繰り返す愚行と都市計画と(その1)
空気中の微粒子が集まって生じた人型が、やがて自分になっていく。これがむず痒く痺れるようで、なんとももどかしい感覚に背筋が震える。
この感覚は二度目だ、前回は何年も前のようでもあり、ついさっきだったような気もする。
五感が戻ると同時、全身に冷たく柔らかい物が纏わりついているのに気付いた。
苔だ、全身を苔に覆われている。口や鼻の中、喉の奥まで伸びているではないか。純は反射的に盛大にむせ返り、少しばかり吐いた。
「うげぇっ、げぇっ!ぺっぺっ!うげあっ!おえええっ!」
身悶えしながら喉を塞ぐ苔の塊を吐き出し、掻き毟るように全身の苔を剥ぎ取る。
「おっ、もう戻ってきたか、存外早いな」
目の前には、未練がましく桃グミのパッケージを舐めるメミコの姿があった。
「ヒメミ……いや、メミコか。ここはどこだ?」
「外じゃ、話がしやすい所へ移動した。
あの部屋は臭くてな。ヌシらがため池の底を抜いたおかげか、一帯が随分とこぎれいになった」
同じく瓦礫だらけであるがさっきの空き家ではなく、屋外である。
「奥に湧水がある、口を漱いで来い」
「……助かる」
限界まで深くうがいをしてやっと気が付いた。ここは廃墟群の中心の丘の上だ。
ぐるりと辺りを見渡せば、東に荒川、西に遠く富士山が見える。この岩壁の湧き水でうがいしたのは、二千年ぶりの二度目という事だ。
そう、全ては最初からあったのだ。大体の位置感覚からして……おそらくここはヒメミコの私室があったあたり。そして数日前、千絵に半殺しにあった場所でもある。
「そうか……ここはヒメミコ一族の土地だったんだな」
メミコが軽く頷いた。
「まあ、そういう事になるの」
かつて文字通り命がけで守った土地だ、気にかけるのは無理もない。
「ヒメミコ……いや、メミコは取り返したいのか?……この地を」
純の言葉に、ヒメミコは腕を組んで遠い目をした。
「今更要らぬ。わぁが守りたかったのは土地そのものより、一族が生きる場所。末裔は既に別の生き方を見つけておる。
なにより、それは遠い昔のこと、今この地に住む者たちを追い出すことは出来ぬ」
「意外とあっさりしてるんだな」
「なんと言うか……わぁは確かにサムチルカヒメミコの記憶と意志を持っておるし、あれが自分だという自覚もある。じゃが、今のわぁは……ヒメミコ以外のものも多く混ざっておる。
昨日の自分と前世の自分の間のような……そのせいか、そこまで執着が湧かぬ。
かといって荒らされ穢されるとなれば、気分が悪い」
メミコのすいっと埃を払う程度の動きで、足元の瓦礫がガラガラとどこかへ退いていく。
その下から現れたのは石棺であった。記憶の中よりも随分古びているが、間違いない、かつてヒメミコがアマトのバケモノを封印した石棺だ。
「……あれは、本当にあった事なのか?全部?」
「さあ。ヌシが何をしでかしたのか、思い出してみよ。かつてのヌシはここで何を作り、先日のヌシはここで何を見た?」
「何をって……」
辺りを見渡して気付いた。
ここにあったのはオロチの一味の昔話を元にしたカルチャーパークだ。伝承を元にした星型要塞、突風と石の雨、死体から湧いたとされた水……。
今更気付いた。少々違うところもあるが、全て、自分たちが二千年前にこの地でやったことではないか。
サムチルカヒメミコではなく、オロチツカシノマガツヒメミコの名前が現代に残ってしまったのだ。
「嘘だろ……じゃあ……俺は本当にあの時代に行ったのか??いや、いやいや、もっと前からあったじゃないか?え?……どういう事だ?なにが、一体何が起きているんだ?」
混乱する純に、メミコは少しだけ笑った。
「気にするな、全ては二千年前に終わったこと。……まあ、ヌシは歴史をドカンと変える程の大物ではあるまい。激流に流されながら歯向かい、その中で僅かに光る、剥がれかけた鱗の様な男じゃ」
「随分……詩的になったじゃないか」
「知った口を叩く」
それだけ言うと片頬を吊り上げて見せた。
「この前千絵に聞いた。
わぁの一族はあの後、アマトに講和を取り付けたようじゃが……さらに数百年後に破れ、この地はは奪われた。
しかしカモイを駆る能力を買われてか、滅ぼされることはなく、一部は時の権力者に併合されたらしい。それが、今のクニツカミの一部に通ずるそうじゃ」
「じゃあ、ハッタリとかじゃなくて……国津神そのものだったのか」
いつの間にかすぐそこにいた明である。奴も無事、こちらに戻ってきたようだ。
「そういう事になる。なんにしろ自力で生きる子孫が見れたのは喜ばしい。だからこそ今は、当時の禍根を断たねばならぬ。何でまだ残っておるんじゃ、このアホウが」
