第86話
途中妨害は入ったが、既に走行する車は深い森と高級住宅が至る所にあってそれらが互いに調和し合うオシャレな街、青山へと突入している。車だと移動距離はあるが、渋谷からは電車で駅二つだ。敵の手が回っていなければ電車で行くのが常となる。
先月19日の事件の時、謎の女騎士に対抗するために、滝沢家の誤解を解こうと三軒茶屋からこの青山へと一気に乗り込んだ。そして最終的に自らがこの騒動の諸悪の根源だと姿を現したレーツァン、あの変態ピエロをここで倒した。
今にして思えば青山と花予を賭けた、絶対に負けられない熾烈な決闘だった。あの日の混沌の緑炎に覆われた夜の中。あの光景がフラッシュバックで蘇ってくる。それが行われたとは感じさせないぐらい街並みが綺麗だ。
滝沢邸は広大な一つの敷地内に生い茂る森の中に建つ滝沢家の本拠地であり、立派な屋敷だ。奥にはイギリスの名所っぽい時計塔も建ち、青山の時を刻むシンボルとなっている。
翡翠は再び座席の方向に向き直っている。
「では、追跡は気にしないで行きましょうか。我が屋敷へ。ここまで来てしまえば敵は追っては来れません」
その時だった。誰かのスマホがブルブルと震える。失礼、とその通話に出たのは翡翠だった。
「もしもし……ああ、そちらはこれから作戦開始ですか」
「はい、はい……はい、はい、はい……」
何の話をしているのかがいささか気になる。そもそも作戦開始とはいったい……
「分かりました。この抗争が終わったら迷惑料込みでその他金品財宝、後でちゃんと忘れずに届けて下さいね。私の屋敷宛に」
ちゃんとに急に嫌らしいドスが入った翡翠の声。迷惑料ということは迷惑をかけられた相手が電話をかけてきているのだろう。
「ではそちらの仕事が全部終わったら屋敷に来て下さい。良い報告を待っています。では」
通話を終えた。何のことかをこちらが訊く前に翡翠はそれを察して、後部座席に座るこちらの顔をそれぞれ一瞥し、
「今しがた、スカールさんが部下を引き連れて品川のワイルドコブラ本部へと乗り込み始めたとのことです」
「は!? それいったいどういうことだ?」
そのサラリとした翡翠の一言に衝撃。ダークメア本家を仕切るスカールが直々に二次団体であるワイルドコブラを潰してくれるならばこれほど都合の良いことはない。これから知ろうとしている秘密と向き合うことは勿論、零の居場所が分かれば零を捜すことにも集中できる。
ワイルドコブラが本部を構える品川は港区の南に位置する。更にその南には羽田の空港がありそこに直結するモノレールが通っており、成田ではないこの場所の空港を利用する時は決まって通過する場所でもある。また、品川は東京湾の近くでもあり、競馬場や劇場もあるという。
「スカールさん、この不祥事に対して、筋を通してくれましたね。しっかり有言実行してくれそうです」
「筋? 今回の件を起こした責任か?」
ええ。翡翠はそっと頷く。
「スカールさん、今回の抗争を起こしたお詫びに後日こちらに迷惑料以外にも高い酒や宝石もくれますし、忙しい中でワイルドコブラ本部に直接出向いて話をしてみようとも言ってました」
二人の間でどういう話し合いが繰り広げられたのかは知らない。ダークメアという大勢力の事実上のトップと青山の女王の会談だ。下手したら滝沢家が潰されかねないのではないか。
だが、妹のために動くほどの行動力と政治力がある翡翠だ、今回、滝沢家よりも圧倒的に勢力が大きいだろうダークメア本家が責任をとって償ってくれるということは翡翠もなかなか強気の交渉をしたに違いない。というかホントに潰されたりしないのだろうか。
「そんなに巻き上げて大丈夫なのか? 向こうに攻撃されたりしないか?」
「心配ご無用です。元はといえば向こうのせいなのに、私に逆上して潰そうものならば、その行為こそ関東最大の犯罪組織の長として問題になりかねませんし、更なる火種を招きます。それぐらい、向こうとは交流がありますから」
翡翠の余裕な笑み。つまりは抗争の発端は自分達なのに、その抗争でとばっちりを受けた滝沢家を逆に握り潰そうものならば、それを良く思われないということだろう。
「要するに、企業で例えるならダークメアという会社の社長が直々に子会社に乗り込んだわけだね……直接出向いて話をするにしては、何やら穏便にはいかなそうだね。作戦開始って言ってたし」
花予も疑問を口にする。ワイルドコブラはダークメアの二次団体であり、本家ダークメアのトップのスカールが乗り込んだのでその例えは間違ってもいない。花予と同じく、ただ話し合いをするだけならば作戦開始とは言わない。
まさか戦いの予感が、と脳裏に過った所で。
「勘がよろしいようで花予さん。そうです、これから行われる作戦とは文字通り、ガサ入れ、そしてカチコミです──!」




