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『数日以内に今いる城から退去し、王が用意した城へ移転せよ』


 フェルナンが遣わした大臣は、目を丸くするリファト達に書類を握らせた。それは新たな住居となる城の権利書だった。


「数日以内とは急な話だな…」

「安全面を考慮した上での、陛下のご判断です。移転先のお城の整備は、既に終えております」


 安全面を指摘されると頭が痛い。元より王族が住まうには不釣り合いな程、朽ちていた城であるし、幾度も不届き者の侵入を許してしまっている。この先、子が増える事も考えたら、朽ちかけの古城に住み続けるのは得策ではない。フェルナンが用意したという城は、諸々の点で抜かりないのであろう。

 けれどもリファトは躊躇を覚える。隣で同じ命令を聞いていたエイレーネに視線を向ければ、彼女は唇を引き結んでいた。美しく立派な城へ移れるというのに、彼女の横顔はお世辞にも嬉しそうには見えない。


「ではご承知の旨を陛下にお伝えしますが、宜しいですね。リファト殿下」

「……ああ。そのように」

「出立の際はお声がけくださいませ」


 大臣が帰って行ってから、エイレーネはとうとう目を伏せてしまった。


「…今からでも、兄上に断りを入れましょうか?」

「いけませんよ。陛下のご厚意ですもの」


 リファトとて、フェルナンに逆らうつもりはなかった。だが、エイレーネがここを離れたくないと願うのならば、そうするのも吝かではないのだ。眉を下げる彼に対して、エイレーネは小さく笑うのだった。


「ただ、寂しくて…リファト殿下がくださった庭園を、手放さなければいけないと思うと…とても寂しいのです。もちろん、一番嬉しかったのは殿下のお気持ちです。たとえ形ある物が無くなろうと、わたしが頂いた幸せは無くなりません」


 惜しむ気持ちは大きいけれど、それ以上に価値のあるものをエイレーネはたくさん貰っている。

 しかしそれはリファトも同じだった。


「貴女が来てからこの城の庭園は華やかで美しくなりましたが、当初はどれだけ見窄らしかったか。私は今でも恥ずかしく思うことがあります。枯れ枝しかなかった貧相な庭をここまで愛してくれて、私がどれほど貴女に感謝しているか分かりますか?レーネ」


 リファトには最低限の用意もできなかったのにいつの間にか、エイレーネが至上の拠り所へと変えてくれたのだ。


「城は取り壊しになるかもしれませんが、庭だけは保存してもらえるよう、兄上に掛け合ってみます」


 我儘を通すことに抵抗があるらしいエイレーネは、返答に迷っている様子であった。そうなれば嬉しいけれど本当に良いのだろうかと、曖昧な表情が語っている。リファトは声色を明るくして、彼女を慰めた。


「フェルナン兄上なら、話せば分かってくれると思いますよ」


 良い顔はしないかもしれないが、とは言わないでおいた。どのみちリファトは兄が難色を示しても己の意見を通すつもりだった。




 かくして移転の支度は進められた。といっても、とても慎ましい暮らしをしてきた彼らの荷造りは、一日足らずで終わった。家具類は新しい城の方に全て揃っているとの事なので、傷だらけで使い勝手の悪かった古城の家具は処分となる。そうなると、衣類や日用品を纏める程度で済んでしまったのだ。支度が済んだからといって、すぐ出発できる訳ではなかった。古城にいるのはリファトとエイレーネだけではない事を忘れてはいけない。

 住み込みで働いている使用人達は全員、リファト達に付いて行くと即決した。しかし自分の家から通っている使用人の一部は葛藤の末、辞退を選ぶ者もいた。庭師のポプリオもそのうちの一人であった。解雇も同然になってしまう使用人達には、リファトが必ず次の仕事場を用意すると約束した。

 古城で過ごす最後の晩は、全員が集まってささやかなパーティーを開催した。今夜は無礼講だと誰かが叫び、エイレーネは久しぶりにパン切り包丁を手に持った。その為リファトは、いつかのように笑いを堪えなければならなかった。


