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いつも通りの小宮山さん



 帰宅した私はまずいつものように部屋の隅で座っているお侍さんの前まで歩いて行きそっと腰を下ろした。


 彼もなにかを言いたそうな強い眼差しでこちらを見ているけど、その唇は動くことはなくただ待ってくれている。


「お侍さん。やっと心が決まりました」


 待たせてごめんねと伝えるとお侍さんは目を細めて小さく微笑んだ。

 そして姿勢を正した後ゆっくりと頭を下げる。

 その美しい所作に彼の育ちの良さが現れていた。


「でもどうかあと一日待って欲しいんです。お姉さんの時のように体調を崩して仕事を休むわけにもいかないので」


 明日は金曜日だ。

 明日の夜に挑戦して倒れたとしても次の日は土曜日だから支障はない。


 だから。


「お願いします」


 勢いよく頭を下げると細いけれど節のしっかりとした男の人の手が上向きに差し出され、どうか顔を上げてくださいと訴えるように優しく上下する。


 視線だけを上げると彼は申し訳なさそうな顔で小さく頷き「お気遣い、感謝します」とゆっくりゆっくり唇が動かした。


 気遣いなんかなにもしてない。

 どちらかというとこっちの事情ばかりを押し付けているのに。


 彼は真面目で気遣いのできる誠実な男性だなって思った所ではたと気づきクスリと笑う。


「なんだ。こんなに身近にいたんだ」


 お侍さんが不思議そうな顔をするので「好みの男性の話です」と答えると途端に慌てたように視線を逸らしたので胸の奥がほわりと温かくなった。


 白が拗ねたように鳴いて右肩に額を摺り寄せてくる。

 ピンッと立った耳と耳の間に指を埋めて撫でてやると満足そうに目を閉じるので、しばらくそうやって手を動かしていた。


 小人さんたちもわーっと集まってきて膝の上に上ってくる。


 穏やかな時間を噛みしめていると「つーむーぎー!じゃがいもむくの手伝って!」というお母さんの声が下から聞こえてきて一気に現実に戻された。


「行かなきゃ」


 さっと立ち上がると名残惜しそうな目で白が見上げてくるけどしょうがない。

 お侍さんは苦笑いして送り出してくれた。



  ★ ★ ★



 決戦当日。


 私は宣言通りこの間買ったシルクの勝負下着を身に着けていつもより早く家を出た。


 髪も三つ編みじゃなくて丁寧に櫛を入れてハーフアップにして気合は十分。

 だけど内心はハラハラ。


 いつも通りってどんなだったかなって考えて行動したら不自然になるから、できるだけ心を無にして会社までの道を歩く。


「おはようございます」


 挨拶しながら事務所に入ると来ているのは社長だけだったようで「おはよう」って片手を上げて返してくれた。


 更衣室で制服に着替えてロッカーのドアを閉めた手を胸の前で合せて祈る。

 ちゃんといつも通り振る舞えますようにと。


 軽く俯いている私の頬に当たる髪の感触に違和感を抱いて目を開けた。

 いつもなら視界に入ることなんかない波打った自分の髪の毛。


「だめだめ」


 後ろで結んでいるゴムを解くとざっと髪を半分に分ける。

 少し強めに編み込んで三つ編みを作り右側を完成させ、ロッカーを開けて鞄から予備のゴムを取出し左側も同じようにした。


「よし!これでいつも通り」


 下着は見えないからこの際良いことにする。

 軽く頬を叩いてから眼鏡の位置を直して更衣室を出た。


 事務所に戻ると従業員のおじさんたちがちらほらと出勤していたので「おはようございます」と挨拶して自分の机まで行く。

 朝礼まではまだ二十分あるので椅子に座りパソコンを立ち上げていると入口が開いて高橋先輩が顔を出す。


「おはようございます」

「おう。あかり。大丈夫か?」

「小宮山ちゃんに続いてお前まで体調崩すとはおれも気をつけねぇとな」

「お前は大丈夫だろ。病気の方が裸足で逃げ出すわ」

「違いねぇ」


 がははと笑うおじさんたちに笑顔で応え、高橋先輩は私の方へと顔を向けると片手で拝むような仕草をしていそいそと更衣室へと入って行く。


 眉を下げてちょっと肩を竦めた先輩の表情も様子も何も変わらない。

 今まで通りで。


 私の方が拍子抜けするくらいだったけど、それが高橋先輩の優しさであることは痛いほど分かる。


「やっぱり大人だな」


 後は私がいつもと同じように接することができれば全部上手くいく。

 緊張を緩めるためにそっと深呼吸。


 白が顔を上げろと言わんばかりに鼻先を天井に向けてわふっと空気を漏らす。

 尻尾をぶんぶんっと振って。


 高橋先輩が髪をシュシュで軽く結わえながらやって来たので先手必勝で声をかけた。


「先輩。おはようございます。もう大丈夫なんですか?」

「うん。ごめんね。心配かけて。差し入れも助かった。ありがと」


 一点の曇りもなく朗らかに笑った先輩は小さな白い紙袋を私の前に「はい」っと差し出す。


「これ」


 一粒三百円はするチョコレートを売っている有名店の名前が金色で書かれている。


 絶対に自分ためには買わない高価なものなのでどうしてよいか分からずに戸惑っていると「お礼だから」って言われては受け取らないわけにはいかない。


「ありがとうございます。でもこんな高価なもの」

「大丈夫。とおるが買ってきてくれたものだから遠慮しないで」

「え!?なおさらいただいて良いものかどうか……」


 どうしてお礼の品を亨さんが。

 いやもちろん私だって仕事を休んだ時の手土産を宗春さんが用意してくれたけど。


 なんかそれとはちょっと違うような。


「亨が紬のお蔭で私と付き合えるようになったからよろしく伝えておいてって」

「――――」


 なんですと!?


