4◆婚約破棄された上に最低の娼婦宿行き?
◆婚約破棄された上に最低の娼婦宿行き?
── 王城の使用人たちから虐待されながらも影の執政官として耐え続けたアルメニーだったが ──
ある夜、キロウが忍び寄る使用人を一撃で昏倒させた後、彼女は低い声で言った。
「もうすぐです。彼らがお嬢様にしたことの代償を、しっかりと支払わせる時が」
窓の外には満月が輝いていた。私は机の上の書類に目を落とし、静かに微笑んだ。
1年間の屈辱と苦労は、単なる忍耐ではなかった。すべての不正を記録し、権力の構造を理解する時間だった。そして今、私は王国内で誰よりも多くの実権を握っていた。
「そうね、キロウ。もう少しだけ我慢しましょう」
鞭の痕が疼く掌やふくらはぎを労わりながら、私は次の書類に判を押した。
いつか、この国を変える日が来る。その時まで、私は影であり続ける。表舞台には立たずに ――
*****
16歳になる前日。王立学園卒業式の日がやってきた。
そこで冒頭の通り、私……アルメニーは婚約破棄されることになった。
しかし……実は卒業式会場に着く途中にアルメニーは、道端で倒れている女性を見つけた。馬車にはねられたらしい。近くの店に突っ込んで壊れかけた馬車と、脚を怪我して興奮した馬。馬車の持ち主の奇跡的にも軽傷の町人が困った表情をして、店先に突っ込まれた店主と口論していた。
アルメニーは一瞬も躊躇わず、
「こんなに酷い怪我をした人を放っておけないわ」
アルメニーは傍らに仕えるいつも連れている白い髪の専属侍女のキロウに言った。
「キロウ。申し訳ないけれど、卒業会場に遅れる……いえ、間に合わないかもしれない。卒業証明書はもう受け取っているから、無理に出る必要もないわよね。出席できない旨の伝言を頼んでくれるかしら」
アルビノの侍女のキロウは前述の通り生まれつきのアルビノで、白い髪と赤い瞳を持っていた。キロウはアルメニーの白髪とは原因が違うが、遠目には確かによく似た見た目と色合いだ。
主人に従順な侍女のキロウは、主人のアルメニーから、自身が出会った時と同じように貴族らしくなく、困った人を助けずにいられない彼女の優しさをよく理解していた。
「ああ、それと。もし会場で理不尽な目に合ったり、何か言われたら、『確かにしっかりと承りました』と答えて、なるべく穏便になるように対処してちょうだいね。何よりも、貴方自身の身を守り大切にすることだけは約束してね。私にとってキロウは、ただの専属侍女と言うだけでなく、大切な人の一人なのだから」
と、お使いを頼んだのだ。
「かしこまりました、お嬢様。では、会場へ言付けに行ってまいります」
地味な私服を着たキロウは深々と頭を下げ、会場へと向かった。
「六郎。キロウのことよろしくね」
侍従見習いから侍従に最近昇格した青年に、キロウの護衛を頼んだ。
アルメニーと、残った護衛騎士の1人の甚六と共に、負傷した女性のために医者を手配したり、事故を起こした町人と話をしたり、周辺の事故の対応をするために、私が卒業式に参加できない旨を侍女のキロウに学園に伝言してもらうために会場へ向かわせた。
キロウはアルメニーから詳細な指示を受けていた。王子が何を言おうと、静かに『承りました』と答えること。抵抗せず、従順に振る舞うこと。
「お嬢様、本当にこれで良いのでしょうか」
出発前、キロウが心配そうに尋ねた。
「大丈夫よ、キロウ。あなたも今や立派な影たちの1人。これくらいのことは簡単でしょ? 何より、あなたを本当に危険な目に合わせるつもりはないわ。私がすべてを把握しているから」
