第14話 想い
頭上には鼠色の雲が広がり、不気味な風が吹き始めた。俺の手に握られた手紙にゆっくりと影がかかり、風に扇がれ皺が増えていく。それを目の前にして俺の呼吸は浅くなり、全身から血の気が引いていくのを感じた。俺の様子の変化を感じた大雅は探るように言葉をかけてきた。
「おい、衛次、だいじょ――」
しかし大雅の言葉は俺の耳に届かず、自分でも知らないうちに俺は地面を蹴ってどこかへ向かおうとしていた。その異常な行動に大雅は咄嗟に指笛を吹き、イヌワシを俺の目の前に向かわせ足止めをした。俺が目の前のイヌワシに虚を衝かれていると、いきなり大雅が俺の胸倉を掴んで幹に押し付けてきた。その反動で頭を木にぶつけ視界が一瞬揺らぐも、その視界の端に今まで見たこともない真剣な表情の大雅が映った。
「衛次、今何をしようとした?」
流れゆく雲の足は速くなり、太陽は厚い雲で覆われた。目の前の大雅の顔に不気味なくらい濃い木々の影が波のように揺れる。右手に力強く握られた紙は冷たく湿った風に晒されていた。俺が肩で息をしながら言葉を詰まらせていると、大雅は静かに口を開いた。
「手紙に書かれていたこと、当ててやろうか?」
その言葉に俺は眉をひそめた。大雅はそんなことに構わず、静かに俺を見据えて言った。
「『逃げろ』――だろ」
「な……!」
森が大きくざわめき、徐々に辺りの鳥の声がうるさくなっていった。不安、焦り、恐怖――自分でも行方の知れない感情が俺の中で渦巻き、俺たちの間を駆け抜けた冷たい風が二人の距離を感じさせた。俺は瞳に影を落とし、探るように大雅を見た。
「なんで、大雅が……」
大雅は静かに俺を見上げ、一度何かを躊躇いながら口を開いた。
「――内乱宣言」
「内乱……宣言?」
大雅は胸倉を掴んでいた手を緩め、俺から顔を背けた。その様子に俺の胸の奥が徐々に冷たくなっていった。大雅はそのまま俺の顔を見ずに低い声で言った。
「連盟の条約に書かれていることだ。『内乱が起こる場合、その宣言を最低近隣のコロニーに行わなければならない。また宣言を受けたコロニーは他のコロニーに伝達する任を受け持つ』――この内乱宣言が衛次と出会ってほとんどすぐに、アフロディから届けられた」
冷たく強い風が吹き抜ける。風の向こうでいつの日かの晴康の愚痴が聞こえた気がした。
『畔の奴、俺の話を全然聞かねぇんだよ! あいつもあいつでコロニーのこと、考えていることはわかんだけどさ』
内乱――それは次期アフロディ長の座を争う『デウス保守派』と『デウス殲滅派』の争いだということは容易に予想された。そして、考えたくもない事実が大雅の口から零れた。
「鷹匠が属する派閥が勝利した場合、内乱が収まったという伝達があるらしい。だけど公には来ないってことは……そういうことだろ?」
手紙に書かれていた兄の死、公の伝達がない、『そういうこと』――いくつものピースが繋げられ、嫌な予感が事実へと変わっていく。
――デウス保守派は敗れた。
一粒の雫が肌に落ちた。それを感じた時には手紙にいくつもの雫のシミができており、木々がそれを覗き込むように何度も揺れる。俺はいくつもの雫を感じながらも、それが何なのかわからずにいた。ただこの事実が俺の中に鉛となって沈み、思考を停止させた。
いつの間にか俺は雫の跳ねる地面へと足を滑り込ませていた。大雅がそれに気づくと、俺を睨んで言った。
「おい、どこに行こうとしてんだよ?」
虚ろな目は大雅に向けられながらも、どこも見ていなかった。ただ後悔の念ばかりが渦巻き、自分が何をしているのかすらわからなかった。それでも自分が何をしたいのかだけはわかっていた。
「どこって、俺は佐那江さんを、てるを――」
「まだわかんねぇのか!」
大雅の怒声が雨の中に響いた。その声と共に雨足は激しくなり、肌の上に一筋の水滴が流れた。雨のせいなのか風のせいなのかわからない森のざわめきの中で、大雅は静かに言った。
「佐那江様は衛次に帰ってくるなって、逃げろって言ってんだろ? それは仲間の二の舞にさせたくねぇからなんじゃねぇのか?」