 出発当日は大臣が手配した迎えが来るまで、リファトとエイレーネは四阿にいた。時間の許す限り、思い出話に浸っていたかったのである。


 新しい住居となる城は、三代前のカルム国王がこだわり抜いて造らせたと言われる別荘だ。湖に囲まれた景観が非常に美しい反面、静か過ぎるとの理由でリファトの亡き父ギャストンは、あまり利用しなかったらしい。だが兄のフェルナンは即位前に好んで使っていたそうで、城の管理をそのまま弟へ譲った形である。


「なんと壮麗な…まるでお城が湖面に浮いているみたいです」


 そう絶賛したのは、馬車から降りたエイレーネだ。抱いているライファンも巨大な水溜まり、もとい湖に目を輝かせており、食い入るように見つめていた。

 外観もさることながら、屋内も文句無しに美しかった。天井も柱も上品な色で纏められ、床の大理石の光沢が眩しい。そして広い。およそ半分が崩れていた城に居た所為か、広々とした空間に立つと落ち着かない心地になる。

 ただ、一応王宮で暮らしていた時期があるリファトと、ベルデ王女であったエイレーネは順応が早かった。本来ならば二人はこういう城に住んでいるはずなのだ。長いこと呆けていたのは使用人達である。ジェーンなど騒ぐのも忘れて、あんぐりと口を開けるだけになっていた。

 そんな感じで、出て行く時よりまごつきながら、使用人達が荷解きをしている最中の事。


「フェルナン国王陛下の御成である!」


 突然の大声に驚くより先に、リファトとエイレーネの体は動いていた。速やかに玄関のところへ行き、片膝を曲げて跪く。疑問が浮かんだのはその後だ。


「王宮へ戻るついでに立ち寄っただけだ。楽にして良い」


 フェルナンはそう口火を切った。


「弟に少し話しがある。他の者は下がれ」

「はい、陛下。御前を失礼致します」


 エイレーネは一礼してから去り、その場にはリファトだけが残された。


「場所を移す」

「は、はい」


 勝手知ったる城だからか、フェルナンはすたすたと城内を進んでいくので、リファトは戸惑いつつも慌てて追いかける。歩きながらフェルナンは、用件を伝え次第帰るから茶も不要だと言った。


「…陛下、この度は私どもの為に素晴らしい城を用意してくだ、」

「そういう口上も要らん」


 にべもなく切り捨てられ、リファトは口を閉ざした。フェルナンは無駄を嫌う男だ。聞かれた事にのみ答えれば良い。


「要件だけ伝える……近々、母上にはご退場願う事になるだろう」

「退場…」

「処刑台へ送るという意味だ」

「!?」

「父上の殺害を企てたのだ。生かしてはおけない」


 フェルナンは事もなげに言うが、とんでもなく重大な内容であった。王太后である母の死を予告されたのだ。リファトは固唾を呑み、兄を注視する。

 ニムラを処するには王殺しという最も重い罪の大義名分が必要だった。あれほど蛮行を繰り返し、度重なる殺人を犯しても、そう簡単に揺らがないのが王太后という立場なのだ。都合の悪い事を捻じ曲げてしまえるだけの権力がある。ニムラみたいに傲慢で自分本位の女が据えられたのが間違いだった。だがしかし歴史を紐解くと、王太后になったのは欲に塗れた女人ばかりである。嘆かわしい限りだと、フェルナンは吐き捨てるように呟いた。


「前王殺害に関わった者は、もれなく母上に消されていた。おかげで証拠を揃えるのに時間がかかってしまったが、いい加減終わりにしたい」

「…そうでしたか」


 それにしても、かつての愛妾ミランダが残した置き土産は、驚くほど的確だったという事か。王妃が前王を、つまりは母が父を殺したのだ。わざわざ調べなくとも、動機は察せられよう。やはり、という思いが大部分を占めている気がした。


