第26話 パルス
これから話す話は、ほとんどヤチたちのお母さんから聞いたことです。だから、本当かどうかわからないものだと思って聞いてください。
ヤチたちのお母さんは、昔から問題児扱いされていたらしいです。それも、一人でベネディから出て行って、数週間帰って来ないことがよくあったから、とのことです。
そしてお母さんが十七の時、お腹を大きくして島に帰ってきました。お母さんによると、相手は無人島で遭難していた人だそうですが、ベネディでは相手のわからない子はさっさと堕ろせとせめぎ立てられました。お母さんもお母さんで、非難されると反発したくなる性格だったので、ベネディの人の声を押し切って出産しました。そうして産まれたのがヤチのお姉ちゃん、リナです。
お姉ちゃんはお母さんの愛情をたっぷり注がれながら育ちました。ベネディの人たちが時折お姉ちゃんを奪おうとしてきたそうですが、お母さんは「この子を殺そうとした奴らなんかに、死んでも渡すもんか」と、舌を出して馬鹿にしていました。
お姉ちゃんが五歳くらいになった頃から、お母さんは再びベネディを時々出るようになりました。それは昔のように長期間ではなく、長くてもその日のうちに戻ってきており、たまにお姉ちゃんも連れて出ていました。
しかしそれから五年後、お母さんはいつものようにベネディを出て行ったきり、一日中帰ってきませんでした。お姉ちゃんは心配で、海岸から離れずにずっと帰りを待ち続けていたそうですが、翌朝お母さんは何事もなかったかのように帰ってきました。そんなお母さんに駆け寄ると、その腕の中には小さな赤ちゃんがいました。それがヤチ自身です。
ヤチは漂流してきたのか、捨てられたのかわかりませんが、お母さんがよく行く島の一つで一人で泣いていたそうです。そして拾われてきたヤチはリナの時と同様、瞬く間にベネディで騒がれました。
その騒ぎはリナにも影響が及びました。浜辺を歩いていると、突然砂などを投げつけられて言われていました。
「やーい、嘘つき姉妹!」
「嘘つきって何よ! あたしがいつ嘘を吐いたって?」
おちょくられるお姉ちゃんは、初めは周りの言葉に反発してました。でも――。
「血がつながらないくせに、姉妹とか言ってるのが嘘だって言ってるんだよ」
「あ、もしかして母親とも血がつながってないんじゃねえの? 家族みんなして嘘つきかよ」
その言葉をお姉ちゃんは自信をもって否定することができなかったんです。お母さんからは親子だとは聞いてましたが、「血のつながった」親子かどうか聞いてなかったからです。本当はヤチと同様、血のつながらない親子なんじゃないか、そんな不安に駆られていたんだと思います。
「嘘ばっかし言ってるヤツはベネディにいるなよ!」
罵声が飛び交い、お姉ちゃんが固まっていく衝撃的な映像がヤチの記憶に刻まれたのは、ヤチが二歳の頃でした。
それからというもの、お姉ちゃんはヤチに対してはもちろん、お母さんに対してもよそよそしくなりました。ヤチはその雰囲気がなんとなく嫌だと感じながらもどうしたらいいかわからず、お姉ちゃんとお母さんの傍を行ったり来たりしていました。
お姉ちゃんのことをお母さんも薄々気づいていたらしく、ある日ヤチの母乳をおすそ分けしてもらっていた人に相談していました。
「なーんか最近リナ、構ってくれないんだよねえ」
「それは年頃的に、反抗期ってやつでしょ」
その人は第二児の母乳を与えながらさらりと答えました。その言葉にお母さんは少し顔を歪めました。
「いや、それもあるかもしれないけど、なんか違う気がするんだよ。なんか、こう……さ!」
お母さんは身振り手振り表そうとしますが、言葉は一つも出てきませんでした。それを見たその人は呆れたようにため息を吐き、母乳を飲み終わった子どもをあやしながら言いました。
「そんな歳の子ども持ったことないからよくわからないけど、自分の気持ちを形として表しとけばいいんじゃないの」
「形として?」
首を傾げるお母さんに、その人は腕の中にいる子どもを大げさに抱き寄せて言いました。
「そう、子どもの好きな食べ物を作ったり、ハグしてみたり」
「ハグはもっと嫌われちゃうでしょ!」
その言葉に高らかに笑ったお母さんは、その後もう少し話をしてからその場を去りました。
そしてヤチが三歳になった夏、事件が起こりました。
その年の夏は嵐が続き、海が荒れて漁に出れない日が続きました。それによりお母さんもベネディから出ることはなく、珍しく家で黙々と何かをやっていました。
そしてその年三度目の嵐が近づいている日でした。遠くの空がどんよりと黒く染まり、海と雲の間に飲み込まれそうな暗闇が広がっていました。海は大きくうねり、白波がそこかしこに立っていました。
波の唸る音に怯えていると、お母さんの明るい声が家に響きました。
「できた!」
