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結んで 開いて




「呼んでもいないのになにしにきたの?」

「なにしにって」


 結が来ているのに教えない方がおかしくないですか?


 明らかに私に非があるような言い方はちょっと釈然としないけど、あまりにも堂々とされてしまうと自信が無くなってしまうのはどうしてだろう。


「結は私に」

「違うよ」


 言葉を奪うようにして宗春さんは上に被せてきた。

 そして腹が立つことにとても綺麗な笑顔で。


「彼女はね、僕に会いに来たんだ。ね?小宮山結さん」

「…………」


 呼ばれた結は視線を私から宗春さんへと戻してじっと見つめている。

 無言であるってことは肯定なんだろうか。


 だとしたら一体なんの用事で宗春さんを訪ねて来たんだろう。


「相変わらず鈍いね。紬は」

「へ?」

「お呼びじゃないってこと。さっさと書庫で妖のお勉強でもしてきてよ」

「――――!」


 何故か後半部分に反応して結が息を飲んで身を乗り出すようにする。


 宗春さんは面白そうに目を細めて眺めている所を見るとわざと挑発するようなことを言っているんだろう。


 結には申し訳ないけど相手が悪い。

 子どもだからって容赦してくれるような性格じゃないから。


「それか大八直々に妖についてのレクチャーしてもらってもいいかもね。人化を解いて本来の姿を見せてもらうのもいい勉強になる」

「――っ!さっきの人も!?」

「ああ。気づかなかった?まあ紬の眼でも見えないんだから、君くらいの能力じゃ無理だろうね」


 どうやら中へと通してお茶を運んでくれたのは大八さんだったみたいだ。

 私も最初は普通の身体の大きい男の人だって思ってたからなんだか懐かしい。


「――くらい(・・・)って!」


 いたくプライドを傷つけられた結が「何様なの!?」って座卓の上にドンッと拳を叩きつけた。

 湯呑からすっかり冷めているお茶が揺れて零れる。


 ハラハラしながら口を挟むべきかどうか悩んでいると宗春さんが瞳の奥に危険なほどの鋭い光りを宿して答えた。


「僕は誰でもない」

「は?」


 まさかそんな風に返ってくるなんて思わないから結が驚いたように固まる。


 知らないで地雷を踏んでしまった妹を守らねばと私は隣に座って宗春さんの視線を遮るように体をねじ込んだ。


「思春期まっしぐらの女子高生の言葉にいちいち腹を立てないでください!妹の失言の責任は姉である私にあります!」


 だから。


「すみませんでした!許して下さい!」


 いくら慣れているとはいえ宗春さんの凄みのある冷たい眼差しは正面から受け止めるには気合がいる。


 だから勢いで謝り頭を下げるとゴンッと重い音がして視界が揺れた。

 遅れることなくおでこがジンジンと痛みだす。


「あ、ああ……また」


 やっちゃったよ!


 お父さんの時もやったのに私ってどうしてこう同じ過ちを犯すのか。

 情けないったらない。


「あ!眼鏡!?」


 慌てて顔を上げて眼鏡が無事かどうかを外して確認すると蔓とフレーム部分の蝶番がほんの少し歪んでいるくらいで問題はないみたい。


 ほっとしてもう一度かけ直そうとした眼鏡が横から伸びてきた手に奪われて目を丸くする。


「へ?結……?」


 はっきりとは像を結ばないけど、結の輪郭は分かる。

 どうやら掌の眼鏡を見下ろして緊張しているように感じた。


「あーあ。だから余計なことせずに下がってろって言ったのに」

「言ってましたか?どう見ても結をいじめて楽しんでいるようにしか見えませんでしたけど?」


 眉間に力を入れて宗春さんの方を向くけどさっぱり見えない。

 でもさっきまでの棘棘した空気は無くなっているのは分かる。


「今さらだけど妹さんから『お姉ちゃんを返してくださいって』言われたんだ」

「は?返す?返すもなにも私は家に帰ってますけど?」


 一週間ほど千秋寺にはお世話にはなったけど、今はちゃんと家からお仕事に行って帰るという生活に戻っているのに。


 どういうこと?


