第13話 報せ
日は傾き、生温い風の中に冷たさを感じる。巣へと戻る鳥たちの声の中に、甲高い鳴き声が響いている。その下では、左腕を押さえてうずくまる俺とその目の前で腕を組みながら仁王立ちする大雅の姿があった。
「衛次、そんなんでへばってどうすんだ? 言っとくがな、ハヤブサは猛禽類の中じゃ小型なんだぞ」
彼は呆れ顔で俺を見下ろした。そう言われても、俺の左腕はガタガタ震え、限界を訴えていた。
この数時間の鷹狩の練習で、俺は鷹匠の凄さを思い知った。しかし練習と言っても、ただ手の上にハヤブサを乗せていただけである。基本的に、鷹匠は左手に餌掛けをつけ、水平に保った左拳に鷹を止まらせる。この姿勢を「据え」というらしい。
今までライフルを用いた狩りに行っていたので、この練習の初めのほんの数分は余裕を感じていた。鷹狩を舐め始めた頃、よそを向いていた大雅が俺に人差し指を向けた。
「腕、落ちてきてんぞ」
そう言われて自分の左手を見ると、左手がわずかに下を向いていた。俺が慌てて上に上げようとすると、ハヤブサは驚いて翼を広げる。それに俺が驚くと余計に手がぶれ、ハヤブサに睨まれた。
時間が経つにつれ、初めの余裕はどこへ行ったのか、腕が震え出した。左手はただ水平を保っていればいいというわけではなく、拳の向きも保っていなければならない。このどちらかでも崩れると鷹の姿勢も崩れ、ストレスが溜まってしまう。据えの時、人は木にならなくてはいけないということだ。
自分自身と闘っている俺の目の前で、大雅は自身の練習も行っていた。彼のパートナーはイヌワシという大型の鳥である。イヌワシはハヤブサの二倍程の大きさだが、大雅は据えの時腕がピクリとも動かなかった。俺は横から鋭い視線を感じながらも、彼に感服していた。それと共に、彼が尊敬する佐那江さんは一体どれだけ凄い人なのかと、今更ながら身が縮む思いをした。
さすがに俺が腕の限界を大雅に訴えると、ハヤブサを彼の手に移してくれた。そして彼がハヤブサに餌を与え終えると、据えの練習が再開された。それが何度も繰り返され、俺の左腕は生まれたての小鹿のようになっていた。
日が真上にあった時間から五時間練習を続けてきたが、日は未だに沈もうとはしていなかった。うずくまる俺に目の前と木の二方向から鋭い視線が向けられていた。大雅は大きくため息を吐き、俺に指を指した。
「一日腕立て五十回三セットな」
何を言われるかと身構えたが、ただの筋トレ宣告で内心俺はホッとした。腕立てならライフルを用いた狩りの練習の時期に何度もやらされていたので、慣れたものであった。しかしそれも束の間、大雅は目を細めてニヤリと笑った。
「ちなみにそれ、片腕でな」
その言葉に俺が青ざめると、大雅は満足したように荷を片付け出した。
荷を片付けながら大雅は、鷹狩の練習に付き合ってくれることを約束してくれた。そして彼は去り際に、ふと思い出したように振り返った。
「そういえば衛次のハヤブサの名前、なんていうんだ?」
それを聞いて、俺は佐那江さんからハヤブサの名前を訊きそびれていたことに気づいた。それを大雅に話すと、彼は頭を掻きながら言った。
「ああ……、まあそれなら衛次が名前つければいい。パートナーなのに名前を呼べないのは不便だろ」
明日またここに来るから、それまでに考えておけ、と課題を増やし、大雅はイヌワシと共に去っていった。
翌日、俺は大雅と合流し、鷹狩の練習を再開した。この日も据えの練習だけだったため、その間俺はぼーっと考え事をしていた。鷹狩を習得したら次の旅先はどこにするか、このハヤブサは俺に懐くのか、アフロディのみんなは元気にしているのか――そしてふとある疑問が思い浮かんだ。
「大雅」
「おう?」
「鷹匠は一コロニーに一人か二人いるけど、女の役職なんだろ? 俺は旅に出るからって理由だけど、なんで男の大雅が鷹匠やっているんだ?」
それを聞いた大雅は苦々しい顔をした。
「いつかは訊かれることだろうとは思っていたけど、自分の口からこれを言うのは何度やっても辛いものでな」
その前置きから大雅の話が始まった。
