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拝啓ご両親、全てが怪しく見えて困ることってありますよね。

 たまのお休み、何をするでもなくのんびり歩き回るのもいいですよね。


 僕は休日をのんびりと散歩することで過ごしていました。鬱陶しい喪服を気楽なチノパンとジャケットに着替えて、煩わしく殺伐とした業務からも解放される。


 真冬でも陽気がいいおかげで暖かな公園のベンチに腰掛けていると、心から落ち着きます。


 寒いのに元気に駆け回る小さな子や、それを遠間にして微笑ましそうに見守る親の姿を見ていると、自分の仕事が尊い物に思えてくるから不思議ですよね。


 いえ、実際、僕の仕事はこの光景を守ることではあるのです。


 再起性死体が歩き回ればどうなるかは、態々WPS本局のお偉いパンデミック対策チームが策定したモデルケースを紐解かなくても分かります。穏やかな公園も何もかもが、魂なく這い回る残骸の食卓に成り果てるのです。


 それだけは防がねばなりません。たとえ僕がこの仕事を心底好きじゃなかったとしても。


 一度防人として盾の記章を帯びたなら、そこに好悪が介在する隙間など一部もないのですから。


 平和な光景に意志を固めていれば、てんてんと小気味の良い音を立ててボールが転がってきました。近くでボール投げをしていた子供達が、うっかり此方に飛ばしてしまったのでしょう。


 跳ねるボールの軌道に座ったままで軸足を伸ばし、丁度跳ねる勢いが中天に達して落下に転ずる寸前につま先を差し込みました。ブーツのつま先で捕まえたボールを足首の動きだけで跳ね上げて此方に飛ばし、胸の前へパス。


 両手で握ったビニールのボールは、子供の頃に親に買って貰った物と同じ品でした。懐かしい手触りと、塩化ビニル独特の匂い。心が童心へと引き戻され、懐かしい気持ちが沸き上がってきました。


 あの頃の僕は、こんな時期でも半ズボンで駆け回る元気な少女――強弁――でした。まごまごしながらボールを取りに来た可愛らしい少女に自分を重ねてしまいます。まぁ、彼女は少女らしく髪を伸ばし、ふわりと広がるスカートを履いているので、短髪で短パン愛用者だった僕とは似ても似つきませんが。


 「はい、どうぞ、可愛らしいお嬢さん」


 恥ずかしそうにしていた彼女にボールを差し出せば、ほほを赤く染めて受け取ってくれました。そして、上気した頬を隠すようにボールを持ち直したかと思えば、笑顔と共に小さなお礼の声が。


 「あのね、ありがと」


 じぃんと心温まる言葉です。ああ、僕頑張っててよか……。


 「かっこいいおにいちゃん」


 よか……よか……うん、よかった、うん、そうだね……うん……。


 ハンマーか何かで頭頂部から叩き付けられるような衝撃をどうにか堪え、僕は笑顔を崩さず少女の頭を撫でながら大人らしい発言をすることに成功しました。


 「車道に飛ばさないよう気を付けて遊んでね」


 ええ、慣れていますよ、だから僕は耐えられます、平気ですとも。


 そう強く自分に言い聞かせつつ項垂れたくなる気持ちをねじ伏せて、友達の元へ戻っていく少女の背を見送りました。


 「ふぅ……」


 何で休日の穏やかな昼下がりにメンタルを殺されかけねばならないのでしょう。子共の純粋な言葉は、大人の下手な嫌味や揶揄よりよっぽど刺さります。あれでしょうか、前世で聖人を思いっ切り煽ったかなにかしでかしたのでしょうか。


 班長や先輩なら間違いなく一服つけているであろう精神状態に陥り、人生で始めてあの煙に思いを馳せてしまいました。班長は味が良いから吸い、先輩はノルアドレナリンによる鎮静効果目当てと仰いますが、僕の痛んだ心には効くのでしょうか。


 ニコチンの代わりに自販機か喫茶店でコーヒーに慰めて貰おうと思い、ふと周囲を見回してみると鼻腔を嗅ぎ慣れた臭いが擽りました。


 つんと鼻に来る業務用の消臭剤。


 そして、それに混ざる傷んだ果物に甘ったるい似た香り。


 僕たちが仕事場に残してく香りでした。


 執行官に着いて回る死の臭い。人間は雑食性の生き物というのもあって、腐敗臭は強烈な物を放ちます。その上、脳髄が本能的に「これはヤバイ臭いだ」と薄れた本能を刺激するため、殊更強く意識に残るのです。


