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第32話 帰省

2019/9/1 17時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

 少し見上げた空から木漏れ日が差す。チカチカと瞬く視界で、目の前の人のフードがふわりと揺れた。その風に乗って、長年嗅ぎ慣れた匂いが未久の鼻に届いた。目を見開いてその人の顔を覗き込むが、フードの影ではっきりとはわからなかった。


 未久がフードの人に支えられたままでいると、その人は心配そうに顔を覗き込んできた。


「お嬢ちゃん、具合でも悪いのかい?」


 そこで未久はやっと我に返り、その人の腕から離れた。


「あ、いえ。ありがとう、ございます……」


 目の前の人からわずかに距離ながら、その人の全身を見渡す。頭から足先までマントで覆い、背中を少し丸めているためか、背はリナよりも小さい。その低いしゃがれた声から、彼が老人であることは容易に想像がついた。しかし、未久は小首を傾げる。


「そうか、大事がないならよかった。君の友人たちに心配かけないためにも、身体には気をつけるんだぞ」


 老人は踵を返し、彼女らから離れていった。その背中は不自然に左右の肩を揺らしながら、ゆっくりと森の奥へと消えていった。


 その姿を見つめたまま難しい顔をしている未久を、カエルムは覗き込んだ。


「ちょっと未久、どうかしたの? 変な顔をして、ふらふらするし」


 未久自身よりもカエルムの方が難しい顔をしているように感じた未久は、一度だけくすりと笑った。


「ごめん、何でもないよ。ただ……」


 もう一度視線を老人が消えた森の奥へと向ける。風が道に沿うように流れ、未久は森へと誘われているように感じた。


「懐かしいなって思ったの」


 老人のマントの中から微かにある匂いがした。それは生臭く、しかし力強いとも感じた、長年隣にいた男からしていた匂い――肉食の鳥類の匂いだった。




 老人は三人の少女と出会った後、徐々に川から離れていくようにしてある山の方角へと歩いていった。時折空を見上げながら何かを確認し、ギャップと呼ばれる木々が生えていない開けた場所で足を止めた。そこには彼よりも背が高いマントを羽織った老人がいた。


「なかなか戻ってこないから、どこかでくたばったかと思ったぞ、大雅」


 背の高い老人は大袈裟だと思われるほど大きなため息を吐いた。大雅は足を引きずりながら老人に近づき、苦笑した。


「俺だって、そう何度も死にたくねえよ。まあ、君のエタがいなけりゃ、どっかで野垂れ死んでたかもな」


 上を見上げると、上空でラナーハヤブサが旋回していた。老人が指笛を一度だけ吹くと、エタは急降下して彼の左腕へと降りた。その姿を大雅は目を細めながら眺めた。


「あれから随分と成長したな、衛次」

「何十年前の話をしてるんだよ」


 二人は互いの肩を叩きながら笑い合った。


 道中、大雅は衛次の肩を借りながらゆっくりと歩いていた。衛次の歩幅はいつもより小さく、彼と離れていた時間を埋めるように踏みしめていた。


 顔を隠していたフードから覗くようにして、大雅は衛次を見上げた。


「君もだいぶ老けたな」

「お前の苦労に比べたら、全然だろ」

「ちげえねえ」


 乾いた笑いが短く漏れる。衛次も笑い話にするように声を小さく重ねた。しかし声は途切れ、沈黙が流れる。土の上を引きずる音が時を削っているように聞こえ、堪らずに衛次の口から弱々しい声が漏れた。


「よく……生きられたな」


 衛次はただ前を向き、大雅は足元をじっと見つめた。思い通りに動かなくなった左脚は痩せ細り、何の役にも立たない飾りのようになっていた。大雅は俯いたまま、ぼそりと呟いた。


「だが、彼女は助けられなかった……」


 震える声は最後には消え去り、足を引きずる音だけが残った。


 衛次と大雅が再会したのは、今から数日前のことだった。


 衛次は直前に立ち寄った集落で、ある老人の噂話を耳にしていた。噂の老人は頭から足まで全身をマントで覆い隠し、不気味にこの周辺を徘徊しているという。その老人に話しかけると、「決して先へ行ってはならぬ。一度足を踏み入れたら、二度と出てこれなくなるぞ」と物騒な物言いで追い返される、とのことだった。


