第084話、師弟―ルート選択―
監視という名の観光案内人が交代する待ち時間。
太陽を反射する白亜の階段に座る聖女の膝の上。
魔猫師匠は語る。
自らもこの国の釣り針に導かれたのではないかと。
シリアスな空気の中。
くっちゃくっちゃと、ほくほくな味ご飯が詰まったイカ飯を頬張る魔猫師匠を前にして――。
膨らむ頬の毛についたソースを洗浄魔術で、優しく拭いながら聖コーデリア卿が問いかける。
「師匠ほどの魔術師が引かれた、とおっしゃるのですか? このイシュバラ=ナンディカに?」
『ああ、イシュバラ=ナンディカ。訳すと喜びの王――おそらくこれは歓喜天を示す言葉。この名に聞き覚えがあるんだ』
「ということは……」
聖コーデリア卿はしばし考え。
「もしかすると、その乙女ゲーム……えーと」
『三千世界と恋のアプリコットかな?』
「そう、そのアプリコットさんを作った創造神たちは、師匠も知っている言語の世界に住んでいたということでしょうか。師匠はもう乙女ゲームについても、この世界についても何かを把握していらっしゃると」
答えをはぐらかすように、魔猫はくわぁぁぁぁぁっとあくびを一つ。
目線を自然に逸らし、話術スキルを発動。
話題も自然に逸らして、穏やかな苦笑を落とす。
『アプリコット”さん”かい? いや、まあ君はけっこうなんにでも、さんとか、様をつける方だが少し変わった言い方だね。そうだね、君たちはゲームという概念を知らないから仕方ないかもしれないが、普通、ゲームには敬称をつけないものだ。覚えておくといい』
「そうなのですか? けれど、この世界に植えられたアプリコットさんはとても大きく、育っていますわよね。今もこの世界を見守っている、いえ、見張っているのでしょうか。ずっとこの世界を眺めている――わたくしには、アプリコットさんが今もわたくしたちの話に耳を傾けているように思えますわ」
聖女としてのコーデリアが、瞳に魔力を浮かべて。
にっこり。
まるで神託を受ける巫女のように、ここではない遥か遠くを見る顔で告げる。
「幹を揺らし、葉を揺らし、あるべき姿へと育とうと頑張っていらっしゃいますし……。ですからわたくしは、アプリコットさんと呼びたくなってしまいますわ」
『君は――』
まるで世界そのものに微笑みかけるような、神々しい笑みが聖女の美貌に作られていた。
ふふふふっと、やはり聖女は花の笑みであるが。
魔猫師匠はわずかに猫眉を顰めていた。
『そうか、なるほど――君には、私にすらも見えないものが見えているのかもしれないね』
それは師匠にとっても想定外だったのか。
空気がわずかに変わる。
聖女の膝からスゥっと降りて、魔猫師匠が『素晴らしい』と弟子を褒める魔術師の顔でコーデリアを見上げて――黒い微笑を浮かべてニャハり。
口を、ゆったりと開きだす。
『コーデリアくん。いや、聖女コーデリア=コープ=シャンデラーよ。おめでとう、どうやら君は私の推定を超えた存在として成長したようだ。それは一つの到達点、一分野において、私にすら届かぬ真理や能力の頂に近い叡智を得ているのだろう』
「褒めてくださっているのです?」
『ああ、私がここまで称賛するのは自分で言うのも気が引けるが珍しいことだ。誇りたまえ、喜びたまえ。君はまだまだ未熟だ、まだ私の足元にも及ばぬヒヨコだ。なにしろ君はまだ若い。本来ならば、ある程度成長した君に卒業の証を授けようと思ったのだが――気が変わった』
ところで、話は変わるが。
と、魔猫師匠は白い階段の上で、淡々と語る。
『君は君自身のことをどのような存在として認識しているのかな』
「わたくし自身ですか。そうですね、少しだけ空気の読めない、なにをやらせても悪い方に転んでしまう――善意が結果的に反転し、周囲を困らせてしまう存在であると……自覚はしておりますの」
けれど、と聖女は誰かに言われた言葉を思い出しながらだろう。
前向きな顔で。
白い階段に反射する太陽を浴びる、聖女の顔で自らの胸の前に手を置き。
「わたくしは、わたくしを愛してあげようと思っております。本音を申し上げますと、わたくしはわたくしのことをあまり好きではなかったのです。けれど、自分を愛してあげてと言って下さった方がいるのです。優しいウソをついて下さった方がいるのです。そしてわたくしを大事と思って下さる方とも、少しずつですが……巡り会えているような気がするのです」
聖女は昔の、誰かのための道具としての過去を思い出しているのか。
しかし。
そんな過去を経験として昇華するような、前を見据えた瞳で魔猫師匠をまっすぐに見据えて。
