第11話 始まり
西日の目の奥まで突き刺すような鋭い光が衛次の背後から差し込んでいた。彼の影が細長く伸び、未久の足元に近づき、そして追い越していった。見上げると、彼女の瞳に影の落ちた彼の顔とラナーハヤブサが映った。彼は彼女を見てフッと笑った。
「まだ何もわかっていないって顔だな。まあいい。ゆっくり話そう、最後の物語を」
彼は彼女に手招きをして、夕陽に向かっていった。彼女は強い光の中に消えゆく影を見失わないように必死に追いかけた。
影を追いかけ続けると周りから建物がなくなっていき、目の前に大きな岩が現れた。岩の片隅には突けばすぐに崩れそうなおもちゃや色を失ったボロボロの本などが所々にあった。
「ここって――」
息を呑む未久に衛次は目を細めて言った。
「子どもたちの秘密基地だったそうだな」
その言葉に振り返ると、衛次は綺麗に削られた岩場に腰を下ろしているところだった。未久は彼に駆け寄っていった。
「なぜ衛次さんがそれを……?」
「今日はこういった人気の少ない場所がないか聞いて回っていたんだ。そしたら、ある若者からここを教えてもらった」
彼は横に転がっているゴム切れを撫でて、寂しそうに微笑んだ。
「彼が言っていたよ。大切な仲間と作った場所だと。同じデウスである未久に見て行ってほしいと」
日が傾き、眩しいほど強い光は地平線の先に吸い込まれていった。東の空は暗闇に染まり、西の空は未だに朱色に染まったままだった。真上を見上げると深い青と眩しい赤が混ざった混沌とした世界が広がっていた。
未久は衛次の向かい側にあった岩にそっと腰を下ろした。すると彼は背にあった荷物の中をまさぐり、平たいパンを差し出してきた。未久はそれを手に取って礼を呟きつつ、彼に訊ねた。
「それで、衛次さんは改まって何を話そうとしているのですか?」
彼はちぎったパンをハヤブサに与えながら呟いた。
「そうだな……、俺の過去とお前の話、といったところか」
「私の話、ですか……?」
視界の端に少し欠けた月が映った。今夜は小望月――望月の前夜。この日の夜は特別だと前に衛次が言っていたことを未久は思い出していた。
(小望月は確か――)
未久が何かを思い出しかけた時、衛次が彼女に向き直って話し出した。
「お前に話した森の物語、覚えているか?」
真剣でしかしどこか優しげな瞳が未久の目の前にあった。その瞳に彼女はゆっくりと頷いた。
「はい、大好きな話でしたから」
未久の言葉に衛次は少し俯きながら微笑んだ。ハヤブサはそんな彼を見上げて首を傾げた。彼はハヤブサに手を伸ばし、指先で頬を撫でながら呟いた。
「あれは俺の昔の話なんだ」
未久の口から驚きの吐息が漏れる。時の流れが止められたかのように、すべての動きがゆっくりと見えた。衛次が再び未久を真っ直ぐと見据え、優しく微笑んだ。
「初めからゆっくり、話そうか――」
彼らの頭上はいつの間にか紺色に染め上げられていた。月明かりが彼らを照らし、長い物語が始まった。
俺は昔、ある森に住んでいた。そこで暮らす人々はコロニーと呼ばれる集団を成して生活しており、俺はアフロディという名のコロニーで暮らしていた。
アフロディは、この森に存在するコロニーの中で最もデウスに近しく、デウスを崇め奉っていたとされていた。そのため、デウスに関する資料は他のコロニーに比べてアフロディは多く所持していた。
俺には十一歳離れた兄、晴康がいた。この森では、男は十歳から狩りの仕事が義務化されるため、兄はなかなか俺と遊んでくれなかった。
子どもでも薪運びなど仕事を与えられるが、暇な時間は多かった。しかし俺と歳の近い子どもはいなかったため、俺はコロニーにあった書物を幼少期から絵本のように読み漁っていた。生物図鑑から森の地図、誰かが書いた小説、日記、もちろんデウスの資料も読んでいた。
ある日、いつものように生活しているテントの中で書物を探していると、ある一冊を見つけた。表紙が風変わりな模様だったため気になって開いてみると、そこには知らない世界のことがたくさんの文字でつづられていた。木や山が一つもなく周りすべてを見渡せる大地、エメラルド色に煌めき大きな波が水面を滑る水の世界、そしてその美しく過酷な世界で生きるいくつもの生物の姿がそこには描かれていた。俺はその世界に魅せられ、いつの間にかその世界をなぞるように自然や世界について学ぶようになっていた。
