第051話、美しき怪物
世界には一つの都市伝説が流れていた。
黄昏になると音が鳴る。
それは鋼鉄のドレスを引きずる音。
アイナ=ナナセ=アンドロメダ、アイアンメイデンの女が現れる音。
影を纏った美しい顔の、しかしどこか狂った表情をした清楚な女の殺人鬼が出るという。
アンドロメダは朝には動けない。
だから夕刻と夜に行動を開始するのだ。
問題はそれが都市伝説ではなく、実在する怪奇だということ。実際、噂の怪奇の被害を受けた国は徐々に増えようとしていた。
ここ、夜と霧の国セブルスもその一つ。
クラフテッド王国より遥か東に在る秘境だった。
永遠のトワイライト。
黄昏色と夜の世界――時刻はまだ昼前だというのに、セブルスの街並みは沈んだ夕日の中で妖しく蠢いている。
この街の住人はアンデッド化された人間ばかり。
主な人口層は吸血鬼。
赤き血を好み、夜を纏う闇の貴公子淑女たち。
六割がヴァンパイアの血統で、二割がリッチや死せるジェスターなどのゾンビの派生職。残りの二割がいわゆる実体のない幽霊に分類される、幽体系のファントム種。
彼らは朝陽を嫌う故に、王たる吸血鬼が常に霧と闇の結界を展開。
結果として、朝から夕刻までが常に黄昏時となり――夜に浮かぶ月は常に満月。他国よりも夜に多くの魔力を得ることができる特殊エリアとなっていた。
セブルスの国王にして、国の名を背負うのは凍てつく美貌の伯爵。
玉座に鎮座する者――ミッドナイト=セブルス。
種族は永遠を生きる吸血鬼種。
職業はヴァンパイア伯爵王とよばれる、騎士王の亜種にあたる君主職である。
セブルス伯爵王は豪奢な異装を纏った美男美女を侍らせ、黒き美酒がなみなみと注がれたグラスを傾ける。
イメージは美しき野獣伯爵、といったところか。
筋骨隆々とした体躯。自信に満ちた赤い瞳。着込む礼装の所々に白銀狼の獣毛が靡いている。それは自身が狼へと変身した際に月夜で輝くプラチナ色の獣毛だろう。
もふもふ礼装などと親しい部下は呼んでいるが、本人の耳には伝わっていない。
猛獣の如き瞳を尖らせセブルスは悩んでいた。
自領の民をアンドロメダに殺されていたのだ。
不死ともいえる吸血鬼が殺される、その表現自体には彼自身も違和感を覚えていたが――実際に被害に遭っている吸血鬼がいるのだから、別の言葉を探すことよりも、その対応に思考を回していた。
そもそも何故、実質的な王族のいない吸血鬼もアンドロメダに狙われるのか?
理由はすぐに分かった。
この国に生きる吸血鬼の多くは、かつて他国で貴族や王族だった者。
他国で事故や魔術でアンデッド化し、国から追放され、この地に流れてきたものが多いのだろう。つまり王族の血を狙う謎のアイアンメイデンにとって、この地はまさに絶好の狩り場なのだ。
さすがに血が採取できないゾンビ種や、ファントム種に被害者はでていないが。
伯爵王セブルスの凍った美貌から、声ある氷の吐息が紡がれる。
『一夜にして古き異国の王族三名が襲われ、命を落とす……か。舐めた真似をしてくれる』
妙に硬い声には王としての貫禄が滲んでいる。
永遠の寿命ゆえに、長く生きる彼の言葉は少し古い。
侍る美男美女が顔を上げる中。
セブルスの部下たるゾンビ種――道化の姿をしたアンデッド道化師クロードが言う。
「これはこれは陛下、お長い溜息で――魔力に反応なさるそのもふもふ礼装まで、怒髪冠を衝くか如くぶわりぶわりと靡かせて――はて、いったい、セブルス様? どうかなされたのですかな?」
『もふもふ……?』
「おっと、これは失敬。存外に愛らしい衣装の呼び名は、部下たちだけの秘密でございました。忘れて下さい、ええ、どうか、忘れて下さい。別にワタクシは陛下の御身を包むふわふわモコモコの服が、まるで羊みたいで可愛らしいなぁなどと、不敬なことを言うつもりはございませんので!」
道化師クロードの仕事は王の側近。
道化でありつづけ、文官や武官たちが言えぬ言葉を冗談交じりで伝える危険な職。王の機嫌を取らずともよい、王に不敬を働いても許される、だが下から上がってくる忠言は必ず通す。
極めて重要な役回りと言える存在だった。
むろん、王の機嫌を損ねていい限界ラインを間違えると、その首は胴から切り放されるだろうが。
