第27話 片割れ
日差しと潮風に晒され、焼ける肌に雫が流れる。耳に流れ込んでくる波の音は、聞いていた話とは対極的に、驚くほど静かなものだった。
ヤチはそんな海に振り返り、遠くを見つめて続けた。
「それからお姉ちゃんは毎日海に潜って、あの時投げたぬいぐるみとお母さんを探し続けているんです。もう見つからないってわかってるのに、何度も何度もあの暗い海の中で苦しみ続けているんです」
未久とカエルムは口を開くことなく、ヤチをじっと見つめていた。
血のつながらない家族――それでも紡いでいこうとしたつながりは、思わぬことで大事なものが欠けてしまった。その欠けたものをリナは必死に取り戻そうとしている。それが叶わぬことだと知っていても。
それよりも大事なことに気づいているヤチは、リナに振り向いてもらうために必死なようだった。
「ここに居続けたら、お姉ちゃんは苦しみ続けるだけなんです。だから、どうか――!」
「何、勝手なこと言ってるの?」
その声に振り返ると、そこにはリナが立っていた。リナは長い髪を揺らしながら再び三人に近寄ってきた。
「お姉ちゃん……!」
「黙って聞いていれば、勝手なことばかり。あたしは苦しいって思ったこともなければ、ここを出たいと思ったこともないわ」
冷たい瞳でリナに一瞥され、ヤチは唇を噛みながら下を向いた。
「本当にそうですか?」
その言葉にリナは顔をしかめる。視線をその先へ向けると、真っ直ぐと見つめてくる未久がいた。リナは鋭い視線を向けるが、未久は怯まなかった。
「何を根拠にそんなこと言ってるの?」
「今朝、あなたが海に潜っているのを見かけました。何度も何度も潜って、そして時折出す顔はどこか必死で悲しそうでした」
その言葉にヤチはリナを見上げる。その視線の先には、何かを堪えるように握りしめられた拳があった。リナはその拳を隠すように腕を組んだ。
「そんなの、ただの見間違い……」
「それだけじゃありません。あなたは自身の心に蓋をして、自身の運命を悲観しています」
組まれた腕にぐっと力が入った。それを見た未久はそっと呟くように言った。
「知っているんですよ。それがどんなに楽で、どんなに苦しいのか」
言葉は途切れ、それでも視線は交わり合ったままだった。波の音だけが響き渡り、誰も何も発することができなかった。その時だった。
「あーあ、もう見てらんないわあ」
海の方から突然声が聞こえ、振り返ってみるとそこにはキャロルの姿があった。
「え、キャロル!」
「しゃ、喋った!」
カエルムとヤチの素頓狂な声が響き渡る。しかしキャロルはそれに驚く様子もなく、胸びれを上げて答えた。
「皆さん、こんにちは。ねえ、そこの小さなお嬢さん、その抱えているぬいぐるみの背中に小さな穴がないかしら?」
ヤチはハトが豆鉄砲を食ったような顔で、あたふたと手元を探った。
「え、ヤチ? 穴って……あ、あった! って、あれ?」
その穴に指を入れると、ヤチは不思議そうな顔をした。そんな穴があったことを知らなかったのか、リナも顔をしかめてそこを覗き込んだ。
ヤチがそこを何度か弄ると、小さな筒状のものを取り出した。それには切れ端があり、ヤチはその端を持って伸ばしてみた。すると、それは小さな紙が丸められたもので、そこには文字が書かれていた。それを見たヤチは、「これ……」とリナに紙を差し出した。
リナが受け取った紙にはこう書かれていた。
リナへ
この手紙に気づいたのはいつなのかな?
一年? 三年?
もしかして一日だったりしたかな。
ホントは、もっとリナの傍にいたかった。
というより、構ってほしかった。
それで、いっぱいぎゅーってハグしたかった。
でもそんなことしたら、リナにもっと嫌われちゃうよね。
だからお母さんができない分、
リナがこのぬいぐるみをぎゅーってしてくれたらうれしいな。
それで、いつかまた一緒にベネディの外を探検しようね。
お母さんより
リナの手元にある紙はクシャリとしわを寄せた。そしてそこにシミが広がる。見上げたヤチの視線の先には、見たことのない顔をしたリナがいた。
「バカ……。あたしはもっと、ぎゅってしてほしかったんだよ」
リナの呟きが涙と共に紙に染み渡る。波の音はリナに寄り添うように静かに響いた。
涙を拭おうと紙から片手を離すと、その紙の下からもう一枚の紙が手から滑り落ちた。それに気づいたリナは風に飛ばされないように慌てて拾うと、母の手紙よりも古びた紙にきれいな文字がつづられていた。
未来の僕たちの子へ
これは君にとって僕とはじめまして、だね。
君は笑顔で過ごしているだろうか?
