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後悔は温もりと太陽の香りで癒される




「よぉ来たねぇ。紬も結も」


 ありがとうねぇっておばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。


 駅前にある大きな総合病院は五年前に建て替えが終わってすごく綺麗で洗練されている。

 おじいちゃんが死ぬ前に入院していた時もこの病院だったらしいけど、私はそんなに簡単に死ぬわけがないって思っていてお見舞いに行かなかった。

 私が就職したばかりの夏に風邪をこじらせて入院したって聞いてから、あれよあれよと弱ってしまって短い入退院を何度も繰り返しておじいちゃんは逝ってしまったから。


 たいしたことないって聞いていてもおばあちゃんの容体が急に変わることだってある。

 だから結に誘われて土曜日の朝一番の新幹線に乗り、電車を乗り継いでここまできた。


 もちろん昨日の夜に私の様子があまりにもおかしいと結に問いただされ、傷心旅行の代わりにおばあちゃんのお見舞いに行くよって連れ出されたんだけど。


 来てよかった。


 お母さんがよっこらしょと椅子から立ち上がり、私たちに場所を空けてくれながら「なんか飲み物買ってくるけどなにがいい?」と聞いてくれたので私はココアを結はミルクティを頼む。


 財布を持って病室を出て行くお母さんを見送っていると隣のベッドに座っている女性がぺこりと会釈してくれた。

 私も頭を下げて失礼にならない程度に病室を見渡す。


 六人部屋のベッドは全部埋まっていて、割と若い女性が多い。

 それぞれが音楽を聴いていたり、スマホを弄っていたり、テレビを観ていたり、本を読んでいたりしていて来客が来てるのはおばあちゃんのとこだけみたいだった。


「遠いのに悪かったねぇ」

「いいよ。丁度お姉ちゃんも暇だったし、お正月休み前にも来れてなんかラッキーって感じだしさ」


 いやいや。

 別に暇ではなかったんですけどね。


 でも確かに今千秋寺に行っても集中できなかっただろうし、変な所で勘が鋭い宗春さんに見抜かれたら相当からかわれそうだし。


「紬お仕事はどうなん?ちゃんとやれとるんかね?」

「ああ、うん。大丈夫。先輩がすっごく優しくて仕事できる人で、フォローしてくれるから」

「そうかぁ。あの紬がねぇ」


 いつもぼんやりしていた私が社会人として働いているということがおばあちゃんにはとっても不思議らしい。


 薬のせいで頬が上気しているのか、暖房が利いていて暖かいのか、おばあちゃんは瞳を潤ませてにこにこと笑っている。


 眼鏡で顔色を失って倒れている姿を見ている私としてはこうしてお喋りできていることがありがたくて思わずおばあちゃんの手をぎゅっと握った。


「おばあちゃんが無事で良かった」

「あらら。心配かけたなぁ」

「私おばあちゃんに聞きたいこといっぱいあるんだ。だから病院でしっかり治して、元気になって欲しい」

「おばあちゃんに聞きたいこと?なんだろねぇ」


 もしかして。


「おじいちゃんのことかね?」

「――――」


 んふふと笑い声を口の中で響かせておばあちゃんは私が握ってない方の手を伸ばして眼鏡の縁に触れた。


 優しく。


「紬、あんたあの人と同じ瞳をしとるわ」

「おばあちゃん……」

「懐かしいねぇ」


 温かくて愛情深い。

 その瞳が。


「好きだったんよ」


 それだけじゃのうて。


「視えることで苦しんどる姿も、結局は誰かを助けるために動くあの人に心底惚れてたんよって――今なら素直に言えるのに。ほんにままならんね」

「そんなの」


 知ってたよって言ったのは結だった。

 反抗期だなんて嘘みたいに子どものような笑顔で。


「おじいちゃんは全部分かってて、それ以上におばあちゃんのこと好きだったよ」

「結あんたほんとに優しい子やねぇ。おばあちゃんを喜ばせるん上手いなぁ」

「だってほんとのことだもん」


 おばあちゃんが結の頭をよしよしと撫でるとどこか恥ずかしそうに、でもやっぱり嬉しそうに目を細めるから可愛くて。

 私も横から混ざると「ちょ、お姉ちゃんは止めてくれる?髪ぐしゃぐしゃになるから」と本気で嫌がられたのでさすがに傷ついた。


「なに?随分と仲良くなったわね」

「……そうでもないみたいだけど」


 温かいココアとミルクティを持って帰ってきたお母さんがにやにやと笑うので、現在傷心中の私としては素直に頷けない。


「あんたたちそれ飲んだらおばあちゃん家に行ってご飯の準備しといてくれる?あと自分たちが寝る布団は出してカバーかけたりして」

「うん。分かった」


 本当ならここに私が残ってお母さんにおばあちゃん家に帰ってもらった方が少しは休めるのかもしれないけど、そうするとご飯の準備やお布団の用意してもらうことになるからあんまり変わらないのかも。


 それなら言われた通りに先に家に行ってやれること全部私たちがやった方がいいかな。


「なにか食べたいものとかある?」

「え~?なんでもいいわよ。あんたが作れるものなら」


 一応希望を聞いてみたら予想通りの返答が来たのでなにを作ろうかなと思うよりも先に結がひょこっと顔を覗かせてにやりと笑う。


「止めといた方が良いかも。昨日お姉ちゃんが作ったカレーひどかったから」

「ちょ、結!」

「なによ。ほんとのことでしょ」

「紬……カレーを失敗するってよっぽどよ。どんな作り方したの?」


 どんなっていわれても。


「あのね……ちょっと考え事してたっていうか、頭が真っ白になってたというか」

「はあ?なによ。それ」


 呆れているお母さんの顔をまっすぐに見られない。


 お肉を買うつもりが何故か鯖が袋に入っていて、普通ならもう一回お店に行くんだけど通常の精神状態ではなかったので深く考えずにそれを使った。

 もちろん海鮮を使ったカレーもあるから合わないってことはないはずで、ただちゃんと臭みを取るための下準備もせずに野菜を炒め煮込んでいる時に投入したものだからとんでもないことになったんだよ。