『ふむ――それも詮無き事』
「おや! でました! 陛下がよく分からないときにお使いになる、詮無い発言! とりあえずそれを口にすれば、それっぽいというアレでございますね!」
『……道化芝居はもうよい、それで何用だ』
王の機嫌を眺め、道化は見事に言葉を挟む。
それは真面目な口調だった。
「それが、犠牲者たちの復活を行う祭壇に……妙な小娘が現れまして」
『小娘?』
「そのような顔をなさらないでください。いつもの余興ではありませぬ――これは極めて政治的、極めて現実的な問題でありまして。判断を仰ぎたいと」
道化師クロードの言葉はいつも適当だが、今日だけは違う。
王に従う家臣たちも頷いていたのだ。
事実であります――と。
『聞かせよ』
「実はですね――」
道化は語る。
現れたのは異邦人。
聖コーデリア卿と名乗る栗色の髪の乙女。
絶世の美女が突如、黄昏結界内に出現。
アンドロメダに抱き着かれ、殺された不死者達の肉体を再生させ――その魂を不死者としたままに蘇生させたというのだ。
犠牲者を元に戻した彼女は今、セブルスの街の外れ。
死者すら住めぬ毒沼地帯を領主から購入し、一瞬で砦を築き魔物を大量召喚。
見たこともないもふもふなコボルトを従え、こう宣言しているのだという。
「トワイライトを治める伯爵陛下、どうかわたくしとお茶などいかがでしょうか――と。これがその招待状でございます」
言って、道化は王に封蝋されたレターを差し出した。
ミッドナイト=セブルスの野性味を帯びた赤き瞳に、鑑定の魔術が走る。
『不死者さえも不死者として蘇生させる聖女。其れは聖なる神の奇跡のみならず、闇に准ずるネクロマンシーにも造詣が深き証。聖コーデリア卿。数か月前、魔物の大量移動が発生した際に噂された迷宮女王の名であると記憶しているが。はたして――』
「おや、考え事ですか?」
『当然であろう。その小娘は国境を守る余の結界を素通りし、浄化できぬ毒沼を浄化し城塞召喚魔術を行使。それだけでも恐ろしき事であるにもかかわらず、その蘇生技術……迷宮女王コーデリア。いったい――何者だ』
道化が文官から資料を受け取り、大げさな仕草で咳払い。
「つい数十年前、エイシス十二世が暴れていた人間の土地。山脈帝国エイシスの辺境地、暗黒地帯の新しき領主となった聖女だとは噂に聞いておりますが」
『そもそもだ、あの暗黒地帯を領地としていること。其れ自体が異常なのだ』
長く生きるミッドナイト=セブルスには何かが見えているのか。
玉座に深く腰掛け、吐く息は重い。
漏らす氷の息が深いせいか、闇属性が付与された雪の結晶を出現させている。
道化が言う。
「御所望でしたら捕らえてきますが? なにしろ聖コーデリア卿は美しいと風の噂には聞いております、その容姿、立ち居振る舞い、全てが清楚でまるで神が作り出した奇跡のような乙女だと」
『噂などあてになるまい』
「まあおっしゃるとおり、容姿などどーでもいいのですけれどね。しかしその力は本物でしょう。この国の災いとなる前に、陛下の美貌とカリスマで魅了しその首筋をがぶり――これが一番手っ取り早いと思うのですが、いかがです?」
『我が国への不法侵入――許容できぬのは確か、か』
告げて、王たる吸血鬼は遠見の魔術を発動させる。
千里眼や、遠くを見る鷹の目。
そう言った類の遠距離を視認する力の中で、遠見の魔術は上位に位置する禁断の術。
赤き瞳が、毒沼だった地帯に建った砦を眺めていた。
聖コーデリア卿。
その顔を拝んでやろうと、力を行使したのである。
いっそ、瞳を合わせてそのまま魅了するという手もある。
実際吸血鬼には目線が合ったモノを魅了状態にする種族スキルが存在する、そしてミッドナイト=セブルス伯爵王は野性味あふれる美貌の王。
昏くワイルドな容姿端麗さは、まるで神が生み出した芸術。
攻略対象という謎のカテゴリーに分類される、特殊人物のようだった。
吸血鬼の伝承通りに顔立ちは強面だが――心臓が止まってしまう程に、美しいのだ。
その野性的な牙に首筋を差し出し、自らをイケニエにと跪く男女は多く存在する事だろう。
