耳を塞ぐ理由
「・・・で、親父の残したアパートの賃料で生活していたんですけどね、何一つ管理ができて無くて手放すことになりまして。」
「今後収入が途絶えるわけですね。」
地域の支援施設で働く私の目の前には、やけに饒舌な…男性。
今年50になる独身の兄が、十五年に及ぶ引きこもり生活をしているのでどうにかしたいと相談に来ているのである。
兄に支援を受けさせたいとのことで、詳しい支援希望の背景を伺う。
引きこもりの兄に父親が残した賃貸アパートを相続させたたものの、何一つ管理をしてこなかったため老朽化が進み、入居者もいなくなり、ローンを払い終える前に売却することになったとのこと。売却金額はローンの残金に届かず、相談者である男性が肩代わりをすることになっているらしい。
「まったく腹立たしい…私が汗水たらして働いてためたお金が、何もせずにゴロゴロとだらけ切った生活を続けていた兄貴に消費されていくんですよ、こんなことってあるんですか、ないでしょう、せめて自分の食い扶持ぐらい稼いでもらわないと困ってしまいます。とにかくこの状況を変えたいんです、よろしくお願いします。」
「そうですね、できる限りサポートさせていただきます。」
よほどうっぷんが溜まっていたのか、相談枠の時間を越えて一時間以上も滞在したのち、男性は帰って行った。
「…ずいぶん長かったね、どう?対処できそう?」
「難しいかもしれませんね、これ見てくださいよ。」
私は男性が退席間際に差し出した、コピー用紙五枚分の報告書を所長に手渡した。
「なんだい、これは…人のいう事を聞かない、自分が一番だと思っている、人をコケにしたくてたまらない…。」
「弟さんが支援対象者について分析した詳細レポートだそうです、これをじっくり読んでもらって対処してほしいとのことですよ。」
コピー用紙にボールペンでみっちり書き込まれた五枚の報告書。差し出された後ざっと目を通しただけで・・・クラクラしてしまった。やる気がない、人として間違っている、常識を逸脱している・・・否定の言葉ばかりが並ぶと、こうも書面という物は攻撃性を得るのかと驚いた。
「ものすごいな、これは。相当覚悟して取り掛からねばこちらがやられてしまう。…面談はいつ?」
「金曜に弟さんが本人を連れてくるそうです。」
所長とカウンセラーの先生、私、三人体制で支援対象者と面談をすることになった。
「こんにちは。初めまして。所長の馬場です。」
「あ、初めまして…。」
金曜、支援対象者が相談者の弟に連れられてやってきた。弟は仕事があるとのことで、面談に同席しないことになった。暴走する支援対象者を三人のスタッフで抑え込めるかどうか…緊張が走る。
…ところが。
三者が緊張の面持ちで支援対象者と面談したところ、実に…穏やかな空気が、流れた。人当たりもよく、いい返事しかしないのだ。
働きたいと思うが長く働いていないので不安が多い、最近お金がなくてうどんしか食べていないので体が動かなくなってしまった。ゴミ出しくらいはできるようになりたい、ごみ屋敷をきれいな家に戻したい、誰かと話す日常が欲しい…。
「…ずいぶん聞いていた話と違うな。レポートも、家がごみ屋敷という点や引きこもりがちの日々なんかについてはおおむね合致するものの、攻撃性はほとんど認められない。」
「人見知りかといえば、そうでもないですね。こちらが話を振れば笑顔で返すし、趣味の話もできましたもんね。」
「話せることがうれしくてたまらない様子でしたね。」
支援対象者の男性は、毎週施設に通う事になった。
「あ、おはようございます。」
職員用駐車場から施設に向かう途中、中年女性とすれ違った。件の、支援対象者の弟さん…相談者の奥様である。この人が毎週月曜と金曜に支援対象者の…勝さんをこの場所まで送り届けているのだ。忙しいご主人に代わってご尽力頂いている。
