3-32 名付けってセンスが問われますよね
長い階段を自分の足でのぼるのはさすがに無理でした。屈辱ながらセレスタン様におぶってもらいつつ地上を目指します。
「あの、重くないですか、重いですよね!」
「あはは。全然重くないって、マーズトンで言いませんでしたか」
マーズトンって、タンヴィエ公爵領でレモンの産地ですよね。
タルカークへ来る前に連れて行ってもらいました。初めて海を見たのはマーズトンだったし、その海が本当に綺麗で。
「言ってない! なんなら体勢を崩して海に放り投げたじゃないですか」
「は? 女ひとり支えられねぇとは。セレスタン君、情けねえなぁ」
「違う! あの時は砂に足をとられて……って、俺は何も変わってないな」
しょんぼりしてしまいました。
しかも逆に意地を張ってしまったみたいで、全然降ろしてくれません。
でも……、イドリース殿下と結婚してしまえば、こんなに近くにいられることもないだろうし。今はこのままでもいいかな。セレスタン様の温もりを覚えていたいから。
そんな風に自分の足で歩くことを諦め、セレスタン様にすっかり身を委ねてからしばらくは静かな時間が続きました。ただ全員の足音と息遣いが岩壁に僅かに反響するばかりで。
心地よさに眠気さえ感じ始めたとき、突然セレスタン様とイドリース殿下が足を止めたのです。
「いま、なんか聞こえたな」
「ええ。聞こえましたね。猫の鳴き声のようでしたが、チカネコでしょうか」
「チカネコじゃないダ!」
「うわっ、いたのかよ」
どこから来たのか、階段脇の部屋からチカネコがひょっこり顔を出します。
地下住居は迷路のように入り組んでいますが、ほとんどの部屋に複数の出入り口があってそれぞれ繋がっているので……。別のルートから追いかけて来たのだろうことは理解できます。
「お見送りしに来たダー。ついでに、にゃっこう浴!」
「日光浴な。で、変な鳴き声しただろ。あれはなんだ?」
イドリース殿下の問いにチカネコがフンスと鼻息を荒くしました。
「あれは! チカネコの! 子ども!」
「は? ……は? 子どもだ?」
おーいとチカネコが声をあげると、彼の足元に小さなネコが二匹やってきたのです。
ミズネコみたいに真っ青な毛の子と、チカネコそっくりの縞模様を持つ子。共通しているのは、どちらも足が白くて靴を履いているみたい、ということでしょうか。
二匹は片手をビシッとあげてこちらを見上げます。
「にゃ!」
「にゅ!」
「可愛い……! セレスタン様降ろしてくださいっ、ご挨拶したいです!」
驚きのあまり固まってしまったセレスタン様ですが、足をバタバタさせたらやっと降ろしてくれました。
ギリギリ片手に載るくらいのサイズの二匹は、手を差し出すとにゃーにゅー鳴きながら登ってきます。なんて可愛いの……!
私の手の上でヨチヨチする猫を指先でつつきながら、イドリース殿下が周囲を見回しました。
「嫁は? 子どもがいるなら嫁もいるよな? 分裂したとか言わねぇでくれよ?」
「隠れてるダ! 北の川で見つけたニャイで可愛いお嫁にゃん!」
「シャイ、な。……まぁあの広さだもんな、何匹かいるほうが水も綺麗になるか」
「聖人、それひとつ持っていけ」
「え? 子どもを?」
パン屋のおかみさんが焦げたパンをくれる時みたいなラフさです。聞き間違いかと思ったけど、チカネコの視線も指先も仔猫たちを指しています。
「可愛い子は旅に出して谷に突き落とすダ!」
「いろいろ混ざってんな」
「水でも飲ませておけば死にはしないダ」
「雑」
さすがに大事な子どもは預かれないと言ったのだけど、チカネコは思った以上に頑固でした。
とりあえずビビアナ殿下の婚姻の儀が終わるまでという条件で、最後まで私から離れなかった縞模様の子を連れて戻ることに。
再びセレスタン様の背におぶわれて、今度こそ地上を目指します。仔猫は私の肩にぎゅっと掴まって「にゅっにゅー」と上機嫌です。
「この子猫にも名前が?」
セレスタン様の問いに、チカネコは尻尾を大きく横に振りました。
先ほどまで泳ぎ回っていたせいもあって、水滴が周囲の壁に飛散します。
仔猫もそれを真似て尻尾を振りますが、バランスを崩して転げてしまいました。イドリース殿下がキャッチしてくれたので大丈夫でしたけど。
「聖人が決めるダ!」
「私っ?」
「おう、いいじゃねぇか。ガツンとかっこいいのつけてやれよ」
「えぇ……」
ヌーラのときにミズネコとかチカネコとか色々やらかしているので、プレッシャーなんですが。でもチカネコをはじめとした全員から、期待の眼差しで見つめられては断れません……。
「えっと、シマ……シマネコ……」
「ぶっふぉぉ」
イドリース殿下が吹いた! 王族ともあろう人が!