 もうしない。

 絶対。


「と、とにかく!今日は大丈夫だから」

「……大丈夫っていわれても」

「信じられないんですけどぉ」


 悔しい。

 悔しいけど失敗したのは事実なので言い返せない。


「じゃあ私のだけ作る。二人はカップラーメンでも食べたら?」

「まあまあまあ。そう拗ねんと作ってやり。そんで見返してやったらいいんよ」


 ぽんぽんと私の腕を叩いて諭してくれるおばあちゃんの優しさに私は何故かじわりと涙腺が刺激される。


「……おばあちゃん好き!」

「んふふ。ありがとうねぇ」


 軽く抱き合うと私が大きくなったんだろうけどひどくおばあちゃんが小さくなったように感じた。


 少しだけ曲がった背中。

 節が目立つようになった指。

 染めてあるけど白髪の部分だけ色が明るい髪も。


「おばあちゃん長生きしてね」

「そうやね。お迎えが来るまでは頑張って生きような」


 それから結がおばあちゃんと話しているうちにココアを飲み、お母さんに家のことはなんとかやっているから心配しないでと報告をする。

 たわいのないお喋りを三十分ほどして、明日帰る前にまた顔を見に来ることを約束してから結と二人でおばあちゃんの家へと向かった。


 バスに乗り二十分もしない間に木々に囲まれた山道を走り出す。

 一時間に一本しか走ってない路線バスには私たちの他には五歳くらいの男の子を連れた女の人しか乗っていない。

 無人のバス停を停まらずにいくつも通り過ぎて山を抜け、おばあちゃんの家がある町へと辿り着いた。

 私と結が降りた後、小さな男の子とお母さんを乗せてバスは次の目的地へと走って行く。


 周りを山と畑に囲まれた町は冬の乾燥した冷たい風に沈んで少し色褪せて見える。

 紅葉を終えた山には濃く暗い緑の葉が覆っていているし、道を歩いている人の姿も無い。


「静かだね」

「こんなもんじゃないの?それより荷物先に置いてから買い物行くでしょ?」

「うん。重たいしね」


 先週も使った紺色の旅行バッグには結の素敵なお泊り道具が入っているからかなりの重量がある。


「なんなら別行動にする?結、先に帰ってもいいよ」

「…………いい。一緒に行く」


 面倒だなって顔をしながらそれでも一緒に行くって言ってくれる結は結局頼りない私のことがどこまでも心配なんだろうと思う。

 だから二人でおばあちゃんの家までとことこと歩いて行くと、お向かいのカヨおばあちゃんと鉢合わせする。


「あらま。紬ちゃんと結ちゃんでねぇの」

「こんにちは。ご無沙汰してます」

寿代ひさよさんのお見舞いかね?」

「はい。倒れているおばあちゃんを見つけて救急車呼んでくださったのカヨおばあちゃんですよね。ありがとうございました」

「気にしなさんな。でも大事にならんでよかったわ」

「カヨおばあちゃんのお蔭だよ」


 ありがとうと愛想よく笑う結をカヨおばあちゃんが目尻を下げて見ている。


 結は間違いなくみんなに好かれて可愛がられているのに、私の方が注目されてズルいっていうんだから本当に不思議だ。


 そのまま世間話を始めたので結に「荷物置いて来るね」と小声で言い置いて私は重い鞄を抱えて玄関へと向かう。

 古い引き戸の鍵を開けて、ちょっと立てつけの悪くなっている戸をガタガタ鳴らしてできた隙間から小人さんたちが凄い勢いで入って行くのを追いかけるように白もするりとすり抜けて行った。