「・・・、あ、・・・・おはようございます!!おせわになってますー!」
奥さんは耳からワイヤレスイヤホンを外しながら、明るい返事を返してくれた。
「いつもありがとうございます、勝さん、ずいぶん打ち解けてきましたよ。」
このところ職業訓練仲間たちと会話をするようになり、選別作業やパソコン入力練習にも力が入っていて…。
「ああ・・・そうなんですね・・・。」
なんだろう、なんとなく、浮かない顔をしているような。幸い、今日は午前中相談予約がない。…少しだけでも、状況をお話しできないだろうか。
「あの、よかったら・・・ちょっとお時間あります?お茶出しますんで!」
「あら!!いただきますー!!!」
・・・気のせい?この奥さん、いつも明るくて面白いことを言って職員を笑わせてくれているのだが…、たまに、重い空気が漂うのが、気になっていたり、しないでも、ない…。
「へえ、こういう感じなんですね、私入った事ほとんどないから知らなかったです!へえ、わりとパソコン揃ってるんだ…。あれパワポですよね。」
「ええ、資格取得もできるんですよ。」
奥様とともに、教室の脇を抜けて、訓練中の支援者の様子を見学しながら事務室に入る。所長もいるので、一緒に話を伺う事にした。
「送り迎えの時の勝さんの様子どうですか?」
「まあ機嫌よく乗り込んでますよ。最近なんかしゃべってるみたいだけどね、内容はよくわかんないかな。」
…内容がよくわからない?
「車の中で会話しないんですか?一方的にしゃべるってこと?」
「なんかね、うーん、なんて言ったらいいのかな、私あまり聞かないようにしてるんです。なんていうか、人の悪口って聞くと疲れるじゃないですか、だからいつも耳塞いじゃうの!ほら、これで!!!」
ポケットをごそごそやっていた奥様の手には…さっき外したワイヤレスイヤホン。
「悪口、言ってるんですか?」
普段のにこにことした様子からは、全く予想できない。
…けれども、一番初めの、あの報告書の存在が頭にちらつく。
「多分言ってると思うんですよねー。主人の家系はですね、知らなければ知らないほどいい人の家系なんですよ。」
「それはいったいどういう事です??」
奥様いわく、勝さん及び旦那さんは…いわゆる内弁慶なタイプの様だ。見ず知らずの人にはいい人を装うが、身内であれば身内であるほど強気になり、攻撃性が増すらしい。
「私は一応身内ですからね、悪意を隠さずに垂れ流していい人物として認識されてるみたいなんで。車に乗ってる間ずーっと何か言ってるから、多分悪口なんじゃないかな??」
「ここの通所者と、時折会話をしている様子を見る限り…饒舌な感じはしないですけどね。」
おしゃべりな通所者を目の前に、ただニコニコと対面し、時折にっこり笑ってポツリと言葉に出す、そういう、温厚な姿しか思い浮かばない。
「それはまだ親密になってないからだと思います。このまま親密にならなければ、きっとここで問題を起こさずにやっていけると思いますけど、どうかなあ…。」
思わず、所長と顔を見合わせる。
「何か問題を起こしたことあるんですか?本人申告はないんですけど。ご主人からも聞いてないですね。」
「さあ、前の会社でパソコンを使えない上司を馬鹿にしたらしいことは聞きましたよ。さんざん昭和の男は頭が悪いって言ってましたもん。あと女は頭が悪いからパソコンが使えないとか言っていたような?…不愉快だったんで、思い出さないようにしてたら忘れちゃったな、詳しいこと…。」
ここのパソコン訓練には、マウスの使い方すら知らない人も参加している。勝さんはパソコンが使えるから、いつもニコニコして初心者のフォローをしていたと…認識しているのだが。
