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後始末



「呼ぶのが遅いわ」


 呆れたような溜息が聞こえ、しゃらしゃらしゃら、さらさら――という竹林の中を風が吹き抜けて行く時に似た音と共に苦しめられていた重みが無くなっていく。


 なにが起きているか確認するだけの気力がどこを探しても見つけられず、私はぐったりと露草の背中に身を預けた。

 空けと呼ばれた気がしたけどすごく小さかったから聞こえていないのと同じだと無視する。


 痛みで朦朧とする視界の端に黒い打掛の裾から銀色の生地に銀糸の牡丹柄が縫い取られた着物が見えてほっとする。


 ああ。

 天音さまが来てくれたんだって。


「しかし。死にたければ勝手に独りで死ねばよかろうに。守るべき者を巻き込み、逆恨みしてその命を喰らおうとは見下げ果てた奴だ」


 仮にも人に崇められ寺社を持つ妖が落ちたもの。


「望み通り死なせてやろう。白。行けるな?」


 まさかの言葉に私は慌てて顔を上げて振り仰ぐ。

 肩や腕や背中にも痛みが走ったけどぐっと飲み込んで耐える。


 だって白も満身創痍の状態なのに。


 天音さまは覆いかぶさるように前屈みになっている天狗さまの腕をその華奢な手で掴み濡れたように黒く輝く瞳を冷たく光らせて口元だけで微笑んだ。


 いつもと違う酷薄な笑みと細い手首の下で黒い霞になって天狗さまの身体の一部がさらさらと散り飛んでいくのを目撃した私は全身の毛穴からぶわっと嫌な汗が噴き出る。


「あ奴が無用な争いを避けて生きてきた結果がこれだ。神性さを後生大事に保っていては大切なものを守ることなど叶わぬとほとほと身に沁みたろう」

「だ、だったら」


 これ以上は。


「だからこそ。引導を渡すのは私ではなく白でなければ。無論力は貸そう。覚悟を決めるべきは紬だけではないということじゃ」


 それ。


「行け。疾く逝け」


 無様を晒す憐れな妖に。


「消失という救いを与えてやろう」


 白がよろよろと露草の下から抜け出して「ォオオオオオンン!」と伸びやかな遠吠えを響かせた。


 握りしめていた手を天音さまが開き、まるでなにかを追い払うかのような動作をひとつしただけで天狗さまを大樹の根元まで吹き飛ばしてしまう。


 それを追い掛けて風のように白は駆けていく。

 満足そうに目を眇めて見届けてから天音さまはついっとこっち――というよりも私の向こう側、正確に言うと下にいる露草を見やる。


「青の小鬼。動くなよ?動けば容赦はせぬ」

「…………」

「勝負はついた。仕えるべき主は消え、お主を縛るものもまた消える」


 終わりを告げられた瞬間露草の背中が小さく丸まって波打つように震えたから、私は痛みの無い左腕でそっと彼を抱き寄せた。

 露草が切り捨て諦めようとしていたものがなんだったのかは分からないけど、今、長く大事に思い仕えてきた天狗さまを喪おうとしているのは間違いないから。


 友達としてできることをしたかった。


 押し殺し言葉にならない思いを絞り出しながら泣く露草の少しでも慰めになるように。

 必死で抱きしめた。


「お姉ちゃん!」


 だけど泣いていたのは露草だけじゃなった。

 結が涙でぐちゃぐちゃの顔で茜と一緒に近寄ってくるのを見て私は小さく笑って「ごめんね」と謝る。


「も、う。マジで、今回ばっかりはお姉ちゃん死んじゃうかと思ったぁあ!」

「うん。私も。でも。結が何度も私を呼び戻してくれて助かったよ。ありがとう」

「ああ……もう!なによ。ありがとうってさ。ほんとお姉ちゃんっていつもそう。危ない方にばっかり近づいて、呼ばれて。そんなんだからあたしもおじいちゃんも」


 心配でしょうがなかったんだからね!