 原始的には同類が死んだ危険な場所だと報せる機能ですが、今となっては単なる事件か外で同僚に出会った時に嗅ぐ臭いにすぎません。勿論、こんな開けた公園で突発的に腐乱死体が現れるわけもないので、きっと仕事上がりの同僚が通りかかったのでしょう。


 気になってきょろきょろ見回してみるも、見慣れた喪服もWPSの記章が刺繍された黒い作業着の姿もありません。近くに居る人といえば、遊び回る子共と見守る親、そして僕と同じく散歩している中肉中背の男性……。


 しかし、彼は業界関係者ではなさそうです。というのも、勤務半年で偉そうなと思われるやもしれませんが、執行官には特有の立ち振る舞いがあるのです。それこそ、分かっている人間には一目で判別できるような。


 例えば僕らは警察官と違って、大抵は拳銃のホルスターを脇にぶら下げることが多いので無意識に重心が片側に寄りがちです。拳銃そのものが弾丸込みで一キロちょっと、ついでに予備実包もぶら下げたら結構な重みですから、外したときに結構偏ってしまうんですよね。


 後は足運びにも特徴が出ます。再起性死体を刺激しないよう足音が出にくい足運びを意識し、たとえオフでも落ち葉を蹴立てて歩くような真似はしません。ああも不用心に歩く姿は執行官にはありえず、同じ事を気にする現場の除染部隊をはじめとした補助部隊の人員でもないでしょう。


 そんな人が嗅ぎ慣れた死臭消しの業務用消臭剤と腐臭の残り香を纏わせて歩いている。


 はっきり言って不審でした。僕に職務質問をする権限があれば、間違いなく声をかけていたでしょう。しかし残念なことに執行官には捜査権限がないのです。


 ふと脳裏に「世の中には度し難い変態がいるものですよ」との先輩の声がリフレインしました。そして思い至るのです、彼は酷く熱心に遊ぶ子供達を見ていたなと。


 ええ、勿論失礼な思い込みというのも否定はできません。最近需要が増した特殊清掃業の人かもしれませんし、単に不用意なだけの同僚という可能性も捨てきれないのですから。


 それでも僕は、ベンチから立ち上がって彼の背を追っていました。距離を空けながら自然を装い、視線の端っこで対象を捉えるようにするテクニックは親類から聞いて覚えた物。こういう時、引き出しを勝手に増やしてくれる親族の存在は有り難いものですね。


 ゆっくり公園のランニングコースを三周も歩いて回った彼は、その内スマホを暫く弄った後に――動作からフリックしていることが分かったので、恐らくメモかメールかのどちらかでしょう――公園の外へ向かいました。


 そして、黒いライトバンに足を向けながら懐を漁っている所を見るにアレが彼の車だと思われます。有り触れたライトバンですが、窓にスモークを貼るなど怪しい雰囲気も感じます。よく警察に停められませんね。


 しばしの逡巡の後、僕はオフだということを忘れて公園を飛び出していました。そして、幸運にも近くを通りかかったタクシーを呼び止め、乗り込みながらこう口にするのです。


 「すみません、あの車を追ってください」


 人生で一度は言ってみたい言葉ランキングと、言われてみたい言葉ランキング上位に含まれるであろうこの台詞を…………。












 矮躯の執行官は一人暇そうに手狭な部屋に佇んでいた。


 片手には細かな品名と在庫数が書き込まれた資料のクリップボードが握られており、死んだ目で数え上げられるのは真鍮色に輝く執行実包達である。


 ここは市内に設けられたWPS大阪事務局の出張所、その装備品保管庫であった。通常業務に赴く執行官達の待機所として機能するだけではなく、有事においては防衛拠点として、あるいは補給地点として機能する小さな施設。


 部下は休暇で、上官は研修に引っ張られて不在という単身の執行官がアサイン可能な任務として割り振られたのが、そんな施設の備品チェックであった。拳銃の取り扱い資格を持つ執行官が備品の状態チェックに駆り出されるのは珍しい話ではなく、一人だからと遊ばせておく理由もないので、ここに放り出されて雑務をこなすのはある意味で自然な流れと言えた。


 一重に備品管理とは心が死にそうになる単調作業。頭の中で数字が無為にぐるぐる巡り、さて四〇発って何個だっけ? などと知性を殺して思考を盛大に空転させながら機械的にこなしてゆく苦役である。


 「むしろこういう単調な仕事こそ、ビギナーが喜びそうなものですが」


 帳簿上の保管数と実際の保管数に差異がないことを確認しつつ、執行官は嘆息してペンを置いた。このような単調ながら命の危険がなく、平穏に一日をつぶせる仕事であれば彼女は喜んでこなしたことだろう。スマホのゲームでガチャを引ける程度の危険手当より、心の平穏を重んじているのだから間違いはない。