「ちょっと初耳の事が多くて混乱していますが、重要なお話が聞けたことに感謝します、ありがとうございます。」
所長は書類を用意していろいろと書き込んでいるようだ。私も後で計画書に追記する必要がありそうだ。
「いえいえ…こちらこそお世話になっているのに、そうですね、説明が足りませんでした…ごめんなさい。自分の聞きたくないことを聞かないように…耳を塞ぐことに一生懸命で周りに対して気遣いできて無かったです…。」
「いい時期にお話を聞けて良かったです。実はもうじき担当者と作業内容の変更がありまして…。」
勝さんから、慣れない人と話すのはつらいから、同じ人を続投してほしいという要望が来ていたのだった。作業する分野の拡張に伴う部所移動に関しても、見慣れない顔がいると集中できないという理由で辞退を申し出されていた。
「常に担当者を変えるとか、壁を作って親密度を上げないようにするとか、一人ぼっちで作業してもらうとか?そういう工夫があれば問題は起きないかなあ…。」
「できないことはないですけど、ちょっと気の毒かもしれないですね、せっかく仲間たちと楽しく話せるようになったのに…。」
あの人懐っこい笑顔が、どうも判断を付けかねさせる。
「じゃあね、一回私のこと聞いてみてください。なるべく、気を許している人が聞くといいかな?ひっかけるようで気分悪いかもですけど、あの人の前で、私の事おっちょこちょいとか慌て者とか言ってみたら、きっとわかりますよ。・・・あ、ごめんなさい、もう時間になっちゃったんで、お茶ごちそうさまでした!」
奥様は明るく元気にお帰りになった。・・・夕方、勝さんを迎えにここに来るはずだ。
「所長、どうします、勝さん…。」
昼食時、所長をはじめとする職員数名と緊急会議を開くことにした。今のところ問題は起きていない、しかし問題が起きる可能性を知ってしまった。
「私は大丈夫だと思いますけどね…。」
パソコン教師が言うには、いつも隣の席のおじいちゃんに手取り足取りフォローをしているが、暴言など一度も聞いたことがないらしい。
「心配し過ぎなんじゃないですか?」
食堂のおばちゃんが言うには、文句の1つも言わずいつもお茶を持って行ってくれたりテーブル拭きをしてくれたりしているらしい。
「どうだろう、いつもモノを言いたそうな顔をしているなあとは、思っていたけど…。」
作業指導のおじちゃんの言葉に、危機感を覚えたのは…私と所長だ。
「…きょう面談やってしまいましょう、明後日の予定だったけど、待っていたら支援内容の変更ができません。」
カウンセラーの先生の一言で、午後の予定が決まった。
「どうですか、最近?」
「あ、変わりないです…。」
四人掛けテーブルに座る、カウンセラーの先生と、勝さん。
私は勝さんからは見えない位置の、本棚の整頓をする振りをして…状況を、見守る。ちょうどガラスの影が鏡のように映っていて、勝さんの顔が、表情が、よく見える。
「この前、指が動きづらいって言ってたけど、具合はどう?」
「あ、はい…良く、なりました…。」
ニコニコしながら、うつむいて答えて、いる。
「困ってることはない?」
「・・・・・・。あ、はい、ない、ですね…。」
ニコニコはしていない。…おそらく、言いたいことが、あるのだろう。カウンセラーの先生も何か思ったようで、メモを取っている。
「ちょっとしたことでもいいのよ?私なんかね、今日ランチのお箸が折れてて!困っちゃうわよね!」
「・・・はは。」
笑い声を出すような表情では、ない。
「パソコンもよく止まっちゃうし…そういうところで困ったり、してない?」
「・・・スペックがぬるいとは、思いますね…。」
ニコニコ…?いや、ニヤニヤ?