 小人さんたちは元々ここにいたらしいので里帰りができて喜んでいるのかも。


 戸を開けると白の姿は無く広い土間の玄関はちょっとそこまで用のサンダルが一足だけぽつんと置いてあるだけだった。

子どもの頃遊びにきていた時はおじいちゃんとおばあちゃんの靴の他に私と結とお母さんやお父さんの靴があって賑やかだったから。


 余計に寂しさが湧く。


 高さのある上がり框に鞄を乗せて“お邪魔します”にするか“ただいま”にするか悩んで後者を選んだ。


「ただいま」の後に続くのは帰りましたという言葉で、そうすることで余所の家ではなく自分の帰る場所だっていう感じが強まってなにかがすとんと自分の中で収まった。


 そして私の声が家の奥へと吸い込まれた後、なにやらこそこそと動く気配がたくさんする。


 重そうなものだったり、逆に軽やかなものだったり、人の足音だったりが本当にいたるところで。


「ちょ、ちょっと」


 遠慮しているのか姿を見せないんだけど数が尋常じゃない。


 もしかしたら白が追いかけ回しているのかもしれないってことに気がついて慌てて靴を脱いで上がる。


「白?どこにいるの?白!」


 この家にいるのはおじいちゃんを慕って住み着いている妖が多いはずなので、勝手に追い払われちゃ困るんだけど。


 廊下を進みながら襖を開けてひとつひとつ部屋を確認していくけど白はどこにもいない。

 呼んでも来ないのは私の傍にいなくても危険がないからなのか、それともおじいちゃんがいなくなってから危険な妖が入り込んでいたからなのか。


 よく分からないけど懐かしい匂いを嗅ぎながら、思い出の影が色濃く残る部屋を見て回るのは楽しくてやっぱり切なかった。


「あ」


 廊下の突き当たりの部屋の襖が細く開いていてそこから小さな黒い瞳がこっちを覗いている。

 象牙色の肌に鮮やかな紅色の唇。

 癖の無いサラサラの黒い前髪を真っ直ぐにおろし、艶やかな髪は可愛らしい小菊模様が入った紺色の着物の肩の上を滑るように撫でている。


「お袖ちゃん……」


 漢字で書くと私の名前と似ている彼女は小さな手で襖の端を握ってにこりと微笑んだ。

 初めておじいちゃんにお袖ちゃんを抱かせてもらった時のことが一気に蘇って廊下を走り、襖をぐいっと引き開けてその場に座り込む。


 流れてしまった年月と無邪気な子どもではなくなったことの照れがあってお袖ちゃんを抱き上げることを躊躇った私を彼女は小首を傾げて見上げてくる。


「久しぶり。元気だった?」

「♪」


 他にいうことがあるはずなのに私は当たり障りのない挨拶のような言葉をかけた。

 お袖ちゃんは何度も頷いてから焦れたように両手を広げてぴょんと飛ぶ。


「……いいの?」


 確認すると悲しそうに眉を下げて私の膝にしがみついて顔を埋めるので、綺麗に結ばれた帯を崩さないようにそっと背中に手を当てた。

 お袖ちゃんが顔を上げて黒く濡れた瞳を細めたので私は彼女の脇の下へと手を入れてゆっくりと抱き上げる。

 自分の肩に顔が乗るようにして抱きしめるとお袖ちゃんは嬉しそうに溜息を漏らしてぎゅっとしがみついてきた。

 その指が、手が、小さく震えていて胸の奥に寂しさが広がる。