「今のわたくしは利用されているのではなく……大切な方々に頼られている、そんな気がするのです。ですからわたくしは、迷惑で周囲を振り回す存在でありつつも、誰かのための力になれる領主。頼られる存在でありたいと願い、日々を生きている――今のわたくしは自分自身をそう認識しておりますわ」
『よく分かったよ。君がすこしずつ、自分自身を愛せるようになってきてくれて、私もとても安堵している』
弟子の言葉を受け入れ頷き、魔猫師匠が言う。
『さて、では私の君への認識だ。君はこの世界にとっても一種のイレギュラー、特例だと私は認識している』
「特例……ですか?」
『ああ、君も知っているだろうが――君の母親は邪神として設定されていた存在、彼女はいわば精霊や妖精といった人間を模した存在に近しい……自然発生系の種族。そして君はその娘にして聖女、心優しき乙女。種族は人間でありながら、どこかが不安定な存在。そして、君は私にすら認識できない”この世界に植えられた世界の設計図”にすら敬称をつけ、慈悲を向けている』
「悪いことなのでしょうか?」
『そんなことはないさ。けれど、そうだね。君はもはや人間としての器を超えた存在だと、私は考えている。この世界は君には少し狭すぎる。君のレベルは逸脱しているし、君の行動は周囲に影響を与えすぎる――いつかそのことで、君は君が大切に思い始めている人間たちを傷つけてしまうかもしれない。そしてそのことがきっかけで、君が壊れてしまうかもしれない。傷ついてしまうかもしれない。それが心配だよ』
師匠としてね、と魔猫は猫でありながら美麗なスマイル。
呼吸を一つ置き。
獣毛の一本一本にまで慈悲を感じさせる、まるで聖人のような顔で魔猫師匠は言った。
『一緒に、外の世界に行くかい?』
魔猫は、師匠の顔で手を伸ばしていた。
肉球が、白い階段に反射している。
「外に、ですか?」
『ああ、君のお父さんもシルキーも既に私が家だと定めている世界に馴染んでいる。あちらに定住している。そして、君も一緒にどうか……そう願ってもいる。君のお父さんは、君を心配している。おそらく、この世界が君には合わないのではないか……そう感じてもいるのだろうね』
父の名を聞き、聖女はまあ! と複雑な微笑みを頬に浮かべてみせていた。
「お父様が……えーと、母の事件のことは」
『私の口からは伝えていないよ。新婚夫婦に水を差すのもどうかと思ったし、そもそも伝えるべきかどうかも分からない。それにそれは君たち親子の問題だ、突き放すようで悪いけれど君自身の口で説明してあげて欲しい。もちろん、どうしてもというのなら私から伝えてもいいが。君はどうしたいんだい』
「伝えるべきかどうか。よく、わかりませんわ。けれど、たぶん伝えないで欲しいと、母ならそう思うのではないかとわたくしは感じております。母は、父を愛していましたから。自分が亡くなった後の世界でも……叶うならば、父に幸せになって欲しいと願っている筈、わたくしはそう思うのです」
自分の中の答えは決まっているのだろう。
聖女は栗色の髪をそっと風に流して微笑んでいた。
「幸せといえば、今、お父様はどうなさっているのです? 心配するな、うまくやっているとは聞いているのですが。その、新婚ですし、あまり連絡を取り過ぎるのも配慮に欠けていると思いまして――」
『幸せに暮らしているよ。屋敷妖精のシルキーくんに好かれる君のお父さんは、きっと、そういった妖精や精霊の類に好感を抱かれやすい性質があるのだろうね。君のお母さんに好かれたように……。実際、君のお父上への周囲の評価はわりと上々だ。今は私の伴侶となってくれている精霊女王の部下として、書類仕事をこなして働いてくれているからね』
聖コーデリア卿が、え?
と、驚きの表情を見せて、珍しく大きく口を開けていた。
「伴侶ということは、師匠! 既婚者だったのです!?」
『あれ? 言ってなかったっけ、私、奥さんが三人いるよ? 息子も娘もいるし』
「なるほど、三人の奥様。師匠はなかなかにプレイボーイと呼ばれる、存在でしたのね」
まあ確かにネコちゃんは一夫多妻制が結構目立ちますが……と。
妙に感心した様子で頷く聖女の姿がある。
「いつか父がお世話になっておりますと、奥様にご挨拶しに行かなければなりませんね」
『ああ、疲れているのならそのついでに、しばらく滞在していくといい。君は精霊や妖精に好かれる父を持ち、精霊に類する母を持つ存在。きっと、我が妻の国にも馴染むだろうと思うよ』
「妻の国と、おっしゃいますと?」
魔猫師匠はニヤリとチェシャ猫スマイルを作り。
ドヤァァァァァァァ!
