冷ややかな目と見開かれた目
「ということで改めてご挨拶を。千秋寺の住職久世隆宗です」
さきほどは失礼しましたと謝って頭を下げる隆宗さんの横には真希子さんがぴったりと寄り添うように座っている。
「宗明と宗春が相当ご迷惑をおかけしているようで申し訳ない」
「いいえ!ご迷惑おかけしているのは私の方で――」
ゆっくりと顔を上げた隆宗さんは唇の端と頬の間の絶妙な部分にご飯粒をつけていて、思わず吹き出してしまいそうになり笑いを堪えるのにとても苦労した。
全体的にシャープで凛々しい顔立ちなのは全国各地を歩き回っているからで、優しげに下がった目尻とそこに薄らと皺を刻んで微笑む姿はどこか可愛らしく真希子さんが夢中になるのもすごく分かる。
「隆宗さん、お弁当つけてる」
「え?あ、ごめん。どこ?」
「ほら、取ってあげる。こっち向いて」
促されて真希子さんの方を向いた隆宗さんの片方の頬に手を添えながら、恋しがっていた愛妻のご飯を沢山食べた印をひょいっとその妻がつまんで取りぱくりと食べた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
見つめ合う二人の周りにはピンク色の空気が漂っていて見ているこっちの方が恥ずかしく、視線を逸らして畳の上を眺めていたら隆宗さんがコホンと咳払いをして座卓の向こうから少し身を乗り出してきた。
「紬さん――とお呼びしても?」
「あ、はい」
「では紬さん。事情は真希子から伺いました。大変でしたね」
真面目な顔をすると穏やかそうな雰囲気が無くなり、尖った顎や薄い唇のせいで少し冷たそうな硬質な感じがする。
きっとお仕事中はこんな表情で――もしかしたらもっと鋭く険しくなるのかもしれない――妖と戦っているのかな。
「とても頑張っていることも聞いておりますが、紬さんの指導は宗明ではなく宗春が行っているんですよね?」
「は、い」
なんだか微妙な言い方に引っ掛かりを覚えて私は固い声を出す。
「それは、いけないことなんですか?」
隆宗さんも宗春さんは先生として不合格だって思っているんだとしたらすごく悲しい。
宗明さんのように父である隆宗さんも宗春さんを誤解しているの?
「宗春さんは――物覚えが悪くて鈍い私に根気強く付き合ってくれてますし、分からないことも聞けばちゃんと教えてくれます。そりゃちょっと意地悪な言い方とかされますけど、それだって照れ隠しというか、素直じゃないというか、自分のこと分かってなくて」
所詮予備だからって冷めたように全てを見て、期待もせずに興味を持たない宗春さんの透明な笑顔を思い出してまた悔しくなった。
隆宗さんと真希子さんが生暖かい表情を浮かべているのに気づいてどうやら感情的になりすぎたと反省する。
「えと。とにかく宗春さんが先生なのは私的には全く問題ないんです。ありがたいと思っていて。あ、でも敢えて大事なこと教えないで喜んでいるとこは直してもらいたいですけど」
「ぷふっ。紬ちゃんたら必死!」
「真希子さん!だって」
顔が熱くなって両手で頬を押さえる。
「教えてもらっている私じゃないと宗春さんが先生としても優秀だってこと分かってもらえないじゃないですか」
生徒である私がいつまでも危なっかしいから宗春さんの有能さが認められないのかもしれないし。
だから必死になるのは当然だと思うんだけど。
なんだか居たたまれなくて視線を壁に向けた私の横顔に隆宗さんは笑いながら話かけた。
「紬さんが教えを乞う相手が宗明であろうと、宗春であろうとさして変わりはないんですが――まさかそれほど宗春を買っていただけるとは」
宗春は幸せ者だ。
「いや、でも、宗春さんが天才なのは間違いないので」
私が認めるとかそういうのはちょっと違うというか。
しどろもどろになって首と突き出した両手を横に振る。
「それに、宗春さんは幸せとか思ってくれないですし」
生きることも死ぬこともどうでもいいって笑っていっちゃうくらいだから。
「まことに恥ずかしいことに息子たちは能力ばかりが上達してまだまだ未熟で経験も浅い。そろそろ叩き出して尻に火を点けてやる頃合いなんでしょう」
腕を組んでう~んと唸っている隆宗さんの顔はお父さんの顔だった。
磨いてきた力を使いながら新しい経験を積ませる時期が今なのか、それとももう少し先にするべきなのか悩んでいる。
「それより紬ちゃん体調は大丈夫?」
「はい。怠さもないですし、節々の痛みも、天音さまに治していただいた所も違和感ないので大丈夫です」
