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第16話 助け

 黒く揺らめく水面に少し欠けた月が映される。その上をいくつもの波紋が過り、光を揺らがせた。腕の中にいる女性に俺が戸惑っていると、大雅が俺たちを疑うような目で見てきた。


「何? 君ら、知り合い?」

「いや、俺は全く知らな――」


 そう言いかけた時、俺はふとある不安に襲われた。もしかしたら俺はどこかの旅先で彼女と出会い、俺だけが忘れているのではないか、そう思ったのだ。俺が口をつぐみ、冷汗を流していると、女性は何かを思い出したように懐を探り、一枚の紙を取り出した。


「これ、衛次さんへ手紙です。佐那江さんから」


 その言葉に俺は弾かれたように振り返った。紙は四つ折りにされており、どこか汚れていた。俺はそれを恐る恐る受け取り、そっと開いた。




――衛次さん

   お元気ですか? 私もてるも元気にやってます。

   衛次さんが発ってから四十年以上も経ちましたね。

   久方ぶりですが、折り入って頼みごとがあります。

   憧子(しょうこ)という女性がある人に追われています。

   事情は彼女から直接聞いてください。

   どうか彼女を匿ってやってください。お願いします。

                        佐那江




 その手紙に書かれた文字は、確かに見覚えのある佐那江さんの文字だった。それを読み終えると、俺はそっと顔を上げて目の前の女性を見た。


「鷹に付けて伝達するともおっしゃっていたんですが、受け取られてなかったんですね」


 冷たい風がそっと彼女の長い髪を撫で、彼女の真っ直ぐな瞳に月の光が差し込んだ。澄んだその眼差しに俺は呟くようにして訊ねた。


「あなたが、憧子さん……?」

「あ、申し遅れました。私は〝アフロディ〟の憧子という者です。夫と森の調査を行っておりました」


 それを耳にした俺たちは驚きを隠すことができなかった。憧子と距離を取っていた大雅はすごい形相で身を乗り出した。


「森の調査士が、なんでコロニーから追われてるんだよ?」


 特別な役職である鷹匠や気象観測士は一つのコロニーに一、二人程度いるが、森の調査士は一人いることすら珍しく、重宝される人物であった。それなのに彼女が追われているということで、俺たちは耳を疑ったのだ。


 憧子はこうなることがわかっていたようで、身じろぎもせず真っ直ぐと俺たちを見た。


「少々話が長くなってしまいますが、よろしいでしょうか?」


 俺は大雅と目を見合わせた後向き直り、彼女に笑いかけた。


「ああ、構わないよ。それと、そんなに硬くならなくていい。ありのままのあなたで話してくれないか?」


 すると強張った彼女の頬が少しほころび、「ありがとうございます」と小さな声が漏れた。彼女の緊張の糸が緩んだようで、その瞳は潤んでいるようにも見えた。その瞳が俺の胸の奥にある古傷を疼かせた。彼女は小さく息を吐き出し、再び前を向いて話し出した。


「私はアフロディ生まれアフロディ育ちで、夫の(ひろ)()は他コロニー出身でした。私は職務中に彼と出会い、六年前に一人の子を授かりました。その子には、『(まれ)に咲く花のように、皆に希望を与える存在になってほしい』ということで、()()と名付けました。しかし、皆はこの子を『希望などではない』と言いました」

「……なぜ?」


 静かに響く滝の音は森のさざめきをも消し、唯一の光さえも消そうとした。光は何度も揺らめき、闇にかき消されそうになっていた。憧子は俺の問いに静かに答えた。


「咲希は前髪にM字の分け目があり、目の色素が薄かった。つまり……咲希がデウスだったからです」


 その言葉に俺たちは息を呑んだ。紙上でしか知らなかったデウスが、一つのコロニーの未来を狂わせたデウスが実際に存在した。たったそれだけの事実が俺たちの胸の内をかき乱した。憧子の話はまだ続く。