「この件についてお前は一切の関与をするな。私が全て指揮を取る。お前はアンジェロに目を光らせておけ」

「アンジェロ兄上がまた何か…!」

「まだ尻尾は出さんが、碌でも無いことを企んでいるのは間違いない。迷惑千万だ。仕掛けてきそうな雰囲気を感じたら、すぐ私に一報を飛ばせ」

「…わかりました。仰せの通りに致します」

「話は以上だ」

「陛下。私からも一つ、宜しいでしょうか」

「何だ」


 腰を浮かしかけた兄を引き留め、リファトは古城の庭園について願いを口にする。思い入れのある場所なので更地にするのは止めてくれと、懇願した。

 案の定、快諾はされなかった。だが表立って反対もされなかったのである。


「…口の減らない爺共を黙らせる事ができたら考えよう」


 今度こそリファトが話す余地も与えず、フェルナンは椅子から腰を上げていた。

 バタン、と音を立てて扉が閉まる。その音で、自然と肩に入っていた力が抜けていく。


「……フェルナン兄上は、意外と口が悪いのだな」


 面と向かって長々と兄弟で会話したのは初めてであった。長々、と言うには五分にも満たない時間だったが、それでも今までで最長である事に変わりはない。

 フェルナンが言わんとした事は大方、見当がつく。早く次の子を作れと、急かされたようなものだ。赤児の夭折や死産が多い故、王族の女性は一人でも多く子を産む事が求められる。エイレーネは無事ライファンを産んだが、世継ぎ候補が一人だけでは不安視する声が上がるのは道理。政に関わっていないリファトは想像するしかないが、フェルナンは臣下達から色々言われて辟易しているのかもしれない。

 しかしながら、リファトの基準は一貫してエイレーネが最優先だ。王子としての責任は重々理解しているが、彼女が関わるなら話は別だった。侍医の保証を得て、且つ、エイレーネの合意を貰ってからでなければ彼は次へ進む気が無かった。


 就寝前の語らいにて、リファトはエイレーネに間もなく起こる出来事についてのみ教えた。リファトの母であるニムラは、近いうちに王殺しの罪に問われるであろう、と。


「……それは、わたしが聞いても良いお話なのでしょうか?」


 兄から知らされた事を大体そのまま伝えると、エイレーネはまずその事を心配した。


「兄上は他言を禁じませんでしたし、教えるのは貴女にだけですよ」


 二人とも口は固い上、そもそも口を滑らす相手もいない。それをフェルナンも見越していたはずだ。


「それならば良いのですが…」

「どうしました?レーネ」


 ニムラによって幾度も死地に立たされた。リファトとエイレーネだけでなく、二人に従う者達や、無関係な国民までも騒動に巻き込んだ。一つでも選択を誤っていたら、もっと大勢の命が失われていた。そう思うたび背筋が凍る。

 エイレーネも対峙したからこそ分かったが、ニムラは心の底からリファトの死を望んでいた。その時感じた燃えるような義憤は、依然として腹の中で燻っている。今日に至るまで、ニムラはいったいどれだけの命を奪ったのか。亡くなった事実すら揉み消された人もいたかもしれない。ニムラは許されない罪を犯した。親衛隊の流した血の匂いがエイレーネは忘れられなかった。けれど……あの女人がリファトを生まなければ、エイレーネの幸せは無かったのだと思うと非常に複雑な気持ちになる。


「…何でもありませんよ。驚いてしまって、言葉が出てこなかっただけです」

「……レーネ。私は母上が死ぬと聞いても、残念にさえ思わなかったんです。曲がりなりにも私の母親なのに、おかしいですよね」


 浮かない顔をするエイレーネに、リファトは自分の心情を吐露する。その声音は、悲しいほどに静かであった。正直なところ彼は、決着がつきそうな母の事より、アンジェロの動向の方がよほど気掛かりなのだ。言葉にも態度にも出さないが。


「私たち兄弟も、両親もおかしいんですよ。普通じゃない。そんな狂人のために、貴女が心を痛める事はありません。むしろ私が、そうしてほしくないと思っています。悪事を働いた罪人が正しく裁かれる、それだけの話です」

「リファト殿下は、狂人などではありません。わたしが知る方々の中でも、際立って優しい方です」


 その褒め言葉をそっくりそのまま彼女に返してから、リファトは白い頰にそっと口付けを落とす。いつの間にか、触れる前に許しを乞う事はしなくなったものの、リファトは今でも小さな遠慮を覗かせる。エイレーネはそれがほんの少しだけ不満だった。いつかは不意打ちで唇を奪ってくださいね、と悪戯っぽく囁けば、リファトは赤面しながら咳払いをするのであった。