確認してきた真希子さんに向かって右肩を大きく動かすようにぐるんぐるんと腕を回して見せて笑う。
「む~。熱が下がったからって無理したらぶり返しちゃうんだからね?気をつけてよ?」
「分かりました」
心配してくれていることが嬉しくて頷くと真希子さんは渋々納得する。
「夕方には宗明か宗春に家に送らせるのでそれまではゆっくりするといい」
「はい。ありがとうございます」
疲れているのに顔合わせと挨拶を兼ねた場所を作ってくれたことに感謝しながら頭を下げると隆宗さんは立ち上がり「そうだ」と思い出したように声を出す。
「奥ノ院への立ち入りは申し訳ないがしばらく遠慮してもらいたい」
「え?」
「紬さんを助けに飛んで行き、傷を治したことで千秋寺の姫もちょっと疲れているのでね。少し籠って力を蓄えたいとのことだから邪魔しないように頼みます」
「……はい。すみませんでした」
そういう理由なら私がずかずかと聖域に入り込むことはできない。
むしろ申し訳なくて落ち込んでしまうくらいだ。
本当は天音さまのお堂に行ってお礼をいいたかったけど仕方ないよね。
「それでは失礼」
衣擦れひとつさせずに隆宗さんは部屋を出て行った。
そして真希子さんも腰を上げ障子を閉める前に止めて気遣わしそうに私を見たけど結局なにもいわずに後に続く。
取り残された部屋の中で座卓の天板をじっと眺めていると玄関がガラガラと開く音がした。
誰か来たのか。
それとも誰かが帰ってきたのかもしれない。
確かめるために廊下に出て玄関へと向かうとそこには珍しいことに宗明さんと宗春さんが揃って立っていた。
「あ、えと。お帰りなさい」
靴を脱いでいた宗春さんが視線を上げて左の口の端だけをくっと持ち上げる。
そんな嫌な笑い方をしても彼の端正な美しさは損なわれないんだから狡いと思う。
「二人でお出かけなんて珍しいですね」
というか初めてなんじゃないかな?
隆宗さんが帰ってきたから二人で外出できたのかもしれないけど、もしかしたら天音さまが疲れて引き籠ってしまったことに関係があるのかもしれない。
「相変わらずお気楽なことで結構だね」
玄関に上がり、靴を揃えようと膝を着きこちらに背を向けた宗春さんの声には実に棘がたっぷりと含まれている。
返答に困って黙っているとすくっと目の前に立った宗春さんが冷ややかな目で私を見下ろしてきた。
「紬って呆れるくらいしぶといよね。今度ばかりは死ぬかと思ってたのに、今回も生きて帰ってくるんだからさ」
まるで死んでもらった方が良かったみたいな言い方をされてさすがにむっとするけど、天狗さまを訪ねるって電話をかけた時にはちゃんとアドバイスしてくれたし「死なずに済むといいね」って思ってくれていたのは伝わってきていたので多分本心ではないはず。
「しぶといくらいじゃないと私の夢は叶えられないと思うので、宗春さんに太鼓判を押してもらえて一安心です。ありがとうございます」
にこりとは笑えなかったけど、それでも怯ませることはできたようだ。
頬を引きつらせて眼光鋭くさせた宗春さんが軽く舌打ちを響かせて乱暴に廊下を歩いて行く。
「あ、宗春さん!」
呼び止めようとした私に「今はそっとしておいた方がいいですよ」と助言したのは宗明さんじゃなかった。
慌てて振り返ると開けっ放しの戸の向こうに黒い服を着た男性が立っている。
黒く濡れたような髪と真っ白な肌をしたその人とは、以前千秋寺の門の前ですれ違ったことがあった。
自分は雨男なのだとあの日告げた彼は目が合うとほんのりと微笑みを浮かべた人。
「みなに吊し上げられていた所を宗明さんに土下座することで収めてもらったことが宗春さんの自尊心を大層傷つけたようですので」
「つるし……え?土下座?」
聞き捨てならない単語と内容をなんとも淡々と話すので一瞬聞き逃してしまう。
右の耳から入ったものが素通りして左の耳から出て行きそうになるのを一生懸命留めて繰り返すとひゃっとなって土間で困っているように佇んでいる宗明さんを見た。
「どどど!どういうことですか!?」
「雨村さん」
「すみません」
余計なことを言わないで欲しいと雨男さんを窘めるけど、相手は肩を竦めて抑揚のない謝罪を返すばかり。
とても反省しているようには見えない。
だけどこのまま流されては困るのでお客さまはこの際引っ込んでいてもらおうと私は勇んで宗明さんに詰め寄った。
「ちゃんと説明してください!」
