青年は忠告を受ける
夜、また樹杏が女性と歩いている。おそらく女性に向けた顔だ。優しく笑っている。
「ありゃ確かに間違われるな」
「は?」
連中揃い踏みだ。知己もちょうどいたのだ。
「あれがちい姫だ。樹杏さんがああいう笑いを向けるのはただ一人。髪はおそらくウィッグだな。ちい姫の髪は茶髪じゃない。俗に言うぬば玉の髪だ、あそこまで見事な髪はそうそういないぞ」
それで前回と前々回と髪型が違うわけか。だからこそ援助交際の噂もたつわけだ。
「ちい姫?」
「あり?お前たち知らね?」
余計な事を。
「あぁ、もしかしてあの子が紅蓮の?」
一番先に気がついたのは啓治だった。
「そ。あの子だよ。名前は……俺も知らんし、華弦も知らんだろ」
「はぃぃ?」
美恵が驚いている。
「仕方ない。当主も咲枝様も本当の名前を知らないんだし。知っているとしたら樹杏さんに杏里、それから二人の『守役』くらいだ」
「どういう了見っすか」
「そういうもん。ちい姫と春に会ったか。それっきり家に行こうとしてもガードが固てぇ」
でかいため息をついている。
「それで進まねぇと」
わざとらしく啓治が言う。
「そ」
その会話を楽しそうに他の連中が楽しそうに聞いていた。
「って事は、もしかしてあの写真の子?」
「写真?何じゃそりゃ?」
「お前ら……俺をおちょくって楽しいか?」
「そりゃ楽しいわよ。なんたってあんたが誰を思うなんて一生かかっても無理だと思ってたし?」
「啓治、明日師父の店に行かない」
「何唐突に」
「母親の命日なんだよ。墓参りくらいしても良いだろ?」
「お……おう」
面白くない話から少しでも抜け出したかった。
翌日、母親の墓前に一人男が立っていた。
「馬鹿かお前は……だから言ったのに」
いたのは樹杏だった。
「待て」
一礼だけして通り過ぎようとした樹杏を呼び止めた。
「聞きたい。お前は……」
「俺があなたの父親?それだけはありえませんよ。もし、そうだとしたら違う道順を選んでいましたよ」
その瞬間、樹杏の顔が真顔になった。
「冬太!」
その一言だけで冬太は理解し、動いていた。
「いい加減気がつけ!馬鹿者が!!」
妖魔に囲まれていたのだ。
「樹杏様!この他に西方より妖魔複数!東方からも!」
「早く帰りたい時に……ったく」
面倒臭そうに樹杏が言う。そしてぱちんと指を鳴らした。
「冬太!」
また名前しか呼ばない。それで理解し動く。
「我に応えよ、開!」
早い動きだ。
「疾風!やつらを止めろ!」
「御意!」
それを嘲笑うかのような笑みをこぼしていた。
「樹杏様」
「馬鹿どもは放っておけ。俺たちは俺たちの分だけ退路を確保する」
呪を唱え終わり、樹杏が言う。
「ちい姫様、連れてくるべきでしたかねぇ……」
「馬鹿馬鹿しい事を言うな。……まぁ、ここまで頼りないと分かれば幻滅するか。それもありだったかもしれないな」
「なっ!?」
「力任せでしか呪を使えない、これだけ囲まれないと敵にも気がつかない。そんな男に惚れるとでも?」
悔しいがその通りだ。
「もっとも、『守役』も動きが鈍いですね。いちいちご指示がないと動けないようでは、とても……」
「ふざけるな」
だったらそちらのチカラを借りずに倒してやる。
「疾風、やつらをひきつけておけ」
「かしこまりました」
深く疾風が一礼した。
いつものように呪を唱える。それを黙って樹杏は見ていたのだ。
「な!?」
チカラを放とうとした瞬間、妖魔が消えた。
「悪いが利用させてもらった。おかげで楽にかたがついた」
何をしたのかすら分からなかった。
「予想より早くかたがつきましたねぇ」
冬太が樹杏に上着を渡していた。
「予想より早くかたがついたという事で、一つだけやらせていただいてよろしいでしょうか?」
「構わん。ただし五分で終わらせろ」
その言葉を受けて、すっと冬太が目の前に立った。