アルメニーはキロウの肩に手を置き、微笑んだ。
「でも……もし王子様がお嬢様を傷つけるようなことを考えていたら……」
「その時は、約束通り、あなたの身を第一に守ってね。あなたは私の大切な侍女よ。それに ──」
アルメニーの目が一瞬、鋭い光を宿した。
「彼らが後悔する日は、そう遠くないと思うのよね」
こうして、運命の歯車は回り始めた。
そして……
……冒頭の茶番劇が行われた。
*****
王立学園の大講堂。
入口でアルメニーから卒業式の招待状を預かった白い髪で地味だが上等な生地のワンピースを着た女性はすんなり通してもらえた。しかし侍従の六郎は招待状を持っていないがために、学園の生徒ではない上に父兄でもないので足止めされた。
「六郎。わたしは大丈夫よ。用事はすぐに済むはずだから、待機していて」
「ですが御身の事を頼まれましたのに」
「もちろんそれも含めてよ。想定外のことが起こっても、貴方ももう一人前になったのだから、緊急時は直ぐに報せるために動けるようにしておきなさい」
卒業式会場内は佳境を迎えていたが、メインスピーチを終えたランディ・ゴールデン第二王子は、壇上から一歩前に出た。彼の美しい金髪は逆立ち、水色の瞳は怒りに燃えていた。場内が不穏な空気に包まれる。
「アルメニー・サファイアブルー!」
彼の声は雷のように響き渡った。聴衆は息を呑んだ。公爵令嬢の名を、そんな口調で呼ぶとは。
「貴様の横暴と、傲慢な所業にはいい加減に愛想が尽きた! よってこの場を借りて、貴様との婚約を破棄する!」
場内は水を打ったような静寂に包まれた後、ざわめきが湧き起こる。明日、16歳の成人を迎え、晴れて王太子妃となるはずだった令嬢への、公の場での破棄宣言。それは王国史上、前代未聞の醜聞だった。
しかし壇上の王子の視線の先に立っていたのは、アルメニー本人ではなく、白髪に赤い瞳の、地味なドレスを着た侍女キロウだった。彼女は深く頭を下げ、アルメニーから教えられた通り、静かに、しかしはっきりと告げた。
「……確かに……しっかりと承りました」
その従順すぎる態度に、ランディ王子の怒りはかえって増幅した。彼はさらに宣言を続ける。
「そして我は、心優しきキヌゲとの、新たなる婚約をここに結ぶ!」
祝福の拍手はなく、困惑とためらい混じりの微かな音だけが響いた。
「さて、アルメニー・サファイアブルー!」
王子はアルメニーだと信じ込んでいるキロウを指差した。
「貴様の味方は、ここには誰も名乗り出ないようだな。もちろん。その傲慢さへの罰は必要だ。確かにキヌゲがお前にされてきたと証言したのだ。虐待や資産の散財に飽き足らず、親戚の男爵家や商家まで送りつけた借用書や請求書の数々。おまけに学園に在学中の男遊び。
借金を返すために相応しい罰を受けよ!」
彼が合図を送ると、側近たちがアルメニーと思い込むキロウの両脇を固めた。抵抗の余地はない。彼女は何も言わず、ただアルメニーの言葉を胸に、目を伏せた。
「貴様なんぞ、たった金貨1枚でも十分だろう。国内で最も低俗な娼館へと売り飛ばしてやる! わはは」
王子の冷酷な宣告と共に、王子の側近の1人、金髪碧眼で宰相候補の公爵子息のカンスー・トリトンが用意された金貨1枚を奴隷商人の御者に手渡すと、キロウは待機させられていた粗末な馬車へと無理矢理押し込まれた。
右脇を、金髪碧眼で宰相候補のカンスー・トリトン公爵令息が抑え込み、左脇を短髪で緑髪黄緑眼の見習い騎士だと言うのに騎士の風上にも置けない乱暴さで騎士爵の子息オナガ・ジャンガリアンが抑えた。
