第77話
ここは渋谷駅。
忠犬の像があり、駅やその周辺に巨大な広告が煌びやかに大都会というものを演出するこの広場は常に柵などに座ってタムロする人、立ってスマホをいじる人、喫煙所で煙草を吸う人などで溢れている。
常に人、人、人。だがその駅前のすぐ改札口が見える手前で歩美と人狼少女は向き合っている。
「諒ちゃん、大変な中ありがとね」
「気にすんなって。襲ってきたのがあのカニ野郎で良かった」
もしまだ見ぬワイルドコブラの刺客だったらこれまで以上の激戦になっていたかもしれない。手の内が分かる相手なのが幸いした。歩美には感謝されて嬉しいとはいえ――、
『こら、諒花!! 自分が狙われてるという自覚をもう少し持て。花予さんを悲しませるな』
『ごめん、蔭山さん! でも歩美を守れるのはアタシしかいないし……』
『分かるが、もう少し考えて動け! 勝手に飛び出すのも大概にしろよ』
あの後、やってきた蔭山に凄く怒られた。ホテルで石動からもらったコートを受け取って。そういえば脱いだコートなどをそのままにして飛び出した。
確かにもっと冷静になるべきだったかもしれない。もし零がいてくれたら、飛び出した後の処理を全てしてくれていたのだろう。その零ももういないし頼れない。前々から思っていたが、これまでは零のことを大切に思うと同時にやはり零にはどこか依存していたのかもしれない。
『バーッハハハ、やっぱガキだな』
『14歳という年頃の可愛い娘に手を出すあんたが言うな? 通常なら事情聴取だぞ』
それを見て笑うシーザーに蔭山の冷静なツッコミが炸裂した。確かにこれが表社会ならば間違いなく未成年に手を出す不審者扱いでそうなる。
だが異人で溢れているのが裏社会である。そのチカラの前には警察でもどうしようもない。
その後、シーザーと蔭山、二人は駅から少し歩いたとこにあるコーヒーショップに入っていった。蔭山はお代は持つからそこで話をしようと。歩美を見送ったらそこが待ち合わせ場所となっている。
「じゃあね、諒ちゃん。絶対に……負けないでね」
「ああ。家族によろしくな。零も絶対に見つけてみせる」
軽く右手を上げて、歩美は絶えない人の濁流に飲まれて駅の中に消えていった。今は午前10時過ぎた頃。東京駅への移動時間など込みで昼過ぎには歩美も大阪に着いているだろう。
さて、二人が待っているコーヒーショップへ行こう。
そこは駅前に建つ様々なビルの一つだ。駅の近くにあることもあり、いつも混んでいて騒がしい。階段あるいはエレベーターで二階に上がり、窓からは渋谷のスクランブル交差点からなる街並みを一望できる。蔭山とシーザーは店の奥側の席に座っていた。
シーザーは蔭山と面識があるようで、話を持ち掛けられるとすぐに自慢の両手が変形した大バサミを解除して戦いをやめ、意外にも素直に話に応じた。やはり先月19日の事件を通して出会っていたようだ。
零も一緒に三人で滝沢邸に乗り込んだあの時、シーザーは滝沢邸の森で単独でマンティス勝と交戦。しかし歯が立たず、追い込まれた所でそこに彼と因縁深い、死神の樫木まで突如現れた。しかも二人は利害の一致で手を組んだため、逃走するも森を抜けて屋敷の塀という行き止まりにあい、絶体絶命の大ピンチ。一度は覚悟を決めた。
しかし向こうの二人がどちらがシーザーの首をとるかで勝手に喧嘩を始めたため、その隙に塀をよじ登って屋敷の外に逃げた所を車で駆けつけた蔭山に助けてもらったらしい。
相手が命の恩人なのもそうだが、警察官だと自分の保身が危うくなるからだろうか。氷が沢山入ったアイスコーヒーを豪快に飲んでカニ野郎は蔭山の話に応じていた。
「――話は分かった、刑事さん。諒花はあのワイルドコブラに狙われているが、滝沢と組んでいるから事実上の抗争に発展したってわけだな」
「しかも相方の零はどっかから送り込まれたスパイだあァ? あの二人、息もあっていてそうには見えなかったがな」
店の中は常にガヤガヤと騒がしく雑音が飛び交っているため、この手の話をしてもたぶん大丈夫だろう。聞かれる心配もない。聞こえづらいが。
「今は監視役であることがバレて行方をくらませた零を捜している。あんたが諒花を狙ってワイルドコブラにつくなら構わない。だが、今回は大人しく手を引いてもらえないだろうか。19日の事件の縁でさ」
「蔭山さん」
そう呼んで、両者の座る椅子の間にある椅子に腰を下ろすと二人の視線がこちらを向く。
「おう、諒花。今ちょうどコイツと手打ちしていた所だ」
「カニ野郎。今、聞こえたがワイルドコブラにつくなら容赦しねえからな……!」
もしもそうならばその時は遠慮なく叩き潰す。怪訝な目で見ると逆に彼は笑い出した。
「ぷっ、オレがワイルドコブラに? バーッハハハハハ! ハッ、そんなの行くわけがねえだろ! あんなとこ一億出されても行かねェよ」
シーザーはアイスコーヒーを再び口に含んだ。一億出されてもいかないのは例えなのか本気なのか。
「オレはどちらかというとダークメアはスカール派だ。7月の池袋でのベルブブ教との抗争で円川組含めて全体指揮を執っていたあの人には世話になった」
