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やけにいい匂いがすることに、ボッと頬が熱くなる。
「ひょえわあ!は、離して、離してえ!」
あわあわと声を上げると、ルーヴィッヒがため息ひとつ。
「助けたのに随分だな」
すぐに離れてくれたので、なんとかリッテはさらに一歩後ずさり距離をあけた。
思いがけない接触のせいで若干パニックに陥ってしまった。
手に持っていた包みが潰れそうになっている。
「あ、ありがとうございます」
一応転ばないように助けてくれたのだ。
なんとか動揺を抑えてお礼を言うと、ルーヴィッヒは何も言わずリッテの横を通り過ぎた。
そこで気づく。
昼休みが始まったばかりなのに図書室なんて、昼食を食べる気がないなと。
以前チョコレートでカロリーを取っているなんて健康に悪いことを言っていた。
むむと眉根を寄せて手元の包みに視線を落とした。
ひとつだけだと何となく心配だったので、パウンドケーキは二つラッピングして持ってきている。
残りのひとつは教室だ。
お節介だとは思うけれど、チョコレートでカロリー摂取はどうなんだと思いリッテは決意した。
「あの!」
通り過ぎようとしたルーヴィッヒに声をかけると、彼は眉をわずかに寄せて振り返った。
「何だい」
「はい」
ぐいと手に持っていた包みをルーヴィッヒに押し付けた。
きょとんとしたルーヴィッヒがその包みを見下ろす。
受け取ろうとしないので、空いている左手に無理やりねじ込んだ。
「どうせ昼食食べてないんじゃないですか。あげます」
「いや別に」
「手作りなんだからありがたく食べてくださいよね」
言うだけ言うとリッテはさっさとその場を離れた。
まだ消えていなかったロリータがにこにこしているのを見て。
「私はヒロインじゃないんだから、嫌がらせしないでよね」
と苦言を呈していた頃。
図書館に行く道中にあったベンチに座り、しぶしぶとした困惑顔でルーヴィッヒが包みを開けてパウンドケーキを一口齧り、なんとも言えない微妙な味に「嫌がらせか?」と首を傾げていたことをリッテは知らない。
結局ラナメリットに渡すお菓子をルーヴィッヒに渡してしまったので、リッテは彼女を探すのは諦めた。
今から食堂に行くのもなあと思い、サロンでお茶を飲んでいるところだ。
あとでお腹がすくだろうな、失敗したと思いながらも、そんな様子はまったく見せず優雅にカップを傾ける。
そういえばと思い出し、スカートのポケットからハンカチを取り出した。
ルーヴィッヒが貸してくれたものだ。
洗濯が終わったから渡そうとポケットに入れていたけれど、そのまま渡すタイミングを逃してしまっていた。
「しまった、さっき渡せばよかった」
手元にあるのは正直困る。
借り物をいつまでも持っているのは居心地が悪い。
ハンカチを見ていると、冷たく切り捨てられたことを思い出してギリギリと歯ぎしりしたくなる。
ハンカチを握りつぶそうとするのをなんとか耐えた。
「まったく、ゲームとは全然違うんだから、やってられないわ」
むむうと親の仇でも見るかのようにハンカチを睨みつけていると、視界を小さな影が横切った。
顔を上げるとロリータだった。
思わずハンカチを置いて虫を退治するようにパアンと両手を叩いてしまったけれど、ロリータには軽やかに避けられた。
透明な羽根を動かしてひらりとフリルとレースたっぷりのスカートを翻す。
「もう!何で私の側にいるかな」
じろりと睨むと、ロリータはにこりと笑いながらステッキを振った。
シャランラ。
音が鳴った瞬間、紅茶のカップが倒れた。
テーブルに置いていたハンカチへ紅茶が一直線に襲い掛かり、真っ白で上等な布は一瞬にして茶色く大きな染みが出来た。
「うっひょあ!」
思わず立ち上がってハンカチを救いあげたけれど、完全に遅かった。
ハンカチはぐっしょり濡れてしまっている。
「何すんの!」
悲鳴を上げてふよふよ浮いているロリータを睨みつけると、にこにこしたまま姿を消してしまった。
迷惑をかけるだけかけて、もう姿形もない。
キエエエと怒りのままに叫び出しそうになるのを、なんとかリッテは耐えた。
バンとテーブルに手をついて、どうにか憤りで暴れないように自制する。
真知子とはいえ腐っても侯爵令嬢だ。
「何がしたいのあいつ!ハンカチ⋯⋯うおおぉ」
どう見ても手遅れ感満載のハンカチは、染み抜きなんかしても無駄そうだ。
がくりとリッテは肩を落とした。
これはハンカチを返すときにお詫びの品も用意するべきかもしれない。
気落ちした気分で昼休みが終わりにさしかかる時間に気づいて、リッテは重い足取りで教室に戻った。
ちなみにラナメリットに残りのパウンドケーキを渡したけれど、お互いにギクシャクしてしまい上手く話せなかったのは落ち込んだ。