「うん、ごめん」

「ほんと気をつけてよね」


 どうせ無理だろうけどという耳に痛い言葉が続いて私は笑って誤魔化した。


「それより怪我大丈夫なの?」

「あー……ははは。大丈夫じゃなさそう」


 どうなっているか怖くてそっちが見れないくらいだし、こうやって話しているだけでもズキズキと痛んで泣きそうになる。


「しょうがないなぁ。ちょっと」


 見せてと傍にしゃがみこもうとした結の前に腕が差し出され綺麗な振袖が揺れた。

ビクリと肩を竦ませて結が二歩下がる。


「…………」

「悪いの。だが触ることはならぬ」

「天音さま?」

「妹御の為じゃ。まさか忘れておるわけではあるまいな?妖の血や肉は穢れており、触れれば病を得たり厄を引き寄せると」


 覚えております。

 申し訳ありませんでした。


「挨拶が遅れたが、私が何者かそなたなら分かるの?」

「……千秋寺の山の奥にいらっしゃる仏さまでしょ?」

「ほほほ。紬とは違い聡い娘だ。私のことは天音と呼ぶがいい」

「では天音さま。あたしのことはどうぞ結と呼んでください」

「ほんによく出来た妹じゃな。力強い魂とよいをしておるわ」


 天音さまが感心してにこりと微笑むと結が「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。


「結」


 梅の蕾が開き良い香りをふわりと漂わせるように優しい声で天音さまは結を呼んだ。

 結は丸く大きな瞳で受け止め「はい」と応える。


「紬は怪我もしておるし、このまま外へと出すことはできぬ。寺で預かり祓い清めてやらねば更に事態を悪化させよう」

「……つまりあたしだけが帰ってお母さんに説明をしろと」

「すまぬ。負った怪我はこちらが責任もって治癒させると約束しよう。……ああ、戻ったか」


 途中で天音さまが視線を逸らしてその眼差しを強くさせる。


 俯き脚を引きずりながら白が戻ってきた。

 左手を伸ばすと「キュン」と鳴いて鼻を寄せぺろりと手のひらを舐められてくすりと笑う。

 鼻先に触れ、頭と耳の付け根を撫でようと顔を近づけた時、白の左目が綺麗な青い色ではなく赤く変わっていることに気づいた。


「白。が」

「クゥン」


 気にするなといわんばかりに尻尾を振って、もっと触って欲しいとぐいぐいと頭を押し付けてくる。


「天音さま」

「……たいしたことではない。穢れが薄まれば元に戻る」

「本当に?」

「嘘などつかぬ」


 案ずるなといわれれば信じるしかない。


 だからせめてありがとうの気持ちを込めてすっかり汚れてくすんでしまった白銀の毛並みに手を滑らせ片手でぎゅっと抱きついた。


 私の首に顔を埋めて匂いを嗅ぎながら尻尾をぐるんぐるんと回しているいつも通りの白の様子を噛みしめて助かったんだなって改めて実感する。


「天音さまもありがとうございます」

「よい。ただの。初めにもいったが呼ぶのが遅すぎるぞ。私は呼ばれねば動けぬ身。それまではただ見ていることしかできぬのだ。死の間際に求められても死に水を汲んでやることしかできぬ」