視線から逃れるように顔を背けられて私は土間に飛び降りる。
「どうして宗春さんが吊し上げられるんですか!?そもそも一体誰がそんなことをっ」
「紬さん、それは」
また後でと横を向いたまま続けられるのが我慢ならなくて宗明さんの頬を両手で包んでぐいっと強引にこっちへと向けさせた。
驚いたように見開かれた瞳と微かに開いた唇が妙に無防備で畳みかけるなら今だ!と背伸びして顔を近づける。
「もしかして昨日の夜に少し話してくれたこととなにか関係あるんですか?」
「!」
「そうなんですね?」
念を押すと宗明さんはきゅっと眉を寄せて黙り込む。
でも答えないってことはその通りだってことだ。
「ちゃんと全部話してください。体調が万全の時に話すつもりだったっていってくれたじゃないですか。私はもう大丈夫ですし」
後でじゃなくて今聞きたい。
「宗明さん」
「ああ」
呼びかけに宗明さんはため息のような声を漏らして私の手首をそっと掴んで下ろさせた。
小さく首を横に振って迷いを消し平常心を取り戻そうとする。
それをじっと待つつもりでいたのに雨男さんが敷居を超えて玄関の中へと入ってきた。
「詳しい説明は私からしましょう。宗明さんは隆宗さんにご挨拶してからお茶でも淹れて持ってきてください」
「え?」
「ですが」
「全てお話しするつもりだったのなら私が代わりにお伝えしても構わないのでは?それにあちら側の意見や事情もこちら側の立場も両方分かっている私の方が適任かと思いますが」
どうですかと聞かれた宗明さんが一瞬だけ悔しそうな表情をして、すぐにいつもの冷たい無表情を装った。
「では、お願いします」
「承りました」
「紬さん。雨村さんを客間にお通ししてください」
「はい!ええと、どうぞ」
「ありがとうございます」
靴下の裏を叩き落としてから玄関に上がり、さっきまでいた客間へと促すと雨男さんはピカピカの黒い革靴を脱いでついてくる。
宗明さんが反対方向へと行く気配と足音を聞きながら客間の障子の前に立つと堪えきれずにというように雨男さんが吹きだした。
「あの?」
「ああ、すみません。お二人の意外な一面を見せていただいたのでつい」
喉の奥でククッと笑い声を響かせながら雨男さんは淡々と言い訳をする。
真っ白い首がほわっと赤くなっているので必死で堪えようとしてくれているのは感じるんだけど。
「すみません。二人って誰と誰でしょうか?」
もしかしたらその二人の中に自分が入っている可能性もあるので恐る恐る聞いてみる。
そうすると彼はきょとんとした後でまたおかしそうに笑いを噛みしめて「宗明さんと宗春さんですよ」と答えてくれた。
よかった。
私じゃなくて。
「でもそんなに意外なとこありましたか?」
「ありましたよ」
貴女はすごいですね。
と、褒められて喜んでいいのか、悲しんでいいのか分からずに首を傾げた。
「常に落ち着き表情を崩さない宗明さんがあれほど感情を露わにするのも驚きならば、宗春さんが子どものように貴女に八つ当たりしたり不機嫌を隠しもしないのを不思議な思いで見ていました」
「あー……そういえば」
最初は無愛想で冷たい印象しかなかった宗明さんが少しずつ笑ったり、困ったりした顔を見せてくれるようになった。
でも宗春さんに関しては初めから失礼なことをいったりしたりする人だったので、八つ当たりされたり苛々を見せられたりするのは雨男さんほど不思議には思わないんだけど。
「彼らにも人間らしい部分があったんだと感じ入ってしまいました」
「そんな大げさな」
「おや?決して大げさではありませんよ。妖相手に恐れることなく平然と立ち向かい、容赦なく斬り伏せていく彼らを知る私たちは人間ではなく妖なのではと実しやかに囁かれているほどですから」
う~ん。
私はまだ二人が妖と戦っている所を見たことが無いのでよく分からないけど。
「妖さんたちにも人と同じように誰かを大切に思う気持ちや身を挺して守ろうとする気持ちがあるじゃないですか。私は妖も人もそう変わらないと思っているので」
そう答えると雨男さんは「成程」と呟いて私の顔をしげしげと眺めた。
彼の瞳の奥になにかおもしろがるような光がちらちらと揺れていたけど敢えて知らないふりをして障子を開けて中へ入るようにと勧める。
「それでは」
会釈しながら入っていった雨男さんの後から部屋に足を踏み入れ障子を閉めて。
彼が語ってくれる言葉を聞き逃さないようにしなくちゃと気を引き締めた。