その声に驚いていると、お母さんは嬉しそうに何かを背中に隠しながらヤチに近づいてきました。ヤチがお母さんの嬉しそうな顔を覗いていると、お母さんは隠していたものを自慢げに見せてきました。
「じゃーん! お母さんからヤチたちにプレゼント!」
そう言って私の掌にそれを乗せてきました。それは頭が大きくて、長い体をした尾びれのあるぬいぐるみでした。形が歪だったこともあり、それが何であるかわからず訊きました。
「……おさかな?」
「違うよ、ク・ジ・ラ。マッコウクジラだよ」
お母さんはもう一つのぬいぐるみを高々と掲げ、そして潜るように下降させながら言いました。
「マッコウクジラはね、海のすごい深くまで潜れるんだよ。ずーっとずーっと深く、光が届かないところまで。それでまた空がある上まで戻ってくる。だからね、ヤチたちにも何にも見えないところでもどこまででも行きたいところに行ってみてほしいんだ。それで戻ってきたくなったら戻ってくればいい。ね?」
正直言って、この時お母さんが何を言っているのかヤチはさっぱりわかりませんでした。ぽかんとしながらお母さんを目で追っていると、泳ぐように漂わせていたぬいぐるみをお姉ちゃんの胸元にダイブさせました。お姉ちゃんは冷たい眼差しでそれを見たが、お母さんは動じることなくにこりと笑いました。
「これはリナの分だよ。ヤチとおそろい」
お母さんは笑わないお姉ちゃんの顔を笑わそうと、ぬいぐるみを頬に押し当てました。するとお姉ちゃんはそれを手で弾き飛ばし、お母さんを睨みつけるように瞳を鋭くさせました。
「こんなもの、いらない」
お母さんは一瞬悲しそうな目をしましたが、いつものように笑ってそれを拾いました。
「リナってば、ひどいなあ。一生懸命作ったんだよ? お母さんが不器用だって、リナが一番知ってるでしょう?」
「知らない」
お姉ちゃんはお母さんの顔も見ず、冷たく答えました。その冷たさにお母さんの動きは固まり、一瞬時が凍りました。
「知らない。どうせお母さんはあたしのお母さんじゃないんだから」
「リナ?」
「お姉ちゃん!」
お姉ちゃんはそのまま曇天の空の下に出て行きました。お母さんはその異常な姿を咄嗟に追いかけました。
そして白波が打ち寄せる浜辺で、お母さんはお姉ちゃんの腕を掴みました。
「リナ、なんでそんなこと言うの? お母さんはリナのお母さんでしょ」
お姉ちゃんはその腕を掴まれたまま振り返らず、荒れ狂う風の中で呟きました。
「そうだよ。お母さんはあたしのお母さん、ヤチはあたしの妹。血がつながっていなくても家族だって、そう言いたいんでしょ?」
そこでお姉ちゃんが何を言いたいのかわかったお母さんは、お姉ちゃんの肩を掴んで顔を覗き込みました。
「違う! そう、だけど違うよ。確かにヤチはお母さんともリナとも血はつながらない。でも、リナとお母さんはちゃんと血がつながった親子だよ!」
「その証拠は!」
お姉ちゃんは肩に乗ったお母さんの手を勢いよく振り払いました。お母さんはそれによろめき、一歩後退りました。
「血のつながった親子だって証拠はどこにあるの? お母さんのことをよく知る、信頼できる人でもいる? それとも、これを証明できる何かを持ってる? そんな人、そんなもの、どこにもないでしょ!」
荒ぶる風の中に雨が混じり始めました。遠くに見える岸壁には大きな波がぶつかり、砕け散るように飛沫が上がっていました。それを見たヤチは外にいるのが怖くなって、お母さんの腕を恐る恐る引っ張った時でした。
「ねえ、帰ろ……」
「もううんざりなんだよ」
その言葉がヤチに対するものだと思ったので、ヤチはビクッと体を震わせました。しかしお姉ちゃんを見ると、それはヤチに対するものではないことがわかりました。
「嘘嘘嘘、嘘ばっかり。どうせそれだって、嘘を作り上げるための小細工なんでしょ。こんなもの――!」
お姉ちゃんはお母さんが持っていたぬいぐるみを奪い取り、海に向かって投げました。思わぬことに手の力が抜けると、お母さんはヤチの手をすり抜けて海に向かっていきました。まさかとは思いましたが、お母さんは荒れ狂う海にそのまま入っていってしまいました。
島の人間であれば、白波の立つ海に入ることは自殺行為だと誰でも知っています。ましてや誰よりも海に入っていたお母さんなら、なおさらそのことを知っていたはずです。
あまりにも衝撃的な行動にヤチたちは叫びました。「誰か!」と助けを求め、そして声が枯れるまで「お母さん!」と叫び続けました。ベネディの人が来てからは、お姉ちゃんが海に飛び込まないように皆で押さえつけるほど、お姉ちゃんはお母さんを探し追いかけようとしていました。
そして、ヤチたちのお母さんがベネディに帰って来ることは二度とありませんでした。
次話「片割れ」は2018/12/29(土)に更新します。




