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16 修道院に入りたいです

 ビアンカは帰ると夕食も食べず、自室に閉じ籠もった。使用人達はビアンカのおかしな様子に気をもみ、この家の主人に知らせるも、「捨て置け、どうにもならなければ、サティアスに片を付けさせろ」という。

 

「ビアンカ様、ビアンカ様」


 メイドが心配して部屋の外から声をかけるが、ドアをぴたりと閉ざし、ビアンカの反応はない。

 途方に暮れていると、執事から話を聞いた長兄のサティアスがやってきた。今日のビアンカはどういうわけか兄を待たずに先に帰ってしまった。



「ビアンカ、僕だよ。開けて! 学園で何かあったの?」


 サティアスが扉を叩くと、カチャリと鍵を開ける音とともに、泣きはらした目のビアンカが顔を覗かせる。サティアスはメイドに茶を用意するように言うと、ビアンカの部屋に入った。


「いったいどうしたというのだ。ビアンカ、何があった? 殿下から嫌がらせでもされたのか? それともフローラ嬢に苛められたのか?」


 ビアンカはフルフルと首を振る。そこへメイドがティーワゴンを押して入ってきた。サティアスはメイドを下がらせ。自ら、カップに茶を注ぎ、ビアンカに渡す。


 大人しく茶をすするビアンカに 


「少しは、落ちついたか」


 と労わるように聞く。いつの間にかサティアスが、この家でのビアンカのお世話係になっている。


「お兄様、私、修道女になれないかもしれません」

「は? お前、突然何言いだすの?」


 サティアスが呆れように気の抜けた声で言う。また、妹の世迷いごとが始まった。記憶を失ってからこの方彼女はふわふわとしている。


「だって、私自殺したんでしょ? 自殺は大罪です。きっと修道院も私を受け入れてはくれません」


 それを聞いた途端サティアスの顔が一瞬で引き締まる。


「ちょっと待て、お前が何を言っているのか分からない。整理するから少し待て」


 サティアスは頭を抱えた。何故彼女が修道院に入りたがっているかが分からないが、いま問題なのはそこではない。修道女の件は、まず脇に置いておくことにする。


「そうだな。とりあえず、修道院の話は置いておいて。どうして自殺という事になったのだ? 誰に何を言われた」

「はい、ナタリー様と言う方に、私は自殺したのだと聞きました」

「ほう、コリンズ侯爵家のナタリーがそんな無責任な噂をお前の耳に入れたのか?」

「無責任な噂?」

「そうだ。ただの噂だ」


 兄のその一言でしくしくと泣いていたビアンカはぴたりと泣き止む。


「なんだ。びっくりした」


 けろりと言って目をぱちくりさせる。


「びっくりしたのはこっちだ。

 それと、お前はどのみち父上の決めた相手と結婚しなければならない。それがなぜ修道院に行くことになっているんだ?」


「はい、もちろん、貴族の娘としての責任は果たします。ただし、その先、修道院に行くのは自由ですよね?」


 これを聞いてサティアスは呆れた。


「お前……そんなに修道院が楽しかったのか」


 するとビアンカは細い顎に手を当てしばし考える。


「楽しかったというのとは違います。なんというか安らぐのです。口で言うのは難しいですね。お兄様も入ってみたらわかります」

「僕はごめんだ」


 即答する長兄にビアンカが驚いたように目を見開く。


「お兄様、何事も経験です。あの静謐な中に身を置き、お祈りを捧げていると不安とか焦りが消えて心が解き放たれるのです! 心が浄化されるのです」


 熱く語るビアンカの瞳がキラキラと輝き始め、サティアスは不安を覚えた。妹は本気で修道院に入るのではないかと。

 

 あまりにも嫌なことが続けば、修道院に駆け込んでしまうかもしれない。修道院に入りたがっていることを父に報告したらよいのかどうか、悩むところだ。しかし、そんなことをすれば彼女はこの家に閉じ込められてしまう。


「ならば、そんなお前が自殺するわけがないだろう。あれは事故だ。記憶がなくて不安なのは分かるが、噂にいちいち惑わされるな」


 ビアンカはこくりと頷く。あのバルコニーは以前に見た。うっかり落ちるだろうか……? 納得したわけではないが、いまは兄の言葉に縋ることにした。


「ビアンカ、これは僕の勝手な考えなんだが、もし、修道院に入ってしまったら、毎日必死に勉強したことが無駄にならないか? 僕にはどうしてもそう思えてしまう」


 兄の言葉を聞いたビアンカがにっこりと笑う。


「修道院に入ったからといって、勉強したことが無駄になることはないと思います。ただ、お兄様にはこちらの世界で活躍していただきたいです。人の為に」


「人の為に?」


 妹が意外なことを言う。


「はい、多分、私はお兄様のように誰かの為に役立てる人間ではないのです。だから祈りを捧げ、市井の人たちの生活の支えになりたいのです」


 そう力説するビアンカの瞳は、きらきらと輝き神々しくみえた。




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