「もう公爵令嬢でなくなるお前には不釣り合いな装飾だなあ。借金の肩にはスズメの涙にしかならないだろうが、神への供物も兼ねて形だけでも祈ってやろう」
黄緑髪黄目で下級神官になったばかりの辺境伯子息のソコロフ・シャイニーズが、アルメニーが日頃頑張るキロウの為にと自ら選んで購入して与えてくれた髪飾りとブローチを毟り取った。庶民でも買える程度の、決して高い材料を使った装飾品ではないが、奪われた物の代償は大きな物となって返してやると心に誓った。
栗色髪で栗色の瞳の富豪商人の子息のタカネ・キンクマが最後に馬車の扉を閉ざす音が、講堂の重い空気の中に鈍く響いた。
卒業式は混乱の中、早々に打ち切られた。誰もが、サファイアブルー公爵家の怒りと、王国を揺るがす大事件の始まりを予感していた。
なぜかキロウをアルメニー・サファイアブルー公爵令嬢だと勘違いした第二王子と側近たちは、白髪の侍女に婚約破棄を宣告し、娼館へ売り飛ばすという愚行を犯したのだった。
彼らが気付かなかった理由は単純だった。意図したわけではないが、侍女となったキロウは、アルメニーとまるで姉妹であるかのように扱われ学ぶことも許されて育った。その恩に報いるためか、わざとアルメニーみたいな格好をしたがり、一方でアルメニーは普段から質素な服装を好んだ。むろん、質素だろうと、公爵令嬢らしい高級な生地を使った高価な物であったが。
王子たちはアルメニーの本当の姿をほとんど知らなかった。会う機会も、関心も、ほとんどなかったからだ。
*****
一方、街の外れで負傷者を手当てし、事故の後始末を終えたアルメニーは、夕暮れの空を見上げた。甚六が駆け寄り、会場での出来事を小声で伝える。
「……そう。ご苦労様」
彼女の唇に、冷たい微笑が浮かんだ。金色の瞳の奥には、消えぬ炎が灯っている。
「約束通り、キロウは身を守った。さあ、次は私の番ね。ランディ殿下、クロハラ男爵、そして……裏で糸を引いている方」
彼女はそっと拳を握りしめた。
「『承りました』とお伝えしたのは、婚約破棄の件だけではありません。あなた方からの『宣戦布告』も、確かに承りました。さぁ、ご覧なさい。私の『横暴と傲慢な所業』を」
風が吹き抜け、彼女の白い髪が揺れた。16歳の前日。少女は、優しさを捨てずに、しかし全てを凍りつかせるほどの覚悟を胸に、復讐と再生の夜明けに足を踏み入れたのだった。
*****
婚約破棄。冤罪の断罪。そして金貨1枚で最低の娼館へ売り飛ばされる運命 ── それが第二王子と従妹の策略だった。
王命まで使って無理矢理婚約をねじ込み頼み込んできたのは王家側からのはずなのに、結局当の第二王子からは疎まれ、嫌われ、憎まれてさえいたらしい。
何しろ親戚の自称義妹から、ある事ない事どころか嘘八百吹き込まれ、余計に王子と側近達からも噂と偏見と思い込みだけで疎まれたようだ。
回避しようとそれなりに頑張ったはずなのになあ……従妹のあざとさが一枚上手だったようで。所属どころか通ってすらいない学園での冤罪を被せられて断罪された上、婚約破棄までされ、結局安価で女を好き勝手出来る最低な娼婦宿に売られてしまったわけだが……
しかし彼らが知らないことがある。
小さい頃に前世知識が蘇った後、祖母であり王妹の娘(亡くなった母)のさらにその娘であり可愛い孫でもあるアルメニーを心配していた祖父母から付けられていた影の存在『半蔵』たちのことを。
どうやら転生チートで授かっていたらしい? 人の表層面的な考えや心の声が聞こえる『異能』のおかげで知り会うことが出来た。彼等の好奇心や願望を利用し新たな忠誠心を誓わせていた。
