96.その時は身体の予約をキャンセルし、次の段階に移行することにする
「……ふう」
案内された屋敷の一室で一息つく。
さすがは王族が使う別荘、誰が来ても対応できるよう客間も広く豪華だ。
「私、初めて王様を見ました」
小さなテーブルに着くと、すぐにリノキスが紅茶を淹れてくれる。カップもポットも完全完備である。
「私もよ」
きっと両親はあると思うが、しかし以前のニア・リストンもないだろう。兄は意外とあったりするのかな。
「どんな人か知ってますか? ヒルデトーラ様から聞いたとか」
「いえ全然」
これまで、王様がどんな人かなんて、考えたこともなかった。
興味もなかったし、拘わることも予想していなかったし。
「ヒルデは父親の話になるとあまりいい顔をしないから、むしろそっちに行きそうな話は避けていたわね」
逆に「どんな人か知っている?」と質問すると、リノキスは「噂で聞いた限りですが」と答える。
「かなりのやり手で、でも冷徹で、すごい女好きだって。そういう噂は聞いていましたが」
へえ。
王様はそういう評価の人物なのか。
「今のところ、噂に違わないわね」
第一印象では、政治手腕は良さそうだし、冷徹さはたったあれだけの接触でも感じられた。
女好きはちょっとわからないが。
しかし英雄は色を好むものだから、意外という気は……しなくはないな。少し意外だ。
あれは王という仕事以外が目に入っていないように思えたから。
だから、女どころか自分の家族や血縁さえ、彼の心には住んでいない気がする。
「――それでお嬢様、本日のご予定は?」
ヒルデトーラ、レリアレッドとどう過ごすかの相談はかなり弾んだが、候補はたくさんあるものの結論はほとんど出ていない。
とりあえず屋敷に着いたらまず散策に、みたいな話はしていたが……
「レリアがあの調子だから、どうしたものかしら」
レリアレッドの動揺はすごい。
部屋まで引きずって行ったら、今度は自分の侍女と一緒に部屋にこもって「もう今日は出ない!」と、ドア越しに叫んでいたから。
どうもいきなり王様に遭遇したことで、緊張がピークを越えてしまったようだ。
今日のレリアレッドは、本当に無理かもしれない。
まあ、それもあるとして。
ちょっと考えたいことも、できてしまった。
「……やり方がぬるい、甘い、か……」
――言ってくれるではないか、四十五十程度の青二才が。
こっちは必死で抑えて自制して無理して、できるだけ子供らしく振舞っているというのに。
それをぬるいと。甘いと言うか。
なんの憂いもなく全力を出せるなら、苦労はしないと言うのに。
…………
悔しいが、奴の言うことに納得できる点が多い。
確かにいつまでもチャンスはないだろう。そもそも私にはリストン家の財政事情という制限時間もある。
いつ、どんな形で、いきなり終焉を告げられるかわかったものではない。
無理のない速度で、だが最速で普及活動をしている。
それが現状である。
しかし、それでは遅いというのか。
……時期尚早が過ぎるとは思うが、致し方ないのかもしれない。
まだ間に合う内に手を打たないと――そう、今すぐにでも本気で普及活動をしておかないと、いずれ後悔するかもしれない。
「どうぞ」
紅茶のカップを差し出すリノキスを見る。
――時期尚早。
――まだ早い。
――どう見てもまだまだ未熟。
だが……残り時間を考えると、今すぐ動いたとしても、遅いかもしれない。
「ねえリノキス」
師としては、絶対に許可はできない。
だが、家を守ると決めたニア・リストンとしては、言わずにはいられない。
「あなた、この国で最強の女にならない?」
「は……はい?」
対面にリノキスを座らせ、将来的にやろうと思っていた私の計画を話す。
「えっと……要約すると、武術大会でファイトマネーで荒稼ぎ?」
「まあ、それでいいわ」
結局路地裏だの闇闘技場だのでやることと同じなので、その解釈で間違ってはいない。
ただ、規模だけは非常に大きい。
それに伴い、いろんな思惑も絡んで来るだろう。
「いずれ全世界の強者を一ヵ所に集めて戦い、世界一強い者を決める。その模様を魔法映像で流そうと思っていたの。
もっと魔法映像が普及し……それこそ他国にも広がったところで、ぜひやりたいと」
だがそのためには、まず下地作りが必要になると思っていた。
