憩しましょう!私が淹れますから」
隣の部屋が給湯室になっているのはゲームで知っている。
後半では生徒会に出入りするようになったラナメリットがお茶を淹れたりするのだ。
「給湯室が隣にあるけれど……君がお茶を淹れられるのかい?」
ルーヴィッヒがいぶかしげに訪ねてくる。
その眼差しはあきらかにお前が?と不信がっていた。
一体今日だけでどれほど不審人物に向けるような眼差しを向けられているだろう。
ルーヴィッヒが警察官だったら確実に職質されているに違いない。
けれどリッテはわずかに胸を張って頷いた。
「一応は」
リッテ本人は侯爵令嬢だしそんな経験はないけれど、真知子は憧れでティーポットを買って紅茶を茶葉から淹れていたのだ。
紅茶のお店を舞台にした漫画は専門的でとても面白かった。
快適な引きこもりの趣味生活を潤すために、美味しく淹れる方法はひととおり調べた経験がある。
(あ、でも淹れられるのっておかしいのかな?……まあいっか)
一瞬躊躇したけれど、本当に一瞬だった。
リッテは「給湯室借りますね」と弾む足取りで隣室に向かっていく。
これでラナメリットを足止めできる。
ルーヴィッヒを含めた全員が目を丸くしていたけれど、まあ大丈夫だろうと気にしないことにした。
真知子の住んでいたワンルームアパートより広い給湯室に恐れ慄きながら紅茶をテキパキと淹れる。
蒸らし終わった紅茶を人数分のティーカップに注いで、運ぶために先に扉を開けた。
トレーひとつには載らなかったので二回にわけて往復しなければならない。
扉を開けた音で生徒会室にいた面々がこちらに気づく。
「手伝います」
室内のソファーにちょこんと座っていたラナメリットが慌ててやってきた。
「いい子だ」
「え?」
「いえ、何でも」
トレーがふたつなので、ひとつをお願いするとラナメリットは頷いて両手でトレーを持ち上げた。
「リッテ様が紅茶を淹れてくださいました」
生徒会室に戻るラナメリットの後ろをリッテもトレーを手に続く。
そこでふと小さな影が視界をよぎった。
「んん?」
何だと目を細めると十センチくらいの羽根の生えた人間がひらりと動いていた。
(え!なにこれ)
室内の様子的に誰も気にしていないので、もしかしたら見えていないのかもしれない。
おそるおそる視線をぎこちなく動かして目で追うそれは、どう見ても人間に見える。
まっすぐでサラサラの長い金髪に青い目の、動いていなければお人形そのままだ。
薄い透明な羽根がピルピルと動いて飛んでいる。
そして、フリルのついたヘッドドレスやリボンのついたスカート、レースのシャツとその恰好はどう見てもロリータと呼ばれる人たちが着るちょっと装飾が多めな可愛らしい服装だった。
思わずリッテは目をこすりたくなったけれど、両手が塞がっているので無理である。
この世界に魔法はあるけれど、妖精とか精霊とかそういうたぐいの生き物はいない。
じゃあこれは何だという話になるけれど、気ままに飛んでいるその姿を気にしているのはリッテだけのようだから幻覚のたぐいだろうかと怖くなった。
幻覚にしては乙女チックすぎる。
ハラハラとそのロリータを目で追っていると、手に持っていたリボンとふわふわのボンボンがついたピンク色のステッキを揺らしだした。
何だと思っていると。
シャランラ
「きゃあ!」
ロリータがラナメリットの足元にステッキを振ると、やけに可愛らしい音が鳴ってラナメリットが躓いた。
ラナメリットの向かう先にいたルグビウスへとティーカップが飛ぶ。
あ、とリッテが声を上げる前に、ルグビウスの前にルーヴィッヒが体を滑り込ませた。
バシャリとカップごとルーヴィッヒの左腕に熱い紅茶がぶちまけられる。
「も、申し訳ありません!」
ラナメリットが一気に真っ青になって声を上げる。