 深夜の闇に紛れつつ、小さな塔へ足を踏み入れる人影があった。外見は煉瓦造りの塔であるが、室内は牢獄そのものだ。この塔が建てられた目的は、高い爵位を持つ人間を留置する事にあり、幽閉塔という俗称を持っていた。

 しかし王太后の私的な拷問塔とは違い、こちらは公的な建物だ。現在は王命により、ニムラが拘禁されている。

 彼女の裁判が五日後に迫る中、招かれざる客はやって来た。


「ご機嫌よう、母上。おや、少しお痩せになりましたね」


 適当な理由を並べて警備を散らした彼は、母に対しにっこり笑いかけるのだった。けれどもニムラの方は欠片も面白くない。


「…アンジェロ。よくもあたくしの前に顔を出せたものだ。お前の手抜かりでこうなっているのだぞ!!」


 ニムラは手枷の鎖を鳴らしながら、贔屓していた息子に食ってかかった。リファトさえ戻って来なければ、あのまま幼い王子を奪う事が叶ったはずなのだ。全てはリファトをきっちり始末しなかったアンジェロが悪い。

 母に楯突くフェルナンが怨めしい。傀儡にすらならないマティアスが忌々しい。そして、死に損ないのリファトが心底憎い。ニムラの腹から生まれた四人の息子は、誰一人として思い通りにならない。


「役立たずめ!化け物とベルデの姫を殺したら、次はお前だ!!フェルナンよりも先にお前を殺してやる!!」

「おお、怖い怖い」


 皆殺しにしてやると血眼になるニムラを前に、アンジェロは余裕の笑みを見せていた。むしろ、あろう事か彼女の怒りに油を注ぐのであった。


「縛られたお姿で格子の向こうから吠えても醜いだけですよ、母上。今のあなたは愚弟以下だ」


 リファト以下。その酷評に怒髪冠を衝かれたニムラは「死ね」だの「殺す」だのを口汚く連呼し始める。


「あなたの殺すは聞き飽きました…が」


 にいっと笑みを濃くしてそう呟いた後。どこで入手したのか、アンジェロは牢の南京錠を開けて中へ侵入した。自身の懐から何かを取り出した彼は、ニムラの顎を思い切り掴み強制的に黙らせる。

 手荒く扱われたニムラは憎悪混じりに息子を睨んだが、やはりアンジェロは不気味に笑っていた。そこで彼女は初めて、息子に対して身の毛がよだつ感覚を覚えた。


「エイレーネ姫を殺す?許せませんねぇ。別にあなたが何人殺そうが、世継ぎが死のうが、僕は興味ありません。どうだって良いんですよそんな事は。ただ、エイレーネ姫だけはいけない。彼女は僕が必ず手に入れる。誰にも渡さない。あなたにも、愚弟にも。大体、僕の手抜かりだと仰るが、無駄に権力を持ちながら、か弱い姫君の一人すら捕まえられないあなたこそ、恥ずかしくないんですか?どの面を下げて王妃なんてやっていたんでしょうねぇ?外見も内面も見苦しい癖して、愛妾に勝てる訳ないじゃないですか。父上からも息子達からも、誰からも愛されず処刑される…カルム王国史に残る最大の汚点ですね!実に惨めだ!…え?僕は違いますよ?僕はエイレーネ姫に愛される男ですから。素晴らしいと思いませんか。あの優しさも高潔さも。何より愛情に溢れた仕草のすべてが堪らない!やっと見つけたんですよ本物の愛というものが!彼女だけがそれを持っているんだ!ああはやく、あの可憐な顔と声で僕に愛を告げてほしい!柔らかな胸の中に抱きしめてほしい!」


 アンジェロは恍惚と語りながら懐から出した何かを、ニムラの前に突き出す。彼の瞳にはニムラが映り込んでいるのに、目が合わないと感じるのは恐怖でしかなかった。


「…僕とエイレーネ姫の世界を邪魔する存在は須く消す。血縁だろうが例外は無い。とはいえあなたは腐っても母上ですから、最後に孝行はしませんと。その耳障りな声を、他人が聞くことのないようにしておきますね」


