第18話 飛礫(つぶて)
風がものすごい速さで横を通り過ぎ、大きな音を立ててマントをはためかせた。遠く下に広がる世界には所々小さな光が灯されている。周りを見渡すように回りながら瞬く光、動かずとも強く自身を主張する光、一つが弱くとも集まって灯し続ける光――見たこともない景色だが、何かを彷彿とさせるようであった。
冷たい風は頬を撫でたが、未久の頬は火照ったままだった。衛次と自身の過去、母の存在、皆の想い――様々なものが未久の胸の中に突然流れ込んできて、うまく整理がつかないでいた。衛次との別れ、そして今未久はルクスの背に乗り、目の前にはカエルムがいる。
月夜は目の前の金色の髪を照らし、いつの日か見た秋の稲穂のようであった。ぼんやりとカエルムを眺めていると、彼女はそれに気がついて振り返った。
「どうしたの、ぼーっとしちゃって。あの人が恋しくなっちゃった?」
あの人とは衛次のことを指しているのだろう。カエルムはクスリと笑ったが、未久を茶化すようではなかった。未久は彼女の言葉で我に返り、頭を振った。
「いや、そうじゃなくて! 色々突然すぎて、頭がついて行かないというか……」
夢でも見ているのではないか、そう心のどこかで思っていた。未久が視線を横へ逸らすと、カエルムは笑いながら息を漏らした。
「そりゃそうよね。私だって今の状況について行けてないもの。突然あなたが現れて、追いかけられて、逃げて、相棒のルクスなんかには……」
そこでカエルムは突然何かを思い出し、大声を上げた。それに驚いた未久とルクスは目を丸くし、彼女に振り向いた。ルクスはそれが何なのか気づいたらしく、恐る恐るカエルムに訊ねた。
「そんな大声出して、どうしたんだよ?」
カエルムは獲物を狙う獣のような瞳をルクスへ向けた。それを見たルクスは何かを堪えるように目を細め、遠くを見た。
「どうしたもこうしたもないわよ! 私が家臣とこの子に追いかけられてる時、助けを呼んだのにあなた来なかったじゃない! この裏切り者!」
ルクスに罵声が飛んでいる光景を、未久はどうしたものかとおろおろしながら見ていた。しかしルクスは細めていた目を再びカエルムに向け、呆れた声で言った。
「裏切り者ってお前なぁ。オレは助けに行かなかったんじゃなくて、行けなかったんだからな」
目尻を吊り上げたカエルムは口をヘの字にして聞き返した。
「どういう意味よ?」
「どうもこうも、そのままの意味だ。オレが助けに行こうにも、お前がいた場所は幅二メートル程度の狭い路地だ。オレの翼幅は三メートル以上あるんだから、助けを呼ぶならそれ以上の路地で呼べといつも言っているだろう」
わざとらしく大きくため息を吐くルクスにカエルムは頬を膨らませるも、何も言い返せずにいた。それを後ろから見ていた未久は、今までに誰かの喧嘩に割って入ったことがないため、どうしたらいいのかわからずにいた。それに気づいたルクスはクスリと笑った。
「そんな神妙な顔する必要ないですよ。この言い争いはいつものことなんです。いつもこいつが怒って、オレが言い返す――」
「私が情緒不安定みたいに言うな!」
カエルムは軽くルクスの頭を叩いた。ルクスの体が少し傾き、しかしすぐに体勢を整えてカエルムに怒鳴った。
「飛行中に頭を殴んじゃねぇ! このまま下に落とすぞ!」
「落とせるものなら落としてみなさいよ。今あなたの背中には私以外に未久もいるのに、そんなことができるのかしら?」
終わりの見えない言い争いを目の前にした未久は、それを少し離れて見守ることにした。
未久が目の前の二人を通り越して遠くを眺めていると、目の奥まで貫く、小さくも鋭い光が差し込んだ。――夜明けだ。目を細めながら淡く紅い空を眺めていると、風と木々の合唱のような喧嘩はいつの間にか止んでいた。いくつもの視線が遠く一点に集まる。
未久は大きく息を吸い込み、喉の奥が冷たくなるのを感じた。そして温かな息を吐き出すのと共に、カエルムに疑問も吐き出した。
「そういえば、今どこへ向かっているんですか?」
ルクスの背に頬杖をつきながら寝そべっていたカエルムは、体をひねらせて振り返った。カエルムは一度目を瞬かせるも思い出したように口を開き、目を輝かせた。
「言うの忘れてたわね。これから、私がずっと行きたいと思っていた場所へ行こうと思ってるの」
その先を聞いて欲しそうに見つめてくるカエルムに戸惑いながら未久は訊ねた。
「えっと……、それは一体――」
「雪の大地、北よ!」
未久の言葉を待たずして放たれた言葉に未久は驚きを隠せなかった。やけに寒いと感じ始めていた理由に頷きながらも、北へ行く準備をするために一度下に下りようと未久はカエルムに言い寄った。しかし目をランランとさせているカエルムの耳には未久の言葉は届かず、ルクスをそのまま北へと向かわせたのだった。
ルクスからそっと離れ、地に足を踏み落とすと、白い粉が足の周りを覆った。吐き出す息は白く、それが頬に当たると痛みを走らせた。
