第31話 過去と
長い間の休載と告知からの更新遅延について、大変ご迷惑をおかけしました。
本日から連載再開します。
更新は隔週更新から毎週更新に変更します。
地を蹴ると、無数の光が瞳に飛び込んでくる。その度に視界が遮られ、カエルムの背中がどんどん遠くなる。朝日はゆっくりと昇っていき、草木の隙間から過去の記憶と共に未久を覗いてきた。
未久は数え切れないほどの街や村を訪れてきたが、その中でもオラティオは彼女の人生を大きく変えた街だった。デウスに寛容な人々は彼女に驚きを与え、その影で涙を流す少女がいた。そしてその少女を何でもないフリをしながら支える大人がいた。多くの人々と関わり、深く知ることは今までになく、状況を判断してから行動する彼女にとって身体が勝手に動いてしまうことも初めてだった。
ふと上を見上げると所々木の枝からツタがぶら下がっていた。未久はそれを掴み、走っている勢いのまま地を蹴った。すると体がふわりと浮き上がり、ルクスなしで空を飛んでいるようだった。
ツタからツタに手を伸ばし、体が揺さぶられる。ツタを掴む時、腕から金属がこすれる音が聞こえた。そちらに目をやると、オラティオの前に訪れた村でもらった十字架のアンクが朝日で煌めいていた。
アンクに反射した光が未久の瞳に飛び込む。視界が白くなった一瞬、アンクをもらった時の衛次の顔が脳裏に浮かんだ。アンクを見つめる視界の隅で、彼はどこか悲しそうな顔をしていた。今になって思い出すと、それはなぜだったのか不安になった。
一度カエルムの姿を見失ったが、走り続けると彼女とルクスの姿を茂みの奥に見つけた。近づくにつれてカエルムの怒号も大きくなる。
「この裏切り者! 私たち三人を置いて急にいなくなるとか、あなたそれでも相棒なの?」
未久が彼らの近くに行く頃には、カエルムは目を吊り上げ、ルクスが川縁まで追い詰められていた。その河の水面ではキャロルが「大変そうねえ」と優雅に二人の様子を観賞していた。その様子に未久は苦笑しながら、二人の間に割って入った。
ちょうどその頃にリナも追いつき、最年長がこの場を収めてくれるだろうと未久は安堵した。しかしその期待は一瞬にして裏切られた。
「キャロル! 悠長に笑ってるけど、全部あなたのせいなんだからね!」
未久は期待外れの言葉に呆然とし、いきなり怒りが自身に向けられたことにキャロルは驚き、目を瞬かせた。そんな二人に構わず、リナは続ける。
「あなたがマイペースなせいで、あたしたちは大変な目に遭って……」
そこでキャロルは我に返り、いつも通りのゆったりとした口調で言った。
「あら。でも、まんざらでもないって顔をしてるじゃない」
その言葉にリナは一瞬たじろぐ。しかし負けじと言い返した。
「そんなことあるわけないじゃない! 変な男に会うわ、蛇を食べさせられるわで、大変だったんだから!」
デウスとオーミエ二組の痴話喧嘩が起こり、未久はその間であたふたと動き回った。
その時、未久の脳裏に一瞬いつかの光景が映った。リナとヤチが笑い合う姿、涙を浮かべるカエルムを抱き寄せるラドメスの姿、衛次がコロニーの大勢に囲まれている姿、そしてあの夢に見た少女が赤黒い景色を目の前にして涙を流す姿――。
「ともかく!」
遥か遠くへと連れて行かれそうになった未久の意識は、ルクスの一声で引き戻された。未久は倒れかけていた体を起こし、ルクスへと視線を向けた。
「今は移動するべきだ。いつ人がやって来るのかわからないんだから」
カエルムとリナは「『ともかく』?」と恨めしそうにルクスを睨んだ。その視線に気づいた彼は肩をすぼめて、小声で付け足した。
「言い分なら、移動しながらでも聞けるだろ」
それから一行は北へと進み始めた。三人ははじめ歩いていたが、岩場に挟まれた渓谷になってきたためキャロルの背に乗ることになった。
河の幅はだんだん狭くなり、流れが速くなってくる。キャロルの泳ぐ速さはゆっくりなものの、河の流れの速さに関わらず遅くなることはなかった。
