臆病風
風が、吹いている。
強い、強い風だ。
両足でしっかりと立っていても、吹き飛びそうだ。
風が強すぎて、目も開けられない。
風が強すぎて、言葉を発することもできない。
風が強すぎて、耳に音が響かない。
風が強すぎる。
「・・・!!・・・?!」
風が強すぎて、目の前の彼女が何を言っているのかわからない。
「・・・の?!ねえ!!」
鬼のような顔をした彼女が、迫ってくる。
「ねえ!聞いてる?!今度の休みの行き先どうするの!!」
風に吹き飛ばされそうになって黙り込んでいた僕に向かって、彼女が叫んだ。
気の強すぎる彼女と付き合い始めて早十年。
気が付けば尻に敷かれていた。
気が付けば言いたいことも言えなくなっていた。
気が付けば逃げられなくなっていた。
いつだって僕に対して強気で、この十年間勝った試しがない。
お人よしの僕は、彼女の怒りをいつだって宥めてきた。
お人よしの僕は、彼女の意見を通してきた。
お人よしの僕は、彼女の願いを叶えるために生きてきた。
何度も別れたいと思った。
180度違う性格は、ずいぶんな頻度で問題を起こした。
それとなく別れ話をしても、彼女はまるで気にしなかった。
強引に自分のペースに持って行って、いつだって僕が謝って終わった。
何を言っても、まるで堪えない、力強すぎる彼女。
何を言っても、まるで意見を通せない、気弱すぎる僕。
周りの人たちは皆、僕をせかす。
早く結婚しろ、早く家庭を持て、早く落ち着け、いつまで彼女を待たせるんだ…。
周りの人たちが皆、僕を叱る。
何やってんだ男を見せろ、責任も取れないのか情けない、お前みたいな軟弱者にはもったいない…。
僕に対する風当たりは、相当…強い。
「十回目だけど、あの神社いこっか!いいよね?毎年行ってるし!」
彼女の強気に負け続けて十年。
僕はすっかり臆病者になってしまった。
これを言ったら怒られる、これを言ったら殴られる、これを言ったら喚かれる、これを言ったら泣かれる、これを言ったら周りに吹聴される…。
彼女の求める言葉しか返せなくなった僕の周りには、いつだって臆病風が吹いている。
風の前のチリと化した僕は、強すぎる臆病風に吹かれて、本体がいつだって舞っている。
このところ、時折冷たい隙間風が吹くようになったというのに、まるで気にしない、パワフルな彼女。
言いたいことが言えずに下を向く僕を、激しく叱咤する、パワフルな彼女。
僕だけが、言いたいことが言えずにいじけて…おかしな隙間風を吹かせているのだ。
きっとおそらく、強すぎる彼女は小さなことなど全く意に介さずに豪快に生きてゆくのだ。
きっとおそらく、強すぎる彼女は僕の気持ちなど全く意に介さずに己の信念を貫き通してゆくのだ。
ああ、風が、吹いている。
強い、強すぎる風が、吹いている。
この風が、止みさえ、すれば。
僕に常にまとわりついている、この臆病風を、蹴散らすことが、できたなら。
僕はきっと、言いたいことが、いえるはずなのに!
僕はきっと、言いたいことを、いえるはずなんだ!
僕は今すぐ!!!
彼女に、言いたいことが、あるというのに!!!
「何?!いやなの?!いいたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなの?!なんか最近おかしいよ?!なんなの?言えないような事があるの?!理由を言いなさいよ!!」
「いうよ!!!!!!!!!」
叫んだ彼女に、思わず反射的に言葉を返した。
自分の言葉に驚いた。
自分の声の大きさに驚いた。
風が、止んだ。
あんなにも僕の周りで吹きすさんでいた風が、ぴたりとやんだ。
「結婚してください。」
どうしても言えなかった一言が、やっと言えた。
ずっとずっと言いたかった一言だ。
ずっとずっと言える時を待っていた。
ずっとずっと言えない日々を嘆いていた。
こんなにも気弱な僕を支えてくれるのは彼女しかいない。
こんなにも気弱な僕の背中を押してくれるのは彼女しかいない。
こんなにも気弱な僕にはっぱをかけ続けてくれるのは彼女しかいない。
「・・・いいよ!!!」
言いたいことを、言ってしまえば。
あとはもう、穏やかな空気が、僕と彼女を包んだ。
強気な彼女の、勝気な瞳には、涙が光っている。
いつも僕を怒鳴りつけている彼女の、かわいい一面を見て、顔がほころぶ。
「何笑ってんのよ!!馬鹿っ!!!」
船は帆任せ、帆は風任せ。
臆病風に吹かれ続けて、迷走した船は…十年かかって、ようやくゴールを果たした。
分相応に風は吹くという。
向かい風、追い風、大きな風に小さな風…。
臆病風に吹かれることもあるだろう。
今までの僕はただただ臆病風に振り回されていたけれど。
きっとこれからは、目の前の…奥さんが、力強く風を蹴散らしてくれるはずだ。
「あたし、結婚式は派手にやりたいな!」
ああ、風が吹いてきた。
これは、臆病風だ。
…僕は、自分の願わない、ド派手な結婚式で恥をかく覚悟を、決めた。




