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第84話

 もしも知ることに怖気づくならば、と切り出し翡翠は話し始める。

「今ならまだ間に合います。知る権利を行使するかはあなた方次第」

 話題を変えた翡翠。それがまたある新しい記憶を呼び起こす。彼女は続ける。

「この秘密をあえて知らないで、黒條零さんのことももう全部忘れて、このまま手を引いて平和な表社会で生きる道もあります。人生は出会い別れの連続ですからね」

 形は違えどフォルテシアも同じようなことを言っていた。ほとぼりが冷めるまで隠居すれば今ならばまだ間に合うと。

「改めて今一度言いますが、知ればもう後戻りできなくなります。その覚悟、お二人はありますか?」


 言っていることはとても真面目なのだが翡翠の顔色はいつもマイペース。でも随所で語気を強めたその言葉の数々は重く伝わってくる。知れば自分の中の世界がひっくり返る。

「諒花、あたしはさ」

 先に口を開いたのは花予だった。

「零ちゃんを救えるのは諒花だけだと思う。そのためには翡翠ちゃんの言う秘密を知る必要がある。だからどうするか、決めな」

 決めな。命令口調だがそれは優しさと鼓舞がブレンドされたものだ。

「逆に訊くけど、ハナとしてはどうなんだ?」

「あたしとしては零ちゃんをどうにか救って欲しいよ。あの子、言いたくても言えない何か抱えてるんだよ。でも諒花がどうしたいかが大事だからさ、あたしは諒花の気持ちを尊重する」

 更に花予は続ける。

「あたしは姉さんを見てきたからさ、異人ゼノや異能絡みの人って一般人には分からない苦悩があるんだと思ってる。姉さんに代わってあんたの親になった時から覚悟は決めているよ」

 亡き母、花凛もまた異人(ゼノ)だった。自分も知らない母の全て。それを幼少期から見てきた花予だからこそだろう。

 ここで逆に気になったことがある。それを問いかけた。


「もしアタシが手を引くならば? 黒幕が誰か知ってるならば戦うのか?」

「仮に諒花さんが降りたとしても、私達はスカールさん達の協力も取り付けたので、ワイルドコブラを黙らせ重要参考人である黒條零さんを見つけ出し、そうしたら必然的にその背後にいる黒幕と対立することになりますね」

 もうここまで来たからには後は引けません、と翡翠。零を見つけ出せばその黒幕の居場所も全て分かるので必然的にそうなる。

「アタシのせいであんたにも迷惑をかけただろう? アタシが来なかったとしてもやるのか?」

 翡翠は満更でもなく首を横に振る。

「いいえ、迷惑だとは思っていません。あなたも私もあの男──レーツァンに振り回され、翻弄され、そして出会ったわけですからね」

 翡翠に出会えたのもあの変態ピエロの策略によるものだ。滝沢家がこちらの住む渋谷を攻めるよう仕向けたからだ。最も、あの時の翡翠は妹のためという独自の思惑でその策略にあえて乗っていた茶番にすぎなかったわけだが。色々と大変だったのかもしれない。


「それにあの時はああして良かった。あなたと出会ってから、学校の試験で追試になっても紫水ちゃんも一段と明るくなったように見えますし。ふふ。私達に彩りをくれた良いきっかけです。あなたは」

 彩り。妹に、同じ境遇を持った人狼少女をぶつける。それがあの時の翡翠の思惑だった。そんな経緯もあったからこそ今これから知ろうとしている秘密に対し、強く警告し、厳しく言ってくれたのだろう。


「それにそもそも私は、紫水ちゃんがメディカルチェック不合格になってから、スポーツにおけるドーピング対策とその教育という建前で、実は異人ゼノを弾く目的であるあの制度の成り立ちも含めた、この世界の暗部というものに興味がありましたからね」

 翡翠の妹、紫水もまた諒花同様に異能を理由にメディカルチェックを不合格になり、陸上の道を諦めざるを得なかった。そして翡翠はそんな妹のために地下にトレーニングルームを作ったり探りを入れたり、色々したという。こちらを最初滝沢家に入れようとしたのはこの共通の悩みを持つからという共同戦線的な意味合いもあった。

「メディカルチェック不合格になった件と今回の黒幕は関係あるのか?」

「今回はたぶん関係ありません。ですが、暗部と分かればとことん深い所まで見たくなるものではありませんか? もしかしたら、私達の望むものに繋がる在り処もあるかもしれませんから」


 あ────!

 それを聞いて、忘れられない、あの言葉が浮かんだ。そう、メディカルチェックを不合格になって落ち込んでいた時。

『異能の蔓延る裏を知れば、生きる答えを必ず見つけられる。他人に教えてもらうのではなく自分自身で納得いく答えを見つけること。でなければあなたの答えではない』

 零が言ってくれた言葉。異能の蔓延る裏。それは、もしかしたらもう、すぐそこにあるのかもしれない。



 暫く、車内が沈黙に包まれた。信号が青になってまたアクセルがかかって車が前進する。その沈黙が煽りにも感じた。さあ言え、さあ言えとコールされているようにも感じてくる。そのコールをする者は何者なのか。自分を奮い立てる本心? それとも焦りからの思い込みか? 

 目の前には交差点。ハンドルを切ってカーブした所で、


「翡翠」

「どうしますか?」


 この先を言ってしまえば、もう引き返すことはできない。撤回したらそれはカッコ悪い。だが、今更後ろを振り向く理由は微塵もない。


 もし逃げて違う道を進もうとするものならば、それは絶対にどこかで取り返せない過去として深く後悔する。だから。


「────頼む」


「アタシとハナに、その秘密、全部見せてくれ」




「覚悟は……できている」


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