 そう笑顔で言うやいなや、アンジェロは手に持っていた小壺を逆さまにし、中身の液体を全部、ニムラに飲ませたのだった。

 開口させられていた彼女は、頭を振る事もできず、液体を垂直に流し込まれた。半分程度は吐き出せたものの、残りの半分を反射的に嚥下した直後、凄まじい激痛がニムラの喉を焼いた。口から零れた分が付着した首や、鎖骨のあたりも焼けるように痛む。相手を睨み付ける余裕はニムラから消え失せた。絶叫しようにも爛れた喉が痛み、更なる苦痛が増すだけであった。

 悶え苦しむ母を半笑いで見下ろしていたアンジェロだが、母が血を吐いた頃には姿をくらましていた。朝が来るまで放置されたニムラは、それから一切声が出せなくなった。




 早朝からフェルナンの怒声が飛ぶのは、前王ギャストンが崩御した日以来であった。


「どういう事だ!あの馬鹿は何をやっている!何故誰も止められなかった!」

「も、申し訳ございません。我々も今朝方、知った次第でありまして…」


 フェルナンの剣幕に、大臣達は体を縮ませた。経緯は以下の通りである。

 五日後に予定されていたニムラの裁判が急遽、本日に繰上げられた。しかもニムラは自力での発声はおろか、歩行すら儘ならないほど衰弱しており、弁論は不可能。開廷時刻までも大幅に早められ、間も無く判決が下されるその裁判は、原告側の人間が一方的に過去の罪を読み上げるだけの、裁きとも呼べないような代物になっているという。

 原告側に立つ第三王子が、ニムラの悪行を流れるように列挙していたと報告を受けたフェルナンは、起き抜けに激怒する羽目になったのだ。


「アンジェロを法廷から引き摺り出し、ここへ連れて来い!」

「しょ、承知致しました。仰せの通りに」


 国王であり、夫でもある人間を殺しておきながらこの数年間、素知らぬ顔で生きてきた女人には、死をもって償ってもらうしかない。しかしフェルナンは、下される判決は変わらないにしても、王太后らしく最低限の威厳は確保して、処刑台に立たせるつもりだったのだ。だから然るべき手順を踏み、被告人の立場も尊重しつつ、公正な裁きが下るよう取り計らっていたのに、全てアンジェロに潰された。フェルナンの怒りが収まるはずもない。


 連行されてきたアンジェロは「兄上に助力したかったのです」の一点張りで、己の非を認めようとしなかった。


「助力など要らぬと言ったはずだ。もういい。私の目が黒いうちはお前を自領から出さん!」


 フェルナンは厳しい口調でそう告げた。軟禁にも等しい命令だったが、アンジェロは涼しい顔で了解する。その態度がまたフェルナンを苛立たせた。

 しかしながら、アンジェロが領地に引っ込んでも問題は残されたままである。


「裁判はどうなっている」

「はい。先程、早馬がございました。ニムラ陛下には斬首刑が言い渡されたとの事です」

「周囲の様子は」


 フェルナンの思惑から外れた方法となってしまったが、どうせ判決は同じだった。彼が懸念しているのは、傍聴人や国民に与えた心象である。アンジェロがどんな風に被告の罪を証言したか知らないが、聞いている者へ不快感を植え付けるような話し振りだったのは想像に難くない。


「…即刻殺せと民衆が詰めかけ、今にも暴動が起きそうだと報告が上がっております」


 エイレーネに民衆の人気が集まりつつある事を、フェルナンも小耳に挟んでいた。これで一層ニムラの悪行が目立ち、反対に被害者であるエイレーネには多くの同情が寄せられるだろう。国王以外の者に権力が偏るのは、避けたいところであった。フェルナン自身は王座に固執していないが、余計な派閥が生まれると執政が面倒になる。彼はもう面倒事は懲り懲りなのだ。


「…致し方ない」


 フェルナンは諦めの溜息を吐いた。ニムラだけでなくアンジェロも厳重に縛っておくべきだった。それを怠った故の失態だ。今やるべきは一つ。


「本日の正午をもって、王太后ニムラの斬首刑を執行せよ」




 一連の騒動がリファト達の城まで届いた頃には、正午を大きく回っていた。予め兄から裁判の日程を聞かされていたリファトは、想定外の事態が起きた事を瞬時に悟った。エイレーネも口元を覆っている。二人が報せを聞いた時点で、既にニムラの首は刎ねられていたのだ。