 集落の人にその老人には関わらない方が良いと言われたが、目的地はその先にあるので衛次は前へ進む他なかった。


 歩いていると霧雨が降り始め、少しずつ体温を奪っていった。肩に乗っているエタはしきりに羽繕いをし、落ち着かない様子である。


 衛次はどこかで休もうと辺りを見渡した。すると、森の奥で人影が見えた。その人はゆっくりとこちらに近づいてくる。目を凝らすと、その人は頭から全身をマントで覆っており、顔が全く見えなかった。


 小さな雫がいつの間にか一つの水滴となり、冷たい線を作って頬を伝った。音もなく降る雨は衛次の足を止め、二人の距離を縮めさせた。


 マントの人は衛次の近くまで来ると、下を向いたままぼそりと言った。


「君はどこへ行くつもりだ?」


 しゃがれた声が、彼は老人であることを物語る。噂の老人であると確信した衛次は、彼を刺激しないように静かに答えた。


「この先の森だ。大樹の(ふもと)に用がある」

「この先へ行ってはならぬ」


 集落で聞いた言葉が老人の口から零れた。老人はマントの奥に隠れている杖で二度地面を叩き、自身の手を見つめながら言った。


「この先は呪われておる。帰ってこれなくなるぞ」


 老人は単調的に喋っているようだったが、言葉の節々に自責の念が感じられた。長年何かに縛りつけられ、独りで苦しんできたのだろう。誰にも語ることはできず、誰にもすがることができない。一人にのしかかる重荷にただ耐え続けることは、衛次が過ごしてきた日々そのものだった。


 衛次は過去を飲み込み、前を向いて目を細めて笑った。


「忠告、感謝する。だが、それでも構わない。俺の帰る場所はこの先にあるからな」


 エタが大きく翼を広げる。羽に付いた雫は飛び散り、雲の隙間から差し込む日の光が反射した。その羽音に引き寄せられるように、老人はやっと顔を上げた。フードから覗くその顔は、衛次が見る頃には歪んでいた。


「衛次じゃ、ないか……。よかった……無事で――」


 老人は衛次にすがりつき、唇を噛み締めた。肩は小さく震え、全身を覆っていたマントがずれる。その隙間から見覚えのあるバンダナが目に入った。それに驚きを隠せず、恐る恐るその名を呼んだ。


「大、雅……なのか?」


 老人は震えながら、しっかりと頷いた。それを見た衛次の頬には再び雫が伝っていた。それは先程とは異なり、大きく、温かいものだった。


 あれから共に歩き続け、道中で互いの経緯を語り合った。衛次は、再び未久と共に世界を巡り、デウスに向けられる眼差しを直に目にしてきたこと、砂漠の地で彼女が旅立っていったことを話した。


「あの赤ん坊がそんなに大きくなったのか」

「今年で十になるからな」


 二人はあの妖しく、美しい夜を思い出していた。アフロディから逃げてきた憧子はたくましく、とても美しかった。そして、我が子を抱いた時の優しい顔は、今でも鮮明に思い出すことができる程愛しいものだった。


 衛次の肩にかかった大雅の腕に力がこもる。しかし衛次は知らぬフリをして、顔を前へ向けたままでいた。大雅は俯き、フードの影が大きく顔にかかる。そして引きずる脚に手を添え、なぞるように言葉を漏らした。


「俺、は……俺たちはあの後、追手に見つかった」


 衛次はわかっていた。あの銃声はそれを意味していると、そしてもう二度と二人には会えないのだと語っていた。だからこそ、大雅が今ここにいることが不思議でならなかった。


 衛次は何も言わず、歩き続けた。その横にいる大雅は、奥底に仕舞ったものを一つ一つ引き出すようにゆっくりと話し出した。


「周りを警戒しながら逃げていたつもりだったが、不意を衝かれた」


 一発目の発砲でやっと大雅は追手に気づいた。それは音によってではなく、痛みによってだった。左脚の太股に焼かれるような痛みが走り、思わずバランスを崩して倒れこむ。それを気にかけた憧子も足を止めてしまった。


 止まった的は猟師にとって格好の餌である。大雅が倒れてから程なくして、再び二発の銃声と共に胸に痛みが走った。


 体を起こす力よりも痛みが勝り、月がより遠くなった。横たわる視界の端に憧子の姿が映る。大雅は手を伸ばそうとしたが、それも諦めた。彼女からも鮮血が流れ、それは彼女の頭から辿られたものだった。


 彼女はほんの数メートル先にいるのに、手も声も届かない。大切なものから逃げ、守ろうと思ったものさえも守り切れない無力さは、大雅自身を責め立て、そして生きる気力を削ぎ落とした。