「正確にいうなら『眼鏡をかける前のお姉ちゃんに戻して欲しい』だね」

「――――それは」


 宗春さんがなんと答えたのか気になるけど、今は眼鏡が結の手にあることの方が問題だ。


「返して!結!」

「やだっ!」


 突き出した手が結に届く前に跳ね飛ばされる。

 座ったまま後ろに下がって距離まで取られたら、目の悪い私には成す術もない。


 どうしよう。


 宗春さんが助けてくれるとは思えない。

 なら自分でなんとかしなくちゃいけなくて。


 でも揉みあいになって眼鏡が壊れたらどうする?


 修理すれば形は戻るかもしれないけど、不思議な力が失われる可能性もなきにしもあらず。


 できれば危ない橋は渡りたくない。


「お願い、結」


 猫なで声で懇願してみるけど効果は微妙だ。

 やってみて後悔したけど一番穏便な方法だから試す価値はあったと思いたい。


「返して欲しい」

「やだ」

「結」


 ぶんぶんっと横に大きく頭を振って結は眼鏡を持った手を胸に引き寄せた。

 その態度からも簡単には返すつもりが無いことが分かる。


 仕方ない。


「あのね。本当は結とゆっくり話さなきゃいけないって思ってたんだ」

「…………」

「結はずっと昔から色んなものが見えてたんだね。気づかなくてごめんね?」

「…………」

「怖かったでしょ?」


 大人になってから見えるようになった私とは違って、見えているものがなんなのか分からない間はすごく怖かったはずだ。


 突然現れる霊や見た目が不可思議な妖の姿は正直トラウマものだから。


 原因も対処法も分からないことは怖くて、不安で。

 私も千秋寺に助けを求めたから分かる。


「ひとりで悩んで大変だったと――」

「違う!独りなんかじゃない!あたしは、独りじゃ」


 なかったって叫んで、結はその細い肩を震わせて泣いているようだった。


「なんで?お姉ちゃんはいつもそうだよ!自分ばっかり特別だって思ってる!」

「そんなこと」


 思ったことない。

 特別だなんて。


 寧ろ逆なのに。


「そうだよ!みんなもそう!みんなあたしよりお姉ちゃんを見てる!みんなお姉ちゃんを特別扱いしてる!」


 あたしの味方は


「おじいちゃんだけだったのにっ」


 それなのに


「どうしてお姉ちゃんなの!?なんであたしじゃないの!?」

「結、ちょっと待って……」


 理解が追いつかない。


「お姉ちゃんはずるい!この――」


 ギリッと奥歯を噛みしめて結は手の中を怨みが籠った目で睨んだ。

 眼鏡の視力矯正の助けが無ければ見えるはずがないのに、そのぎらついた輝きは何故かはっきりと見えた。


 ゾクリと背筋を寒気が通り抜け私は震え上がる。

 実の妹がまるで知らない表情かおをしていることに恐怖を感じて。


 白がなにかを察して低く唸り声を上げる。


「眼鏡があるから」


 お姉ちゃんは変わってしまったんだって心の声が聞こえる。


 結の中で急激に感情が燃え上がり、それに呼応するかのように胸の辺りから黒い靄のようなものが噴き出してきた。


 まるで蛇のようにうねうねと動きながら結の腕の上を這い、お腹を通って脚へと触手を伸ばしていく。


 まるで身体を締め上げようとするかのように。

 身体の自由を奪って意のままに動かそうとするかのように。


 唸っていた白がぐっと腰を落としていつでも飛びかかれるようにした所で私は慌てて結の名を呼んだ。


 ダメだ。

 言わせちゃいけない。

 それだけは。


 絶対に。


「この眼鏡さえ」


 なければ(・・・・)――!


「いい加減にしなさい!」


 結がその言葉を口にする前に振り上げた手を柔らかな頬へと打ちつけていた。


 ペチリという小さな音が叩かれたことに驚いている結と、叩いた手をどうしていいか分からない私の間でいつまでも反響しているような感じがする。


 それでもちゃんと言わなくちゃいけない。

 今しか伝えられないことはあるから。


「違うでしょ。結。おじいちゃんの眼鏡を外すことを受け入れても、二度と手元に戻らなくなっても、私はもう見えない者の存在を知ってしまってる。だからそれを大事に思う気持ちは変わることはないし、できることなら共存していきたいって夢を捨てたりしない」