 それでは堪らぬ。


「紬」

「はい」

「生きていてくれて礼をいう」

「そんな」

「みなが気を揉んでおる。早う帰ろう」


 すっと身を屈めた天音さまが両腕を伸ばすと白が身を引いて下がる。

 そのまま胸に抱き寄せられ膝の裏と背中を支えられた、と思った途端にふわりと抱え上げられてびっくりした。


「や、待って!私、重――痛ぁ!?」

「これ。じっとしておれ。せっかく痛みの弱い場所を選んで支えておるというのに」

「――っ、――っ!」


 下唇を前歯で噛みしめて痛みを和らげようとしていると天音さまがやれやれと息を吐く。


「そこな赤いの。結をちゃんと家まで送り届けよ。そして青いの。その腕の傷は完治せぬだろうから早々に切り落とすことを薦めるぞ。それと白いの」

「ガウッ!?」


 茜や露草と一括りにされて呼ばれた白が不満そうに喉の奥でグルグル鳴く。


「姿消しの段階を緩めて結にも姿が見えるようにしてやれ。それから無事に家に帰宅するまで守り通せ。いいな。祖父母の家ではなく住んでいる家の方までだ」

「クゥン……」

「紬の傍にありたい気持ちは分かるが、その有様では聖域の出入りを許可はできぬ。入りたくとも私の結界に拒まれるだけ虚しさが募ろう」


 だからこそ結を守れと天音さまが続けた。


「結を守ることが紬を守ることにも繋がると分かったであろう?その代り紬のことは案ずるに及ばず。よいな」

「……キュン」


 鼻にかかった甘えた声に悲しさが滲んでいたから首をそろそろと伸ばして下を覗き込むと青と赤の瞳でじいっと見上げている白と目が合った。

 耳は垂れているし、尻尾は完全に下がっていてすっかり落ち込んでいるようだ。


「白。結のことお願い」


 撫でてあげられないのが心残りだけど私はなんとか笑って。


「帰ったら好きなだけ嗅いでいいから」


 ね?っと約束すると「キュゥウウン!」という初めて聞くような声で鳴き、ぴょんぴょんと飛び跳ねて痛めた脚を地面に着いて苦しんだり、尻尾を振り回したりと大騒ぎする。

 なんか興奮が過ぎる気がしてそんなに私の匂いが好きなのかとなんだかすごく複雑な気持ちになった。


 それでも大切な妹を任せるのだから白が喜んでくれるものをあげられる方がいいわけで。


「その辺りの浅ましさだけは妖魔級よの。まあ。よい。白いのも納得いったようじゃから憂いなく帰路に着ける。ではの。皆の衆」


 それぞれからの返事は無かったけど視線は感じられたし、正直痛いのと疲れで意識がぼんやりとし始めていた。


 天音さまの温もりと細い割にびくともしない腕に抱かれた安心感から瞬きの途中で瞼を上げられなくなったのは不可抗力だと思う。


 目を閉じたまま微睡んでいると天音さまが軽やかにどこかに着地したのがピタリとくっついている体の部分から伝わってきた。


 露草と空間を移動した時のような不安定な浮遊感は全く無かったし、神経がピリッとするような不快さも無かったからいつ移動したのか分からなかったけど、どうやら千秋寺に帰ってきたらしい。


 部屋の中に漂う微かなお線香の匂いや水の豊かな場所特有の空気が懐かしくて知らない間にほうっと息を漏らしていた。


「大丈夫か?」

「はい。なんか帰ってきたんだと思ったら安心して」


 すみませんと謝ると天音さまはくすりと笑った。


「よいよい。そのまま力を抜いておれ。すぐに楽にしてやろう」


 衣擦れと共にゆっくりと下に降ろされ座らせられる。

 力が入らないから天音さまに寄り掛かったままなのが申し訳ない。


「傷痕ひとつ残さず癒すからの。安心して身を任せよ」


 ありがとうございますという言葉は口の中で消えてしまって、天音さまに届いたか自信はなかったけど「よい。気にするな」と囁かれて小さく頷く。


 肩の上にそっと当てられた掌の感触はひんやりとして気持ちが良く、そこから流れ込んでくる細やかに脈打つエネルギーがじんわりと痛みの元へと辿り着き、包み込むようにして新たな形へと変化していく。


 ゆっくり、ゆっくりと整っていくから私の呼吸もそれに合わせて深く穏やかになっていった。


 いつの間にかうとうとと浅い眠りを漂っていたようで、天音さまが立ち上がる気配と小声で誰かに「後は頼む」と伝えているのを聞いてなんとか目をこじ開ける。


「あ、まね、さ、ま」


 名前を呼ぼうとしたら喉の奥になにかが絡まっているのか上手く声が出ずに途切れ途切れになってしまった。


「どうした?まだどこか痛むか?」

「い、いえ」


 天音さまがもう一度私の傍に戻ってきて優しく微笑んでくれる。

 指で前髪を払い眼鏡に触れ、それから頬を撫で顎へと滑らせて。


「礼ならいらぬ。紬がこうして生きておるのが一番の報酬じゃ。治癒は済んだが、後で熱が出るだろう。私は色々と後始末があるから着いていてはやれぬが、後のことは他の者が代わって世話を焼いてくれる。存分に甘えておくがいい」