本当はずっと君と君の母と一緒にいたかった。
でも君の母に振られちゃってね、こうして手紙を書いている。
見ての通り、君の母は不器用で、自分勝手で……。
そんな彼女に振り回されていないか心配だ。
いや、君が彼女に似てしまっているかもしれないね。
苦労も多いと思う。
それでも、皆で手を取り合って強く生きてほしい。
そして、いつかどこかで会えることを願っているよ。
君の父より
それを目にしたリナは目を丸くした。「父」という文字を何度も繰り返し確かめる。そして母の手紙と見比べ、明らかに字が異なることを確認した。
「なんだ、ホントなんじゃん……」
ポロリと零れた言葉は、リナの心の内にあるしこりを溶かしていった。そして溢れる温かい涙は冷え切った心を満たしていった。
二つの手紙を抱きしめるリナを見たキャロルは、困ったように笑いながら言った。
「本当にあなたたち親子は相変わらず不器用で、自分勝手で、それでいておっちょこちょい」
「な!」
それを聞いたリナは顔を上げて、顔をしかめた。それでもキャロルは言うことを止めず、笑いながら続けた。
「だって、その手紙だってそれぞれのぬいぐるみに仕込んで渡す予定だったのに、逆に渡しちゃってるし、あなたはあなたでありもしないぬいぐるみを探しちゃってるじゃない」
そう言うと、キャロルは尾びれを高々と上げて、何かを投げ飛ばした。それはリナの胸の中にすっぽりと飛び込んできた。驚いて閉じた目を恐る恐る開くと、そこにはヤチの腕の中にあるものと同じマッコウクジラのぬいぐるみがあった。それを受け入れられないリナはキャロルに振り向いた。
「なんで、これ……?」
「あなた、アタクシという存在がありながら、全部自分だけでやろうとするんだもの。だから、勝手に探して、勝手に拾って、勝手にずっと持っていたのよ、マーレ」
今度はその言葉に未久が振り返った。
「マーレって、じゃあ……あなたが海の神様?」
リナはその無垢な瞳にたじろぎ、キャロルを睨んだ。
「キャロル!」
「あら、だってどうせ知られることじゃない」
楽観的なキャロルはあからさまにリナで遊んでいるようだった。
それを苦笑しながら見ているカエルムのもとにヤチが近寄ってきた。ヤチが片手で口を囲い、手招いている。カエルムは身を屈めて耳を近づけると、思わぬ言葉に耳を疑った。丸くした目をヤチに向けるも、ヤチは真顔のまま頷くだけだった。
未だに言い争うリナとキャロルにヤチが近づいた。それに気づいたリナは屈みこんで、ぬいぐるみをそっとヤチに渡した。
「ごめんね、知らなかったとはいえ、ヤチのぬいぐるみを投げちゃって」
ヤチは首を大きく横に振り、元気に笑った。
「ううん、返ってきたからいいの。でも、お姉ちゃんのぬいぐるみもヤチが持ってていい?」
「うん、いいよ。ヤチが持っていたいなら」
それを聞いたヤチは精一杯の笑顔で、泣き出しそうな声で言った。
「ありがとう。大事にするね。それじゃあ……」
その言葉と共に、ヤチは思いっきりリナを押した。不意なことにリナはバランスを崩し、後ろへと倒れる。しかし背は柔らかい毛に包まれ温かさを感じた。と思ったら、いきなり腕を掴まれ、上へと引き上げられた。
何が起こっているのかわからないリナに、涙を浮かべたヤチの顔が向けられる。そしてその顔でクシャリと笑った。
「バイバイ、お姉ちゃん。元気でね」
その言葉にリナは頭の中が真っ白になった。降りようとするも、腕を掴まれて降りられない。
「ちょっと待って、なんで……!」
「お姉ちゃんはお母さんとの約束があるでしょ。お母さんとじゃないけど、探検楽しんできてね」
リナの下で大きな翼が広げられる。風の音が二人の間に壁を作り、お互いの顔しか見られなかった。
「待って! あたしはまだ!」
リナの言葉は虚しくヤチには届かず、二人の手が届かないところまで行ってしまった。
一人白い砂浜に取り残されたヤチは、潮風を感じながら涙を流した。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんはここにいるから……」
静かにささやく波の音が小さな少女を包む。彼女の腕に抱えられた二つは空を見上げ、寄り添い続けていた。
ベネディ編はこれにて終わりとなります。
次話「嫌悪」は2019/1/12(土)に更新します。




