26、憎しみの理由
「……よう」
真っすぐに俺を睨みつける甲斐に、俺は一言応じた。
「あんたと長々と話すつもりはない。……俺が言いたいことは、一つだ」
血走った目でこちらを睨みながら、甲斐は言った。
大体、予想は出来るのだが、一応は聞いてみる。
「なんだ?」
「冬華と別れると誓え」
やはり、それか。
「どうしてだ? 俺が冬華と付き合っていたら、困るのか? ……甲斐、お前は冬華に惚れているのか?」
甲斐の問いかけに答えぬまま、俺はそう問いかけた。
すると、唇をぐっと噛み締めてから、甲斐は答える。
「言っただろ。俺は、あんたが去年暴れているところを見ていたって」
「ああ、そうだったな」
「……俺は、あの時。ただ見ているだけしかできなかった。あんたに傷つけられて倒れる人たちを見ていただけだった。……そう、恐怖に足がすくんで、その場から一歩も動けずに、ただ見ていただけなんだ」
拳をぎゅっとに握りしめる甲斐。
その表情には、後悔が浮かんでいた。
「助けられなかった、名前も知らないあの人たち。暴力に苦しみ、虐げられた人たちのあの表情を、俺はいまだに夢に見る。自分の非力さと、勇気のなさを俺は心底憎んだ。……今だって、本当は怖いさ。あんたみたいな人でなしが目の前にいて」
そう言ってから、甲斐は俺を睨みつける。
……これまで気が付かなかったが、その瞳の奥には確かに、怯えや恐怖が秘められていた。
「それでも! たとえ怖くても、非力だったとしても! 俺はもうあんたを見過ごすことなんて出来ない! あの天真爛漫な冬華から笑顔が失われるのは嫌だ! ……また、後悔の日々を送るのは嫌だ」
甲斐烈火。
こいつは間違いなく、猪突猛進で人の話を聞かずに思い込みで話を進める悪癖のある男だ。
しかし。話を聞く限り、こいつは俺の『去年の事件』の目撃者だ。であれば、この異常なほどの拒絶反応も納得できる。
あの場を端から見ていたのであれば。
暴れまわる俺を、周囲の人間が危険を省みずに止めに入った。
そんな風に見えていたのだろう。
俺も、あの時は形振り構っていなかったからな……。
であれば。こいつは紛れもなく、自らの正義を信じて突き進む「正義漢」といえるのだろう。
「確認なんだが」
俺の言葉に、甲斐は先を促す。
「なぜ、お前はここに一人で来た?」
屋上に入ってから、周囲を見渡し、気配も探っていたのだが、ここにいるのは甲斐一人だけのようだった。
俺を危険だと思っているのに、なぜ仲間を連れてこなかったのだろうか?
俺には、それが分からなかった。
「決まっている。数だけ揃えても、きっとあんたには敵わない。無駄な犠牲者が増えるだけだ。……俺は、どうなっても構わない。あんたがもし話をしても冬華から手をひかないのならば……死ぬ気で相手になってやる」
覚悟を決めた目だった。
もし喧嘩になれば、本当に命がけで俺に向かってくるかもしれない、と。
そう思わせるだけの迫力があった。
……できればこの男には、俺なんかに構わずに、真直ぐ正義の道を進んでほしかった。
だけど、そうも言っていられない。
「そうか。お前の言い分は分かった」
「……なら、冬華と別れると誓えっ!」
裏返った声で叫ぶ甲斐。
よっぽど、俺と向き合うのがストレスなんだろう。
「無理だ。俺は、冬華の彼氏だからな」
俺は、一言告げた。
すると、甲斐から表情が消え失せた。
「最初から分かっていた。……冬華があんたのことを好きじゃないことくらい」
……ご明察だな。
俺たちはニセモノの恋人だ、冬華は本気で俺のことを好いているわけではない。
「あんたが、弱みを握って冬華に言うことを聞かせているんだろう? ……冬華に、あんたと別れろなんて言うべきじゃなかった。彼女を苦しめるだけだ。最初から、あんたに話を付けるべきだったんだ」
……こっちは大外れだった。
どっちかというと、冬華がそういうことをしようとしていた、とは甲斐は絶対に信じられないだろう。
殺気立った甲斐。
俺は彼を視界に収めながら……一人の足音が屋上に向かっていることに気が付いた。
甲斐が、あからさまに狼狽えつつ、言った。
「まさか……あんた!」
彼にも、この足音が聞こえているのだろう。
その表情を見て、俺はなんて間が悪いんだと、内心で絶望する。
足音が、扉の前で止まり……。
ガチャリ
「あー、先輩! やっぱりここにいましたねー! もー、探したんですからねーっ! ……って、え?」
現れたのは、他の誰でもない冬華だ。
彼女は俺を視界に入れ、その後に甲斐も一緒にいることに気が付き、不安そうな表情を浮かべた。
俺と、冬華と、甲斐。
三人の時間が、一斉に止まったように、誰も声を発さない。
……そんな中、一番最初に口を開いたのは甲斐だった。
「……巻き込んだな、冬華を。この、卑怯者ぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉ!!!!!」
地獄から響く怨嗟の声と聞き間違うほどの、憎しみの籠った低い叫び声を、甲斐は上げた。
その声に、冬華は明らかに怯えた様子を見せた。
……俺が冬華を『人質』として呼び出したのだと勘違いでもしているのだろう。
やっぱり、話し合いでは済まなかったな。
こうなってしまっては仕方ないな。
そう思い、俺は空手の拳を握りしめるのだった。






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