円川組はダークメアの系列だ。その抗争の話は何度か聞いたことがあるが詳しいことは知らない。
「それにワイルドコブラはどうも気に食わなくてな……」
シーザーは非常に渋く、めんどくさそうな顔をする。
「なんだ? 過去に何か因縁でもあるのか?」
蔭山が訊くとシーザーは続ける。
「刑事さん。アイツらは幹部が虫や爬虫類、鳥類とか動物をモチーフにした能力を持つ異人ばっかなんだ。でもって、自分達は一番だ、つええっていつも調子こいてるのが気に食わねえんだよ」
ま、あの樫木の野郎と違って能力を研ぎ澄ましているし、実力は確かだが、と付け加えた上で、
「ビーネットとスコルビオン。アイツらがいる時点でオレは行くつもりはねえ」
「あの二人と知り合いだったのか? カニ野郎」
脳裏に蘇る、大軍を率いてブンブンと飛び回って戦闘機のように襲ってきたハチ人間のビーネット、ハロウィンの夜に現れた鋼鉄と長い尻尾を操るサソリ人間のスコルビオン。ワイルドコブラのそれぞれ一番手、続けて二番手として連続で現れ、スコルビオンは石動の加勢もあり倒せた。
「アイツらがまだワイルドコブラに入る前、何度か戦ったことがあった。特にスコルビオン! 鋼鉄な体と態度がうっっぜえんだアイツ!」
どうやらビーネットよりもスコルビオンの方が嫌いらしい。最も、スコルビオンは鋼鉄の体を持っているので、大バサミを操るシーザーとは最初から相性が良くないのだろう。
「要するに同期で争ってた因縁があるから、気に入らねえって奴か」
「同期じゃねえな、刑事さん。向こうの方が一応一つ先輩といった所だ。滝沢家のマンティス勝とシンドローム、樫木の野郎、そしてオレ。この枠よりも一足先に名をあげていたのがあの二人だ」
そんな先輩後輩の序列があることは初耳だった。ある意味、零もそうだが自分達はその枠の一つ後ぐらいなのかもしれない。目の前のカニ野郎とさっきから語られる樫木を倒したことで名が知られるようになったというのだから。
更にシーザーは続ける。
「ビーネットもスコルビオンも互いに強みで張り合うライバルだったが、それでもオレ達からすればどちらも一際強くてな。その二人に目をつけ、声をかけたのがワイルドコブラを束ねるカヴラで同僚になったという。二人は馬は合わねえけど実は仲が良いんだろうな」
ビーネットは飛行能力、スコルビオンは鋼鉄とパワーが特徴だった。それで張り合うのだから犬猿の仲と称されるのはそのためだろう。するとシーザーはこちらに視線を向けてくる。
「なあ、お前は狼だろう? なのに同じ系統の能力持つ奴らが仲良く集まるグループにこぞって狙われるっておかしいよな。あのレーツァンを倒したとはいえ、逆にその実力を買われてスカウトされてもおかしくねえのによ」
「アタシはそれで買われても行きたくねえよ」
それよりは翡翠の方が好感が持てる。翡翠本人がお菓子を持って花予にも会いに来てくれたのもあって。
ワイルドコブラがなぜこちらを狙ってくるのか??
────────────!
深く考えていると、ここですっかり忘れていた、ある話を思い出した。思わず喉から大きく声が出そうになった。それは。
「そうだ、蔭山さん。それに関係してさっき言い忘れたことがあるんだけどいい?」
「なんだ、まだあったのか? 諒花」
話がごっちゃですっかり忘れていた。ここで思い出したことがある。さっきの話し合いで言い忘れたことを。
「ダークメアのスカールは滝沢家に戦争は起こすつもりはないって翡翠に言ったみたいなんだ──」
ワイルドコブラが渋谷に襲ってくる前日、ハインと遭遇した後のこと。電話した石動曰く、スカールは滝沢家にも戦争は起こさないと翡翠に言ったという。ただその時、ハインの予言通り戦いは始まり、こちらを狙ってビーネットが襲来した。約束はあっさり破られた。今になってみればその言葉は何だったのかと色々あるうちにすっかり忘れていた。
「なに? それじゃあ俺の推理は合ってたのか。やはり敵はワイルドコブラだけということか」
蔭山は顎に手を当てて考えながら言った。そう、スカールの言葉に反して、ワイルドコブラがなぜか攻めてきているというおかしな事になっている。
ダークメアの内情は後で翡翠に確認しなければならない。一つ言えることはこの戦いのきっかけはあの変態ピエロを倒したこと。ただそれだけだ。
「スカールさんはあのレーツァンからずっと組織任されてる人だぞ? 滝沢家にそれを言って破って事を起こすメリットが今どこにあるんだ? それしたら色々と問題になるの分かりきってるだろうあの人は」
戦争は起こさない。今となっては古い記憶。石動から聞いたそれを思い出したのは偶然にもシーザーの話のお陰でもあった気がした。
「滝沢家とダークメア本家が戦争すれば、もう結果は見えてる。戦力差が圧倒的にダークメアが上だ。もし、スカールさんがこの戦争仕組んだならば、レーツァンも死んで、組織内で内ゲバも起こってるこんな時にやることか? って話にならァ」
ぼやくシーザー。やはりスカールのことを信頼しているようだ。するとスマホが震える。これは電話だ。
「あ」
スマホに出た名前は――翡翠だった。




