84.そしてシルヴァー領へ
「――静聴ありがとう。それでは、乾杯!」
父親の声に応え、大勢の人が乾杯と返す。私もジュース入りのグラスを掲げた。
魔法の明かりを浮かべた照明の下、なごやかな雰囲気で内輪のパーティーが始まった。
なかなか顔を合わせることのないリストン家のシェフが外に用意した鉄板で肉や野菜を焼き始め、メイドたちが慌ただしく来賓に食べ物や飲み物を運ぶ。
私の仕事納め……というわけでもないのだが、一応そういう意味で、リストン邸の庭でバーベキューが行われる運びとなった。
両親は、兄や私と旅行でも行きたいと思っていたようだが、向こうも私もスケジュールの都合で無理だった。
なので、せめて家族での思い出をと、バーベキューをすることを提案してきた。
最初は家族だけでやろうという話も出ていたが、「私の仕事納め」であるなら、ほかの人も一応一区切りついたと見なしていいだろう――と私が言うと、外部の人も参加する運びとなった。
客は、放送局の人たちである。
今や、もしかしたら両親より見知った仲になっているかもしれない撮影班に、にっくきベンデリオ。
こういう機会でもないと会うことがない企画部や編集部の局員も来ているので、結構大規模な集まりとなっている。
ちなみに放送局局員は庶民出も多いので、貴人らしい格式ばった集まりではなく、むしろラフな格好推奨だ。
だから、あくまでも内輪のパーティーなのだ。――言ってしまえば組織のトップである局長の粋な計らい的なやつである。
過密に過密を重ねたような殺人過密スケジュールだった二週間を経て、ようやくこの日を迎えることができた。
なんだかんだとくどい顔に仕事を押しつけられて最終的には三十七本撮りという、もはや最初の撮影がなんだったか思い出せないくせにベンデリオへの恨みは募っていく、というちょっとおかしな心理状態になっていた。
本当に、私の命を取りに来ているのではないかと思わせる異常な仕事量だったと思う。
私は体力にはそれなりの自信があるが、精神が……心というか、頭というか、鍛えられない部分にモロに響いてきた。
命懸けの死闘なんて望むところだし、一瞬の判断ミスで死ぬような極限状態も結構好きだが……そういうのに使う精神力ではない、別の精神力をガリガリ削られた感じである。
そして、私が忙しいということは、同行する撮影班も忙しいということだ。
彼らの忙しさは、私の忙しさと比例しているのだから。
無論、私の撮影だけが彼らの仕事というわけでもないのだ。ほかにもやることはあるだろうし。
そう考えると、もしかしたら私より大変だったかもしれない。
「――ニアちゃん! 終わったね! ついに終わったね!」
泣くなメイク。同じ経験をしてきた私は完全に同調できるぞ。もらい泣きするぞ。パーティーで泣かせる気か。
「――終わった! 生きてる! ニアちゃん、俺たち生き残れたね!」
泣くなカメラ。……死ぬかと思ったな、お互いに。忙しさに殺されると思った日々を生き抜いたな。
「――はあぁぁぁ……はぁぁああぁぁ……家に帰れるよぉ……」
泣くな監督。……お疲れ様。娘さんによろしく伝えておいてくれ。
気が付けば、私の周りには共に戦った撮影班の大人たちが集まり、涙ぐんだり涙を流したりさめざめ泣いたりしていた。やめろ私も泣くぞ。いいのか泣くぞ。いいんだな?
……終わったなぁ……
……本当に、本当に、やっと終わったんだな……うっ、目から汗が……
なんだ三十七本撮りって。
何も思い出せないくらい目まぐるしく色々やらせやがって。
「……ベンデリオは」
ぽつりと。
まるで一番最初に地を濡らした雨粒のような、小さな小さな雫を零した私に。
「「――絶対許さない」」
撮影班の皆は声を揃えて言い切った。
――あの殺人過密スケジュールを、私たちはこの魔法の言葉で乗り切ったのである。
つらい時も。
何がつらいのかわからないけどとにかくつらい時も。
理由のわからない涙がこぼれた時も。
無性に家族に会いたくなった時も。
何もかもから逃げてしまいたい衝動に駆られた時も。
全員で逃がすまいと追いかけた時も。
心が軋む音が聞こえ、悲鳴を上げた時も。
ベンデリオへの恨み言を言うことで、皆で乗り越えてきたのだ。
――許すか。あいつを許すものか。
「やあニアちゃん! お疲れさん!」
来た奴が来たベンデリオがくどい顔で来た殴りたい顔がくどい! ぶっとばす!
「……ははは。またあとでねっ」
何かを察した……というより、私を含めた周囲の人間が恨みがましい視線を向けたせいで、奴はそそくさと去っていった。もしくは皆で泣いていたので引いたのだろう。
――許さない。奴は許さない。
この夏、撮影班と固い絆が生まれ――ベンデリオへの恨みは山の如く募るのだった。
まあ、本気九割の冗談はさておき。
これで一旦リストン領の撮影は一段落した。
ベンデリオに関しては今のところ恨みしかない状態だが、納得してこなしてきたのは、「今が売り時」という彼の言葉に同意したからである。
これまでは決して見ることができなかった学院内部の放送と、そこに自身の子供が通っているという事実と。
この二つが、今までにない客層を開拓しているらしい。
ヒルデトーラの読み通り、あるいは狙い通りだ。
学院にいる子供の親が、注目しているそうなのだ。そして実際魔晶板がいくつか売れたそうだ。
今が勝機と見たベンデリオが、ここぞとばかりに学院に通う子供であるニア・リストンの映像を流し、開拓できそうな層へ刺激を与えることを考案。
まあ、そうじゃなくても、次に帰宅できる連休は冬なので、それまでの撮り溜めは必要だった。
ただ、二週間の中に詰め込み過ぎただけの話だ。どんな理由があっても許さないが。
リストン領での撮影は終わったが、明日から向かうレリアレッドの家があるシルヴァー領でも、いくつか撮影をすることになっている。
さすがに三十七本撮りなんて無茶なことはさせないだろうから、気は楽である。
「――ニアちゃん。犬の企画面白いね」
「――そうですね。私も楽しかったですよ。評判が良ければ新しい番組にしてもいいかもしれません」
「――いいねえ! いろんなところから毛が生えた動物と戯れる美少女……これはいける!」
それはやる前だな。
やった後、私は犬に嫌われるから。負けて悔しいなら速くなればいいのに。足を磨け犬ども。
あまり見ない企画部の人と話したり。
撮影班と延々とベンデリオの悪口を言い続けたり。
年上女性たちに可愛がられる兄をニヤニヤしながら見守ったり。
そんな風にして、リストン家での最後の夜は過ぎていった。
そして翌日。
家にいても両親に気を遣わせそうだから、と同行を願い出た兄ニールも連れて、私とリノキスはシルヴァー領へと旅立つのだった。




