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第57話

 急いで廊下へと出る。普段ならばとても静かなだけだが、すぐそこに怪物がいるというだけでその静かさは早朝の冷たい空気も相まって、追われる恐怖とともに不気味な空間へと様変わりした気分だった。部屋の鍵はカードによるオートロック式だ。外から鍵をかけて、奴が追って来れないように閉じ込めておくことはできない。


 とりあえずこの寝間着のままでは戦えない。エレベーターを待っている余裕はない。奴が追ってきてしまう。急ぎ足で非常階段へのドアを開けて駆け下りる。そこは廊下よりも冷えていて寒い。下のフロアに出ると、すぐ廊下の奥に見えたお手洗いのマークを見つけた。


 女子トイレには誰かいる気配もなかった。ここも廊下と比べてひんやりしている。早朝は秋というよりも冬の空気だ。中に入り、寝間着を脱いで持ってきたセーラー服へと急いで早着替えする。今はいつもの朝のように顔を洗ったりお色直しをやってられる状況じゃない。敵は待ってはくれないのだから。スマホが震えた。画面を見ると石動からだった。


『お疲れ様です。諒花様、ご無事ですか?』

 声を潜めて通話に応じることにする。

「石動さん……ニワトリの奴がアタシの寝てる部屋まで攻めてきやがった────!」

 まさかバルコニーもないこのビルを外側から、9階まで脚で直接上ってくる奴がいるとは思いもしなかった。


『奴は怪鶏(かいけい)のコカトリーニョ。体格は太っていてもその磨きに磨きをかけた脚から繰り出される技の数々は強力です』

 マジかよってなった。その脚から繰り出されるシュートの威力も頷ける。あれは普通のシュートなんてものじゃない。


「アイツはニワトリ人間の異人(ゼノ)なのか?」

『はい。そのため鳥類由来の異人(ゼノ)にも関わらず、空を飛ぶことはできません』

「ニワトリってカラスとかと違って空を飛べないもんな」

 それぐらい知っている。たとえ零がいなくても。つまりはその特性をあのニワトリ野郎も持っている。異人ゼノの能力の特性はその由来となるものに準じている。


『ただ飛べない代わりにその鍛え抜かれた異常な脚力、走力、跳躍力を全て持っています』

 その脚力でホテルのビルの壁を駆け上がって窓を破って入ってきた。納得するしかなかった。


「石動さん、こっちへは助けには来れないのか?」

『すぐ助けに行きたい所ですが、生憎、奴はホテルの地下の下水道から催涙ガスを撒き散らす奇襲部隊を送り込んでおり、それを察した私は救援要請をした上で地下で迎撃にあたっています……!』

 石動は更に続ける。これは迎撃の中で聞き出して知ったことですがと前置きして。

『敵は、以前から偵察部隊をホテル、いやこの渋谷全体に忍ばせていたようで、諒花様の部屋の場所もそれで特定されてしまったようです』


「ハァ!? 敵に好き放題されてばっかじゃねえかよ!」

 敵が喉元に迫っていることによる寒気にたまらず声が荒げてしまった。同時にこのホテルは既にワイルドコブラの標的となってしまったことが非情にも確定した。いけない、翡翠が直接花予にもちゃんと滝沢家の渋谷進出について説明したり、石動が直接リモートで部下の指揮をとっていたり、それまでやってきたことがあっけなく崩れ始めている。

『私としたことが不覚でした。ワイルドコブラはこちらの予想以上に最初から入念に侵攻準備をしていたのでしょう』


 たとえ滝沢家が目を光らせていても、それを気にせず、憶せずに侵攻してきたワイルドコブラ。思い返せば一番手のビーネットの段階で、大群が渋谷に押し寄せてきていた。ビーネット本人もこのホテルに滝沢家の拠点があることを口にしており、あの時石動が助けに来れないように石動の方にも人員を割いていた。そして今、気づいた。


 それはただ、初月諒花一人を追い詰めるためではなく、戦局を優位に進めるためでもあったことに。あの時、既に戦闘要員以外にも偵察を目的とした多くの無数の敵が渋谷に入り込んだのだろう。


『敵はこちらに悟られぬよう、戦略的アドバンテージとなる情報を水面下で着々と集め、それをもとに作戦を展開していると見るべきです』


 その瞬間、ビーネットと、その後に現れたスコルビオンは刺客であると同時に注意を引く陽動だと悟った。たとえ彼らがやられてもその戦いで得た情報はしっかりと今後に繋げられる。あの時は異人ゼノである目の前の敵と戦うこと。それしか眼中になく情報収集なんて考えてもいなかった。もし零がいたらいち早く分かったのではないか?


 いや、零のことを考えても仕方がない。ここにきて、敵の方が一枚上手だったことを痛感させられる。


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