当然だ王族相手に紅茶というか熱湯をぶちまけたのだから。
ルグビウスや他の二人も慌てて大丈夫かとルーヴィッヒに近づくなか、リッテはいつの間にか消えてしまったロリータからハッと意識を切り替えた。
慌ててトレーをソファーの前にあるテーブルに置き、ガシリとルーヴィッヒの右腕を掴む。
ルーヴィッヒの琥珀の瞳が瞠られたけれど、かまっている場合ではない。
「拭かなきゃ!間違えた、冷やすのが先!」
ぐいぐいと引っ張って給湯室へと舞い戻った。
「火傷するから脱いで!」
「は?」
ぽかんとしたルーヴィッヒに気にせず、じれったいとリッテは力任せに上着をはぎ取った。
咄嗟のことでなのか、リッテの暴挙になのか、ルーヴィッヒが狼狽えながら上着を素直に渡してくる。
幸い厚めの生地だったこともあり下に着ているシャツの袖は濡れていない。
給湯室にあったタオルを上着の染みに当てて、リッテは顔を上げた。
「着替えあります?」
「⋯⋯いや、春だし平気」
「春は気温の変化激しいんですよ」
言い募るリッテを、ルーヴィッヒは困惑したような顔で見下ろしている。
何故だろう。
「あ、火傷しちゃいました?氷貰ってきますよ」
「いや、上着にしかかかってないから大丈夫だ。氷も必要なら自分で出せる」
なんてことないようにルーヴィッヒが右手のひらを上にすると、そこに小さな氷の結晶が現われた。
すぐにパシンと霧散する。
けれどリッテは初めて見た生の魔法に一気にテンションが上がった。
「魔法!凄い!」
ふんふんと鼻息が荒くなってしまう。
(そういえばルーヴィッヒが魔法でルグビウスは剣が得意な設定だった!)
思わず上着を持つ手に力が入っていくのを、ルーヴィッヒがやんわりと取り上げた。
「君も使えるはずだ」
不思議そうに首を傾げられる。
一応建前として魔法は学校でいちから学ぶことになっているけれど、貴族なんかは入学前でも家庭教師にさわりを教わっていたりする。
確かにリッテも家庭教師に魔法のことは少しばかり習った。
習ったけれど。
リッテは気まずそうにそっと視線を明後日の方向へとずらした。
「いえ⋯⋯勉強頑張っても要領悪くていまいちうまく出来なくてですね⋯⋯」
そうなのだ。
以前のリッテは魔法が苦手だった。
想像力が乏しくてイメージが膨らまず、魔法を構築できない。
でも出来ないと言えなくて、努力する方法もわからず途方にくれていたのだ。
なんて可哀想なんだと涙ぐんでしまう。
ペロッと暴露してしまったら、ルーヴィッヒに驚いた顔をされてしまった。
何度目だろう、この顔。
ポンコツ具合に吃驚したのかもしれない。
じっと見られてリッテは居心地が悪げに視線を斜め下にやって、もにょもにょと両手の指先をこすりあわせた。
「ふうん、魔力はしっかりあるようだけど」
「本当ですか!」
ルーヴィッヒの言葉に、リッテはガバリと顔を勢いよく上げた。
「頑張れば使えますか?」
キラキラとした眼差しでずいと一歩前に出れば、一歩後ずさりされてしまった。
逃げないでほしい。
死活問題だ。
「まあ勉強を頑張ればね」
「やったー」
それならば頑張って勉強しよう。
魔法を使うなんてオタク心をくすぐる以外の何でもない。
ほくほく顔で喜ぶリッテに、ルーヴィッヒがあっけにとられたようにポツリと口を開いた。
「君は勉強が嫌いかと」
言われてああーと内心、苦笑してしまった。
とにかくリッテは要領の悪い子だったのだ。
要領が悪いから時間がかかる。
そして時間がかかっても要領が悪いから段取りやらが悪く身につきにくい。
上手く出来ないから嫌いになるの悪循環だ。
誰かに相談できれば改善したのだろうけれど、それも出来なかったらしい。
このまま真知子が覚醒しなければ落ちこぼれ一直線だっただろう。