セレスタン様は必死に笑うのを堪えていますが、私は背中に乗っているので震えがそのまんま伝わってきます。我慢されると余計恥ずかしいんですけど?
「ククッ……。いいと思いますよ。縞模様の猫でシマネ……くふ」
「言えてないじゃないですか」
「シマネコ! 嬉しいダ! な、シマネコ!」
「にゅーっ」
大笑いするうちに地上へと到達し、岩から出るとあまりの明るさに眩暈を感じました。しかも暑いし。
イドリース殿下は肩をぐるぐる回したり上半身をねじったりしています。地下は狭かったですからね。
「しかし本当にすげぇな! ジゼルが来てからタルカークはいい事づくめだ!」
「大したことはしてないですけど……」
「国家の危機を救っておいてそれはねぇわ」
セレスタン様に降ろしてもらって、私も腕を高く上げて思い切り身体を伸ばしました。
出発は朝でしたが、今はもう太陽はすっかり真上にあります。
青い空には雲がほとんどなく、大きな鳥が羽を広げて優雅に滑空していました。どこかでギャッギャッギャと鳴き声も聞こえます。
「立派な翼。鷲だわ……」
真っ青な空を背景に、逆光みたいにシルエットだけが浮かんで見えます。
あの形、どこかで見たような。確か鷲の形の紋章だったっけ。タルカークへ来たばかりのとき、ナウファル殿下が運んでいた箱の中にそんな紋章があったはずです。
「鷲の紋章って……」
「あ? ルゥデアの国章がそうだな。ルブロザルもそうだが、ルゥデアは砂色に翼を広げた赤い大鷲、ルブロザルは王冠に留まった鷲だ。それがどうかしたか?」
私の呟きにイドリース殿下が淀みなく答えました。さすが王族。
問題があるとすれば、タルカラの謎の倉庫で見つかった箱にもルゥデアの紋章が入っていた、ということでしょうか。
ええと、催眠の魔術に用いる薬がルゥデアの紋章付きの箱に入っていた、とイドリース殿下が言っていました。そのルゥデアの紋章付きの箱はナウファル殿下が運んでいたわけです。つまり催眠の魔術はナウファル殿下が――?
「い、いえ。何も」
「んじゃ、マズコナクに戻ろう。今日はゆっくりして、明日になったらまたタルカラに移動だ」
ネルミーン姫のお顔が脳裏にちらついて、つい誤魔化してしまいました。
本来ならこの事実を告げるべきなのだと思います。だけど、涙を滲ませながらナウファル殿下のお名前を呼んだネルミーン姫の姿が思い出されて、つい。
だってこれをイドリース殿下に告げれば、きっと彼はナウファル殿下とその周囲を隈なく調べることになるでしょう。場合によっては容疑者として捕まえ、尋問までするかも。
一方で、私の記憶が間違っている可能性もあるし、ナウファル殿下が運んでいた箱の中身が薬だったとも限らないのです。そんな曖昧な情報だけで王族に疑いをかけることも、私には少し重荷というか……。
にゃっこう浴のためにぐでんと寝転がったチカネコ親子に見送られて、私たちは岩窟群を後にしたのでした。




