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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈アルーヴァ〉Dog Eat Dog Of The Battlefield 5

「ぐ、あああ!」 


 悲鳴があがる。

 うるさくて、耳障りだった。

 俺は左手の戒めを離し、身体を起こしながら、無造作に蹴り飛ばした。

 転がる男。

 俺の右手は、美味そうにそいつの血肉を咀嚼(そしゃく)する。


「ぐ、がうう」


 男は起き上がり、俺を睨みつける。

 だが、その虚勢もすぐに崩れ去った。


「ば、馬鹿な……?」


 そいつは自分の肩口を押さえ、戸惑いと恐怖の入り混じった声を漏らした。全くもって、次から次へと期待通りの反応をしてくれる。


「再生が始まらない――そうだろう?」


 侮蔑のこもった声で、言ってやる。

 俺の右手が元に戻る。


「おまえの一部を喰った。言い換えれば、俺の魔力をもっておまえの魔力を削り取った、とでも言えばいいか」


「……喰った? ま、まさか……きさまは?」


 そいつの恐怖がより一層濃くなっていくのが、手に取るようにわかる。


「同族喰らいの……アルーヴァか?」


 それが――俺の通り名だ。


「そうらしいな」


 歯を()きながら、悠然と歩み寄る。そいつは身体を震わせて、逃げようとする。


「無駄だ」


 獲物をむざむざ逃す猟犬はいない。

 いるとすれば、それは間抜けな猟犬だけであって、俺はそうではない。

 だから当然に、そいつの背中を踏みつける。

 距離を詰めるのは、一足飛びで充分すぎた。


「た……助けてくれ! 助けてくれ!」


「おいおい? 吸血鬼様が、何ともみっともないぞ? 恥晒し……その言葉をそっくり返そう」


「た……助け、助けてくれ!」


「少しは気概を見せてみろ! 少しは俺を楽しませて見せろ! 立ち上がって、反撃して見せろ! 奮い立って、噛みついて見せろ! なあ、吸血鬼様よ!」


「た、頼む。頼む! 頼む! 頼む!」


 そいつは、もはやただ狂ったように命乞いの言葉を繰り返すだけだった。


「頼む、頼む、頼む、たのむ、たのむ……!」


 つい先ほどまで、己を超越者と自称し、傲慢に酔いしれて、騎士達をグールに変え、女騎士を己が玩具へとしてやろうと言っていた――

 その吸血鬼が、これほどの醜態をさらけ出している。

 俺に踏みつけられて、地べたに這いつくばって、ただ圧倒的な弱者としてそこにいる。

 こいつは滑稽だ。

 笑いが、憤怒に変わるほど。

 とてつもなく傑作だ。

 腹がよじれて、引き千切れる。

 もはや、不愉快でしかなかった。


「――知っているか?」


 俺は、氷の声で言ってやる。


「俺が同族を喰うのは、その魔力を吸収し、己が魔力とする為だ。そのために、おまえのような吸血鬼は格好の餌なんだよ」

 そうだ。

 奴を思わせる吸血鬼であれば。

 奴のように、愉悦をもって人間達を(もてあそ)ぶ吸血鬼ならば。


 俺は――


 一片の慈悲もなく、こうやって残酷になれる。

 微塵の躊躇(ちゅうちょ)もなく、餌として喰らうことができる。

 思う存分、狂おしいほどの憎悪の炎で、焼き尽くすことができる。


「助け……助けて。助けてくれ!」


「そして、その魔力は苦痛と絶望が彩るほどに、その濃度を増す。つまりは……わかるな?」


 より苦しみ、より恐怖し、俺にとって極上の餌となればいいのだ。


「……助け! 助けて! 助けてくれ! 頼む! 何でもする! 何でもする!」


「何でも……か?」


 俺の言葉に、かすかな望みを感じ取ったのか。そいつは夢中でまくし立てた。

 肩越しに、俺を見上げる表情があまりにも必死で笑えてくる。


「……あ、ああ! 何でもするぞ!」


 追従に歪んだ、無様な笑顔。

 そこには一辺の矜持(きょうじ)も、欠片の尊厳もなかった。


「ならば……先ほどおまえが捕食した人間達を返せ」


「――!」


 そいつの表情が、絶望に凍て付いた。愉快に。不快に。


「無理だろうな」


 嬲るように、俺は言う。


「無理に、決まっているだろうな」


 吐き捨てるように、断言する。

 そう、無理だ。不可能だ。喰らった命は、戻らない。殺した人間は、返らない。

 だから、それゆえに。

 俺は、おまえの命乞いは聞けないのだ。


「ひとつ、問おう」


 俺の背中が、盛り上がる。


「おまえは、そうやって命乞いした人間を見逃したことがあるのか?」


 返答はなかった。

 ただ、息を飲む音がしただけだった。

 それが、同時に、俺の答えであった。

 俺の背から、幾本も触手が伸び、その一本一本が獣の姿を形作っていく。 そいつの血を啜り、肉を()む獣の姿を。獣達は、血のように赤いその瞳で獲物を見据え、裂けんばかりに開いた口からはしどと涎を滴らせる。  


 俺は、もう何も言わなかった。

 背中から生えた獣達が、一斉に襲い掛かる。


「ひ、ぎゃあああああああああああ!」


 哀れな獲物の悲鳴が、つんざいた。


       ◇


 血溜まりが、足元にわだかまる。

 食事を終えた俺の分身達が、背中に埋没する。


「…………」


 振り返る。

 サリナの姿があった。

 言葉を失い、青ざめた顔色。そこに浮かぶのは、恐怖と嫌悪。

 (かたき)のはずであった。

 俺が喰らった吸血鬼は、確かに彼女にとっても憎むべき存在であったはずだ。

 だが、その顛末(てんまつ)を目の前にしてその心は晴れていないのだろう。

 当然だ。

 俺の殺し方は、人間のそれの埒外(らちがい)にあるゆえに。


「く……」


 サリナは唇を噛み、うなだれる。


「理解する必要はない」


 俺は薄く笑った。

 笑ってやった。

 俺は、別に彼女の復讐を遂げたわけではない。

 俺が、俺の意志で殺して喰らったに過ぎない。

 だから、彼女はただ俺の所業を残酷だとそしればいい。

 非道だと非難するだけでいい。


「…………!」


 不意に。

 サリナが目を見開いた。

 俺の背後。そこにわだかまる血溜りが、ぼこりと蠢く。

 振り向くまでもなかった。

 どうやら、まだ完全にくたばってはいなかったようだ。引導を渡してやろう。

 その余裕が――

 命取りとなった。


 俺、ではない。

 俺をかばって飛び出した少女にとっての。

 

 俺を貫こうと、その血溜りから飛び出した真っ赤な槍は――その細い身体を貫いていた。


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