72話 加害者
期末テストが終了した7月中旬、遂に腰が完治。
松葉杖のレクチャーを受けると、まだ足にギプスが付いたままなのに突然の退院宣告。動けるようになったら問答無用で退院が病院の常識だそうで、そうして急遽退院前日となった昼過ぎに、とあるお見舞い客が来訪してきたのだ。
「退院と聞いてご挨拶に来ました。私にこの言葉を述べる資格はありませんが、退院おめでとう」
「そんなことないです。今日は来てくれてありがとうございます」
目の前にいるのはビシっとスーツを着こなした40代の男性。キリっとした顔立ちと佇まいで仕事ができるビジネスマンと誰もが評する人柄だ。
「本来ならもっと早く会うべきでしたが、お見舞いは控えてほしいと言われていたので」
「親から聞いてます。僕はともかく、小桜家との接触は避けた方がいいですから」
「……本当に、申し訳ないことをした」
「いえ、あの事故はあなたのせいじゃないですから」
「それでも私には頭を下げる責任がある。君が大怪我をしたのは、私の父が原因なのだから」
そう、この人は僕をはねた加害者の息子だ。
だけどあの事故はこの人にとっても寝耳に水だったはずで、ココで怒りをぶちまけるのは筋違いとしか思えず、正直どう接していいか分からない相手だ。
「あの、両親から聞きましたが、僕は子供でお金のことは分かりませんが、本当にあんな膨大な額の慰謝料を貰っていいんですか?」
不躾な質問と思ったが、被害者として確認する権利はある。
そう判断して聞いてみると、答えが返ってくる。
「君には本当に感謝している。君が身を挺して年端もいかない少女を守ってくれなければ、私の父は人殺しになっていたのかもしれない。もしそうなっていたら私たち家族は、君に渡した慰謝料以上の責任を背負っていただろう。
だから謝罪だけではなく、感謝の意味も兼ねて受け取ってほしい」
そうして深々と頭を下げられれば、もう受け取るしかない。
勿論これは当然の権利だけど、どうにも納得できない。
なので不躾ついでにもう一つ、どうしても気になっていたことを質問する。
「あなたのお父さん。どうしてますか?」
別に加害者本人に謝ってほしい訳じゃない。
だけど息子がわざわざ謝罪に来てくれて、本人は現れずという現状に違和感があるのだ。そんな疑問に、息子は大きく深呼吸をして、どこか遠くを見るような様子で答え始める。
「私の父は本当に尊敬できる人だった。家族思いで、高収入で、我が家の大黒柱として立派に勤めを果たしてくれたが、そんな父も年には勝てず、最近は足がおぼつかないことも知っていたのに、まだ大丈夫、もう少しだけ大丈夫と免許返納を遅らせた結果がこの有様だ。
そして事故後、事情聴取で三晩、たったの72時間だけで別人のようにやつれてしまった父を見た時は、本当に後悔したよ。そして家に帰って以降、父は一度たりとも外出をしていない。おかげでこの三ヵ月で、あれだけ元気だった父が一気に老け込んでしまってね」
予想以上の事態に、思わず息を呑む。
「それに父は事故のことを覚えておらず、君に会わせる顔がないと言っている。本当に申し訳ない」
事故のことは覚えてない。ニュースでよく聞くフレーズで加害者の言い訳と思っていたけど、僕も美羽ちゃんの顔を忘れていたように、交通事故は記憶に留められないほどに悲惨なものだ。
皮肉だな。
被害者である自分が、加害者の心境を一番理解できるなんて。
「あの、あなたは大丈夫ですか? よく見れば随分とやつれているように見えますけど」
「……ああ、そうだね。覚悟はしていたが、それ以上の現実が待っていてね。父の事故で母も憔悴。私の子供たちも学校で色々言われていて、親戚の目も冷ややか。おまけに私の会社でも情報が筒抜けで、任されていたプロジェクトまで外されてしまってね。まぁ今は家族を最優先にすべき時だから、ちょうど良かったと考えているよ」
自重気味な笑みに、どう答えていいか分からない。
加害者家族が負担を強いられるのは仕方ないと思っていたけど、この事故の一番の被害者は自分ではなく、この人ではないだろうか?
「つまらない身内話をして申し訳ない。とにかく君が回復してくれて嬉しいよ。私はそろそろ帰らせてもらうが、君が幸せな人生を歩めることを願っているよ」
まるで自分はもう幸せになれない。
そんなありったけの不幸を背負って去ろうとした背中に、整理が終わってない感情をぶちまける。
「今日はお見舞いに来てくれて本当にありがとうございます! 僕は明日退院して三ヵ月遅れの登校になりますが、留年の心配はありません! 足はまだですけど、後遺症の心配もありません! あと僕が守った少女と仲良くなれて、妹みたいに懐いてくれて超ハッピーです! しかもそのお姉さんが毎日お見舞いに来てくれて、もう彼女一歩手前までの関係になれてウルトラハッピーです!
だから僕は絶対に幸せになります!
だから貴方も、幸せを諦めないで下さい!」
そんな滅茶苦茶な言葉に、立ち止まっていた人がこちらを振り向かずに小さく答える。
「……ありがとう」
そう呟いて、加害者息子は去っていった。
交通事故は、全ての人間を不幸にする。
だけど注意すれば防げる不幸だ。
そんな現実を噛みしめながら、明日の退院準備をスタートさせたのである。
加害者を擁護する訳ではありませんが、交通事故にはこういう視点もあると思ったのでこんなオチを加えてみました。あと警察に逮捕されると、送致までの48時間と検察官が起訴・釈放を判断するまでの24時間の、合計72時間にわたる身柄拘束を受けるそうです。