鷹匠は女性の役職であり、その娘がその役職を継ぐことが伝統らしい。しかし大雅に二人の兄がいるが、女姉妹がいなかった。三人の子どもを産んだ大雅の母は、これ以上は無理だと言って妹弟が増えることはなかった。
しかしこのままでは鷹匠の役職が途絶えてしまうということで、三兄弟の中から一人鷹匠となることになった。その話が持ち上がった時誰もやりたがらず、また上の二人が鷹匠の基礎を学び始める八歳を越えていたため、必然的に大雅が役職を押し付けられる形となったようだ。
大雅は幼く可愛らしい身形に加え、女性の役職である鷹匠であるということで、兄二人からよく茶化されたらしい。それが原因で兄弟喧嘩が絶えなかったと、大雅は指骨を鳴らしながら話した。その話と彼の冷たい目から喧嘩慣れしていることを察し、彼に歯向かうことは避けようと俺は心に刻んだ。
それから大雅は毎日のように俺に鷹狩を教えてくれた。
据えに慣れてくると、次に「羽合わせ」を教えてもらった。羽合わせは鷹を投げるように送り出す動作である。送り出す時の腕の角度で獲物及び目的地の距離が決まり、一度だと百メートル先、十度だと一キロメートル先、二十度だと十キロメートル先、九十度だと上空で旋回及び待機、後方だと離脱となる。ということで、目視による距離の測定精度を上げることと羽合わせの腕の角度を一度単位で調整できるようにする課題が追加された。
俺が大雅と出会って二週間が経とうとしていた頃であった。俺はおぼつかないながらも、なんとなくは鷹匠の形になりつつあった。ハヤブサとの仲も日に日に深まっているように感じた。
「エナ!」
俺がそう呼ぶと、ハヤブサが飛んできて左手に留まった。それを見た大雅がほぅと感嘆のため息を漏らした。
「この短期間で随分と馴れたもんだな。初めはあんなに睨まれていたのに」
思い返してみれば、確かにそうである。鷹匠の基本のきの一画目さえも知らなかったのだから、懐かなくても仕方がないと今なら思う。
そんなことを思っている間、俺たちの頭上ではケェーケェーと鳴きながら旋回している鳥が一羽いた。大雅は強張った顔でそれをじっと見つめ、再び俺に向き直った。
「羽合わせはまだまだだが、次の段階にいくか!」
顔を上げると、そこには誇らしげな顔をした大雅がいた。何かと思いそのまま待っていると、彼は上空を指した。
「次はパートナーではない他の鷹を降ろす方法だ。鷹匠の役割である情報の伝達は受け取ることもできなくちゃならない。方法は、パートナーを降ろす時と同じように左手に餌を持つ。パートナーの場合は指笛の長音が一度だけだが、他は短音一回、長音一回、これをもう一度繰り返す。違いはそのくらいだ。ちょうど上空にいるからやってみろ」
俺は言われた通りにやってみた。ピィピィー、ピィピィーと音が森に響き渡り、上空にいた鳥が羽をすぼめて急降下してくる。その急降下にはもう慣れたもので、俺は瞬きせずにその鳥を降ろすことができた。するとその鳥はエナと同じハヤブサで、片足に銀色の足輪が付いていた。俺が首を傾げていると、顔をしかめた大雅が近寄ってきた。
「その足輪、外してみろ」
言われるがままに右手でその足輪を外した。すると中から一枚の紙がはらりと落ちた。紙は細かく畳まれており、片隅に「衛次さん」と書かれた文字が見えた。大雅はその紙を拾い上げ、俺に渡した。俺は戸惑いながらも受け取り、降ろしたハヤブサを大雅に預けた。そしてゆっくりと紙を開いていくと、そこにはほんの少しの言葉がつづられていた。
――衛次さん
晴康さんが亡くなりました。
戻らずそのまま旅を続けてください。
佐那江
これを目にした瞬間、体のすべての感覚を奪われたような気がした。空の向こうには鼠色の雲が広がり、夏に似合わない冷たい風が吹き抜けた。それと共に心の奥で何かが疼いた。
『今は周りのことなんか気にせず何でもやれ。若い時に生じた問題なんて後で清算できるんだからよ』
兄のあの言葉に雲がかかり始めたことを、俺は感覚のない渦の中で感じていた。
次話「想い」は2018/6/30(土)に更新します。




