当然ながら白い結婚
結婚式は恙なく終わりました。
ヴェールを上げられた時にきちんと対面した公爵は、記憶の通りの容貌をしています。ただ少し、お疲れかしら? 式の予定は急に組まれましたから、お仕事を調節するのに奔走されたのかも。
それにしても……うーん、完全にわたくしには興味がなさそう。仕方ありませんよね、突然王命で押し付けられた再婚ですもの。亡くなった奥様にまだお心を残しているとの噂ですし、旦那様というより上司的な気持ちで相対しましょう。
そんな風に心づもりをしていてよかったのでしょう。式が終わり、屋敷へ戻り、初夜を迎えるとなったその夜──公爵はこうおっしゃったのです。
「申し訳ないが、しばらく白い結婚とさせてもらう」
女児とはいえ、エインズワース家の継嗣はおりますし、この方の真実の愛はわたくしではありません。もとより白い結婚を覚悟してまいりましたし、わたくしもそれを望んでおります。
「承知いたしましたわ」
「君は申し訳ないが──」
「いえ、本当に大丈夫ですのよ。エインズワース公」
「ギデオンと」
エインズワース公は、すこしだけ顔をゆがめてわたくしに名を呼ぶよう告げました。不本意なのでしょうね。でも、お互いさまとして受け入れてくださるみたいでホッといたしましたわ。
「ではギデオン様と。わたくしもリディアとお呼びください。敬称は不要ですわ」
夫婦として寄り添えなくても、仕事相手としてなら受け入れてくださるかしら。そう思ったわたくしは、プレゼンを始めました。
「この度の結婚ですが、仰せの通り白い結婚で問題ありません。エインズワース家にはすでに嫡子であるお子様がいらっしゃいますわ。エインズワース家とアークベリー家を政的につなぐための子どもは争いを産むかと存じます」
わたくしの言葉に、エインズワース公──ギデオン様は瞬きをひとつなさいました。薄灰の瞳がこちらを見ています。その瞳に潜む冷静さに助けられながら、わたくしは言葉を継ぎました。
「わたくし、若輩の身ですが外交も外国語も書類作成も得意としております。一般的な貴族家の家政を動かすのは初めてですけれど、教師をつけてくだされば必ず覚えます。ギデオン様はお忙しいと思いますので、わたくしを信用していただけるのならば、領地のこと、家のことはお任せください」
ええと、ええと、あと何をアピールすればいいかしら。
わたくしは必死に頭を巡らせる。目の前の人が必要としている条件。それは家外からの口出しを防ぐ壁でしょう。それが防げなかったからこそ、王命として結婚を命じられたのだもの。となると、わたくしにはギデオン様が心地よくお仕事に励み、忘れ形見様を愛でる余裕を持てるよう環境を整えることが望まれているはず。
「他家への交渉はお任せください。アークベリー家も、あちらの益と見えるように持っていけば口出しを防ぐ手立ては打てます。またこの度の不祥事がありますので、これ以上アーチデイル王家からの口出しもさせません。お子様──アデライン様というお嬢様だと伺っております。お嬢様の教育も、よろしければわたくしが行えます。一般的な貴族令嬢として恥ずかしくない程度には、わたくしマナーや教養を身につけられていると思っておりますので、こちらもお任せいただければ。もちろん他人であったわたくしをいきなり信用しろと言われても無理だと思いますので、いついかなるときにでも監査を受ける覚悟はございますわ。大事なお嬢様を第一として大切にいたします」
「いや、待ってくれリディア嬢」
「呼び捨てで結構ですのよ、ギデオン様。名目上とは言え、わたくしはエインズワース家に嫁ぎました。令嬢扱いは不要ですの」
夫婦の寝室で、わたくしは新たな自分の立ち位置を獲得するために必死に戦った。ギデオン様からしたら、押し付けられた小娘は煙たいだけでしょう。でも、わたくしも幸せになりたいの。もう便利に使われる身ではなく、信頼して仕事を任せられたい。
「わたくしは奥様ではなく、あなたの補佐役として公爵夫人の立場を拝領いたしました。侮られぬよう最低限の配慮はいただきとうございますが、新たな部下として使っていただければと」
「部下」
「ええ! ギデオン様の奥様はシャーロット様だけですもの。大丈夫ですわ、誰にも何も言わせないよう、必ずお守りいたします」
わたくしは、新たな上司を仰ぎ見た。十五も年下では子どもの戯言としか思えないかもしれない。でも、誠意は伝わると信じて、その雪空のような瞳を見つめました。
「──リディア」
硬質な声音が、わたくしの名を呼びました。そこに嫌悪感も不信感も含まれていないことを感じ取って、内心ほっといたします。血のつながりのない、望まれてもいないわたくしが家族になるのはおこがましいけれど、仕事として配置された部下とならば受け入れられると思ってくださったのか、ギデオン様は軽く頭を下げてこう告げました。
「家の差配はすべて任せる。娘は乳母をつけているから大丈夫だが、君が礼儀作法を指導してくれるならありがたく受けたいと思う。──今は、正直忙しすぎるから、とても助かる」
「万事、お任せくださいまし」
抱えていた重荷が減ったかのように、ギデオン様は微笑みました。たしかに、うっすらと隈が見えますし、式の時も感じましたが、どにもお疲れのご様子。家のことを任せる相手ができて安心していただけたのなら、わたくしたちの結婚にも意味が見いだせますわ。
新しい職務を無事拝領できたわたくしもまた、ほっと胸をなでおろしたのでした。
◇
わたくしたちはいくつか決めごとをいたしました。
一つ、相手に誠実であること。
一つ、お互いを尊重すること。
一つ、夜会等、夫婦で出席する場がある場合、前日の夜には打ち合わせをすること。
一つ、一週間に一度、報告の手紙を出すこと。
一つ、エインズワース家のために尽くすこと。
