46話 ゲロまみれ
「ふ~ん、そ~んなアホな理由で喧嘩が始まっちゃったのか~」
「はい、おっしゃる通りでございます」
あれから一週間が経過。小桜さんは今まで通りお見舞いに来てくれているけど、これまでの親密感は跡形もなく消え去ってしまい、業務的に勉強を教えてくれるだけの関係に変貌。
しかもお見舞い品として小桜さんから手のひらサイズのミニサボテンが毎日一個ずつ贈られているのだけど、これってどういう願懸け? 今現在は7個のサボテンが窓際に飾られているけど、これがもし退院まで続いたら総数は軽く50個を超えてしまい、このままでは退院後に僕の部屋がサボテンで埋め尽くされてしまうだろう。
そしてこの喧嘩の原因である美羽ちゃんに改めて話をしたけど、とりあえずは大丈夫な状況で、学校でゲロったせいで孤立中だけど、そのおかげでちょっかいも激減。今はとにかく嘔吐を止めたいからむしろ孤立している方が都合もいいと豪語。しかも月山さんのイジメ問題も、美羽ちゃんと一緒に仲良くぼっちでうやむやだそうだ。
家族に相談しない理由については、やっぱり心配をかけたくないらしい。それに今は目立ったトラブルもなく、吐く頻度も減っているから話す必要もないと意地を張られてしまったので、美羽ちゃんから家族に相談するように誘導すると小桜さんに約束したけど、ヤバくなったら家族に相談って促すのが精一杯という有様だ。
そんな小桜家事情の板挟みに追い打ち。
不穏な空気を察知した森谷さんが、吐けと脅迫してきたのだ。
勿論全力で抵抗したが、吐かないなら小桜さん夫婦を呼び出して、娘さんがこの男を襲おうとした(※オムツ交換)ことを告げ口。ついでに今後のオムツをピンク色に変更という無慈悲な脅しに屈して、全部ゲロってしまった所だ。
「羽生く~ん、君は美羽ちゃんの父親じゃないわよね~? どうして子供の教育方針の違いで夫婦喧嘩って感じになってるのかな~?」
「それはその、成り行きでこうなったとしか」
「美夜ちゃん、羽生くんが話してくれるのを待ってると思うけどな~」
「待って! これは意地悪じゃなくて美羽ちゃんのためで」
「じゃあ、ずっと黙ってる気?」
「それは……」
森谷さんの意見に僕の声がどんどん尻つぼみだけど、今さら白状する訳にもいかない。
「大丈夫です。ヤバくなったらすぐ説明しますし、解決したら全部話します。これなら小桜さんもきっと分かってくれます!」
そう勢いで豪語したら、森谷さんの顔から表情が消滅。
急に無機質になった雰囲気に戸惑っていたら、森谷さんの本音がこぼれ落ちる。
「そういう相手を見ない思いやりが、一番駄目だよ」
さっきまでテンションが嘘のようなボソッと小さな声に思わず息を呑んでいたら、森谷さんが横を向いたまま語り始める。
「これは私の友達の話だけど、彼女には最愛の彼氏がいたの。学生時代に何度もデートして、このままずっと一緒に過ごしていけると思っていたのに、社会人になると彼女の仕事が忙しくなって、デートが潰れるのも当たり前で、すれ違いの日々が始まったの。
だけどこれは仕方ない。
彼ならきっと分かってくれる。
そう信じて、彼氏の言い分を聞かずに勝手に信じて、何も言わずに仕事に明け暮れていたら、いなくなっちゃったのよ」
空気が重い。
唐突に謎の身の上話がスタートだけど、もう息をする音さえも出してはならない程の緊張感だ。
「いなくなったといっても仕事の転勤で、彼の将来を考えれば喜ばしいことだけど、彼女には何の相談もなくて、全部終わってから“忙しそうだったから”の一言で済まされた時はもう、彼女の感情が全部噴き出して、どうしようもなくなっちゃってね」
この嘆きに、どうしようもない気持ちが僕にまで襲ってくる。確かに理由はあったのかもしれないけど、この彼氏もせめて一言、事前に伝えるべき言葉があったんじゃないかと思わずにはいられない。
どうしてもっと早く相談を……
と、そう思った瞬間に悟る。
今の自分には、そう主張できる資格がないことを。
「ごめんね羽生くん。君の問題とは全然関係ない話だったね」
「そんなことは……」
「それにね、もし事前に相談されたとしても、あの時の彼女は本当に忙しくて、余裕がなくて、彼の人生にとって重要な相談さえも『今忙しいから自分で決めて』って、酷い言葉で傷付けていたのかもしれないから」
そう言われたら、もはや全てがどうしようもない。そのカップルはどこで間違えたのか、それとも一緒になれない運命だったのか、そんな悲惨な末路に胸を痛めていたら、ベッドから動けない体が引っ張られて、ギュッと抱きしめられて、森谷さんの熱が伝わってくる。
そうして僕に表情を見せないように顔を近づけてから、耳元でささやく。
「だから羽生くんは手遅れになる前に、全部吐いちゃいなよ。2人が吐いてくれないから、美夜ちゃん寂しがってるよ?」
「それで3人仲良くゲロ塗れになれと?」
「いいじゃない。元通りになれるなら、私は喜んでゲロ塗れになるよ」
そう告げられて、森谷さんがポンポンと優しく僕の背中を叩いて、表情を見せない様にしながら病室を出ていって、考えがまとまらない放心状態のまま視線を窓際に移すと、そこには小桜さんからプレゼントされた7つのサボテンが目に入って、胸が苦しくなる。
このサボテンの意図は分からないけど、このままじゃ駄目だ。
そう今さらながらに痛感してから、これからどうすべきか考え始めたのである。




