第083話、聖女の帰還と穏やかな街
旅する赤き舞姫の踊りを見た人々は噂した。
それは聖女の帰還。
もはや見放されたと思っていたあの地への、救済の始まりか――と。
長く圧制を敷いていたクラフテッド王国が終わり、かの地がイシュバラ=ナンディカとなり蘇った――。
今この時。
かの聖女が姿を現したというのだ。
その名は聖コーデリア卿。
悪しき国家クラフテッド王国に反発し追放された領主の娘。山脈帝国エイシスへと亡命し、その腕と優しき心を賢王ダイクン=イーグレット=エイシスに認められ、その日のうちに領主として着任。
国や民を知るため高貴な身でありながら、学徒を経験。
暴走した聖職者を諫め――氷漬けとなっていた前王の妃をその慈悲で癒し、若くして勲章を授与され聖女の健在をアピール。
魔境に突如顕現したキマイラタイラントを調伏し、アンデッド化し使役。
滅んだ国の皇太子ミリアルドが巻き込まれた魔境の争乱にも介入し、憎悪していても不思議ではないクラフテッドの王族の無実を証明し――魔皇アルシエルと敵対。
闘技場での勝負にて、魔皇相手に完勝。
勝利のみならず、死した魔皇アルシエルとその伴侶となるだろう妃候補の女性を蘇生し、和解。長く国交の開かれていなかった魔境と交流を開始。
他にも突如顕現した魔竜の群れを魔術の一撃で葬り去った。
枯れかけていた世界樹を癒しの力で癒し、契約を交わした。
古の神々との対話に成功し、世界の安定を保つよう協力関係になった……。
などなど。
ともあれ、嘘か本当か分からぬ噂が踊り子の口から語られているのだ。
そして実際に、聖女は今、この地にいる。
イシュバラ=ナンディカにいる。
それは新王キース=イシュヴァラ=ナンディカの口からも語られているので間違いない。
かつてクラフテッドの民だったモノたちは、聖女の帰還に沸き立った。
それはこの喜びの王の国、イシュバラ=ナンディカこそが聖女に認められた地。クラフテッド王国はお見捨てになられたが、この国ならば、聖女の加護も戻っている。
事実、聖女は街のあちこちでその姿を確認された。
市場街に、家具を中心として扱う魔道具屋。
さらにレストラン街に、刺繍用具を扱う生地の店。
夜食の美味しい酒場に、吸血鬼やアンデッドが利用する闇の魔道具屋。
などなど。
本人が食を愛する健啖家なのか、連れ歩く護衛たちにグルメを振舞っている優しい聖女なのかは分からないが――なぜかグルメを中心にこの街を楽しんでいる姿が、時間を問わず確認されているのだった。
ともあれ。
あの聖コーデリア卿が戻ってきているのは確実。
実際、今朝も聖女の姿は確認されている。
氷魔術と魔女の技術によって製作された錬金術グルメの”氷菓”を購入。
平和な街並みを満喫し、魔猫を傍に侍らせペロペロ――歩きながらアイスをはふり、遊覧を楽しんでいるのだ。
聖コーデリア卿が周囲を見渡しながら言う。
「ふふふふ、歩きながらというのは少々、はしたなかったでしょうか」
『ここは自由に飲食できるって書いてあったから問題ないさ。それに、くくく、くはははははは! 我は宙を飛びながら食べてるから問題ないのである!』
「まあ師匠ったら」
『あ! 新しい区画を発見! ちょっと買い漁ってくるから、待ってておくれ~!』
魔力の塊ともいえる魔猫師匠と、そして護衛を数名引き連れての散歩のご様子である。
当然、監視の目はついているが――。
監視の衛兵たちはコボルト達にどうせなら一緒に歩くべし、と引き寄せられて同行中。
監視の衛兵たちのレベルはそう高くはない。
危険人物といえる聖女と魔猫相手になぜ高レベルの人材を監視につけないのか、それにも当然理由がある。まず国内全てを透視できる新国王キースも彼らを眺めていること。そしてなにより、あまりにもレベル差がありすぎるので、誰が監視してもそう変わらないという点が大きいか。
魔猫師匠が全ての店でグルメを買い漁る横。
待ち時間を利用するためだろう――監視の衛兵たちに目をやり、聖コーデリア卿が言う。
「次は少し温かいものを頂きたいのですが――どこかおススメはありますか?」
ごくごく普通に問われ、衛兵たちは顔を見合わせた。
この聖女はかなり変わっている。監視されていたことに全く怒りをみせぬどころか、とても親しげに話しかけてくる。ふわっとした物腰に既に衛兵たちは心を奪われ、その姿は監視ではなく同行者。
観光案内を率先して行っている状況になっているのだ。
街に詳しい若い女性兵士が言う。
「それならハムカツと呼ばれる新商品を販売する露店が、北門辺りに出店しているとのことですが――」
「まあ! ハムカツですの!」
「聖女様はハムカツをご存じなのですか?」
「ええ、修行の時に――師匠と共に異世界を旅した経験がありますので。コンクリートと呼ばれる素材を用いられたジャングルのように連なる要塞だらけの都市で、何度か口にしたことが」
情報を引き出せた衛兵は、少しほっとした顔をしてみせる。
これを報告すれば国への多少の貢献となる。