 リファトは一呼吸置いた後、使者に母の最期の様子を尋ねた。しかし詳しい証言は得られなかった。そこでユカルに命じ、情報を集めてきてもらった。彼は日暮れ前に戻り、固い表情のまま民達から聞いた事を報告するのだった。

 裁判所から出てきたニムラは、威厳も何も感じられない、悍ましい姿であったという。髪は乱れて絡まり、頬から首にかけて何故か皮膚が爛れていて、口は開きっぱなしで涎が垂れていた。真っ赤に充血した両眼だけがぎらつき、不気味としか形容できない有り様だった。会話できる状態ではなかったが処刑人から形式上、言い残す事はあるか問うた。その直後、ニムラは暴れ始め、何事かを訴えていた。だが、潰れた喉から声が出る事はなく、彼女は血反吐を吐くだけだった。ニムラは往生際悪く暴れ続け、手に負えなくなった処刑人は大人しくさせる為、罪人の腹に短剣を突き立てた。それで動きは鈍くなったものの、彼女の唇は閉じられなかった。ギロチンの刃が落ちる瞬間まで、彼女は誰かを呪っていたという。開眼したまま絶命した壮絶な最期に、見物に来ていた民衆は水を打ったように静かになったそうだ。

 なんて惨めな死に様だろうか。かくしてリファトは両親を喪った。二人の死を悲しいとは思わなかった。自業自得と言えばそれまでだが、少し気の毒に感じる。父も母も、まともな死に方をしなかったから……。




 それからの日々は静かに過ぎた。フェルナンは国民の心情に配慮し、喪には服すが葬儀は簡素に済ませた。生前のニムラが知ったら間違いなく激怒するであろう、ひっそりとした葬式だった。

 その間にリファトは、アンジェロの行動について報告を受けた。法廷での話し振りを詳細に至るまで聞き出したリファトは、兄の標的がエイレーネではないかと思い始めた。何せアンジェロは、証言台にてエイレーネを擁護する内容の発言ばかりし、その様は彼女を崇拝しているかの如しだったらしい。リファトの肌に嫌な鳥肌が立った。エイレーネを奪われそうになったのは初めてではないが、これまでとは何かが違う事をリファトは敏感に感じ取っていた。アンジェロを許すつもりは更々無いが、暴言を吐いている方がまだましだった気がしてならない。

 考え込む時間が増えた事をリファトは自覚しており、その都度、かぶりを振って暗い思考を飛ばす。しかし気付くとまた最悪の予想を立ててしまっている。完全に悪循環である。今日もまた、考え事をしながら当てもなく城の中を歩いていたようだ。

 中庭に出て気分転換でもしようと、リファト向きを変えた。あわよくばエイレーネに会えるかもしれない、という微かな下心もあった。

 新しい住居であるこの城は湖の真ん中にある特性上、古城のような庭も四阿も無い。その代わり、城の中に小規模な中庭が作られていた。エイレーネは移転して間も無く、そこを花壇ではなく小さな畑に変えた。古城で育てていた薬草を、そのまま移植したのである。栽培困難と言われる薬草を枯らさずに移植させたのは、彼女の"グリーンフィンガーズ"が成せる業だろうか。場所が変わっても彼女がリファトの為に行う事は変わらず、リファトを笑顔にしてくれる。


 熱心に薬草の世話をする横顔を一目だけでも見れたら、との期待を胸に来たもののエイレーネの姿は無く、イシュビが直立しているだけだった。彼はリファトを見つけるや否や、元々伸びていた背筋を更にぴんと張った。


「リファト殿下!何か御用でしょうか」

「いや、特に用事は無いが、君ひとりでどうしたのかと思ったんだ」

「実はライファン様が粗相をなさいまして、妃殿下はお着替えの為にお部屋に向かわれ、私はお戻りをお待ちしている最中にございます」


 その場に居たであろうアリアとジェーンも、おしめ替えを手伝っているに違いなかった。遅れてリファトが行ったところで戦力外なのは分かりきっているので、侍従と共に待つことを決めた。それにしても、暇な時は肩の力を抜いたって良いのに、直立不動で待機しているあたり、イシュビは生粋の真面目人間らしい。


