閑話 ウェールズの魔女
ウェールズのとある秘境。
魔術と妖精や精霊達の結界に守られた数少ない神秘の森に魔女がいた。
魔女は精霊や妖精に好まれる体質であったが、彼女は戦いを嫌い、こうして今日も神秘の森でひっそりと暮らしている。
外と関わりを持つのはごくまれであり、大抵は彼女の妹か従姉妹が訪ねてきた時、あるいは彼女とよく似た妖精に好まれる体質を持った少女が遊びに来たときだけだ。
木漏れ日の差す場所に置いたティーセットと小さなアンティークなテーブルとイス。
そこで一人紅茶を楽しんでいると森に知った気配が入り込んだ。
「もう試合は終わったのね……」
少女が練習試合に臨むと聞いた時は驚き、非常に心配したが怪我をした様子もなく元気にこちらに向かって走ってくる少女の様子に胸をなでおろした。
もう一人分の紅茶を用意していると少女は現れた。
「女王様!ただいま!!」
「お帰りなさい。紅茶はいかがかしら」
「いただきます!」
少女はそう元気に答えながら椅子に座る。
彼女は妖精の女王と言われているが基本的な事は全て自分でやる。
妖精や精霊達は友人であり命令するような関係ではないし、人間の文化を理解するのは非常に難しい。だから料理も掃除も必要性が分からないし、家と言う建物を作る必要性も正直分からないのだ。
だから女王と言うのはあくまでも森の外での話。
森の中にいる彼女はただの一女性として友人の帰りを歓迎する。
「試合は怖くなかった?痛い思いはしてない?」
「怖い事はありましたけど、精霊の皆さんが守ってくれましたし、相手の方も直接私を倒そうとはしてきませんでした」
「それは良かった。あなたは戦いの才能がないのだから私と一緒に森に居ればよかったのに。まだ騎士学校に通うの?」
「卒業するまでは居たいと思います。あと外で目標も出来ました!」
「目標?外で一体どんな目標を見つけたの?」
「これです!!」
そう言って少女が彼女の前に出したのは紙袋、どら焼きの入った紙袋だ。
その紙袋を見て彼女は疑問に思う。
この紙袋を前に見たけど、どこで見たんだっけ……
「それはどうしたの?」
「これはニッポンで私と戦った人が怖がらせてごめんなさいってくれたお菓子です!ニッポンのドラヤキってお菓子だそうです!!試しに食べてみましたけど、すっごく美味しかったです!!」
そう言いながら少女はどら焼きをテーブルの上に並べていく。
そのどら焼きにも彼女は見覚えがあった。
記憶をたどると以前この森に迷い込んだ誰かがこれを持ってきたのだ。
日本の菓子でこれが好きだから土産に持ってきた……と言っていたはず。
「私はこのバターが入ってるどら焼きを一個食べましたけど、まだ他のは食べてないんです。女王様も一緒に食べましょ」
「ええ、いただくわ」
そう言いながらどら焼きの包み紙を破り中のどら焼きを食べる。
どら焼きの中には小さな餅と粒あん、そして薄くスライスしたバターが乗っかっている。
…………以前食べたのと同じ味。
彼女はそう感じながら咀嚼し、味わいつつも一体いつ食べたのか思い出そうとするが……肝心なところが思い出せない。
一体誰がこれを持ってきてくれたのだろうか……
「……美味しいわね」
「ですよね!!最初は甘く煮た豆と聞いて驚きましたけど、豆もジャムになるんですね」
「ふふ。アンとジャムは違うわよ。確かに作り方は似ているかもしれないけど」
「女王様はアンコを知っていたんですか?」
「ええ。ずっと前に同じものをいただいたの。どれくらい前だったのか覚えてないけど」
「へ~。てっきり女王様はずっとこの森で暮らしていたんだと思いました」
「その通りよ。その誰かは私を訪ねてきたときに手土産としてどら焼きを持ってきてくれたの。その時あなたと同じように初めてどら焼きを知ったわ」
「その誰かって人はもうこの森には来ていないんですか?」
「そうね……もうずっと来ていないわね……」
そもそもその誰かに関する記憶がこのどら焼きを見るまで全く思い出せなかったのだ。
ただどら焼きをもらって食べただけの記憶でしかなかったのかもしれないが、それでも思い出せなかった事は少し引っ掛かる。
女王は多くの精霊や妖精と契約している事で彼女の身体にも影響を与えている。
