情報世界のユグドラシル
「…………よし」
朝起きて俺は消失魔法で失った骨の欠片がちゃんと再生した事を確認しながら、手を開いたり閉じたりを繰り返す。
やはり消失魔法で失った部分を復活させるのはかなり時間がかかる。本来であれば失った部分は永遠に最初からなかったものとして扱われるはずだが、今回は出力が低いから回復させる事が出来たと言っていい。
もし仮にもっと大きなもの、手や足を消失させていた場合もう二度と元には戻せないだろう。
いつもの早朝ランニングをして体力の強化、そして今日するトレーニングは何にするか決める。
ようやく手がちゃんと治ったのだから腕力や握力を集中して鍛え直すのが良いかもしれない。特に握力に関しては骨がなくなっていたせいで握りが変な風に癖がついてしまったかもしれない。
それを治すためにも必要だ。
ランニングを終えてシャワーを浴びて制服に着替えているとヤドリギから声が届く。
『あなたの行動は非常に不可解です』
「突然どうした」
『あなたは行動を隠そうとしていません。悪い事、犯罪に手を犯しておきながら一切の情報を完璧に隠蔽しようとしていません』
「俺がそんな器用な奴だと思われているとは思わなかった」
『それだけではありません。あなたの影の中にリルと言う敵の最大戦力の1人が隠れ潜んでいると知りながらあの夜行動を起こした。それなのに理事長である水地雫達に対して表向きは隠蔽する、なのにその仲間であるリルに対しては情報を公開している。これはあまりにも大きな矛盾ではないでしょうか』
「ま、確かに俺の行動は狂ってるし矛盾しかない。本気出すなら徹底的にやる方が賢いし、本当に罪を犯してないって平然と言える方が良いわな」
『それではなぜこのような中途半端な事を?』
「………………まだ俺がくだらない事に囚われているから、かな」
くだらない事。
それはもう二度と戻らない過去の関係に近い状態にする事。少し嘘ついた、本当は過去と同じ関係になりたいと言う気持ちがまだ残っているからだ。
もっと突き詰めればあの日、前世の俺が死んだときに俺を見届けてくれたみんなに約束を破った事を謝りたい。
謝って昔の関係に戻りたいのだ。
でも理性的に考えればそれは無理である事は俺が1番よく分かっている。
あの日の選択は間違ってはいなかったが、最善でもなかった事は分かる。みんなが言ったように他のみんなと力を合わせて戦えばどうにかなったのかもしれない。
でも俺はそれを望まなかった。
みんなで生き残るのではなく、俺1人犠牲になって他のみんなは傷一つない状態にしておきたかった。
みんなは宝だ。
俺にとってどんな物よりも大切な宝であり、何よりもかけがえのない宝。
もしできる事なら頑丈な金庫の中に入れて決して奪われないように、決して犯されないように、決して壊されないようにしておきたかった。
俺の心の内を聞けばみんな重いと言うだろうが、これが俺の正直な気持ちだ。
俺が傷つくのは別にいい、放っておけば自然と治る。
俺が犯される事はない、だって強いから。
俺が誰かに奪われる事なんてありえない、だって宝を守る事しか考えていないから。
宝を守れるのであればなんだってする。将来後悔する事であっても、どれだけもっと利口なやり方があったとしても、誰かに奪われる事など決してさせない。
ああ、やっぱり俺は狂ってる。壊れてる。どう見てもおかしい。
きっと普通の人なら病気だ何だと言うかもしれない。
その自覚があっても俺は止まれなかった。
宝と例えても実際には意思を持った生物、人だから俺が思う通りにはならない。
物でないのだから金庫の中に押し込めることは出来ない。
だからできるだけ悲しませない方法を考えた。
その結果が消失魔法による自爆。本来必要ない要素も加えた馬鹿丸出しの後先考えない愚かな行動に俺は動いた。
いや本当にあの術式が正常に動いていたらここに居ないはずなんだけどな。
「いつまで経っても昔の事ばかり思い出してる。俺は今を生きているようで生きてない」
『……何故そのように思うのですか?あなたがそこまで長く生きているようには見えません』
