14:もふもふとセレーニ国(メイダン視点)
荒野の片隅で動けなくなった女を見たとき、メイダンは思った。
女が獣人である自分を拒否しなければ、一度だけ見逃そうと。
※
奴隷解放戦争のあと……
父と共にセレーニ国へ引っ越したメイダンは、面白くない日々を送っていた。
普通に生活しているだけで、差別してくる人間たち。
すれ違う度に「獣人だ」、「汚らわしい」、「何であんな奴が学園にいる」、「公爵令嬢の使い捨ての盾だろ」などと、何度も心ない言葉を投げかけられた。
メイダンは獣人と人間のハーフだけれど、見た目は獣人そのもので、ふさふさした銀色の耳や尻尾は隠しようがない。
公爵令嬢の護衛として起用されたあとも、評価が変わることはなかった。
一度だけ、学園で男爵令嬢エルシー・ヒルベルに声をかけられた記憶がある。
公爵令嬢の護衛で、ちょうど周囲を見張っている最中だった。
『うわぁ、イケメンモフモフ! あなた、公爵令嬢の護衛なんか辞めて、うちにいらっしゃいよ』
「…………」
『あ、もしかして、クール系? クールワンコ?』
犬ではなく、狼だ。
しかし、構うのも面倒なので黙っていた。
『ねえねえ、尻尾をモフっていい?』
「駄目だ」
『ケチー!』
学園の他の生徒は、獣人に声をかけたりなんかしない。
汚らわしい獣だと、遠巻きに見るだけ。
公爵令嬢は差別など行わないが、メイダンを特別扱いすることもない。
ただの、「下っ端で使い捨ての護衛」くらいの認識だろう。
人間の貴族とは、そういうものだ。
それを考えると、この男爵令嬢の行動は常識外れだった。
エルシーは、破天荒さゆえに、一部の生徒に絶大な不興を買っている。
恋愛を我慢できない彼女は、婚約者の有無などお構いなしに男子生徒に声をかけまくるのだ。
容姿のおかげか、陥落する生徒は思いのほか多かった。
『好きなものを好きと言って、何が悪いの? 自分たちだって言えばいいじゃない!』、『婚約者なんて破格の地位にいながら、男をつなぎ止められない奴が悪いのよ!』、『あなたたちなんて、平民のことを、金づるの虫くらいにしか思っていないでしょ! だから、こっちだって貴族を利用してやったのよ。それの何がいけないのよ!』、『もと平民の男爵令嬢一人に揺るがされる国なんて情けない。放っておいても、どうせ滅びるわよ!』
国を揺るがせた罪を糾弾された際、エルシーはそう言い放った。
そして、あっさり捕まり追放された。
公爵令嬢は、それっきりエルシーらに対する興味を失った。
自分に害をなせない過去の敵なんて、彼女にとってどうでもいいのだ。
それよりも、国のためにやるべき仕事がいっぱいある。新しい婚約者候補の王子たちと共に、公爵令嬢は国の立て直しに精を出している。
その一方で、彼女を取り巻く男たちは、エルシーたちを許せなかった。
獣人であるメイダンは、体よく「追放者の見張り」の任務につかされる。
罪人の尾行なんて、旨みのない仕事には誰も就きたくないのだ。いつ戻ってこられるかもわからないから、なおさら。
護衛職の上司には、「死ぬまで見届ければ、帰ってきていい」なんて言われ、送り出された。さっさと殺してこいという意味だ。
公爵令嬢自身は、追放者の殺害命令を出していない。
ということは、彼女と繋がる誰かが別で指示をしている。
メイダンは、獣人であるがゆえに、汚れ仕事を担わされたのだ。
仕事なので文句は言えない。けれど……ほとほと嫌になった。
公爵令嬢に心酔する父親はどうだか知らないが、セレーニ国はメイダンに合わない。
ストレスで、自慢の毛並みがハゲそうだ。
追放されたエルシーたちは、荒れ地を歩き続け、あっという間に仲違いした。
ついにエルシーが置き去りにされ、メイダンは彼女のもとに残り、獣人の同僚たちは、残りのメンバーを追った。「殺す」という選択肢は、誰の中にもない。
このような大事になる前に、危機を回避する方法はいくらでもあった。
阿呆男爵令嬢の一人くらい、王家や公爵家の権力があれば、なんとでもできる。
王太子が一人ひっついていようが、それは同じだ。王も王妃も他の王子も、公爵令嬢の傍にいたのだから。
平民上がりの男爵令嬢ごとき、いつでも学園を辞めさせられたはずだし、平民に落とすことだってできた。
理由をつけて、問題が露呈する前に、男子禁制の修道院へ送る選択も可能だったのだ。
けれど、公爵令嬢はそれをしなかった。「いつか、王太子殿下は目を覚ましてくれる」、「男爵令嬢の行動なんて、いちいち気にかける内容じゃないわ」、「もう、私が何を言っても無駄でしょう」などとのたまい、ことあるごとに問題を先送りにした。
最悪の事態になるまで静観するだけで放置し、そして卒業式の事件が起きたのだ。
婚約破棄騒動は、起こるべくして起こった。
公爵令嬢がエルシーに関与しないままでいたのは、第二王子や第三王子……そして、王太子を支持する公爵令嬢の両親とは違い、第二王子を支持する公爵令嬢の兄弟にとっては、さぞかし都合の良いことだっただろう。
邪魔な王太子が、放っておいても自滅してくれるのだから。
ちなみに、王太子に肩入れしていた公爵令嬢の両親は、エルシーらの起こした事件のあと、息子に位を譲り渡し引退している。
だから、人間は嫌いなのだ。陰湿で汚い。
男爵令嬢も好きではないが、公爵令嬢を取り巻く男共より、素直でわかりやすい点は評価できる。まあ、「感情を制御できない阿呆」なだけだが。
エルシーが意識を失う直前、メイダンは彼女を置き去りにするべきか迷った。
このままなら、自分が手を下さずとも彼女は生きられないだろう。
でも、エルシーはメイダンを「獣人だから」と邪険に扱わない、ただ一人の人間だったのだ。