「でも」

「皆、紬が好きで好きで堪らんのだ。構わせてやれ」


 おかしそうに笑う天音さまの横からひょいっと顔を覗かせ「そうよぉ」と真希子さんが頬を膨らませる。


「目を離したらまた危ない目にあっててわたしたちがどれだけ心配したか」

「ごめ、さい」

「まあ今回は巻き込まれた形だし、相談された宗春が行くなって強くいわなかったことにも問題はあるけど」


 それでも。


「軽率だったわね」

「……はい」


 またしても真希子さんを失望させてしまったことにしゅんっとする。

 天音さまの手がよしよしというように頬を撫でてからそっと離れていく。


「それくらいにしておいてやれ。あれの思惑に気づけるほどの聡さを求められても紬は困ろう」

「だって」

「私らとて薄々勘付きつつも放置しておったのだ。同罪じゃ」


 次に厳しい言葉を使ったのは天音さまで、いわれた真希子さんはきゅっと唇を引き結んでから「分かりました」と引き下がる。


「では頼んだぞ」

「お任せください」


 恭しく頭を下げて天音さまを見送り、黒の打掛が闇の中に溶け込むように消えたのを確認してから顔を上げて真希子さんは大きなため息を吐いた。


「さてと。まずは着替えて汚れを拭きましょう。紬ちゃん、起きれそう?」

「は、い」


 のろのろと身を起こすと不意に目の前がチカチカしはじめて顔を顰める。

 元々灯りが少なくて薄暗いのに色を失っていく世界に寒気がした。


「大丈夫?無理しないで」

「……いい、え」


 私のシャツには大量じゃなくても妖の血があちこちについているし、きっと顔や髪にだってついている。

 時間が経っているから乾いているだろうけど、真希子さんの体や服にもしついてしまったらと考えると手伝ってもらうわけにはいかなかった。


 真希子さんの目の前で脱ぐのは恥ずかしいけど、もたもたしてたら問答無用で手を出されそうだ。

なんとかシャツとジーンズを体から剥ぎ取って、ぬるま湯に着けて固く絞ったタオルを真希子さんから受け取る。


「本当はお風呂に入ってもらうのが一番いいんだけどね」


 うん。

 それはちょっと無理そう。


 気を抜くと瞼が下りてくるし、力だって抜けてしまうほど体も脳も全力で休息が必要だと訴えていたから。


 ほんのりと温かいタオルで手足を拭い、お腹と胸、首を拭き、恐る恐る肩を押さえるとじわりと奥の方が疼きはしたけど痛みは襲ってこなかった。


 ほっと緊張を解いて自分の血で汚れた部分を丁寧に落とし、折り畳んだタオルを広げて綺麗な部分を表にしてから眼鏡を取って顔を擦る。


 ちょっと迷ってからぼさぼさになった髪を一度解いて適当に左右に二つに分けてからタオルで挟み込むようにしてそれぞれ綺麗にした。


 最後にレンズとフレームを拭き上げてかけると目の前に淡いピンクのスウェットの上下が差し出されたので「ありがとうございます」とお礼をいって受け取り急いで着替える。


「終わったわよ」


 上着の裾をしっかりと下ろしたのを見届けてから真希子さんは外へ向かって声をかけると廊下から大八さんが入ってきて眉間に皺を寄せた難しい顔をして私の前へと腰を下ろす。


 怒られるんだろうかとほんの少し身構えると大八さんは自分の短い髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてはぁっと息を吐いた。


 顔を伏せてしまったからどんな表情をしているのかも分からないけどいっぱい心配かけたのは事実なので「ごめんなさい」と頭を下げる。


 そうするとクラクラして血が下がってしまって強烈な吐き気がやって来てうっと口元を覆うと「ああ」とか「もう」とか二人を慌てさせてしまってなんだか悲しくなってきた。


「本当は休ませてやりたいがもうちっと付き合ってくれ」


 宗明さんと宗春さんが待っているといわれれば私は頷くしかない。


「ちょっとごめんな。歩けないだろうから抱えていく」

「すみま、せん」


 一応断ってから大八さんが左腕を伸ばして座っている状態のまま抱きかかえてくれる。

 体勢が変わると堪え切れずにリバースしてしまいそうだったので、大八さんの腕力と気遣いに感謝するしかない。


 筋肉の動きと揺れから右手でなにかを手繰り寄せるようにしているので私が着ていた服を拾い集めているんだろう。


 せめて畳む余裕があれば良かったのに。

 重ね重ねすみません。


 天音さまの柔らかさとは違い厚みがあって逞しい腕と胸筋にぐったりと身を任せて移動した先は本堂だった。


 深く、低く――いつもより静かに読経があげられているけど、お堂の中には宗明さんと宗春さんの声が満ちていて不思議なことに気持ちが悪かった胃がゆっくりと治まっていく。


 護摩を焚く炉には火が入っているようでパチパチと木が爆ぜる音と匂いがするし、大八さんが一段上がった場所へと登ると肌を炙る熱さがゾクゾクとした寒さを力強く吹き飛ばしてくれた。


 お経が切れ一拍置いてお鈴が鳴る。


 宗明さんと宗春さんが同じタイミングで息を吸い、ゆっくりと始まった次のお経はシャクシャクと錫杖が鳴りだすと少し早くなっていく。


 熱のこもった声と音が大きく包み込むように広がって全てを洗い流してくれるみたいな気がした。


 大八さんの右腕が動きうっすらと目を開けると、天井まで届きそうなほど燃え上がった炎の中にチュニックとジーンズが投げ込まれ、黒い煙と共に赤い火に焼かれて消えていく。


 煙が目に染みて思わず閉じると二人の読経が心地よくて。


 私は全てを手放した。




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