29 両親が心配しているので、戸惑っております
ドリスは実家に帰ったが、すぐに三領巡りの準備に追われ、課題を終わらせようと躍起になっていた。
「嬉しそうね、ドリス」
アマーリアがドリスの部屋を訪ねて、開口一番に言った。
「お母様。……私、顔に出てます?」
「出てるわよ、はっきりと。いいじゃない、家の中くらい。それより、エルヴィン卿とはどうなの?」
「エルですか? なんとも」
「あら……もう、愛称で呼んでいるのね!」
「それは、あっちがそう呼べって言ったので」
「私は彼、いいと思うのよ。珍しくカミラも推してるし」
「珍しいですよね。カミラ姉様が乗り気って」
「それだけ人柄が良いと感じ取ったのでしょう。カミラは悪意ある様な人は必ず避けていたから」
「え? そうなのですか?」
「なぜかわからないけど、カミラが嫌がる人は、必ず何か黒い噂があることも多かったのよ。勘が良いのかしらね」
その勘が、ローレンツ兄様を引き寄せたのだとしたら、カミラは素晴らしい慧眼を持っているということだ。
エルか……もう悪い人だとは思わないけど、頼りない人……なんて思っちゃう。心配してくれるのは、殿下の言葉通り、ありがたいのだけど。
「ドリス」
ドリスは「はっ」と、アマーリアの声に気付き、向き直る。
真剣で、どこか心配そうな顔つきに、ドリスは息を飲んだ。
「……なんでしょう?」
「道中、気をつけてね。学園で、階段から突き落とされたなんて……聞いたときは、思わず倒れそうだったわ」
「お母様……」
「本当は長期休み中、家に籠っていて欲しかったの。でもそれでは、ドリスが色んな経験を積むことが出来ないと思って、我慢しているのよ」
アマーリアはドリスをそっと、抱きしめた。
「貴女が、精霊が見える様になって、魔法が使える様になったのは知ってる。けれど……それでも心配よ。……無事に帰ってきてね」
「お母様。……お母様も、ブレンターノ領へ行くのでしょう? 私も後から行きますから、そこで、会いましょう」
三領巡りが終わった後、ドリスは王都に帰らず、そこから、祖父達がいるブレンターノ領へ向かう予定なのだ。
「移動するときは念のため、ブレンターノ領邸宛に、手紙を出しなさいね」
「わかっております」
互いに抱き合い、離れると、二人でにっこりと微笑んだ。
すると、今度はベルンフリートがドリスの部屋を訪ねてきた。
「こんなことになるなら、精霊指導の許可を出すんじゃなかったよ」
「お父様。お言葉ですが、私が精霊が視える様になる以前から、狙われておりました。それだけが狙われる理由ではないかと」
「ドリス……」
「あ! お父様に頼みたいことがあったのです。私に、剣を教えてはもらえないでしょうか?」
「え……ドリスが? 剣を?」
「えぇ。アンディ殿下に言われたのです。私の精霊は攻撃系ではありませんので、剣や組手も習うと良いと」
「そうか……」
「なぜお父様は、私達に剣を教えてはくれなかったのです?」
「俺はついついやり過ぎてしまうからな。大事な娘達を傷つけたくなかった……と言うのは建前で。カミラだけが心配でね」
「カミラ姉様だけ?」
「カミラは剣に興味を持っていた様だけど、運動は苦手だったんだ。やりたいって言われた時もあって、試しに剣を持たせてみたら、カミラは一人で剣を振っているだけでも怪我をしそうで……。デリアとドリスは、カミラよりは筋が良さそうだけど、カミラがそれを見たら落ち込むと思って、辞めたんだよ」
それを聞いて、ドリスは察した。
カミラは、デリアとドリスとは年が離れていて、彼女達にとってカミラは、もう一人のお母様的な存在だった。そんなカミラが、妹達にあっさり抜かされては、カミラの立場がない。
ただでさえカミラだけは、ベルンフリートに似て、綺麗だけどつり目、黙っていると強面顔。
下の妹二人は、美女と言われたアマーリアそっくりの愛らしい容姿。
小さな頃から、カミラが妹達の顔を羨ましがっているのは、妹であるドリスも気づいていた。
そんな妹二人が剣を始めたら、カミラはショックで閉じこもってしまったり、常に暗い顔をするかもしれない。
ただでさえ当時は貧乏で、毎日休まず働かなければ、家のことが回らないほどの環境だった。
そんな時に、閉じ籠ったりしたら、この屋敷はさらに荒れた可能性すらあった。
「殿下に言われたのなら、少し教えようか」
「いいのですか?」
「素振りだけな。だがその前の、準備運動が何より大切だ。それでへばりそうだけど」
「やりますよ! 殿下と勝負する約束もしましたし」
「え……そう。じゃあ……気合い入れないと……な」
ベルンフリートの口調が、だんだん黒さを増してきた。
この後ドリスは、みっちり準備運動をして、ひたすら素振りを見てもらった。