(もう、いいか……。俺が頑張っても、変えられるものはもう何もない)


 大雅の視界は閉ざされ、追手の足音が遠ざかっていった。


 暗闇の中で懐かしい声が聞こえた。最後に聞いたのは何十年も昔だが、誰の声だか容易にわかった。


(死んだ兄貴たちの声、か……。懐かしいな)


 大雅は身を委ねるように、強張った身体から力を抜いた。すると兄たちの声が近づき、真上から降りかかってきた。


「もう諦めんのかよ」


 その言葉に体が勝手に反応し、起き上がる。目の前には亡くなる直前の姿の二人がいた。大雅は体を起こしているにも関わらず、二人と距離を感じる。しかし構わず言い返した。


「俺は十分頑張ったんだよ! 兄貴たちが知らないだけで、俺は……!」


 今までの苦しみがこみ上げ、涙として零れ落ちる。涙は地面についている手の甲へと落ち、それを辿るようにして大雅は俯いた。すると視線の先にある手が小さく、自身が幼少期の身体であることがわかった。目を見開きそれを眺めていると、下の兄が静かに言った。


「悔いはないか?」


 大雅の小さな身体がびくりと震える。幼少期から兄たちの言葉は大雅の心を見透かしているようで、嫌いだった。しかし兄たちから目を背けることもできなかった。


「現世にまだ大切な人がいるが、それでも悔いはないか? ないなら、俺たちの手を掴めばいい。これで楽になれる」


 兄の大きな手が目の前に差し出される。それがどんなに安心できる場所か知っていた。しかし、昔から大雅は彼らに歯向かうことしかしてこなかった。目の前の手を払い、立ちはだかる彼らを睨んだ。


「悔いがないわけないだろ! 女みたいに鷹匠にされて、周りから馬鹿にされて、男として生きていこうとしても誰一人守れない。だからってな、誰が兄貴の手なんか借りるか! 俺は俺として、まだやれることが、やるべきことがあるんだよ!」


 すると、大雅の身体が徐々に熱くなっていった。それと同時に、視界に(もや)がかかり始め、兄たちの姿がかすれていく。はっきりとわからない輪郭の中で、兄たちの口角が上がったように見えた。それを目にした大雅は、またしてやられたと嘲笑った。


 目を開くと木漏れ日の中、目の前で憧子の亡骸が横たわっていた。月夜の下でしか彼女の顔を見ていなかったが、亡くなっていても美しいと思った。


 おもむろに自身の体を起こそうとすると、胸に痛みが走った。胸にも銃弾が当たったことを思い出し、傷口に手を当てた。しかしさほど出血はしておらず、急所は外れたのだと思われる。銃弾が当たった左脚にも手を伸ばしたが、そちらは感覚がなくなっていた。


 今の状況を飲み込もうと、大きく息を吐いた。衛次はあの赤ん坊を連れて逃げている。しかし彼女が守ろうとしたもう一人の娘はデウスであり、まだこの森の中にいる。


 息を吸うと同時にゆっくりと目を開き、辺りを見渡す。ならば、その娘の力になるために生きようと、近くにあった枝に手を伸ばし、それを自身の支えにした。腕に力を入れて立ち上がる。胸に痛みが走るが、右脚に力を入れて踏ん張った。


(守れないかもしれない。だが、彼女の敵を増やさないように、力を貸すことはできるかもしれない)


 自身の非力さを飲み込み、それでも立ち上がることを決心した。


「そんなんで、今の俺はこの身体ってことだ」


 衛次の肩に大雅の体重がかかり、足の引きずる音が続く。今まで黙っていた衛次は、静かに口を開いた。


「……イヌタカはどうしたんだ? あの時のパートナーの」


 大雅は目を伏せた。しかし瞳の奥は安堵しているようだった。


「あいつは……、離脱させ(逃がし)た。あの夜、追手に見つかる前に」

「そうか……」


 上空を飛ぶエタが数百メートル先の木へと降りた。それを見た衛次は、悲しみと喜びが混ざり合った複雑な表情で大雅の肩を叩いた。


「俺たちの旅は一旦ここで休もう。一休みとなるか、終わりとなるかはまだわからんがな」


 目の前は開け、日差しが差し込んでくる。大きなギャップの中には、木造の家がいくつも建ち並び、人々の声が飛び交っていた。

次話「報告」は2019/9/7(土)に更新します。

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