こういう大きな企画は、ただ強いだけ、ただ金があるだけ、ただ権力があるだけでは、成立させられないのだ。
いろんなところからたくさんの協力を得て、皆で作り上げる企画なのである。
魔法映像に触れ、深くその業界に拘わった今生では、それは痛いほど理解できた。
力だけでは、強いだけでは何も上手くいかないことがある。
世界は、暴力だけで片付くほど単純ではないのだ。
魔法映像の普及とともに、認知度が高まれば、各放送局が力を付けて行く。
その過程でノウハウも培われ、各界に繋がるありとあらゆるコネもできるはずだ。
実際、ヴィクソン・シルヴァーという貴人が魔法映像業界に参戦し、王族とのコネもできた。
まだまだ時期ではないと思うが――しかし今やっても、それなりに大きな話題にはなるだろうと思う。
全世界、というのはまだ無理にしても。
このアルトワール王国で一番強い者を決める大会くらいはできそうだ。
ただ、問題は、私が若すぎること。
なんといっても、まだ十歳にもならない子供である。
選手として出場はできないし、私からの企画と言ったところで、子供の思い付きを真面目に聞いてくれる大人も少ないだろう。
しっかりじっくり魔法映像普及をしつつ、大規模大会の下地作りをして、いずれ私が出ようと思っていた。
何年も掛けてやろうと思っていた。
だが、それでは遅すぎるかもしれない。
どんなに無理をしても、歳をごまかしても、五年以上はかかってしまう。いかんせん歳はごまかせても子供の身体だけはどうやってもごまかせない。
――そこで、リノキスだ。
「一年よ」
私は人差し指を立てた手をびしっと突きつけた。
「一年であなたを、この国最強の武闘家に育て上げる」
「え、えぇ……私が最強ですか……?」
案の定、リノキスは困惑している。まあそりゃそうだろう。この国の最強さえ、彼女にはまだまだ遠い。
「私の弟子ならそれくらいにはなってほしいんだけど」
時期尚早ではあるが。
だが、素質はあると思っている。
ここのところの修行でも、「氣」の扱いが安定しているし、リノキスなら一年あれば、今の私の足元を這う蟻くらいにはなれるだろう。
そこまで来れれば、この国の最強になれる可能性はありそうだ。
――ヒルデトーラに付いていた護衛が、この国で優秀な騎士だと言うなら、本当にそれくらいで充分だろう。
「あの、私は確かに強くなりたいとは思っていますけど、でもそれはあくまでもお嬢様の護衛としてなんです。
大会に出るだとか、最強になるだとか、見せ物になりたいわけでは……」
……そうか。
「なら仕方ないわね」
さすがにこればかりは、師でも無理強いできない。
何より、気が進まない者を鍛えているほどの余裕はない。
「すみませんお嬢様。ちょっと領分が過ぎているとしか思えなくて……」
「わかってるわ。私も侍女の領域を逸脱していると思っているから」
想定内である。
そういう答えを出すかもしれないと考えてもいた。
「ならガンドルフでも鍛えることにするわ。あとアンゼル辺りもまだまだ伸びるでしょう」
あの天破流師範代代理ガンドルフも、私を師と呼び慕っている。彼なら泣いて喜んで教えを受けるだだろう。
それと、「薄明りの影鼠亭」のアンゼル。
あれも素質は高いので、やる気があるかどうかはわからないが、話を持ち掛けても――
「待ってお嬢様」
……ん?
「ガンドルフやアンゼルより私を大切にしてくれてもいいんじゃないですか? 私がお嬢様の正式な弟子ですよね? ガンドルフは他流だし、アンゼルは酒場のマスターですよね?」
「え? でも嫌なんでしょ?」
「弟子の私を差し置いて違う者を育てるとか、そっちの方が嫌ですよ!」
……え? そういうもの?
「そんなの冗談じゃないですよ! 私は身も心もお嬢様に捧げてるんですからね! ほかの誰かじゃなくて私を見てください! 私を育てればいいんですよ!」
…………
「心は知らないけど、身体を捧げられたことはないわね」
「もう予約入ってますから。その時が来たら私の身体も手に入りますよ!」
ああ、そう。
まあ、いらないかな。その時が来たらキャンセルしよう。
いまいちよくわからないが、リノキスが奮起してこの国最強を目指すことを了承した。
それに際し、私の考える魔法映像普及活動も、次の段階に移ることになる。