愚痴を言い続けていた二人は疲れ果てたのか押し黙り、カエルムは空を見上げ、リナは水面を眺めていた。未久はそれぞれの視線の先を追う。
水面には数枚の木の葉が浮かび、小さな流れのうねりがそれを回して弄ぶ。その周りでは笑うように光がいくつも反射した。その奥では小さな魚が上流に頭を向けて一点に留まり、それを小さな目が岩陰から窺っていた。上からまた一枚の葉が落ちて、波紋が水中の景色をかき消した。
視線を葉がやって来た上空へと向ける。岸から河を覆うように木々が立ち並び、しかし河に沿って空の道ができていた。左右からは草木のささやきが聞こえ、だんだんと近づいてくる。空も近づき、狭かった視界が開けてきた。
上空で旋回していたルクスが降下してくる。未久はそのまま視線を下へと向けた。するとたくさんの草木に囲まれ、その遠くには緑の山々が連なる景色が目に飛び込んできた。所々にはピンクや黄色の花が咲き、木々の陰から大小様々な動物の視線が向けられた。未久は胸の高鳴りを感じ、息を呑んだ。
「さあ、着いたぞ」
岸にルクスが降り立ち、三人の視線が自然とそこへ集まる。一行には次の目的地が知らされていなかった。しかし誰一人としてここがどこか訊ねる者はいなかった。
キャロルに乗っていた三人は降り、辺りを見回す。今まで巡ってきたどこよりも木々の背は低いが、細かな葉が空を塞ぎ、微かな隙間から光の粒が舞い落ちる。その光はとても優しく、一行をある場所へと導いているようだった。
「知ってる……」
未久の呟きに二人は振り返る。風が小さくなびき、髪と服が揺れる。未久は二人の視線に気づいていたが、そちらへは振り向かなかった。遠くを見つめたまま誰かに言うわけでもなく、ただぽつりと呟いた。
「来たことがあるわけではない、と思う。ただ、私はここを、知っているような気がする――」
その瞬間、未久の目にあの赤黒い景色が飛び込んできた。周りには黒い煙が立ち上り、地は赤黒く染まり、所々炎が揺れていた。近くには川らしき水があり、しかしそこには大きな何かがいくつも流れ、水は赤く染まっていた。家だったであろう大きなものは、頭から削られるように崩れていた。
立ち尽くしていると、どこからか唄が聞こえてくる。そちらへ振り向くと、夢の中で見た少女が立っていた。服は破れ、すすで汚れている。少女の首元には、未久が持っているシャルムと同じものがあった。そして、あの時と同じように少女は涙を流した。
「お願い……」
少女の掠れた声が聞こえる。初めて聞こえた彼女の声に引き寄せられるように、未久は目を見開く。そして再び煙が立ち上る。
「もし、……なら――」
「何?」
煙に阻まれるように少女の声が遠のく。今度こそ彼女を見逃さないように、未久は煙をかき分けるように走り出した。
「待って! まだあなたに――」
どんなに走っても煙は濃くなるばかりで、彼女の姿は消えかかっていた。未久の言葉は届いていないのか、彼女はそのまま続ける。
「どうか――」
あと一歩で彼女に届きそうなところで、彼女は自身の体を抱きしめて声を絞り出した。
「消し去って」
その言葉と共に少女は消え去り、未久の手は空を切った。そして体がぐらりと傾く。視線の先にはぽっかり開いた暗闇があった。未久はそのままその深い闇に落ちてしまいそうになった。
「おっと、危ない」
未久の肩に手が触れる。寂しさに満たされた胸に温かさが流れ込んできた。その安堵に包まれながら、未久はゆっくりと顔を上げた。
「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
その人は三人と同様フードを被り、顔を隠していた。視線を下へと向けると、顔だけでなく体全体をマントで覆い、マントの奥にちらりと杖らしきものが見えた。そしてマントの中から、どことなく懐かしい香りが微かにした。
次話「帰省」は2019/8/24(土)に更新します。