「未だにデウス保守派とデウス殲滅派の二つが存在するアフロディでは、咲希に関する議論が絶えませんでした。しかし、デウス保守派である佐那江さんが庇ってくださり、事はあまり大きくならずに済んでいた、と思っていました」


 憧子は俯き、横の水面に視線を移した。静かに流れていた木の葉は端から覗き込む雑草に阻まれ、動きを止める。木の葉は何度も揺らぐも、そこから離れることはなかった。憧子はゆっくりと目を閉じ、膝の上にある拳を力強く握りしめた。


「昨年の梅雨、夫の博貴が殺されました」


 涙をこらえるように吐き出した言葉は、悲しみよりも怒りが込められているように感じた。閉じられていた瞼はゆっくりと開き、静かに俺たちを見た。


「ある雨の日、森の様子がおかしいと呼び出され、森の奥で殺されました。デウスなんて危険なモノを生み出す奴は消すしかない、ましてやよそ者は排除すべきだ、という理由で殺されたそうです」


 憧子は溢れ出した怒りを抑え込み、大きくなったお腹を優しく撫でた。


「その数週間後、この子がお腹にいることがわかりました。その報告を第一に佐那江さんにしました。そしたら佐那江さんが血相を変えて言ってきたんです。『その子を他の人には隠して、二人で逃げなさい』、と」


 憧子はお腹の服を握りしめた。苦虫を噛み潰したように顔を歪ませながら、憧子は声を絞り出した。


「その時、私は断りました。『咲希を置いてなんて行けない』って。でもこのままだと三人とも殺されてしまう、咲希一人なら守ってやれるって……。お腹の子がバレるのも時間の問題でした。だからこの子たちが長く生きられるように、私は意を決して二人で逃げることにしました」


 風はさざ波のように押しては引き、憧子の髪を何度も揺らした。その風の中、彼女は俯かせていた顔を上げ、強い眼差しを俺たちに向けた。


「だからって、私はこの子だけの母親じゃありません。私は佐那江さんから衛次さんの存在を聞き、勝手ながら衛次さんにこの子を預けて、咲希のもとに戻ろうと思っています。それが最善だと思ったから……」


 決意を固めたその瞳は、彼女の弱さを微塵も感じさせなかった。その瞳に俺が圧倒されていると、大雅が膝に手をついて彼女を睨んだ。


「ここまでの経緯はわかった。だが、佐那江様から話を聞いていたとはいえ、なぜこいつが衛次だってわかったんだ?」


 突然二人の間の空気が張り詰めた。睨みを利かせる大雅に物怖じすることなく、憧子は淡々と答えた。


「見分ける方法を佐那江さんから二つ聞いていたからです。一つ目が、男の鷹匠は衛次さん以外一人しか存在を報告されていませんので、男の鷹匠がいたら二分の一の確率で当たりだということ。二つ目が、本物の鷹匠で鷹匠の道具とライフルの両方を持っている者は存在しないので、こういった者がいたら十中八九衛次さんだということです」


 憧子の一つ目の言葉に大雅は心をえぐられ、二つ目の言葉に俺は複雑な感情を抱いた。しかし彼女は俺たちの心情などよそに、話を続けようとした。


「そういえば、佐那江さんからチラッと伺ったんですが、衛次さんの旅の理由って――」


 そう言いかけた時だった。憧子は顔を大きく歪ませ、うずくまった。俺は息が乱れる彼女に近寄り、顔を覗き込んだ。


「憧子さん! どうしたんだ?」


 彼女は息を短く吐き出しながら、かすれる声で呟いた。


「産……まれる…………」


 何とか聞き取った言葉に呆気にとられ、俺は一瞬身動きが取れなかった。この場にいるもう一人の男は心の傷で、彼女の言葉など耳に届いていないようだった。滝が流れ続ける。いっそのことわずかな音だけでなく、すべてをかき消してくれたら、と願わずにはいられなかった。

次話「旅立ち」は2018/8/11(土)に更新します。

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