薄着をしていたカエルムに未久が持っていた防寒具を羽織らせ、はしゃぐカエルムをどうにか落ち着かせようとしていた。
「カエルムさん、人に会う前に聞いて欲しいことがあるんです」
未久は何度も呼びかけるが、カエルムは白い雪の上を駆け回るばかりであった。それを追いかけようと足を踏み込むと、ゴムとゴムがこすれ合ったような嫌な音が脚を伝ってくる。未久の頭の上にあるフードが視界を狭め、胸の中に不快感がより募っていく。しかし、それ追い払うように思い切り顔を上げた。すると遠くに人影があるのが見えた。それをカエルムも見つけたらしく、その人に向かって大きく手を振り出した。
「第一村人、発見! おーい!」
「ちょっと待って!」
カエルムの耳に未久の言葉は届かず、彼女はその人影に向かって走っていってしまった。未久も急いでカエルムを追いかけていくが、彼女に追いついた時にはもう手遅れだった。
彼女らが見つけた人影がカエルムの姿を見ると、いつの間にかカエルムの顔の横に拳程の大きさの氷が通り過ぎ、彼女の頬に一筋の血が伝っていた。カエルムはこの状況を飲み込めず、先程まで羽根のように軽かった足が固まって動けなくなってしまった。しかし彼女の目と耳からは鮮明に目の前の状況が流れ込んできた。
「なんでこんなとこにいんだよ……。消えろよ、この悪魔!」
村人は防寒具で顔がほとんど見えなかったが、その間から覗く瞳は怯えたようにカエルムを見ていた。村人は足元にある氷を再び手に取り、カエルムに向かって投げつけてきた。
「危ない!」
未久は咄嗟にカエルムの手を引き、体を引き寄せた。二人は体勢を崩し雪の上に倒れるも、氷は彼女らに当たらなかった。未久はそれを確認すると、すぐに立ち上がってカエルムの手を引いた。
「走って!」
カエルムは言われるがままに雪を蹴り、未久に連れられてその場を後にした。
人影が見えなくなるところまで逃げると、未久はカエルムに向き直って怒鳴った。
「あれほど人の話を聞いてくれって言ったじゃないですか! 外の世界はオラティオと同じとは限らないんですよ!」
息が途切れ途切れになる未久を目の前にして、カエルムは震える唇を動かした。
「……オラティオとは違うって、どういうこと?」
「オラティオはデウスに対して好意的な印象を持っている国です。でも、そのような国は世界的に見ると珍しく、デウスを忌み嫌う国の方が多いんです」
「どうして!」
すがるようにカエルムの口から出た言葉は、影の落ちる未久の瞳によって意味のないものへと変わった。未久はフードから落ちる影に瞳を隠し、口早に話した。
「『罪を犯した人間にデウスが制裁を加えた』、『デウスは人間を苦しめる悪魔である』――地域によって様々な伝承がありますが、デウスが恐ろしい存在だと知らしめるものがほとんどです。どれも根拠はなく、しかし嘘だという根拠も見つかっていません。だから、私たちはその事実関係を調べるために旅をしていたんです」
淡々と喋る未久の瞳はカエルムに向けられてはいるものの、彼女を見ているようではなかった。それに恐怖を抱いたカエルムは恐る恐る口を開いた。
「でも、話をすればわかってもらえるんじゃ――」
「わかってもらえるわけない!」
未久の声はカエルムの頭の中に響き渡り、頭の中が真っ白になった。カエルムの目の前に、真っ白い景色の真ん中に佇む少女は、今にも泣き出しそうな顔で小さく呟いた。
「私が、今までどんな思いをしてきたと思ってるんですか……。それにあなた、さっき殺されかけたんですよ? そんな人と、話し合いができると思うんですか?」
少しでも触ったら崩れてしまいそうな未久にカエルムは心を少し、揺さぶられた。しかしそれよりもすべてを知ったような口ぶりで、物事を先に決めつけている彼女にカエルムは腹を立て始めていた。そしていつの間にか言葉が口をついて出ていた。
「わかってないのは未久の方じゃない! 一つが同じだったら、すべてが同じだと思うわけ? バッカみたい」
それを聞いた未久は余計に頭に血が上り、声を張り上げていた。
「あなたを助けたのは、どこの誰だと思ってるんですか!」
「私は助けてほしいなんて、一言も言ってないじゃない!」
声を張り上げて言い合う二人の間に、一つの声が割って入った。
「あの……」
「何よ!」
声が重なった二人は目尻を吊り上げながら、同時に横に向いた。するとそこには未久よりも背丈が少し小さい、ダッフルコートを着た少年が立っていた。咄嗟に未久が怯えるように身構えると、少年は真っ直ぐな瞳を向けて彼女らに言った。
「旅の人、ですよね? ボクを旅に連れてってください!」
少年は勢いよく頭を下げた。吐き出された息は横へと逸れて髪を濡らし、薄い氷の膜を作っていく。そんなことは露知らず、突然の出来事に二人は身動きを取ることができなかった。
次話「選択」は2018/9/8(土)に更新します。