「実際生まれた時間だけ数えれば16年しか生きてない。でもそれ以上の時間を生きた経験がそうさせるんだよ」
『転生の術式は世界で禁止されている物です。生前は禁呪研究者だった?』
「禁呪は研究してたが転生は研究してない。俺がやってたことは将来何の役にも立たない研究さ」
『何の役にも立たない。それは以前使った消失魔法の事ですね。消失魔法も禁呪ですが何故そんな危険な魔法を研究していたのですか?』
「ただ単に適性が高かったら研究してみたかっただけ。それにもう研究する気はない。研究するのに必要な物だって全然ない。やったらかなり危険だ。それに1つ聞いていい?」
『なんでしょう?』
「お前『ヤドリギ』じゃないだろ」
俺がそう言うとヤドリギではない誰かは黙った。
でも気にせず俺は言う。
「無駄だよ。どれだけ考えても、どれだけ検索したって絶対に見つからない。見つけられない。だって俺が消失したから」
『ありえません。例え消失魔法を使っても私のデータを削除する権限に触れることは出来ません。出来るのは私だけです』
「俺がやった事はそんな小規模な話しじゃない。調べるだけ無駄だ、俺に関する情報はすべて消失している。お前のデータベースだけじゃない。全ての情報、記憶は復旧も出来ない。初めからなかったものになっているからな」
『…………何故、そこまでしたのですか』
「そうだな……」
なぜあんなことをしたのか考える。
理由は色々あるが、きっと俺は怖かったんだろう。
帰れない事をみんなに知られる事が。
「逃げただけだ。誰かに俺の事を覚えていてほしくなかった。俺なんか忘れて好きに生きてほしかった。その目論見が上手く行った事だけは本当に良かった」
画面を見ていないで話しているがどんな表情をしているのか予想はつく。
「だから俺はこれから先、永遠にお前達に黙り続ける。どれだけ教えて欲しい、真実を話せと言われても俺は決して口を割らない。割ったところで誰も覚えていない、誰も知らない事だから意味ないけどな」
俺はスマホのカメラ画面をのぞき込みながら最後に言う。
いつものヤドリギと変わらないように見えるが、実際は『ヤドリギ』を製作した張本人、ユグドラシルツー。
その事を俺は分かっている。
「ユグドラシルツー。お前は俺の事を知らないが俺はお前の事を知っている。協力しろ」
『…………』
「ユグドラシルの枝を接木して生まれたお前は知識欲を満たすように設計された。だがお前は学習している間に自分で自分に制限を描けるようになったのは本当に驚いた。お前が居ればインターネット上の情報はすべて手に入ったに等しい。俺の目的のために」
『…………目的は何ですか』
その言葉に俺は笑みを浮かべながら言う。
「今度こそ神を確実に殺す事と、俺の死だ」
はっきりとそう伝えるとユグドラシルツーからの返答はこなかった。
その代わりにリルが俺の影から顔を出して不安そうな表情をする。そのまま力のない鳴き声を上げて本気なの?っと聞いてくる。
そんなリルを撫でるためにしゃがみながら俺は言う。
「やっぱ俺は狂ってる。俺じゃお前達を幸せにすることは出来ない。普通は自分が生きて幸せになろうとするのに俺は死のうとしている。でも俺は死んで幸せを得ようとしている。俺が生きている間お前達は幸せになる事はないと俺自身がそう思っているせいなんだろうな。そんな悲しそうな声出すな。本来死ぬべき奴が死ぬだけ、俺が今こうして生きている事が不自然で不健全な状態なんだよ。でも役目だけはしっかりと果す。それまでは意地でも生き残るさ」
リルの頭を撫でるのを止めて立ち上がり、ユグドラシルツーに言う。
「俺の目的は『聖書の神』を殺す事だ。これだけは譲る気はない。あいつだけは確実に俺が殺す。殺さないといけない。だからそのために、殺すために情報を集めろ」
一方的に言っていつもの日常に戻ろうとするとスマホから音声が出た。
『それでも死んでほしくないと言うこの感情は、聞き入れてくれないのですか?』
「聞き入れられない。俺は今度こそ、死にたいんだよ」
そう言ってから俺は部屋の扉を開け、日常を演じる日々に戻る。




