第82話
倉元がハンドルを握る車は住宅街を出て、渋谷の駅前に出ていざ青山へと走り始めた所で翡翠が右目を後部座席側に座るこちら側に向けてそっと口を開く。
「お二方、これから向かう場所は我が屋敷――ここよりも遥かに安全です。現状、敵の動きは今朝方のホテル襲撃以降はありませんが、何をしてくるか読めません。敵もまだこの街のどこかに潜んでいる可能性が高いです」
その通りだ。たまたま遭遇しなかっただけかもしれないが狙われていると色々な憶測が浮かんできてならない。そこで。
「翡翠。アタシ達の家がもう敵に知られていて、あえて見逃されているってことはないか?」
すると彼女は視線をチラりと向けて再び前を向く。
「鋭いですね。諒花さん、最近、頭がよく回るようになったのでは?」
「そうか? アタシはそうじゃない。けど今までなら零が言ってくれただろうことが浮かぶ。アタシも変態ピエロに追われたり、零を通して誰かに監視されてるのを知ったからだと思う」
誰かに見られてる。敵がどこからか襲ってくる。そう考えるとどう襲ってくるかのパターンが、事前先読みはできなくても今朝ダイナミックにホテルを襲われた後だと浮かんできてしまう。ずっと傍にいた零の影響もあるのだと思う。
「自然と、研ぎ澄まされたカンでしょうかね。良い事です」
すると翡翠は話を戻す。
「確かに、あなたと花予さんしかいないあの家を直接潰すよりも、あえて泳がせるというのもありそうな戦略です。諒花さんがホテルから逃げた時も別で追っ手を忍ばせておいて諒花さんを追撃するという手もとれますからね」
だが実際、待ち伏せていた追っ手はなく、現れたのはあのカニ野郎だったので助かった。
ニワトリ野郎、コカトリーニョを倒した時、翡翠と通話をする中で本来のワイルドコブラはパワーに突出していて、現場の指揮はできても全体を見れるほど頭の回転はそこまでないと分かった。にも関わらず今回は自分よりこの組織を知ってるはずの石動や翡翠が不意を突かれている。
「やっぱり何か他に頭が良い奴でもいるんじゃないのか?」
「そうとしか思えませんね。だって、元は主にスカールさんにパワー担当として動かされていた部隊ですから」
すると次の翡翠の発言が空気を一変させる。
「あ、そうだ花予さん。私のプライベートルームにはひと昔前のゲーム機やソフトがあるので自由に遊んで頂ければ──」
「うえぇ!? それは本当なのかい!?」
急に口調がシリアスから甘いものに変わった翡翠の発言に、途端に目を輝かせて声を大にした花予。その顔はまるで美味しそうな食べ物を前にした子供のようで純粋だ。それに思わず運転手の倉元含めて翡翠以外の全員の視線が花予に向いた。
「ハナ……」
少し呆れてしまう。これからがとても大事なのに。だが、零に関する重要情報を見るのに加え、この戦いが終わるまで世話になるのだ、これぐらいの息抜きは必要なのかもしれない。そんな花予に驚きもせず、嬉々としながら翡翠は続ける。
「はい、大昔のファミカンから65、プレイスターションまで幅広く揃えてあります。ソフトも中野や秋葉原で集めたものをケースに沢山しまってあります」
「うおおおお、それは楽しみだ!! 翡翠ちゃん、一緒にやろうね!?」
「はい、落ち着いたらお酒でも飲みながらやりましょう」
青山の一勢力の長であり、青山の女王の異名を持つ翡翠が花予と同等のゲーマーだったことは両者の初対面時に分かったことだが、とても意外すぎて驚く。初めて二人が会った時のトークは翡翠による、花予を喜ばせるための嘘ではなく本物だ。さすがにこれから嘘をつくわけがない。このことを妹やナンバー2の執事はどう思ってるのだろうか。
すると翡翠は再び話題を大きく変える。
「諒花さんからもう聞いてると思いますが、花予さん。そこで黒條零さんのパソコンの中身を見る時は覚悟しておいて下さいませ」
「覚悟って……やっぱりとんでもない情報でも入ってたのかい?」
「あら? 諒花さん? 花予さんには話しましたか? それを見る覚悟について」
その時、若干の寒気が走った。
「わ、悪い! アタシ、話しそびれた」
地雷を踏んだかもしれない。同時に全身に走る寒気。相手は気楽に話していても青山の女王だ、失敗したら手がつけられないかもしれない。
翡翠はさっき電話でも零のパソコンの解析結果についてざっくり話してくれた。が、それを見る覚悟をするよう伝えるよう頼まれていたが伝え忘れていたことを思い出した。
すると翡翠は視線を向けず、圧を強くしてそっと話し始める。
「ま、今回は花予さんに免じて大目に見ましょう」
「ただし、諒花さん? 知ればもうそれまでの認識が覆るほど後戻りできない覚悟とあれだけ言ったのに、花予さんに共有しなかったということはそれを見る覚悟が欠如しているということ。違いますか?」
え──────!?
「分からないって反応してますね。その程度って思ってたんですか?」
「違う! そんなことない!」
「では花予さんに共有しなかったのはなんでですか?」
「そ、それは……」
反論できない。うっかり忘れていただけだ。こんなに怒られることが信じられない。それほどまでに覚悟がいる情報だというのか……?
「ごめん……」
それしか出なかった。わざわざ言わなくても、あとは翡翠が説明してくれるようだからいいやという楽観的な思いもあったのかもしれない。あとは零の情報が分かることばっかりで。
「分かればよろしいです諒花さん。では、花予さんもいらっしゃいますし、まだ青山に到着まで時間もありますし、倉元ちゃんのドライブを楽しみながら、なんでここまで覚悟する必要があるのかを私が説明しましょうか」
話すのを任せてくれないあたり、翡翠は口調は明るめでもきっと内心そうとう怒っている。これからする話にもっと真剣になれというのは明らかだった。
零に会える。そればっかりなのがいけなかった。軽率だった。痛感するばかりだ。