 益体も無いことを考えながら首を巡らせれば、関節がどこか破滅的な音を立てた。もう半日近くこうしているのだから無理もないと執行官は眇に時計を睨む。命の危機と無縁な仕事は、彼としても望むところだが流石にこれは堪えた。単調作業には男性より女性の方が耐性があると聞くものの、否と囀る舌を備品に加えられない宮仕えの辛い所である。


 酷く時間の流れが遅く感じ、身体の重みは増すばかり。とはいえ託された仕事は片づけねばならず、黙っていても弾丸の箱が勝手に計上されるでもない。


 途方もない数の弾丸を事務的な規則を充足するために数え上げるという徒労染みたルーチンワークに再度挑もうとした瞬間、耳に引っかけたインカムが着信を報せる電子音を奏でた。


 何事かと思って支給の端末を取り出してみれば、液晶には休暇中の部下の名が表示されていた。私用、と名の後に注釈がしてあるので当然私用電話からかけてきているのだろうが、それはつまり休暇中でも電話しなければならない非常事態にぶち当たったということだろう。


 「はい、私ですが、どうしましたビギナー」


 『ああ、先輩、今お時間大丈夫ですか? 結構緊急なんですが』


 通話に紛れるロードノイズと微かに緊迫した声から、大凡何かあったのだなと事情を察する。そもそもあの部下は勤勉ではあるが、休日の時間を潰してまでふと思い出した業務の報告をしてくるタマではない。それならば、これは彼、もとい彼女をして連絡するに相応しい喫緊の事態であると判断してのことだろう。


 「ええ、大丈夫ですよ。何がありました」


 『死臭消しと死臭の残り香を漂わせた男がいまして、彼が公園で子供をねっとり観察していました。ついでに車はハイエースです』


 「ああ……」


 色々と察せるシチュエーションであった。コンビニでビニール袋を被せられている本に近い展開であるが、臭いからして桃色の展開ではあるまい。精々期待できて、脳漿の膿んだ桃色が限界であろう。


 『場所は遠いですが、ああいう連中は……』


 「ホームでの調達は避けますからね。今どうしてます」


 『タクシーの中です』


 ほぅ、と思わず声が溢れた。車の中に乗っているのは分かっていたが、よもや事務局に向かうでもなく追跡していたとは。割と慎重な所がある彼女だからこそ、精々が写真を撮って車のナンバーを控えている程度だと思っていたが、予想を上回る行動力である。


 「ビギナー、貴方何かスパイ映画でも見ました?」


 『はは、暇を飽かして見た海外ドラマのせいですかね?』


 職務規程的には微妙な所だが一応はセーフだ。勤務中なら報告してからにしろと叱るところではあるが、休暇中であれば気まぐれのドライブでしたと言えば深くは追求してくるまい。功績は全ての些事を消してくれるのだから。


 流石に家宅侵入までやらかしたら何も言えないが、後をつける程度であれば幾らでも言い訳が利く。なので、やってしまえと迂遠に命じるため、執行官は笑って領収書を貰っておけと告げた。


 『ありがたいです。高速乗ったからメーターガンガン回ってまして』


 「どっちに向かってますか」


 『近畿道を北上してます。多分結構な田舎まで行くかと』


 「分かりました。先走らないよう続けてください」


 『はい。先輩はどうするんですか?』


 「そりゃ決まってますよ」


 私はこれでいて良い子ちゃんで通っていますから。自信満々に告げ、執行官は通話を終わらせた。それから大阪事務局の処理センターへ通話を繋げ、根回しを始めた。


 こればかりは局内でも通りが良い――キルハウス勤務の一部を除いて――遵法意識の高い執行官でなければ通らない横紙破りだ。部下が休みの日にたまたま見つけたから人を派遣する準備をしてほしい、など普通は備品管理をしている一執行官が口にできることではない。


 卵が先か鶏が先か、答えはでないがどちらも存在しているのは確かであった…………。 

捕捉、ビギナー休日仕様

トップス:グレーのドレスシャツ・黒のイタリアンカラージャケット

ボトムス:クリーム色のツータックチノパン

シューズ:タンカラーのコンバットブーツ

バック :持たない。財布とスマホ、他数点の小物のみポケットに収納

結論、自業自得 QED


 尚、長躯と肩幅のせいでレディースがフルオーダーしないと殆ど身体に合わないため、やむなくメンズ愛用の模様。

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