彼ら衛兵は自ら志願して衛兵となったもの、流浪となっていた中で自分たちを受け入れてくれた今のこの国に感謝しているのだろう。
女性衛兵が問う。
「聖女様は、その……山脈帝国エイシスの一部を任せられている、領主様、なのですよね?」
「はい、まだ未熟な身でありますが――イーグレット陛下から大切な土地の一部を貸し与えられ、治めておりますわ」
「かの聖女様にご滞在していただけているのはとても嬉しいのですが、領地の方は大丈夫なのですか? もうすでに一週間ほど過ぎているそうですが」
それは領地を空けて平気なのかという純粋な疑問だったのだろう。
領主とは基本的に自国を空けぬ存在。
この国の王、キース=イシュヴァラ=ナンディカ一世が金印を通じて土地に魔力を満たしているように、領主ならば領地に滞在し、魔力を流し続ける義務が生じる筈。
女性衛兵にはそんな知識が刻まれていたのだろう。
「ご心配には及びません。わたくしの暗黒迷宮はダンジョンですので、自動で魔力が発生しつづけておりますし――なにより、わたくしの留守は信頼できる方にお任せしておりますので」
「信頼できる方?」
女性衛兵は考え。
「ああ、聖コーデリア卿は魔境を傘下としていると聞いたことがあります。あの魔皇アルシエルを調伏し、属国……いえ、優位な同盟関係を築いていると」
「アルシエル陛下にもとてもお世話になっておりますが、ふふふふ、少し違いますわ。今、暗黒迷宮の領主代行をしてくださっているのは、とある聖騎士の方ですの」
「聖騎士様。というと、再編されたギルドに所属しているアシュバラン殿や、教会に籍を置く神殿騎士シュナイザー殿などですか」
女性衛兵が有名な聖騎士の名を次々に告げているが、聖女は全て首を横に振り。
「実はわたくしに弟弟子ができまして。今、一時的に暗黒迷宮を治めながら軽い鍛錬をしている最中ですのよ」
軽い鍛錬。
聖女の漏らす言葉に、珍しくコボルト達が聖女を否定するようにモフモフな首をぶんぶん、横に振っていた。
不思議に思ったのだろう、すでにコボルトにも慣れている女性衛兵が大きな瞳をキョトンとさせ。
「あの、コボルトさんたち、どうしてそんな顔をなさっているのです?」
問われたコボルトたちは尻尾を股の隙間に隠し、耳を下げ。
だって、あれは。
なあ?
地獄以上の地獄の訓練……。
と、怯えた様子をみせてブルブルブル。
自分よりもはるかに強いコボルトが怯える様子に、女性衛兵は困惑。
聖女に言う。
「あのぅ……軽い鍛錬っていうのは」
「普通の鍛錬ですわよ? たまにしか死にませんし、死んでもすぐに自動蘇生されますから安全ですし。なにより本人の強い希望もありましたので」
「え? いや、蘇生されるから安全って、死んでる時点で安全じゃないですよね!?」
「え? でも、強くなるにはそれくらいの努力が必要ですし……なにしろあの方、わたくしと同じくらいに強くなりたいと師匠にお願いしていましたから――」
なにやらピンと来たのか。
女性衛兵が若い乙女としての顔で、ニマニマしながら言う。
「同じくらいに強くなりたい。ははーんなるほどです、つまりその方は聖コーデリア卿にそーいう感情を持っているのですね」
「そーいう感情、ですか?」
「ああ、ああ、いいのですいいのです聖女様。自分も乙女の端くれ、そーいうムフフなことは上に報告はしませんので。ああ、いいですよねえ、青春ですよねえ」
女性衛兵が妙な納得をする中。
ちょうど買い漁りが終わったのだろう、転移で戻ってきた魔猫師匠が言う。
『はははは、無駄さ。コーデリアくんはそーいう事に疎いからね。私の弟子となった今の彼の心はもう読めないだろうから、たぶん本人は気付いていないよ』
「もう! 酷いですわ師匠。わたくしにだって分かります!」
『おや、じゃあ彼は君をどう思っているのか。言えるかい?』
「はい、あの方はきっと――また三人で過ごしたあの日々に戻りたいのですわ」
あぁ……やっぱし……とネコが頭に肉球をポンと乗せ苦笑する中。
聖女が過去を懐かしむ顔をする横。
女性衛兵は事情が分からず、キョトンとしたまま大きな瞳で魔猫を見上げ。
「というか、なんなんですか聖女様。このかわいいけど生意気なモフモフは。空を飛んでいるという事は、魔術を扱う魔獣だとは認識しているのですが……」
「わたくしの師匠ですわ」
「猫がですか?」
「まあ! ふふふふふ、そうですわよね、ただのかわいらしい猫ちゃんにしか見えませんわよね。わたくしも、初めて師匠に会った時はそうでしたもの」
聖女の言葉を冗談と受け取ったのか。
女性衛兵は、はぁ……と言葉を濁し――懐から取り出した干し杏子を魔猫師匠に差し出し。
「えーと、あげちゃっても大丈夫です? 友達から送られてきた干し杏子なんですけど」
『くくく、くははははは! 人間の小娘よ、貢物とは感心であるぞ! 我のポンポンはまだまだいくらでも入る、良いぞ、良い。好きなだけ貢ぐがよい!』
宙を浮く、ちょっと太った猫が衛兵から干し杏子の包みを受け取り。
むふぅ!