「あまりにも未熟すぎるにもかかわらず、えらそうな口を叩く『守役』さん、どうせですから一戦交えましょう」
「な!?」
何の意味があるというのか。
「生憎俺は『守役』ではありません。生前、父が樹杏様の『守役』だった、それだけです。ですが、あなたは俺が見ても未熟すぎる。どうせです、賭けをしましょう。互いに主を守る。それだけです。もし、俺を倒すか策を練って樹杏様のところにたどり着いたら、あぁもちろん、樹杏様のところにたどり着くのは紅蓮様でも結構です。ちい姫様に会わせてさし上げますよ」
「おい、俺の意思とちい姫の意思は?」
「まさか、この二人が俺を出し抜けるとでも?」
その言葉に一瞬にして血がのぼった。
「受けて立つ」
「ならはじまりですね。あぁ、樹杏様にいただいた時間は五分ですので、それ以内で終わらせていただきます」
策を練る時間すらない。
「紅蓮様、自分が囮になります」
「あぁ、頼んだ」
余裕顔を叩きのめしてやる。
「ほら、どうぞ?動かない間に五分、経ちますよ?」
その言葉を受け疾風が動く。
だが、二人は動かない。否、冬太が動いた。
「がはっ」
一瞬誰の口からでた声か分からなかった。
「紅蓮様!」
己の口からだと気がついたのは数秒後だった。
「疾風……」
樹杏にさえたどり着ければちい姫に会える。よろめきながらも立ち上がった。
「おや、まだ動けますか。まぁいいでしょう」
その声は疾風のところから聞こえてきた。すでに疾風の動きを止めに入っているのだ。
「話になりませんね、これでは」
たどり着いてみせる。呪を練り、疾風と冬太の距離を広げた。
「ははぁ、なるほど」
だが、樹杏は一歩もそこから動いていない。
ごきり、嫌な音が二度した。
「疾風!!」
ためらいも無く、疾風の腕を折ったのだ。
「ぐぁ」
樹杏のほうへ向かおうとしていた紅蓮にも蹴りが入った。
「紅蓮様!!」
自身も苦しいであろう、それでも庇うように疾風が立っていた。
「話になりませんねぇ……このチカラで『歴代当主の中でも五本指に入る』?まったく、使い方すらなっていない。あぁ、紅蓮様、これはあなたのせいだけではありませんよ?この馬鹿な『守役』がチカラの使い方をきちんとあなたに伝授していないだけです」
「冬太。五分はとうに過ぎたぞ」
「失礼いたしました。お二人はどうします?」
「連れて帰ってくれそうなのが来た。これ以上ふざけた事に時間を費やす気はない」
「かしこまりました」
かつりと樹杏がこちらに向かってきた。そしてためらいも無く疾風を蹴り飛ばし、紅蓮に近づく。
「せめてチカラの使い方くらい紫苑に習え。今からでも遅くない。このままだと身体にかなりの負担をかけるぞ」
「は?」
次の瞬間、殴られた。
「紅蓮!」
来たのは紫苑と華弦だった。
そこで見事に紅蓮の意識はブラックアウトした。
「ってぇぇぇ!!」
「起きたか。ものの見事にやられたね。まぁ、ある程度手加減はしたようだが」
「疾風は?」
「麻酔で眠らせている。かなりショックだったようだしね。それにあの怪我でお前を守るつもりでいる」
隣のベッドで横になる疾風を見てほっとした。
「両腕の骨を折られたよ。まぁ、医師も驚くほど綺麗に骨を折ったそうだから、早く繋がるのではと言っていたよ。お前は軽い脳震盪を起こしただけだそうだ。顔の腫れだけはどうしようもないだろうがね」
「正直、何があったのか分からない」
「あの兄弟の得意技だ。相手の呪術を見てそれを使って敵を倒す」
話の種にと見舞いにきた知己が苦笑して言う。
「しっかし、よくもまぁ、呪術寸止めできたな。初めてだと大抵、放ってから気がつく。だと、体力も呪力もかなり消耗しちまう」
「いや、放とうとしたら妖魔がいなくて驚いた」
「驚く暇を与えてくれたか、それともお前が気がついたか。どちらかだろうが、一回くらった俺から言わせると本当にたいしたもんだよ」
それだけ言って帰っていく。
「褒められた気がしねぇ」
思わず呟く。




