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18 不憫?

 最近、図書館でささやかな楽しみが増えた。それはヘンリエッタに会えることだ。茶色の髪に緑の瞳を持つ彼女はとても柔和な人。胸元につけているリボンは青、彼女はビアンカの一つ上の学年だ。


 出会いはビアンカにとってはありがたいもので、教科書の理解できない部分をうなりながら考えているときに声をかけられたのだ。

 それから、時々会うと挨拶したり、少し話したりするようになった。勉強を教えてくれることもある。


 そんなある日、彼女から言われた。


「ビアンカ様、不躾なことをきくようだけれど。記憶がないって、本当に何も覚えていないの? 見ていると所作も礼儀も貴族として完璧だわ。ちょっと、不思議に思ってしまって」


 彼女のいう事ももっともだ。


「確かに、私も不思議に思います。なぜか、そういうことが自然とできてしまうんです。いまだに家族の顔すら思い出せないのに」


「ならば、随分と心細いでしょう?」


 労わるような目でビアンカを見る。


「そういえば、学年は違いますが、ヘンリエッタ様は以前の私をご存じですか?」

「え、今更? そういう事って一番最初に気になるものではないの?」


 そう言ってくすくすと笑う。なぜか、ビアンカはそうなのだ。積極的に過去を思い出したいとは思わない。本当に母の言う通り、知らない方が快適なこともある。


「お会いしたことはあるわよ。私、あなたのお兄様と知り合いなの。同じ生徒会なのよ」


 なるほど、それで最初から感じが良く親切なのかと思った。






 その日の夕食は珍しく家族全員揃った。父が招集をかけたのだ。

 ケスラー家の広い食堂ではイレーネが話し、それにジュリアンが答え、時々父が口を挟む。およそ笑い声など響かない、ぎこちなく空々しいものだった。


 いつもの味気のない食事がさらにまずく感じる。これならば一人で食べた方がましだ。ビアンカは長兄をちらり見るが、彼は黙々とフォークを口に運んでいる。


 サティアスは、極端に無口と言うわけではないのにこういう団らんの席では全くしゃべらない。



「王宮の舞踏会に招待されている」


 食後の茶の時間に父が唐突に言いだした。ビアンカは舞踏会など別に興味はない。


「まあ、それは楽しみですわ」


 父と母の会話をビアンカは漫然と聞いていた。サティアスは先ほどからほとんど喋らないし、ビアンカは退屈で眠くなってきた。もう部屋に戻りたい。


「ジュリアン、ビアンカのエスコートは任せたぞ」


 父の言葉にビアンカの眠気は飛ぶ。


「私も参加するのですか?」

「そうだ。最近、お前の健康不安がささやかれているからな。今回はお前のお披露目だ」


 ビアンカは焦った。


「お父様、私、皆さまのお顔を覚えておりませんわ。挨拶が遅れて失礼になることはありませんか? それとなぜ、サティアス兄様ではなくジュリアン兄様なのです?」


 舞踏会には行きたくないし、エスコートは学園で一緒にいるサティアスの方が楽な気がする。


「ビアンカ、エスコートはジュリアンだ」


 父が答える前に、サティアスが言う。良くは分からないが、それがこの家のしきたりなのだろう。

それで話は済んだとばかりに父は席をたった。



 とても行きたくはないが、父の命令には逆らえない。ビアンカはそっとため息を吐いた。







 舞踏会に行くことはビアンカの意思とは関係なく決定してしまったものの、ビアンカは勉強で忙しくドレスを仕立てていない。

 しかし、以前のものはぶかぶかで着られないのでお直しした。だいぶ痩せたビアンカにお針子たちが驚いている。


「お嬢様、すっかり美しくなられて」


 ビアンカも褒められると悪い気はしない。そうだ、兄にも見せびらかそう。仕立て直してもらったドレスを着て自室のある二階から四階へ上がる。

 長兄の部屋をこんこんとノックすると、間もなくサティアスが出てきた。


「何しに来たんだ。ビアンカ」


 サティアスが驚いたような顔をする。そういえば、兄に自分の部屋にはあまり来るなと言われていた。しかし、この家でドレス姿を見せたいと思うのは兄しかいない。


「見て見て、お兄様! ドレスお直ししてもらったのよ。どうかしら?」


 一方、サティアスは息をきらせて重いドレスを着て階段を上がってきたであろう妹に面食らっていた。


「もしかして、それを見せに来たの?」

「はい」


 頬を上気させている。きっと褒めて欲しいのだ。わかりやすい。記憶を失くして以来、すっかり懐かれてしまった。


 ビアンカはこの家で孤独を感じているのだろう。母もドレスを直す時くらい彼女に付き添ってやればいいのにと苦々しく思った。


「ビアンカ、とても似合っている。素敵だよ」


 褒めてやるとビアンカは嬉しそうに笑い、満足して去って行った。まるで小さな嵐。妹は綺麗になったぶん、少し馬鹿になったようだ。



 最初は何か思惑があって猫を被っているのかと思っていたが、余計な一言をいって叱られたり、父とときおり低レベルな言い争いをしたりする姿をみて、それが思い違いだと気づいた。あれは素だ。要領が悪すぎる。


 ふと幼い頃の彼女を思いだす。

「お兄様、お庭へ行くの? ビアンカも連れて行って?」「ねえ、ねえ、このご本読んで」「お兄様、どこへ行くの? ビアンカをおいて行かないで」などと言いながら、どこへ行くにも後をついてきた。しまいには父に怒られたものだ。


 子供の頃の彼女を可愛くないといえば嘘になる。それが、いつの間にかサティアスのもとには寄り付かなくなってしまった。


 

 金がないわけではないのだから、ドレスくらい新しく仕立ててやればいいのに……。現にイレーネは新調している。


 今までビアンカとは交流がなくて気付かなかったが、彼女は彼女で不憫だ。


 父にはビアンカの様子を逐一報告するように言われているが、最近では報告していないことが増えてきた。


 





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