例えば年齢よりも肌が若々しいとか、時間の流れの感覚が人間と違うとか、ほんの少し五感を鋭くすればこの森全体の事を分かるとか、少しずつ人間ではなくなっている。
彼女は人間から精霊になりかけているのだ。
神に選ばれた英雄が神になる様に。
精霊や妖精に愛された彼女は精霊になりかけているのだ。
だからこそ数十年前の事でも昨日の事のように思い出せるし、事細かにあの日自分がどこで何をしていたのか詳細に思い出せる。
なのにその誰かの事がまるで思い出せない。
いつどら焼きを食べたのかは思い出せるが、その日にやってきた誰かだけはまるで記憶を消されてしまったかのように思い出せないのは彼女にとって大きな疑問となった。
「女王様?」
「何でもないわ。年を取り過ぎてしまったのか考え事が増えてしまった。得に何でもないわ」
「そうですか。それからね女王様、私もドラヤキを自分で作って食べれるようになりたい!!」
「……もしかしてそれが外で見つけた新しい目標?」
「はい!!いつかドラヤキパティシエになってこの森でいつでも食べれるようにしたいです!!」
非常に平和でありふれた目標だ。
小さな少女が美味しい物を食べて、それを作れる職人になりたい。
彼女は少女のそんな姿を見てほほ笑んだ。
「あなたにはそれくらい平和な目標の方がいいでしょう。ただ……」
「ただ?」
「材料とかはどうするつもりなんですか?流石にこの森で小豆などを育てる事は許しませんよ」
「…………」
何も考えていなかった少女は今気が付いた。
その事に笑う彼女。笑わないで欲しいと顔を真っ赤にする少女。
楽しいお茶会が終わり少女は学校へと帰っていった。
それとすれ違うように彼女の妹が森に入ってきた。
「…………一体何の用ですか」
「相談がある」
少女と楽しく話していた時とは打って変わり、冷たい声色で彼女は妹に対応する。
妹がやってくるときは大抵問題が起こったときのみである事を分かっているからだ。
その妹は一本の槍を彼女の前に置いた。
「これの整備を頼みたい。3年後のクリスマスまでに」
「何故それの整備をしなくてはいけないの。あなたにはエクスカリバーがあるのだからそれで対応すればいいじゃない」
「武器は一つでも多いに越したことはない。特にあなたの最高傑作、白龍殺しの槍の模倣品は戦場で役に立つ」
「役に立つ?そんな物を放つくらいなら砲弾でも放った方がコストも被害も抑えられる。それは失敗作よ。敵味方問わず破壊する兵器を失敗作と言わないで何と言うの」
「それでもあの神に対抗しうる武器は非常に少ない。特にこのヨーロッパでは」
「……本当なの、あの神が復活する話は」
「高確率で現実になってしまうだろう。そしてその際最も非力なのがここ、ヨーロッパだ。ケルト神話や北欧神話にも交渉を進めているが、結局信者のいない土地に神の加護などある訳がない。本当に、人間の力だけで対応しなければならないのがヨーロッパの民衆達だ。それだけは理解してほしい」
その事実に女王は歯噛みした。
土着の精霊達は信仰したり慕ってくれる人間達がいなくなってこの土地を離れ、様々な場所へ散った。
かと言ってこの森に残っている精霊達ではあの神に対抗するなど無謀すぎる。
だからこそ人間が作った対神兵器を利用せざる負えない。
たとえその結果、ヨーロッパの人間が絶滅してしまう事になってしまっても。
「……整備ではなく改良を施します。少しでも被害者を抑える事が出来るように」
「ダメだ。それで威力が減少するようなことは許さない」
「それで民草が絶滅しても構わないと?最も王が口にしてはならない事だ!」
「分かっている。だからそれを使うのは本当にどうしようもなくなった時の切り札の一つとして所持するつもりだ。エクスカリバーでどうにかなるのであれば、こちらで対処する」
金色に輝く装飾がされているが、実戦で使えるよう派手過ぎない聖剣に手を乗せながら妹王は言う。
それでも姉であり妖精の女王は――信用しなかった。
「分かった。整備だけさせてもらう」
「よろしく頼む」
そう言っていなくなる愚王が森を去った後、彼女は寂しげに槍を抱えた。
「こんなものが必要のない世の中に何故ならないのか、私には分からない」
そんな孤独に耐える彼女の周りにはイタズラ妖精と犬の妖精が彼女を支えようとしていた。