なんだ、この表情の…変化は。
「そうなんだ、じゃあ担当者に言っておきますね。そういえば…いつもいろいろフォローしてくれてるんですよね、杉田さんとかすごく助かってるって聞いたよ、すごいですね、ありがとうございます!」
「・・・ここの人たちのレベルが低すぎるから僕は上に立ってやってるだけですよ、僕なんて大したことないです。」
少し、言葉に、勢いが出たような気がする。・・・表情は、朗らかというよりは、意地悪さを、感じる。
「そういえば、…妹さん?今日ね、すれ違ったんだけど、私のこと忘れてたの。二回しかあったことないけど、忘れるなんてちょっとひどいよね。私そんなに覚えにくい顔してますかね?」
「ああ、あの人めちゃくちゃ頭悪いんですよ、二回会った位じゃおぼわらないんです、でも余計なことはすごく覚えてて…。」
食い入るように、会話に乗り出している。
「余計なことを覚えているんですか?記憶力がいいんですね!あれ、じゃあなんで私のこと忘れてたんだろう?」
「覚えるべきことを選択できないで無駄な記憶力を振り翳すんです、忘れ物する癖に僕がごみ出し忘れただけでうるさい事言うし。十年前に家族旅行に行った時だって充電ケーブル持ってくるのを忘れて、コンビニで高いケーブル買う羽目になったし、おやじが生きてた時にひらいた食事会でも姪っ子のオムツ余分に持ってこなくて兄貴に怒鳴られてたし。ちょっとおだてるとどんどん羽目を外してつまんない事ばかり思い出して自分の頭の悪さに気が付かないで主張をするんです、やっぱり年をとると融通が利かなくなるんですね、ああはなりたくないもんです。しかもね…」
実に生き生きとした様子で、唾を飛ばしながら饒舌に語っている。
余りの変わりようにカウンセラーの先生の顔がかたまっているが、そんなことにはまるで気が付いていないようだ。
週に三回の通所で靴下を忘れる人が、十年以上前の他人のミスをいつまでも覚えていて罵倒する。
何年も前の説明をいつまでも覚えていて、気に入らない対応をされたことを根に持って告げ口する。
自分の状況を顧みずに、自分の見た出来事を批判する。
「ああそうなんですね、勝さんも大変ですねえ…。」
「僕がこうなったのは全部あいつらのせいなんですよ、ひどいもんでしょう?責任を取れないくせに何が大人なんだってね!」
耳を塞ぎたくなるような言い訳をしている勝さんの言葉を、聞き流した。…これ以上勝さんの話を聞いていると…別の感情が生まれてしまいそうだ。通所者には、公平に接しなければならない。公平に対応できなくなるような感情を持ってしまうのは…まずい。
私は、部屋を出て、所長の元に向かった。
勝さんの担当者が変わることになった。
勝さんの作業部所は変わらなかったが、人員はすべて入れ替わることになった。
勝さんは、今日もニコニコとしている。
いつまでこの施設に滞在するのか、いつ就職できるのか、めどはたっていない。
ごみ屋敷は未だごみ屋敷のままらしい。
・・・その理由を、尋ねてみたところ。
「…所長さんの机見てくださいよ。あんなに偉い人の机なのにあんなに雑然としてるでしょう?ああいうのを見ちゃうとね、片づける気力がなくなっちゃうんですよ…。」
所長も、私も…勝さんから身構える対象とされなくなってしまったらしい。
勝さんの施設移動を弟さんに打診し、今…その返答待ちだ。
「こんなへぼいパソコン使ってやってる僕の身にもなったらどうなんですかね。」
「まずい飯でも食えばエネルギーになりますからね、有難迷惑ですけどね。」
「人の話聞いて金もらえるんでしょ、僕でもできますね、やらせてくださいよ、できるに決まってるでしょう。」
「ここは意味ない場所だよ、頭悪い奴しかいないんだもん。」
耳を塞ぎながら、施設の職員達は…。
「今日も絶好調すぎるけど、気にしない方向で。」
「馬の耳に念仏ってね…。」
「所長のこと言ってるの?!」
「馬場だもんね!!!」
「は、ははは!!!」
今日も、頑張って、いる。