石棺をぺちんと叩く。
「……ソバクが、異形がまだこの中に?」
流石に目のあたりにしてきたばかりの純の顔が引き攣った。明も顔をしかめて大きく一歩下がった。
「多分、気配はないが……眠っているだけかもしれぬ。
読めたな、ここら一帯にやたら溜まっていた力は、こいつから溢れたものじゃ」
なるほど、本来封印から流れ出た不可視の力は薄く伸び、風と光に晒されて消える筈だったのだ。
しかし、K社の地上げによるトマソンの大量発生でそれが滞り、その力で仕掛けたバケモノが暴走してしまったのだ。
「人騒がせな奴じゃ。聞いとんのかアホが……そもそも本当に禁星は、まだここにおるんかの?」
頭を書きながら本当に石棺の蓋に手をかけるメミコに、千絵が大慌てで駆け寄り、その腕を掴む。
「おやめくださいヒメミコ様!……軽率です」
ああ、この身にまとう神秘的な雰囲気を台無しにする言動には見覚えがある。間違いなくこいつは殆どヒメミコだ。
「とにかく危険です、万が一復活させてしまえば大惨事です」
「なあ……お前ら親方日の丸国家公務員だろ?いっそクニツカミからの働きかけで、この一帯を宮内省で買い上げたりできねえの?国定公園にしちゃえよ、ヒメミコの神社も作れるぞ」
呻く明に、千絵は左右に首を振った。
「省にとってクニツカミは外様のどぶさらい。山ほどいる王権に下った豪族の一派に過ぎない。直属といえ、内部の権力はない。
各豪族が所縁の土地をその都度国定公園なんかにしたら、日本中が公園になるだろう。かつて住んでいたと権利を主張してみろ、この国は丸ごとイスラエルのようになるだろう」
「あんだよ、使えねえな」
わざと聞こえるようにぼやく明と、こめかみに血管を浮かべる千絵。ヒメミコが掌で制しなければ、掴みかかっていただろう。
「そう、使えぬのじゃ。国の力はわぁ達の味方ではない」
「そりゃそうか、他人の力なんかアテにできねえもんな……四人かぁ、厳しいな」
「ほう?純はともかく、明もか?」
その物言いにメミコが目を瞬かせる。瓦礫にどっかと腰を下ろした明は、嘆息と一緒に続けた。
「そうだよ、バカ野郎。あれだけ振り回されたせいか……お前ら一族が他人の気がしなくなっちまった。一肌脱いでやらあ。
さっきの……教団の呪物はお前らに売ってやる、好きに処分しろ」
明は意地汚く、口も悪く、性根の腐った奴であるが、存外情に脆くさっぱりした所がある。本来単純なヤツなのだろう、色々面倒でも純が明を信用しているのは、そういう所なのだ。
「石棺にはあの異形が……まだいるかもしれない。だが、ここを禁足地にするのは無理……じゃあ,動かせないのか?」
「無理じゃな。石棺自体は封印のフタのような物。封印本体はこの土地とつながりじゃ。離れてしまえばおしまいよ」
「なるほどね……売り飛ばすのは無理、と」
「お前な」
問答無用で売り飛ばそうとするのは予想通りであったが、あの時代からちょいちょい光る明のマメさは健在であった。小汚い手帳を取り出すと、それらを箇条書きに書き綴っていく。
「……一応聞いとくが退治はできねえの?流石に弱ってたりしねえの?」
「どうかの……分の悪い賭けじゃ。万が一当時の姿で出てきたら、今のわぁには勝てぬぞ」
感覚をうっすら共有していた純にはわかる、ヒメミコはあの頃より明らかに弱体化している。
おそらく当時の力の三割、いやそれを遥かに下回っているだろう。眠っていた影響もあるかもしれないが……もっとも大きい原因は、存在の核であるアカルワカヌキを折られていることだ。
「じゃあ……このまま放置か」
石棺の中身もメミコと似たような経緯で生まれているだけあって、それなりに弱っていそうなものだが……あまりの不確定な推測で開けたくはない。
「仮にこれの処分が可能ても、当該地区の分譲計画により、教団残党に大金が入るのも許容できません。連中は力を蓄えれば、いつか必ずまた日本の害悪となり得ます」
千絵の指摘に明は舌打ち、頭を掻き毟る。まだ湿り気を残した苔の欠片がぼろぼろと落ちた。
「お前らよぉ……異形をどうにかしたい、土地の買い上げはできない、教団に儲けさせたくない、ってか。
欲張りもいい加減にしろ。優先順位ってもんはないのか。なにもかもなんてそんな都合の良い手があるわけね──」
「あるかも」
純がぼそりと呟くと、明はちらりとこちらを見て鼻で嗤った。
「そりゃすげえや。お前だってあのバケモノ見て、K社のやり口見てんじゃねえか。
結構めんどくさいぞこれ、こんなの今ちょろっと思い付いたぽっと出の小手先でいきなり上手い事いくわけねえだろうが」
頷く。その通りだ、二千年の因縁が、その場のアイデア程度で解決できるものか、出来てたまるか。