最後は別にいらないと言われましたが、わたくしの誠意として入れさせていただきました。ギデオン様からは変動を望む場合は都度相談しようと言われましたが、まぁたしかに状況は変わるものなのでそちらも受け入れさせていただきました。
アデライン様やエインズワース家のことを任せられて安心したのか、翌朝にはギデオン様は王宮に戻られ、そのまま戻らず王宮でお過ごしになられています。家令のジョセフ曰く、普段からそのようなのだとか。ギデオン様も、かつてのわたくしと同じように忙殺されているご様子。忙殺されすぎてちょっと思うことは多々あるのですけれど、今は置いておきます。
ギデオン様自身は宰相補佐として宮中に詰めていますが、由緒あるエインズワース家自体は領地持ちの公爵家です。王家の血も引く公爵家であるため、その領地は王都にほど近い場所で、穀倉地帯や商業都市を持つ大きなものですの。立派な領邸もあるとうかがっております。
前領主夫妻がご存命なら違ったのでしょうが、ギデオン様の結婚後まもなく事故で亡くなられております。一方で現領主であるギデオン様は職務上王都で暮らさざるを得ないので、領地には荘園ごとに代官を置いて回しているとのこと。
ですが、それでも領主としてやらなければならないことは山のようにあります。代官はあくまでも代理。現地での差配は任されていますが、その統括責任や作物、税収の最終配分などは領主のお仕事。国に納めるものを除いたものをどのように活用するかなど、決めなければいけないことはたくさんありました。
今までは王都邸の家令であるジョセフと領邸の家令がギデオン様の補助をしていたようですが、その間にわたくしが入るという形になります。日常的には領邸を通じて代官から上がってきた案件や要望をジョセフと相談して捌き、まとめてからギデオン様に承認だけしていただくといった形です。運用を決めたりする大きな動きは決まった月に行うとのことで、ありがたいことに今年の分はすでに終わっていたため、今のわたくしはそれを資料として頭に叩き込むだけでした。
まだ勉強を始めたばかりのわたくしでは判断が付きかねるものも多々あるため、すぐにギデオン様のご負担を軽くすることはできませんが、日々ジョセフに教わりながら執務をこなしていけば、いつかは楽にしてさしあげることができるはず。
また一方で、貴族夫人として家政も怠ることはできません。
こちらはジョセフではなく、家政婦長であるケリーに師事をします。ケリーはジョセフと同じく、先代エインズワース公爵の頃から家政を支えていた存在です。
予算配分、食材や日用品の購入や選定、使用人の配置や給与の管理。もうずっとエインズワース公爵家ではパーティーを開いてはいなかったので、特別な日のメニューや構成の決定などのお仕事は発生していなかったみたい。ですが、こちらも社交を行いだしたらやらねばならないことですわね。幸いなことに、お茶会や舞踏会といった催し物の差配はわたくしにも経験があったためどうにかなりそうです。
ただ、こちらはギデオン様が関わらない部分なので、立場的にはわたくしがケリーの上司として動く形になりますが、判断のもとになる経験値が少ないわたくしではケリーに手を引いてもらうような形でしか動けません。
今は亡きシャーロット様やギデオン様のお母様である先代夫人を指導されてきただけあって、ケリーの指導は的確で、学んでいくのが楽しいです。
そう、わたくし、学ぶことが好きだったみたい。
元より勉強は得意でした。得意だからやりすぎてしまったと思っていたけれど、もしかしたら好きだったから頑張ってしまったのかしら。でも、王宮での教育はケリーやジョセフとの勉強と違って楽しいとは思わなかったから、違うのかしら。
ここに来てから、ちょっと自分のことがわからなくなることがあります。いい変化なのか悪い変化なのかはわかりませんが、わたくしには努力することしかできません。
ただね、わかっていることはありますの。
ここでは、わたくし息ができる。追い立てられるように仕事をすることはなく、分刻みで予定や公務を消化することもない。自室の寝台で眠れますし、お茶を取る余裕すらある。食べ物の制限もありませんし、常にコルセットで締め上げたドレスを着なくてもいいし、なんと日が昇る前に起きる必要もない! ええ、ないんですって! むしろ貴族夫人として早く起きすぎてはいけないと叱られた時の衝撃は忘れられません。早朝からお仕事をしなくてもいい日がくるなんて、わたくし、思いもしませんでした。
だから、わたくし、ここにきて初めて〝なにもしない時間〟というものを味わったのです。なにも考えずに、陽の光を浴びて、お茶を飲み花を愛でることができる。そんな時間が自分に許される日がくるなんて、思いもしませんでした。誰かとたわいもない会話をしても許されるなんて、思わなかったの。
わたくし、エインズワース公爵家に来れてよかった。そう思いました。
でも、なによりこの家に来れてよかったと思ったこと。それは、可愛い娘ができたことでした。
彼女と出会えたのは結婚から三日後。今より少し前のことですわ。
領地持ちの貴族は基本領地で暮らして、社交シーズンの頃に王都へやってくるため、領地運営はカントリーハウスがメインです。
ですが、エインズワース家は親族が少なく、領地で采配を揮う家族がいないので、代官ー領地の家令ー王都の家令ー領主ー王都の家令ー領地の家令ー代官の流れで仕事をやりくりしていたようです。
ギデオンとその娘は、当主が宮中で仕事をしているためにタウンハウスに詰めっきりでした。ギデオンが公爵位を継ぐ前は、ギデオンのみがタウンハウス、両親である先代公爵夫妻はカントリーハウスに住んでいました。亡くなったギデオンの妻の墓は、ギデオンの両親と同じく領地にあります。