「仕事には慣れただろうか」

「お気遣い痛み入ります。どなたも親切で、居心地が良いです。仕事にも非常にやり甲斐を感じております」

「それは良かった」

「学ばなければならない事は山積みですが、アリア殿の指導に助けられています」

「ああ、彼女の教え方は理路整然だとエイレーネも褒めていたよ。ジェーンは擬音がいっぱいで臨場感に溢れている…と聞いたな」

「それはその、まあ…し、しかし二人とも貴族の令嬢と遜色ない教養を身につけていて、いつも驚かされます。ユカルも奴隷だった事なんて全く感じさせませんし、そこへ至るまでの努力を是非とも見習いたいです」


 男二人で雑談に興じていたら、程なくしてエイレーネ達が中庭に戻ってきた。しかし何故かエイレーネはリファトと目が合った瞬間に、ぽっと頬を赤らめたのだ。毎日のように惚れ直しているリファトならまだしも、彼女はいったいどうしたのだろうか。


 その理由は晩になってから判明した。


 ライファンを寝かしつけ、リファト達も就寝する為に寝台へ上がる。エイレーネは定位置である彼の隣に収まったが、やはり昼間と同じように頬を紅潮させていた。もしや熱があるのかと焦りもしたが、リファトは彼女の瞳がやけに艶を帯びているのを見つけ、不意に心臓が大きな音を立てたのだった。


「…リファト殿下」

「何でしょう、レーネ」

「わたしは、その…自分がそうだったように、ライファンにも弟や妹をつくってあげたいと思うのですが…殿下はいかがお考えでしょうか」


 内緒話をするかのような声量であった。言ってしまってから羞恥心が押し寄せてきたらしく、エイレーネは赤面を濃くする。低俗な言い方をすれば、子作りしようと誘っているのだ。貞淑な彼女だからこそ、女から誘う事にかなり躊躇いがあった。

 実は昼間、エイレーネはその事を侍女の二人に相談していた。リファトから二人目が欲しいと言われるまで待つべきか否かを。アリアとジェーンの答えは「エイレーネ様のお気持ちをそのままお伝えすれば、万事うまくいきます」だった。そういう経緯があり、今晩告白するに至ったのである。

 一方でリファトは、いっぱいいっぱいな彼女の形相を見て、大いに反省していた。確かに彼女の体が一番大事だけれど、二人目についてリファトが態度にも言葉にも出さないでいたのは間違いだった。恐らく黙っていただけで、彼女を随分と悩ませていたのだろう。


「…レーネに全部言わせてしまい、すみませんでした」

「いえ…わたしもはしたない事を口にしました…」

「そんな事ありませんよ。私は嬉しい」


 リファトは真っ赤に熟れた頬に優しく触れる。


「ベルデ国で見た貴女の家族のような、賑やかで温かな家庭にしたい。それが私の考えです」


 先ずは明日、ギヨームの診察を受けましょう。彼がそう提案すれば、エイレーネは恥じらいながらもこくこくと頷いたのだった。

【補足①】

ニムラは処刑される間際「アンジェロお前だけは必ず道連れにしてやる」と繰り返し叫ぼうとしていました。

信心深い貴族の両親に育てられたニムラは、子供の頃から預言や占星術に傾倒しました。リファトのことは殺したいほど忌み嫌っていましたが、信託のことが頭の片隅から離れず、最後まで自ら手を下す決断に踏み切れませんでした。ニムラの性格ならもっと徹底的で残忍なやり方もできたはずです。


【補足②】

リファトはエイレーネを気遣うあまり、同衾に積極的になれません。また、エイレーネの方も「殿下はあまり肌を見られたくないのかもしれない」と思い、彼女から言い出す事は控えています。ただしリファトも男なので触れたいという気持ちはすごくあります。なので、そういう雰囲気になった夜は、リファトがエイレーネを離しません。触れられなかった時間を埋めるかのようです。受け入れる側のエイレーネはいつも疲労困憊で、リファトは毎度反省するのですが、彼女は幸せそうに笑うだけなので、リファトの反省が生かされる事はありません。

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