指先から雫が落ちていき、その度に何かが融け出しているようだった。それでも消えない不安が俺の口から零れ出ていた。
「俺だって、もうこれ以上仲間を、家族を失いたくない……!」
雨音の中に足音が響き、俺に近づいてきた。顔を上げると、大雅が優しい瞳で俺を見つめ、肩に手を置いた。
「大丈夫だ。考えてもみろ。今『これ以上』って言ったな。それは手紙に誰かの死についても書かれていたってことだ。でも佐那江様はそれを伝えることができてる。つまり生かされている。相手は女子どもにまで手を出すような堕落した奴じゃねぇよ」
大雅の言葉に、愚痴を言いながら畔を認める兄の姿が重なった。徐々に我に返ってきた俺に大雅は続けて言った。
「佐那江様は衛次が生きることを望んでる。君が何かに負い目を感じてるんなら、彼女の望みを叶えるべきなんじゃないか?」
その言葉に、コロニーを出る前に自分自身が言った言葉を思い出した。
『異なった意見を持ち合う人々が解り合う世界があるかもしれない』
俺はあの時、旅に出たいがために言い訳をつらつらと言っていた。しかし、今俺がすべきことはこれなのかもしれない。その想いをしかと胸に抱き直し、俺は前を向いた。
「……大雅、ありがとう。俺、旅に出る。自分の好奇心のためだけじゃない。俺は〝世界〟を見なきゃいけないんだ」
その言葉に大雅はどこか気が抜けたように優しく笑った。いつの間にか雨足が弱まり、遠くの空には光が差していた。
鷹匠の練習が途中だったものの俺は大雅に別れを告げ、旅を再開した。これが今から五十四年前の話だ。
それから俺は世界を転々とし、様々な人や世界を見てきた。頭を垂れる人から脚を組みふんぞり返る人、自然豊かなところからゴミに溢れるところまで様々なものを見てきた。
そしてあれから四十四年経った頃、俺は再びあの森に足を踏み入れた。さすがにもうほとぼりが冷めているだろうと思い、戻ってきたのだ。
パートナーだったエナは寿命で亡くなり、この時は五代目のパートナー・ヴェゼと共に旅をしていた。ヴェゼに辺りを見てくるよう羽合わせをしようと上空を見上げると、イヌワシが旋回していた。もしやと思い辺りを見回すと、頭にバンダナを巻いた人影が見えた。
「大雅……? おい、大雅だろ!」
俺の声にその人影が振り返り、俺をギョッと見た。
「は……? もしかして、衛次か?」
俺が手を振りながら近づくと、大雅は一瞬顔を曇らせた。気のせいだと思った俺は、そのまま大雅に話しかけた。
「いやぁ、お前老けたな。バンダナがあったから判別できたけど、バンダナの巻き方も変わってるし」
帯状に巻いていたバンダナは広げられ、頭全体を覆うようにして巻かれていた。大雅は苦笑しながら、「ほっとけ!」と昔と変わらぬ調子で言った。
俺は自身の旅の状況を簡単に話してから、大雅の近況を訊ねた。
「それで、お前は今どうなんだよ?」
その言葉に大雅は口をつぐんだ。それを見た俺はいつの日か感じた不安を思い出した。そして大雅が意を決して口を開こうとした時だった。突然遠くから銃声が響き渡り、複数の男の声が聞こえた。それを耳にした大雅はすっくと立ち上がり、ここを離れようと言い出した。大雅のその行動に違和感を覚えながらも、俺も立ち上がった。そしてふと空を見上げると、俺たちのパートナー以外に他の鳥が旋回していた。
「大雅、あれは……」
俺が上空を指すと、大雅もその先に目を凝らした。それを見ていると、背後から草木をかき分けてくる音が聞こえた。瞬時に視線をそちらに向けると、一瞬怯えた表情をした女性が立っていた。しかし彼女は俺たちの格好を見ると覚束ない足取りで駆け寄ってきた。
「助け、て……くだ、さ――」
女性は糸が切れるように意識を失い、その場に倒れ込んだ。俺たちが彼女に駆け寄り声をかけるも反応がなく、俺たちは顔を見合わせた。四十四年の月日は傷を癒すどころか、膿ませているように俺は感じた。
次話「業」は2018/7/14(土)に更新します。