もっとも、セブルスは無闇矢鱈に眷属化の契り、いわゆる吸血行為を交わす気はないようだと臣下たちは知っていた。実際に今、脇に侍らせる者たちは彼のお気に入り。魂と心を気に入り、相手が永遠に侍り続けると心から誓った場合のみ、彼はその首筋に熱く硬い牙を突き立て、肉を抉り血を啜る。
たしかに、吸血して眷属にしてしまえば話は早い。
だが。
永遠のトワイライトを支配する王の魔力は、揺らいでいた。
目が合ったのだ。
砦の中に美女がいた。
誰にも気づかれぬ筈の遠見の魔術に割り込み、にっこり微笑み手を振っていた。
王はこう思っただろう。
ぞっと背筋を凍らせただろう。
見ているのではなく、見られている――と。
バキン。
遠見の魔術が解除される。
『っぐ……!?』
ミッドナイト=セブルスはぞっとするほどの嗚咽を堪えるように、正常に動かぬ不死者の肺を揺らしていた。
魔術が妨害されたのではない。
本能が――これ以上、やつを見るのは危険だと判断していたのだ。
魔術を解除し。
髪を掻き上げ。
王が言った。
『命令だ――聖コーデリア卿。ヤツへの干渉を禁ずる。これから先、全ての行動が薄氷を履むが如く――慎重に動け』
「はて……彼女が不法侵入しているのは事実。こちらはただ自衛のために行動するのみ。それにです、いいですか陛下――眷属化させた後で解除すれば問題ございませんでしょう? 我等はあの侵入者の一時的な隷属化こそが、我が国の利益となると判断しておりますが……」
いつもの道化である。
いつもの姿である。
だから他の文官たちも動じていない。他の武官たちも気にしていない。
しかし――。
次の瞬間。
城を揺するほどの怒声が、その牙の奥から飛び出ていた。
『愚か者が――!』
「へ、陛下?」
道化芝居を忘れた道化の、本音の声音が漏れていた。
他の者も何事かと顔を上げる。
王に侍るヴァンパイアたちも、普段にはあり得ない王の姿に動揺を隠せないでいる。
こんなときも発言できるのはやはり道化師だった。
ただいつもより声は硬質的だった。
「申し訳ありません、陛下。しかし――いったい、どういうことでしょうか? 畏れながら……おそらくはワタクシだけではなく、他の者も理解できていないかと」
玉座を掴む手を震わせながら。
それでも威厳を保ちながら。
ミッドナイト=セブルスが家臣たちを赤き瞳で見渡し。
『道化師クロードよ。あの卿には絶対に手を出すな――他の者もだ。厳命する、どんな些細な無礼も許さぬ。ヤツの機嫌だけは絶対に損ねてはならぬ』
「触れれば即座に折れてしまいそうな、人間如きの聖女が、いったい……」
道化ではない武官が声を上げた。
だからこそ、王は声を張り上げたのだろう。
『――分からぬのか!?』
美貌の野獣王。
全てのアンデッドの頂点に君臨するとまで謳われるヴァンパイア伯爵王。ミッドナイト=セブルスの氷の表情が揺らいだのは、何十年ぶりだったのだろうか。
王たる男はワイルドな鼻梁に、吸血鬼特有の巨大な手を当て、ぐぎぎぎ……。
指の筋を軋ませ、まるで怯えるような声で言った。
『決して敵にしてはいけない部類の存在と心得よ――余ですら敵わぬ、頂で見下ろす類の超越者。蠢く邪神がこの世界に根付いているのならば、それを凌駕する異物。あれは――ああ、間違いない』
聖コーデリア卿。
セブルスはその力の末端を覗ける実力者だったのだろう。
だからこそ、その畏怖と戦慄が彼を震わせるのだ。
『余以上のバケモノだ――』
わずか数分の透視。
わずかの観察。
ただ姿を眺めただけで、彼女は不死者の王の肌に浮かばぬ筈の汗を浮かばせていたのだった。
ミッドナイト=セブルスは思う。
直接自分が赴き、その動向を探るしかない、と。
永遠のトワイライトを支配する王が、その重い腰を上げる。
軋む翼が、開く――黄昏の街に蝙蝠の気配が無数に広がる。
聖女の訪問の影響か。魔境に続きこの国でも歴史がまた一つ、動こうとしていた。
蝙蝠たちが――黄昏の中を飛翔する中。
伯爵王は思う。
これは――他国からの恐ろしき挑発、或いは秤にかけようとしているのだと。
むろん、聖女本人にそんな自覚はない。
彼女は伯爵王が来てくれるはずだと、ほわほわな顔でワインを用意し――花の笑み。
微妙に異なる温度差の中。
統治者たちの会談が始まろうとしていた。