「ごめんね……会いに来なくて」


 正直小さなお友だちの存在を忘れていた私にはお袖ちゃんの孤独や悲しみを分かった気になる権利はないんだと思う。


 だから心から謝って、これからは彼女のことを大切にすると約束することが重要で。


 温もりと太陽の香り。


 胸の中がほんわりとするあの感覚を思い出すことで喪失を埋めて私はお袖ちゃんを抱えたままおじいちゃんの部屋へと入った。


 おじいちゃんが死んでから二年経つ。

 それでもここにはおじいちゃんの匂いと気配があってすごく落ち着くんだけど、庭に面した方にある縁側は雨戸が閉まっているので部屋は薄暗い。


 お袖ちゃんを下ろして窓を開け雨戸を足と手だけでなく全身を使って開け放つと、お日さまの光りが射して新鮮な空気が入ってきた。


 お祖父ちゃん自慢の作り庭の奥に濃い緑の山が広がっている。


 ここから距離があるはずなのにすごく近く感じて私が瞬きをすると、不思議なことに山の中腹の辺りに木々が切れて岩肌が剥き出しになっている場所がはっきりと映った。

 少し張り出すようにして黒っぽい岩があり、その上に誰かが立っている。


「誰……?」


 よく見ようと身を乗り出した私の腰の部分の服を後ろからぐいっと引かれて驚く。

 振り返るといつの間に戻ってきたのか白がいて、青い瞳でじっと私を見上げている。


「探検と偵察は終わった?」

「ウォン」


 尻尾を左右に振って誇らしげに眼をキラキラさせているので「ご苦労さま」と頭を撫でた。


「でも威嚇して追い出したりとかしてない?おじいちゃんの大切な友だちなんだからいじめたりしたらダメなんだよ?」

「ハッハッハッ」


 少しだけ口を開けて横を向き、目を閉じた白は知らんぷりをしているんじゃなくて信用されていないことに対しての抗議のようだった。


 そして鼻をそよがせてお袖ちゃんに気づくと長い脚を動かして近づいて行く。

 お袖ちゃんの方は突然出てきた狼の妖に怯えているようで小さな両手で胸元を抑え固まっている。


「白、やめて。お袖ちゃん怖がってる」

「ウッ?」

「――!」


 私の呼びかけに振り返った白の鼻先がお袖ちゃんの振袖を掠めたようで、お袖ちゃんは飛び上がってその小さな掌で黒く濡れた鼻をペシペシペシと連打した。


「キュッ!?」

「――!――!」


 嗅覚が優れている鼻を叩かれて次に飛び上がったのは白の方だった。

 太い尻尾を後ろ脚の間に丸めてすごすごと下がる白の背中を撫でて落ち着かせ、恐慌状態になっているお袖ちゃんをもう一方の手で抱き上げる。


「大丈夫。二人とも落ち着いて」


 震えているお袖ちゃんと思わぬ攻撃を受けてしょげている白を慰めていると、失恋の痛みも苦しみも感じている余裕なんかちっともない。


「来てよかった……」


 本当はちょっとだけおばあちゃんのお見舞いに行くことを宗春さんに渋られたんだけど、四つの約束事を守ることを念押しした後で「せいぜい気をつけて」ってOK貰ったんだよね。


 できるだけ注意はしつつ折角の一泊旅行なんだから楽しもうって決めて立ち上がった。



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