『あれれぇ? 言ってなかったっけぇ、むふふふふ! にゃにゃにゃんと! 私の妻の一人は炎の大精霊、精霊国の女王なんだよねぇ!』
「まあ! 女王陛下ですのね、ふふふふ、師匠ったら自慢げにお語りになって、よほど奥様のことを好いていらっしゃるのですね」
『ああ、だから――本当に、向こうに永住するというのなら私は君の力になれる』
妻自慢の後に、魔猫師匠は空気を切り替え優しく告げて。
『君は強い、そして君は自分よりも弱い存在の心を容易く読んでしまう制御不能の力もある。けれど、外の世界ならば話は別。君と並ぶ存在、君よりも強い存在も多くはないが存在している。君はあくまでもそれなり以上に強い聖女として、それなりにしか畏れられないはずさ。なにしろ私や、その獣神が君たち人類よりも更に上の頂点として君臨しているからね。君を無責任に鍛え上げてしまった私からの提案だ――この世界で生きることに疲れたのなら、考えてみて欲しい』
「わたくしが外の世界に、永住……考えたこともなかったので、少し混乱しておりますわ」
『だろうね――私も今さっき、君が私ですら認識していない世界への慈悲をみせたことで、不意に思いついたことだ』
それはおそらく。
今までの気まぐれとは違う。
少し立ち寄った世界で、偶然面白い乙女を見つけて手を差し伸べた、遊びの延長ではなく真剣な話。
コーデリアの中に、魔猫は見たのだろう。
それは外の世界であっても「貴重な才」。
新たな魔術や、眷属になりうる可能性を乙女に見出したことで発生したイベント。
異界の恐ろしき神が、乙女を本格的な弟子として連れ帰ることを検討しだしたという事になる。
だが魔猫師匠は穏やかな顔で。
まるで生徒に進路を提示するような、落ち着く声音でゆったりと告げていた。
『大事なことだ、返答は急がない。それに君は領主、民を導くものだ。よく考えてから決めるといい。外の世界に赴き、本格的な私の弟子の一人としてこの世界を離れるか。この世界でそのまま生きるか』
選びたまえ――と。
魔猫師匠は優しく告げて、その姿を霧へと変えて消えていく。
本格的な弟子となるかどうか、魔術師の師匠が問いかけ透けていく、絵になるシーンなのだが――。
そこはコーデリア。
霧となって溶けた師匠の手を握り、肉球をむにゅ!
ぶにゃ! っと驚く師匠を前に。
いつものニコニコ聖女スマイル。
「それはそれとして、まだ回っていないところもありますし。一緒に観光は続けた方がよろしいのではありませんか?」
『それもそうだね。まだ見ぬグルメがあるだろうし』
コーデリアはいつものように、のほほんとしているが。
魔猫師匠はこう思っただろう。
姿を消そうとする自分の肉球を握り、それをキャンセルした。
その時点で既に、コーデリアは外の世界でも一流の腕。
並をはるかに超えた魔術の才が開花しているのだ――と。
交代の衛兵が帰ってくる直前。
コーデリアが言う。
「そういえば師匠」
『なんだい、弟子』
「ガンキデン……さま、でしたっけ? この国の名がどうとか。途中で話がそれてしまったので曖昧になっていましたが、あのお話はどうなったのでしょうか」
『ああ、イシュバラ=ナンディカの国名の話か。ガンキデンじゃなくてカンギテン。えーと、こういう……歓喜天という異界の文字で書くと、こうなるんだけど。私の世界で信仰対象とされている神の名前だね。まあ、会社名に神の名前を使うってのはよくあることだから、珍しくもないんだけど』
魔猫師匠は、まあどうでもいいかなぁ……といった様子の顔で言う。
『もし神の聖名に肖って名前を使っているだけではなくて、本当に異国から渡来し、神性として土着したその神本人や親類が関係しているんだったら、ちょっとまずいんだよねえ』
「と、おっしゃいますと」
『歓喜天って、象の顔を持つ抱き合う象頭人身……男女双身の神性なんだけど――けっこうヤバい神様なんだよ。契約にも煩いし、祀り方を間違えると荒魂……荒ぶる神の側面が強く出るし。とても徳の高い、そして祈りを聞き届ける力も強い神性な反面、力を正しく借りるのが難しい、とても強大な神だってことさ』
まあゲーム会社が神様の名前だけ使うなんてよくある話だよ、と。
魔猫師匠は他人事のようにウニャウニャ。
太陽でモフ毛を温めた。