異能のおかげで出会った、面と向かったきちんと紹介された頭領である半蔵以外の影たち。
かれらに心酔されるうようになってからは、アルメニーのためだけに動き、信用できそうな影たちが他に4人もついてきてくれ、更に孤児院や路地裏などで出会った孤児4人の見習いとを組ませて、密かに商会を経営したり闇ギルドを経営する表のオーナーになってもらい、未来の冤罪による婚約破棄と最悪の断罪に備えることができたのだ。
もちろん。強制力とやらでどうにも回避できない時のために、逃亡資金や逃走先を作るために商会と闇ギルドを経営したのだ。
しかし両親達が亡くなる前にどうして思い出さなかったのか、
『転生チートが悔しい』
窓辺でアルメニーは呟く。
そう、両親達の葬儀で会った、クロハラの叔父と側妃とが結託し唆して事故を仕組んだことを異能で知ったのは、もう手遅れだった後。
公爵家乗っ取りのため。本当はその事故で自分も殺されるはずだった。
男爵叔父夫婦や従妹から疎まれていたらしいが、身の危険を回避するために領地では半蔵たちや護衛騎士でガチガチに守ってもらったし、12歳で保護者を得てからは隣国に留学して暗殺を回避してきた。後見人の祖父と母の弟のシルバーパール伯爵に財産管理を頼み、安全地帯に身を置いた。
『だけどこちらも、ただではやられてあげないわ』
生前の父に、
【アルメニーが成人するまででいいから、もし自分の身に何か起きた際には、弟のクロハラ男爵を気にかけて欲しい】
と言われたことがあったため、父だけの私産からだけでも適当に小遣いを上げたほうがいいのか、財産管理をしている祖父母と母の弟のシルバーパール伯爵に相談の上、クロハラ男爵家には『適当な小遣い』程度は渡すことにしておいた。
思えば父は、自分が事故に会うことを自身の異能で悟ったのかもしれない。他人に異能の能力のことをべらべら教える人はいないので、憶測でしかないが。
しかしそれなら、何故避ける様に行動しなかったのだろうか? 兄弟としての絆や情を信じたかったのかもしれない。父が亡くなった今としては心情を知ることは不可能だが。
従妹や叔母たちはドレスや宝石を散在しては領地の祖父母宛てに請求書を送りつけてきたり、元公爵邸のタウンハウスだった借家の家財を盗んだり売ったりしたようだったが。
言葉巧みに男爵家族にすり寄った某商会が、叔母と従妹の琴線を刺激したらしいが。
『目利きができないのか、模造品と三流品を数十倍の値段で喜んで買うとは』
半蔵たちは冷たく笑った。
商会から渡された品は、宝石類は全てとてもよくできた模造品。ドレスも型落ちしたものや二流品どころか三流品。にも拘らず、本来の値段の数十倍以上の値段でも喜び勇んで散財したらしい。
それと念のため、借家とは言え備え付けてあった家財道具の売り払われた物のリストを、管理していた不動産に作成してもらった。
とまあ、商会は、半蔵たちが用意してくれたダミー商会。不動産の管理人も半蔵たちの仲間の一人なので、彼らは嬉々として叔母と従妹を騙し完全に罠にはまってくれた。
こうして半蔵たちを使って着々と、両親たちを謀殺した証拠や、叔父夫婦と従妹の悪行の記録 ── すべてが揃い始めた。
商会と闇ギルドを経営し、逃亡資金と逃走先を確保。5人の影と4人の元孤児の補佐たちを中心に、影部隊たちはアルメニーのために動く ──
── そして現在。
「可哀想……とは思うけど」
月明かりに照らされるアルメニーの瞳は、氷のように冷たかった。
「あなた方が蒔いた種は、必ず刈り取らせてもらうから」
*****