「い、いま、なんと」

「うん?私と亨が付き合うことになったって言ったんだけど?」


 驚く私がよっぽど変な顔をしてるんだろう。

 高橋先輩は楽しそうに笑う。


「えと、えと。看病をしてくれた亨さんに先輩がコロリと落ちた……?」

「んー。亨の熱意に絆されたって感じかな?」


 ずっと好きだったんだって。

 私のこと。


 そう言って照れくさそうに唇を尖らせた先輩はそれはもうこっちが赤面するくらいに可愛くて。


 びっくりするぐらいに急展開だけど。


 そっか。

 亨さん、先輩のことずっと好きだったんだな。


 でもちょっとだけ心配なことがある。


 高橋先輩はずっと本当に好きな人とは付き合ってこなかった。

 それはわざとなのか、それともたまたまなのかは分からないけど。


 力が暴走したあの時。

 私は先輩の過去を見た。


 手を繋いで幸せそうに笑うその視線は隣の人ではない別の誰かを探していて、その度に辛い別れを繰り返して。


 高橋先輩が恋人が欲しいといいながらなかなか彼氏ができなかったのもきっと。

 理由があるんだろう。


「私さ。あんまりいい恋愛してきてないんだよね」


 まるで私が考えていることが分かっているかのように、先輩は苦笑いしながらそう告白した。


「今も他に好きな人がいて。でもその人とは絶対に付き合えなくて。本当笑っちゃうくらいずっとそんな感じで。亨はね。それ全部知ってて、分かってて」


 それでもいいから付き合って欲しいって言われたそうだ。

 そんな先輩だから放っておけないし、そんな先輩が好きだからって熱心に口説かれたらしい。


「物好きって言うか。でもそこまで言われたら私も満更じゃないって言うか。責任もって付き合ってもらおうかと思って」

「亨さん、カッコいいですね」

「やだ。譲らないわよ」


 おどけたように肩を竦める高橋先輩に「いりません」と慌てて首を振る。


「でも亨さんなら先輩を幸せにしてくれそうで安心しました」


 彼が先輩を支えてくれるなら心配はない気がした。


「ありがとう」

「いいえ」

「さあ。休んだ分しっかり働かないと!」


 頑張るわよって軽いガッツポーズを作った高橋先輩の笑顔は作り笑いにも、強がりにも見えなかった。


 今までだって十分魅力的で美人だったけど、亨さんっていう理解者であり恋人ができたことで自信や安心感が更に綺麗にさせてくれているのかな。


 病欠後とはとても思えないほど肌を艶々とさせ、幸せオーラをバンバン放ってる。


 榊さんの光みたいに目には映らないけど、それでも魂というか心が晴れやかで輝いているから、悪いものはもう先輩に近寄ってこないと思う。


「……いいなぁ」


 考えるよりも先に言葉が口から零れていた。

 それを耳聡く拾った高橋先輩が「羨ましい?」って聞いてくる。


「羨ましい……?」


 その感情が導く先にあるものを確認するのはまだ怖い。

 だから首を振ってそこから目をそらす。


「紬、あのね。正吾くんは――」

「!」


 突然出てきた名前に心臓がいきなり熱いものに触れたかのように跳ねて息が止まりそうになる。

 動揺してまた鼓動が速くなって頭の奥の方がジンッと痺れた。


 高橋先輩も眉を寄せて苦しそうな表情を浮かべながら言葉を続けようとしたけどその前に社長が定位置について事務所内を見渡す。


「おはよう。みんな揃ったみたいだから始めよう」


 挨拶の後はいつも通り今日の予定の確認と注意事項。

 十二月はバタバタしていて怪我や事故が多くなるから気を付けましょうという言葉を聞きながら私は気づかれないように胸をそっと抑えた。


 またいつ蒸し返されるかってハラハラしたけど、高橋先輩はそれ以上突っ込んでこなかったので何事も無く業務を終えることができてほっと息を吐く。


 今日は帰ってからもやらなきゃならないことがあるから頭も心も切り替えなくちゃ。


「先輩お疲れさまでした。また来週」

「うん。お疲れさま。気を付けてね」


 急いで着替えて今日はひとりで更衣室を出た。


 事務所にいる真琴さんにご挨拶して帰宅し、お母さんの手伝いをしてご飯を結抜きの三人で食べてから私はお侍さんの前に立つ。


 彼は覚悟を決めた目をして座り私を待っている。


 大きく息を吸って。

 ゆっくりと正座をする。


 向き合って視線を合わせると背筋にピリッとしたものが走り抜けた。


 落ち着いて。

 大丈夫だから。


 相手は知らない人じゃない。


 彼は信じられる。

 だから。


「……よろしくお願いします」


 手を着いて深々と頭を下げるとお侍さんも頭を垂れる。


 覚悟が薄れないうちに私は目を閉じて呼吸を整えた。


 そして意識は外へ。

 彼の中へ。

 記憶を追って。


 先へ。

 先へ。


 深く。


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