私の役目
彼は雨村晴と名乗り、地方伝承の学者だと自己紹介してくれた。
研究のために各地を訪ね歩きその地に伝わる昔話だったり神話だったりを調べて纏め、そこに住むあるいは住んでいた妖や新しく生まれた妖についての情報を随分と昔から千秋寺へと持ち込んでいるんだそう。
千秋寺の書庫に収められている妖についての詳しい情報の殆どが雨村さんから提供されているんだと思えば素直に感謝と尊敬しかない。
「そういうことで元々はこちらの千秋寺さんの方に色々とお世話になっていたのですが、近代化が進む折に落ち着くところがなければ不便だろうという勧めもあって現在は商店街に居を構えているというか仮住まいさせていただいております」
「えと。つまり龍姫さまの眷属になったということですよね?」
「一応そうなりますね。水の気が強い幸地町は相性も居心地も良いので住まわせていただく代わりに有事の際は商店街の守護をするという契約をしているだけですが」
雨村さんは淡々と話すので感情が読めないし、話が終わったのかどうかも分かり辛い。
龍姫さまへの忠誠心もあるようなないような、そして千秋寺に対しての恩義のようなものも感じられるようなないような。
底が知れなくて宗春さんとはまた違った怖さがある。
「こちらとあちらとの私の関係性はこれでご理解いただけましたか?」
「あ!はい」
少しの沈黙の後で確認され私は慌てて顔を上げて頷いた。
「小宮山さんがどれほど事情をご存知か私には分かりませんのでもし分からないこと知らないことがありましたら途中で訪ねていただくという形で構いませんか?」
確かに私がどこまで知っているかを擦り合わせる時間がもったいないのでその方が効率的だと思う。
「はい。そうしてください」
もう一度私が頷いて了承すると雨村さんは「では」と囁いてゆっくりと唇を開いた。
「龍神池の主である姉姫が戦争へ行く語り部の願いを聞いてここいら一帯の時の流れを止めたのが七十四年前。時を止めると一言でいってもそれは恐ろしく力の要ることですのでそれを七十四年間ですから姉姫の妖力は大いに削がれてゆく」
私が想像もできないほど昔から長きに渡って力を溜め育んできた龍姫さまだからこそできたことなんだろうけど。
「吸い取られ続けるだけならいざ知らず。時が過ぎる程に多く奪われ続けることになる姉姫を補う為に妹姫が尽力し支えることで均衡を保っておりました」
そうでなければ到底維持などできないと雨村さんがぽつりと零した言葉に私ははっとして青ざめる。
「天秤を想像していただけると分かりやすいかと。片方の天秤に姉姫が乗りそれは常に下へと傾いている。そしてもう片方の天秤を妹姫が手を添えて下方へと向かう力と同等の強さでもって釣り合いを取っていた」
正面から見つめる雨村さんの視線が強くなった気がして息苦しさを感じ、彼の目が「もう分かりますね?」と聞いてくる。
「ああ……!」
私は震える手を口に当てて小さく首を横に振った。
「妹姫が手を離してしまえば天秤は一気に傾き姉姫は妖力を奪われ」
「まさか、そんな」
「弱体化する」
「やっ!だって、知らなかった――」
でも知らなかったでは許されないようなことを私はしてしまった。
千秋寺の誰もがそのことで私を責めなかったし、天音さまだって。
ああ。
どうしよう。
「私なんてことを」
顔を両手で覆って悔やんでも起きてしまったことは取り返しがつかない。
宗明さんが「引き返せない所まで事態は進んでしまった」と大きなため息とともに吐き出した言葉の重さが今になって私の背中にずしりと圧し掛かってくる。
「あの、今、龍姫さまは……?」
「池の底に深く沈んで出ていらっしゃらないので分かりませんが商店街を包む守護の力も弱々しく時への干渉も緩んでいるのは確かです」
抑揚のない雨村さんの喋り方は温度が無い分、事実をありのままに伝えてくるような所があった。
奥の院に籠らなくちゃいけないほど疲れている天音さまは今どうしているだろう。
そして。
池から出て来られなくなってしまった龍姫さまが突然手を離した天音さまを恨んだとしたら?