今のリッテは学生も社会人も経験しているので、それなりに自分に合ったやり方はわかっている。
そしてオタクゆえに知識欲は結構あったので勉強は苦じゃないタイプだった。
「ええと、自分革命が起こって好きになりました」
「何だいそれは」
自分でも苦しい言い訳だと思いながら、ごまかすようにへらりと笑った。
じっと顔を見たあと、ルーヴィッヒが制服のポケットから小さな包みを取り出してみせる。
「手を」
言われるままに差し出せば、指でつまんだ包みをちょこんと乗せられる。
「一応、お礼だ」
「上着はぎ取っただけですよ」
きょとりと瞬くと。
「だから一応」
深い意味はないらしい。
それは先ほどルーヴィッヒが食べていたチョコレートの包みと同じものだった。
思いがけずお菓子をゲットだ。
「えへへ、チョコレートだ」
おやつのご褒美は些細でも嬉しいものだ。
お礼を言おうとルーヴィッヒへ目線を向けると、じっと観察するような目を向けられていた。
「何だか随分と噂と違うな」
その言葉にギシリとリッテは固まった。
(ヤバイ、一応私悪役令嬢だった)
あまり真知子感を出すと怪しまれてしまう。
私は気高き孤高の悪役令嬢だと内心冷や汗をかきながらも、リッテは自分を鼓舞した。
ぎこちなく視線をさまよわせつつ、早口でまくしたてる。
「いえいえそんなことないです。私傲慢だし面倒くさがりだし、すっごい悪女です」
特に嫌がらせなどもせずひっそりと過ごすつもりだけれど、挙動を怪しまれるのは本意ではないのだ。
名前ばかりでいいので悪役令嬢としての存在感は残しておこうと思っている。
ごまかせたかなと、ちらりとルーヴィッヒを盗み見ると。
「ふうん」
何か面白いものを見つけたような笑みを浮かべていたことに、リッテはなんとなく不安になるのだった。
結局そのあとそそくさと帰宅をしたリッテは、帰るなり着替えもせずに大きなふかふかのベッドにダイブした。
「つっかれたー」
さすが侯爵令嬢の部屋。
淡い水色をベースにした可愛らしい部屋はすべてお金がかかっているなあという感想の出るものだった。
とてもリラックスに向いていない。
「あーそれにしても吃驚したなあ今日は」
いきなりハマッていたゲームの世界にいるはゲームではなくコミカライズのクラバルトもいるは。
「そういやあのロリータ、思い出した。きみキラのアニメポスターにいなかったっけ?」
ゲームにはいなかったはずだ。
記憶がおぼろげだけれど、それは確かだと断言できる。
「え、クラバルトはコミカライズのキャラだしアニメキャラもいるってこと?ここ本当にゲームの世界なの?」
媒体が混ざっているのだろうかと不安になる。
少なくともロリータはリッテ以外誰にも見えていなかったのに、何故自分には見えるのだろうと首を捻るばかりだ。
「そういやルーヴィッヒもゲームのときとなんか違ったなあ。穏やかで優しいキャラなのは多分変わらないんだけどチョコ好きの設定なんてなかったはず」
ルグビウスとも仲が良さそうだった。
しかしそんな設定は記憶にない。
むむむと眉間に皺を寄せたけれど、考えてもわかるわけがないなと、ごろりと仰向けに転がった。
「ラナメリットに意地悪する気はないし、せっかくだから仲良くなりたいな。そんでルグビウスとくっつけてラブラブな生スチル見たい!」
そうと決まれば友達になれるようちょっとずつ距離を縮めようと決意した。
「それと魔法頑張るぞ!」
せっかくルーヴィッヒに魔力があると言われたのだ。
勉強すれば使えるようになるのなら、やらない手はない。
リッテは仰向けのまま気合を入れるように、右こぶしを高々と上に突き上げた。
ちなみにラナメリットはルーヴィッヒが気にしなくていいと許したらしく、おとがめはなかったのでとても安心したリッテだった。