 そんなこと結は知っているはずだ。


「もしかしたら不思議に関する全ての記憶も一緒に消してもらえるように朔さんにお願いした?」

「…………」


 頬を抑えたまま押し黙る結を見ながら私は苦笑いする。


「優しいね。結は」


 見えることで苦しんできた結は見えるようになった私のことをちゃんと思ってくれているんだ。


「でもね。眼鏡を壊そうと考えたのは間違ってる。だってこれは結にとっても大事なおじいちゃんの思い出の品でしょ?それはダメだよ」

「……でも、記憶を消しても眼鏡があったらお姉ちゃんがいつか思い出すかもしれない」


 だから。

 不思議な力が働かないように粉々にしてもらおうと思ったらしい。


「結はイヤかもしれないけど、私が初めて真剣にやりたいって思ったことなの。大切な夢なんだ」


 理解してもらえないかもしれない。

 受け入れてもらえないかもしれないけど。


 それでも。


「危険なことも分かってる。迷惑をかけることもあると思う。でも許して欲しい。私はこの夢を絶対に叶えたいの。私の人生をかけて」

「……どうして?どうしてお姉ちゃんはそうなの!?」

「どうしてって」


 言われてもなぁ。


「盛り上がってるとこ悪いけど単純に興味あるから聞いてもいい?」

「え?なんですか?」


 存在忘れてたけどそういえば宗春さんがいるんだった。

 逆に今まで空気読んで黙っていてくれただけマシなのかもしれない。


「妹さんはさ、どうして眼鏡を自分でかけて紬みたいになろうと思わなかったのかなと」

「そんなの眼鏡をかけなくても結には見えてたからじゃないんですか?」


 元々なにも見えないし感じない私と違って結は素質が違うんだから、なにも好き好んで眼鏡をかける必要はない。


「見えるだけならね。でも違うでしょ?」

「あ――」


 そうだ。

 過去が見える。

 確定された少し先の未来も。


 それから強い心の声。


「君は聞いてたんじゃないの?大好きなおじいちゃんに。眼鏡の力がどんなものか」

「…………おじいちゃんは」


 ジロリと白い目で宗春さんを見て結はひどく冷たい声を出した。


「ちゃんと修行した人間でもないのに除霊紛いのことをするのは命取りになるから絶対にやっちゃいけないって言ってた。それをあなたは――お姉ちゃんにやらせて!」

「危険なことは承知した上で紬が行ってることだから君がどうこういえる立場じゃないんじゃないかな」


 ひょいっと肩を上げて軽く受け流す宗春さんの態度に更に結は燃え上がる。


「あたしは妹です!家族だから心配するのは当然でしょ!?お姉ちゃんはこんな(・・・)だからマジで死ぬかもしれないとか想像もできてなくて、そういうところを利用して中途半端に色々教えてやらせてるんでしょうが!そんなの立派な詐欺だからね!?」

「だってさ?」


 目を三角に吊り上げている結を面白そうに眺めた後で私にふるのはやめて欲しい。

 おまけにクスクスと笑うから顔を真っ赤にした結がキイキイ言ってる。


「結。心配してくれるのはありがたいけど、宗春さんはちゃんと教えてくれてるよ。大丈夫だから」

「大丈夫じゃないよ!?部屋にいた侍の地縛霊を除霊したのお姉ちゃんでしょ?あれね、本当に危ないんだから!おじいちゃんでもやってなかったことをお姉ちゃんはしてるんだよ!?」

「除霊じゃないよ?」

「除霊だよ!」

「……そうなの?」

「そうだね」


 私としてはそんな大きなことをしているつもりはなかったのでびっくりしたけど……。

 そうか除霊だったのか。


 手助けくらいの感じだったのに。

 認識の違いなのかな。


 でも。


「芙美さんの時にどれだけ危ないことだったのかっていうのはちゃんと教えてもらってたし、狒々とのことで力の使い方のコツも分かってたから相手がお侍さんなら命の危険はないって知っててやったことだし。私だって見ず知らずの霊を手当たり次第救うなんてことまではさすがにやらないよ」