「そう……ぽっと出のアイデアじゃないんだ。答えはもう出ていた、あとは……それをまとめるだけだ」
「あ?……なんだと?」
書類かばんをごそごそまさぐって引っ張り出したのは、掌に乗る程度の円盤であった。冷たい金属製で、見た目よりやたらと重い。
「なんだそれ、汚えな」
「血の匂いがするな……ヌシの血か?」
「随分鼻が利くな。正解だよ」
これは数日前、千絵の襲撃で純の脇腹にめり込んだものだ。裏手の湧き水でそれを洗い、拾った棒切れで乾いた血の塊をこそぎ落とし、落ちていたぼろ布で磨き上げると、姿が見えてきた。銅鏡である。
「あ?そいつは……」
「明は見覚えあるよな?そう、アマトの襲撃直前に作らせた銅鏡だ。
どうやら発掘されて、カルチャーパークに飾られてたみたいだな……大事に取っといてくれてありがたい。……でもコレじゃ役に立たないな」
二千年前、完成直後の銅鏡は明るい赤金色はどこへやら。表面は青緑の錆に覆われ、見る影もなくくすんでしまった。
「仕方ない、車に――」
踵を返そうとした純の肩に、明の尖った拳がめり込んだ。変なツボに入ったのか、骨まで鈍い痛みが走る。
「いっってえ、何だよ明」
「お前今、まぁたクレ吹こうとしたろ。やめろ、成分が強すぎて劣化する」
「いやでも、これを鏡に戻さないと……」
食い下がる純の手からそれをひょいと取り上げたのは、メミコの蔦であった。
「この錆を落とせばよいのじゃな?」
メミコのこめかみのあたりで一輪の花が咲いたと思えばすぐさま散って,みるみるうちにピンポン玉大の黄色く丸い、ナッツに似た実を結ぶ。
ヒメミコは髪を直すような手つきでそれをもぎ取り、掌でぐっと握り込んだ――すると、その身から吹き出した油が、ぼたぼたと錆びた鏡面にしたたり落ちた……油に触れた鏡面からは緑青が浮き上がり、赤金色の輝きを取り戻しつつあった。
メミコが自らの着物の裾でその油を全体に塗り広げ、少し磨き、指先で弾く。すると緑青は嘘のように落ち、鏡面は二千年前の姿を取り戻した。
「どうじゃ」
得意満面のメミコであるが、それも納得の凄まじい力だ。
「すげぇ……」
「うわ洗剤の詐欺広告みてえだ……生姜焼き食った皿とか洗ってみない?」
「っ……」
明の酷い物言いに、メミコの後ろで千絵が小さく吹き出した。
「ありがとうメミコ……ええと……ダメか、今の俺にはもう読めない。メミコなら読めるよな?」
メミコはそれをちらりと覗き込むと、受け取りもせずに背後の千絵を呼びつけた。
「千絵、頼めるな?」
「ええ?私ですか?……なんとか、可能です」
「えっ……メミコは読めないのか?」
頷く。一ミリたりとも申し訳なさそうにしていないのが、もはや清々しい。
「読む必要がないからの」
「はぁ?」
「これは政やら占いやらの記録用に作らせた文字じゃからな。わぁは記録される側、読む必要あるまい?」
「なんだその理屈」
「傲慢だ、女王の傲慢さが出たな」
「おうおう嫉妬が気持ちいいわいケケケ」
ぎゃあぎゃあ喚いているのをよそに、千絵は顔をしかめて押し付けられた銅鏡を覗き込んでいる。しかしヒメミコの命令を拒むわけにもいかないと、スマホや手帳を覗き込みながら、なんとか解読に取り掛かる。
「……ええと、石の箱に……」
「石棺じゃねえの?」
「それだ、石棺にアマトを、眠らせ……いや、封じた?光の教わり?いや……光に従い……虚ろを建てよ、それが長い……永久の封印を……齎す……?だそうです」
「ふうん……で?そりゃどういう事じゃ?その鏡、わぁは知らぬが」
メミコが首を傾げる。無理もない、これが完成したころ、ヒメミコは既に自分の命を捨てる覚悟を決めていたのだから。
「作らせたのは俺だ……いや、アクルイと言う方が正しいかな?」
「なに?アクルイが?」
「俺……でいいのかね。アクルイはヒメミコに頼まれたんだ。
自分が死んだ後も、異形を確実に封印してくれ、って」
それこそ、カイヌの死に直面し、覚悟を決めたヒメミコが、アクルイに託した戦の後始末である。
「覚えておったのか……あの短時間でよくもまあ……なんじゃ千絵、すごい顔して」
千絵が震える手で指したのは、銅鏡に鋳込まれた文字の一部であった。
「ここに……アクルイと……書かれています。何のことかと思ったら、製作者の名前だったんですね……」
間違いない。純歯思わず笑みがこぼれた、二千年前のアクルイと繋がった気分である。
「ずいぶん遅くなったが……これでヒメミコとの約束が果たせる」
「……この格好つけが」
メミコは顔を背けるとむず痒そうにこぼすのであった。
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