その原因となった私を憎むようになってもおかしくなくて。
だめだ。
あまりにも私の手には余りすぎて考えがまとまらないし、感情もついていかない。
ぐるぐるぐるぐる悪い想像と恐怖が回って眩暈がする。
「続けても構いませんか?」
「……はい」
とても雨村さんの話を聞けるような状態ではなかったけど、説明して欲しいとお願いしたのは私だ。
冷や汗が浮く額に手を当ててなんとか意識を集中する。
「今回の件は商店街に住み池の主に仕える妖たちにとってまさに寝耳に水。青天の霹靂。突然奥ノ院を離れた山の姫への怒りと追及は一先ず置いてこれからの対応を決めるための会議が夜通し行われこれといった解決策を見いだせぬままでいた所に宗春さんがいらっしゃいました」
そこで天音さまが私を助けるために動いたことを知らされた。
しかも宗春さんはこうなることを分かっていておじいちゃんの家に行く私を止めなかったのだと言ったそうだ。
いくら宗春さんが天才といっても未来が見えるわけでもないのにどうやって知ったのか。
信じられずにいる私に「妖の情報網を侮ってはいけません」と雨村さんが険しい顔で告げた。
「妖には独自のネットワークがあります。その中でどこの妖が悪さをしているとか、どこそこで新しい妖が生まれたとか、妖魔化しそうだとかそういう情報がそれなりの価値でやりとりされているのです」
きっとそこからあの天狗さまがどうやらなにか企てているようだということを掴んだんだろう。
そして狙いが私であることも知っていて、宗春さんがそれを伝えずに強く引きとめなかったのだとしたら。
宗明さんが苦悩して後悔していた理由はそれだったのだと納得し、そして天音さまと真希子さんの謎だった会話の内容が分かって辛くなった。
結局宗春さんのことを疑わなかった私の落ち度であり、あの状況を上手く切り抜けられずに天音さまに頼ってしまった私の弱さが原因だ。
「当然商店街の妖たちは彼を責めたて今までどれだけの労力を使って現状を保ち続けて来たのかと滔々と訴えました。それに対して宗春さんは『何十年もかけて説得した所で池の主は耳を貸さなかったのだから決定的な状況を作りだし諦めさせ次の段階へと進められたことを誉めてくれてもいいんじゃないか』とのたまいました」
妖魔化する前に動けることを喜べば?と微笑む姿すら想像できて私は背筋を這う寒気に震えあがった。
そこで雨村さんがやれやれといいたそうに溜息を吐く。
「もう非難轟々で血の気の多い者や忠義に篤い者が荒れ狂い一触即発の状態で生きた心地がしませんでしたよ」
「それは……大変でしたね」
千秋寺にも恩があり、商店街にもお世話になっている雨村さんにとっては辛い状況だっただろう。
だけど雨村さんは眉を上げておや?というような表情をする。
「大変なのは私ではありませんよ。小宮山さん」
「え?」
「宗春さんは貴女の能力が如何なるものかを詳しく語り貴女を利用することを提案されました」
「はい!?」
どうしてそこで私が出てくるのか。
「姉姫がこうなってしまったことは貴女の所為であるのだから利用されることは当然であり責任があると」
確かに売り言葉に買い言葉で結を利用するくらいなら私を利用すればいいって宗春さんにいったけど。
まさかこんなことに利用されるなんて思ってもいなかった。
どこから宗春さんの思惑通りだったのか。
最初から――ということはないと思う。
きっと私が眼鏡の力を制御できるようになり始めて、狒々の命を奪ったあの時くらいから。
考えていたのかもしれない。
悔しいけどみんなが不安な表情で恐れていた“いつか”のためになにかできることがあればいいと思っていたから、こんなことになって怖気づいてはいるけど、これから利用されること望まれることを断るつもりにはなれなかった。
話が始まった時の衝撃を思えばまだやれることがあるんだという希望が示されたのを喜ぶべきだとまで思える。
「宗春さんを信じることは危険だという意見と僅かでも望みがあるのならば縋りたいという思いで揺れています。なかなか結論が出ぬまま紛糾し時に落とされる宗春さんの挑発のような『手遅れ一歩手前で良かったね』という爆弾発言で荒れて」
どこへ行っても聞く方が嫌がる発言をするんだなと呆れつつ、お前が言うのか!とお怒りになる商店街の妖さんたちの気持ちに同情してしまう。
「宗明さんがいらっしゃらなかったら血が流れていたかもしれません」
「え!?そんなに!?」
「ええ」
絶対的な象徴である龍姫さまが危うくなったことは彼らの不安を煽り、怒りと恨みで強く燃え上がってしまったのだと雨村さんが続ける。
「妹姫が不在だったのは三十分にも満たないものでしたが姉姫の衰弱が想像以上に著しくそれがみな大層堪えたようです」
元々理性の足らぬ生き物ですからと自嘲気味に頬を緩めた雨村さんが真顔に戻る僅かな間に宗明さんがお茶を持って部屋に入ってきた。
宗明さんは卓に着かずにお茶を置いた後は入口の前に退いて黙って座り、雨村さんは出されたお茶を静かに飲む。
私は温かな湯気を立てる玄米茶の香ばしい香りが漂うのを味わいながら目を閉じてゆっくりと呼吸した。
「宗春さんがいったように私には責任があります」
それは真実だ。
だから。
「商店街のみなさんがどんな結論を出すか分かりませんが、私にできることがあるなら協力を惜しまないつもりです」
「紬さん!」
宗明さんが余計な発言も約束もしないで欲しいと止めてくれるけどこればかりは譲れない。
「いいんです。できることをしないのは今まで頑張ってきた自分自身を裏切ることになるから」
それに。
「龍姫さまのことも天音さまのことも大好きなので私が役に立てるなら喜んでやりたいんです」
強がりじゃなく心から笑ってみせると宗明さんは悲しそうな顔で俯いてしまった。
代わりに雨村さんが視線を上げて嬉しそうに目を細める。
「それではそのようにあちらにもお伝えしておきましょう」
「よろしくお願いします」
頭を下げて頼んでから宗明さんが淹れてくれたお茶をクイッと飲むと丁度いい温さで喉を通り過ぎていく。
玄米の香ばしさだけじゃなくて甘さがほんのりと残るお茶はなんだか宗明さんのようで私は湯呑の中の澄んだ緑色を見つめて微笑んだ。