 そこまではバカじゃないからね。


 なんか「どうだか」みたいな顔で見られている気がするけどきっと気のせいだ。

 だってよく見えないし。


「そんなこと言ってても近づいてくる霊に情を移したら助けちゃうんでしょ?お姉ちゃんは。そういうのあっちに分かっちゃうんだから。どうすんの?いっぱい寄ってくるよ?」

「あ。それは大丈夫。今は白がいてくれるから新しい人は増えないと思う」

「はあ?はくぅ?」


 なに言ってんの?ってちょっと呆れている結に、私の隣にいた白がそっと近づいて鼻先を赤くなっている痛々しい頬に寄せた。


 瞬間びくりと身体を揺らして怯えたように視線を向けるけど、どうやら結には白の姿は見えていないみたいだ。


「な、に……?」

「白だよ」

「は、く?これが?もしかして最近お姉ちゃんの傍にいる大きいなにかのこと?」


 見えなくても気配は感じていたようで、結は直ぐに自分に触れた者の存在を言い当てた。


「うん。えとね。守護妖怪っていって私の匂いを嗅がせる代わりに危ないものから護ってくれるんだ」

「匂い?なにそれ……気持ち悪くないの?」


 滅茶苦茶引いてる結の様子に私は慌てて白の弁明をする。

 だって全然気持ち悪くないのに!


「ないよ!?だって白は匂いを食べる妖で、食事の一環なんだから。それに私千秋寺に通うことで特殊な匂いが強くなってて。それを白が食べてくれるおかげで他の妖から興味を引ないで済んでて」

「……意味分かんない」

「だから!お互いに利害が一致してるってことなんだけど」


 上手く伝えられない。

 もどかしいなぁ。


「なんでそんな変な状況になってんの。普通そんなことにならないよ」

「普通がどうかは分からないけど、白は可愛いし、大八さんは優しいし、小人さんたちは癒されるし、お侍さんは――」


 待ち人と再会して二人で仲良く旅立って行った姿を思い出して鼻の奥が痛くなる。

 寂しさはあるけど、それ以上に純粋に良かったなって思ってジンッとした。


「私が怖かった時に守ってくれたから」


 ちっとも気持ち悪くなんかない。


「十分満足してるし、ありがたいと思ってる」

「お姉ちゃんそんなんだから得体の知れないものに付き纏われるんだよ!」


 首を傾げた私に結が食ってかかる。


「え?そんなことないけど」

「あるからね!?昔からお姉ちゃんの周りにはいっぱい寄って来てたんだから!その度におじいちゃんが」

「そっか。助けてくれてたんだ」

「ちょっ!あのね!?聞いてる?」


 力説してくれているのが嬉しくて私は頬が緩むのが止められない。

 どれだけ結が見ていてくれていたのか分かるから。


「うん。聞いてる。結も心配してくれてたんだよね。ありがとう」

「――!!もうっ!」


 なんでそうなのって頭を抱えている結の傍まで膝で進むと両腕でぎゅっと抱きしめた。


「結は偉いね。結にとっては気持ち悪くて怖い相手なのに目を逸らさずに注意深く生きることで折り合いをつけて」


 そうすることでしか対処できないのだとしても、家に引きこもらずに外へ出てちゃんとした生活を送るって見えない人よりも困難なんだから。


「頑張ったね」


 言葉に気持ちを込めることと、思っていることを言葉にすることはどっちが難しいんだろう。


 どっちも簡単じゃなくて。

 どっちも万能じゃなくて。


「私は本当にダメなお姉ちゃんだった」


 私は弱くて。

 私は鈍くて。


 私はなにも分かっていなかった。


「これからはいっぱい話そう。色んなこと今までより話せるから」

「……バカ」

「うん」


 腕の中で身じろいで結がすんっと洟を鳴らした。


「お姉ちゃんはダメなお姉ちゃんじゃないよ」


 小さな、小さな声。

 でもちゃんと聞こえるくらいの言葉で「ごめんなさい」って謝ってきた。


「勝手なことして」

「いいよ。眼鏡返してくれたら全部許す」


 ふっと笑っている音がして結が私の手にそっと眼鏡を乗せた。


「私も叩いてごめん。痛かったでしょ?」

「全然平気。あんなのなんでもないから」


 悪いのはあたしだしって健気な言葉に目の前が涙で歪む。


「ありがとう」


 いっぱい、いっぱいありがとう。

 結が妹で本当に良かった。


 その思いを込めてもう一度ぎゅっと抱きしめた。 



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