むっちむっちと噛み切った果実から甘い香りを漂わせつつ。
『ともあれだ我が新しき弟子、ミリアル……こほん、ああ、この国でその名はまずいか。とにかく彼はよくやっているよ。強くなりたいって私に弟子入りを志願するなんてなかなかどうして面白いからね。早く強くなりたいって事だったから、うん、あれだよ。彼には私の特別メニューと講師がついている。どう転がろうと絶対に強くなること”だけ”は保証するよ!』
「だ、そうですわ。修行と暗黒迷宮の維持の両立は難しいですが、それも修行とのことなので」
『今頃は時間を操作した独立空間の中で、永遠に発生し続ける魔物の群れと戦う訓練をしている筈。短時間で十年分ぐらいの時間が経つ修行をしているし、それなりには強くなってるんじゃないかなあ』
女性衛兵には理解できないのか。
はぁ、と言葉を濁しているが。
コボルト達の様子から察するに、その領主代行が、それなり以上の過酷な修行をしているのは確からしい。
「えーと、上司に報告しないといけないんですけど。今の内容は」
『ああ、伝えてもらって問題ないよ。私たちは別に何か”深い”理由があってここに来ているわけじゃない。それを証明したくもあるからね』
「それなんですけど、お二人は本当に遊びに来ているだけなのですか?」
女性衛兵は聖女と魔猫を交互に見ながら告げていた。
「ええ、本当に――他意はありませんわ」
「そう、ですか……」
「あの、なにか?」
「いえ、そのわたくしごとなんですけど……聖女様には昔、わたしのお父さんとお母さんが助けていただいた御恩がありまして。その……聖女さまに、いつかお礼を言いたいって、まだ喋れる時にはずっと、言ってましたので。この地、イシュバラ=ナンディカに残ってくれたらいいなって、そんな、夢みたいなことが頭をよぎっていたので」
女性衛兵は少しだけ遠くを見る顔で微笑んだ。
心が読める聖女にも、魔猫師匠にも見えていた。
おそらく、既にその両親は亡くなっているのだ――と。
◇
衛兵たちが監視を交代するというので、素直に待機している心優しい聖女コーデリア。
太陽が温かい白い階段に腰掛け。
彼女はぼそりと、魔猫師匠のみに聞こえる声で呟いた。
「国の名が変われば、聖女の心にも変化がある……もはやこの地に恨みもない身――彼らにはそう見えるのでしょうね。実際、わたくしはもうほとんど恨んではいないのですが」
『ここに残ってくれなんて言われても、もう領地があるからそれは無理だし。君は今の領地と、追放された君をはじめに受け入れてくれたあの国を愛している。心が変わることは絶対にない。だから……今更だって事かい?』
「はい。ですから、期待させてしまっているのは少し悪いことをしている気分になってしまいます」
それでも。
聖女を眺める視線にあるのは期待。
クラフテッドは終わった。だから、聖女様も帰還してくれるのではないか。
そんな視線ばかり。
それが悪いわけではない。
けれど。
「彼らもわたくしがバケモノのような存在だと知ったら。同じ反応をしてくれるかどうか、それも少しわかりませんわね」
『暗黒迷宮やエイシスなら問題ないのだろうけどね。人間は自分よりもはるかに強い存在には畏怖を抱く。良くも悪くもね。私の見立てではこの国の気性は、善の方向にのびている。君はおそらくこの国でも尊敬され、神のように崇められる聖女にはなれると思うよ』
もしかつての故郷の地に戻るとなっても、問題ない。
師匠のお墨付きに苦笑しながら。
聖女が言う。
「それで、師匠」
『なんだい、弟子』
「師匠の目的がグルメであることは間違っていないでしょう。おそらくそれが最優先だという心に偽りはないのだと、わたくしは知っております。けれど、この地に来たがっていたのは、ほかに理由もおありなのですよね」
『まいったね、断定かい?』
「わたくしは師匠が嘘を言っていないことを知っています。けれど、あえて語らない事や、あえて言葉遊びにしてはぐらかす癖があることも知っています。キース様や、ミーシャは気付いていないようですが……この国に、なにかあるのですよね?」
聖女の言葉に魔猫が言った。
『さすが私の弟子だ。よく把握している』
「語ってはいただけないのですか?」
『語る語らないの問題じゃなくて、んー……なんて言ったらいいのかなぁ』
魔猫師匠は顎に肉球を置き、んーみゅと目視可能な魔力文字でコミカルなネコ吐息を漏らした後。
魔猫は言った。
『実はね、私も――この国の名に引かれて来たんだ』
自分も該当者。
新国王キース、そして喪服令嬢のしかけた釣り針に――かかっているのではないか、と。