俺も狩りに行くようになってから数年後、晴康は二十四歳の時にアフロディの鷹匠である佐那江さんと結婚した。鷹匠はコロニー間の情報伝達役であり、またコロニーの長の次に地位が高い役職とも言われていた。俺の家系も狙撃能力が高いため代々狩りの指揮官を務めてきたが、彼女はとても畏れ多い存在であった。しかし彼女はとても親しみやすく、優しくされたり、からかわれたりしていた。
その一年後、二人の間に男の子が産まれた。その子は輝雅と名付けられた。輝雅はすくすくと成長し、元気でやんちゃな子どもへと育っていった。
ちょうどその頃からアフロディ内に不穏な空気が漂い始めていた。それは次期アフロディ長の座の奪い合いだった。当時の長が、先が長くないから皆で話し合って次期アフロディ長を決めてくれと言ったのだ。ここまでの話だったら、ただの醜い権力争奪戦だと思うかもしれない。ただこの時はそんな容易い話ではなかった。
当時、アフロディ内に『デウス保守派』と『デウス殲滅派』が存在しており、双方の勢力は拮抗状態であった。『デウス保守派』である晴康は、『デウス殲滅派』である畔と話し合いで決着をつけようとしていたが、なかなか話が進まずにいた。
そんな中、俺は書物で見た世界を忘れられずにいた。兄の力になろうと考えるものの、目を閉じればあの世界が広がり、夢を諦めることができなかった。そこで、俺は今行っている仕事量を減らさないという条件下で、気象観測の仕事を受け持つ許可を長から頂いた。皆は俺のことを努力家だと褒めたが、下心があるなどと全く思わなかっただろう。俺は後ろめたさを感じながら、夢への準備を着々と進めていった。
俺が十七歳になった頃、ようやく家族に夢の話をする決心をした。夜間の気象観測が終わり、家族の待つテントの前に立った。中からは兄と父の愚痴が聞こえていた。いつもの雰囲気に俺の心臓の音は妙に速くなっていった。その音を落ち着かせながら、そっとテントの入口を開けた。そして駆け寄ってくる輝雅に、笑いかける佐那江に、酔っ払いの兄と父にいつの間にか俺の頬はほころんでいた。
輝雅が寝静まった頃を見計らって、俺は彼らに本題を切り出した。
「俺、旅に出たい」
言ったものの反対されることが怖く、言い訳染みたことをつらつらと言っていたような気がする。しかしそんな俺に兄はこう言った。
「行ってこい」
初めその言葉の意味がわからず、呆然としていた。しかし父も佐那江さんも反対の意の言葉を口にせずただ微笑むだけで、不意に涙が零れそうになった。そして兄は俺の肩に手を置いてこう言ったんだ。
「今は周りのことなんか気にせず何でもやれ。若い時に生じた問題なんて後で清算できるんだからよ」
俺はその言葉を胸に旅に出る決心をした。
そしてその数日後、俺はアフロディを発った。別れ際に佐那江さんから鷹狩用の餌掛けと口餌籠をもらい、連絡手段として彼女のパートナーであったハヤブサを預かった。しかし、俺は生まれてこの方鷹狩などしたことがないので、やり方などさっぱりわからない。どうしたものかとハヤブサの方を振り返ると、鋭い瞳と目が合い、防衛本能で目を逸らさずにはいられなかった。
そのまま特に当てもなく歩いていると、頭上からキキキッという高い鳴き声が聞こえてきた。それに釣られて上を見上げると、上空で一羽が旋回しながら飛んでいた。と思ったら、その鳥が急降下してきた。
「こっちに……向かって、きてるーーーー!」
なす術もなく慌てふためいていると、寸でのところでハヤブサが飛び立ち、その鳥の目の前に立ち塞がった。その鳥は威嚇するもすぐに飛び去り、近くの木の裏に隠れていった。それを目で追うと、その木の後ろから人影が現れた。
「君、狩場を荒らしに来たんか?」
草木が揺れ、波のように揺れてはいくつもの影を落としていった。この人影はさざ波なのか、荒波なのか――始まったばかりの旅に俺は一抹の不安を感じ始めていた。
次話「大雅」は2018/6/2(土)に更新します。




